#12.5 short story
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
それは視界を覆い尽くすような、薄紅色だった。
「う、わぁ…」
えも言えない美しさとはまさにこのことだろう。
等間隔に植えられた桜並木はまさに花のトンネルだ。
整えられた石畳にはらはらと舞い落ちる花弁が、無機質な色の足元さえ美しく彩っていた。
桜の花の合間から見える空は吹き抜けるように高く、コントラストが目に沁みる。
(なるほど、穴場スポットをよくご存知で)
先程『甘味が食べたい』と我儘を言った夜一へ、大福を作って二番隊に届けた。所謂、差し入れというものだ。
帰り道にオススメだと教えてもらった人気のない小路は、まさに春色に染まった絶景だった。
『風流』と、一言で済ませてしまうには惜しいと思う程に。
お世辞にも広いとは言えない道だからだろう。
風の通り道になっているのか、ひらけた場所よりも春風を強く感じる。
こじんまりとした道を抜けていく風の流れは少し肌寒く、花を透かして降り注ぐ陽射しはほのかに暖かかった。
そよりと頬を撫でた柔風は、奔り抜けるような突風に突如変わる。
吹き上げられた髪を咄嗟に抑えて目を細めるが、即座に目を見開くこととなった。
たわわに咲き誇っていた花が一気に散ってしまうのではないのかと錯覚する程に、視界を覆い尽くす桜色。
映画のワンシーンになりそうな、花弁が宙へ舞い上がる光景は時が止まってしまいそうな一瞬だった。
呼吸すら忘れ、瞬きをするのも惜しい。
感嘆の言葉を紡ぐのすら差し出がましいような、春風が魅せた桜吹雪だった。
髪を抑えていなかった手が突然掴まれる感覚に、思わず肩が揺れる。
反射的に瞬きひとつ落とし、驚きで酸素を吸い込んだ。
「…び……っくりしたぁ。お仕事、サボりですか?浦原さん」
予想だにしていなかった人物に腕を引かれ目を丸くするが、一瞬で目元が思わず緩む。
それはある程度気を許した同居人だったからか、はたまた別の何かか。
「丁度夜一サンの所へ用事があったので。で、名無しサンと入れ替わりと聞いたから追いかけて来たんっス、けど、」
彼にしては少し歯切れ悪く、言葉を紡ぐ。
『けど』。なんだろう。
続けられるであろう言葉を待って見上げていれば、「…いや、なんでもないっス」と濁されてしまった。
きっと詮索しても答えてはくれないだろう。私と彼はそんな深い間柄でもない。
「桜、散っちゃうかと思うくらい風が強かったですねぇ」
「…そっスねぇ。名無しサン、風に吹き飛ばされるのかと思っちゃいましたよ」
「そこまで軽くはないですよ。それに台風じゃあるまいし、大丈夫ですよ」
天災であればありえなくもないが、これはただの突風だ。意外と浦原は心配性なのだろうか。
「桜で、」
ぽつりと小さく呟かれた言葉。
掴まれた腕は未だ離されず、握られていた大きな手にほんの少しだけ力が入った…ような気がした。
「名無しサンが見えなくなって、春風に攫われたのかと」
詩的ですね。
そう茶化しながら笑おうかと思ったが、言葉はぐっと呑み込んだ。
珍しく彼が、ほんの少しだけ焦燥したような顔をしていたから。
ここに来たこと自体が不慮の事故だったから。
いなくなるのも突然…という話は、ありえなくはない。
そう思えば何となく合点がつく。
けれど、いなくなって浦原が困ることもないだろうに。
むしろ少し前まで頭を悩ませていた悩みの種がなくなるのだ。
こんな顔をする必要なんて、ないはずなのに。
「大丈夫です。私は、ここにいますよ」
正解かどうか分からない言葉を気休め程度に掛ければ、ほんの僅かに強ばっていた彼の表情がふっと緩む。
無意識のうちに力が入っていたのだろう。固くなっていた背筋は丸くなり、いつもの猫背にふわりと戻った。
「…急いで名無しサン追いかけたら、小腹空いたっスね」
「ちゃんと十二番隊の皆さんの分も作ってますよ、差し入れ。」
いつもの調子でのんびり下駄を鳴らす浦原の隣を、後ろから小走りで追いかける。
くせっ毛の髪に絡むように添えられた、桜の花びら。
そろりと背伸びして指先で払えば、少しだけ気恥しそうに彼は笑うのであった。
桜色、君に胸高鳴る春
それは目も眩むような、薄紅色の世界。
夜一への用事も手短に済ませ『今なら追いつくかも』と、ただの出来心で彼女の後を追いかけた。
そんなボクを眺めていた夜一の視線が、どこか楽しそうだったのは…見なかったことにしよう。
二番隊隊舎の中ですれ違う隊士に物珍しそうな視線を向けられたが、まぁ二番隊は古巣だ。気に留める程でもなかった。
いつもはのんびりしたリズムでカラリと鳴いている下駄も、今日ばかりは忙しなく歩調を刻んでいる。
古道のように細い小路。
はらりはらりと石畳に落ちていく花弁は柔らかく、京楽がこれを見れば『風流だねぇ』と感嘆の息を漏らすことだろう。
きっと二言目には『花見酒飲みたくなるね』と言うのだろうけど。
少し先に、小さな背中が見えた。
動きやすそうな浅葱色の小袖、歩く度に小さく揺れる嫋やかな黒髪。
桜並木が物珍しいのか、小動物が辺りを見回すように忙しなく視線を巡らせていた。
(絵になるとは、こういうことっスかね)
こちらに気づいていないのだろう。
振り返る気配もなく、のんびり桜の下を散策する名無しの後ろ姿は一枚の写真のようだった。
ただ観ているだけなのに、胸が高鳴る。
声を掛けることすら忘れてしまう程に、一人の少女に視線を奪われてしまった。
そよりと頬を撫でた柔風は、奔り抜けるような突風に突如変わる。
儚く宙を舞っていた花弁が、視界を覆い尽くすのは一瞬だった。
小さな背中を見失いそうになる程の、花嵐。
まるでそれは、神隠しのような――
花吹雪の向こうで髪を抑える、消えそうな程に白い手。小さな背中。
穏やかだった呼吸は一瞬で詰まり、気がつけば側に駆け寄り、手を伸ばしていた。
細い、腕。
思い切り押せば砕けてしまいそうな肩が、小さく揺れた。
花吹雪に視線を奪われていた彼女が、驚いたようにこちらを見上げてくる。
大きく見開かれた黒い瞳は、まるで上等な鏡のようだった。
凪いだ湖面に反射するように、桜色と、花蕾の隙間から零れる空色と、少しだけ情けない顔をしたボクの表情が映り込んだ。
「…び……っくりしたぁ。お仕事、サボりですか?浦原さん」
ボクだと分かった瞬間、少しだけ強ばっていた名無しの目元がふっと緩む。
こんなボクでも少しだけ気を許してくれているのが、なんだか擽ったいと同時に嬉しかった。
「丁度夜一サンの所へ用事があったので。で、名無しサンと入れ替わりと聞いたから追いかけて来たんっス、けど、」
けど。
続けられるはずだった言葉が、出てこない。
覚束無い感情が形作ることは難しく、ただボクは歯切れ悪く言葉を呑み込んだ。
「…いや、なんでもないっス」と締めくくれば、これ以上彼女が詮索することもなく、ただ小さく笑うだけだった。
「桜、散っちゃうかと思うくらい風が強かったですねぇ」
「…そっスねぇ。名無しサン、風に吹き飛ばされるのかと思っちゃいましたよ」
「そこまで軽くはないですよ。それに台風じゃあるまいし、大丈夫ですよ」
彼女の言うことは尤もだ。
けれど、思ってしまったのだ。
消えてしまうんじゃ、ないのかと。
春に、桜に、嵐に。
攫われてしまうのではないのか、と。
それは前触れもなく、天災のように。
彼女はボクの前に現れた。
だからこそ、今この瞬間も瞬きひとつした後に消えてしまうのではないのかと、時々無性に不安になる。
最初はただの悩みの種。突然降って湧いた『不可思議』の存在。
原因は恐らくボクなんだろうけど、それは少しだけ煩わしさすら感じていた。
――いつからだろうか。
手放すのが惜しくなって、気がつけばこんな風に追いかけてしまうようになったのは。
「桜で、」
ぽつりと小さく呟いた言葉。
彼女は、呆れるだろうか?それとも首を傾げてしまうだろうか。
思ったままの言葉を形にして伝えるのが、こんなに怖いと思ったのは久方ぶりだった。
「名無しサンが見えなくなって、春風に攫われたのかと」
絡んだ視線を外したいのに、目が離せない。
情けない表情の自分がありありと映り込んでいるというのに、黒曜石のような瞳をずっと見ていたい。そう思ってしまうくらいには、重症だった。
意外そうに目を小さく見開いた彼女が、綻ぶように目を細める。
それは呆れるわけでもなく、『よく分からない』と言わんばかりに首を傾げるでもなく。
ボクが無意識のうちに欲しがっていた言葉が、ただ柔らかく紡がれた。
「大丈夫です。私は、ここにいますよ」
――嗚呼。
恋に、落ちる音がした。
それは見ないふりをしていたのに、いつの間にか大きくなっていて。
自覚した瞬間、なんだか泣き出してしまいそうな感情が胸の奥から洪水のように溢れ出る。
他人に、
――ヒトに『恋する』なんて、覚えている限りでは初めてだった。
静かに掻き乱される感情を抑えるように、ひとつ深呼吸をゆっくり零す。
落ち着いて、あとで整理しよう。時間は…たっぷりあるのだから。
今はただ、
「…急いで名無しサン追いかけたら、小腹空いたっスね」
「ちゃんと十二番隊の皆さんの分も作ってますよ、差し入れ。」
彼女と、いたい。
十二番隊へ帰る足取りは、先程と倍速以上にゆっくりと。
風を孕むように優雅に足取りを進めれば、隊長羽織が春風にふわりと舞った。
「う、わぁ…」
えも言えない美しさとはまさにこのことだろう。
等間隔に植えられた桜並木はまさに花のトンネルだ。
整えられた石畳にはらはらと舞い落ちる花弁が、無機質な色の足元さえ美しく彩っていた。
桜の花の合間から見える空は吹き抜けるように高く、コントラストが目に沁みる。
(なるほど、穴場スポットをよくご存知で)
先程『甘味が食べたい』と我儘を言った夜一へ、大福を作って二番隊に届けた。所謂、差し入れというものだ。
帰り道にオススメだと教えてもらった人気のない小路は、まさに春色に染まった絶景だった。
『風流』と、一言で済ませてしまうには惜しいと思う程に。
お世辞にも広いとは言えない道だからだろう。
風の通り道になっているのか、ひらけた場所よりも春風を強く感じる。
こじんまりとした道を抜けていく風の流れは少し肌寒く、花を透かして降り注ぐ陽射しはほのかに暖かかった。
そよりと頬を撫でた柔風は、奔り抜けるような突風に突如変わる。
吹き上げられた髪を咄嗟に抑えて目を細めるが、即座に目を見開くこととなった。
たわわに咲き誇っていた花が一気に散ってしまうのではないのかと錯覚する程に、視界を覆い尽くす桜色。
映画のワンシーンになりそうな、花弁が宙へ舞い上がる光景は時が止まってしまいそうな一瞬だった。
呼吸すら忘れ、瞬きをするのも惜しい。
感嘆の言葉を紡ぐのすら差し出がましいような、春風が魅せた桜吹雪だった。
髪を抑えていなかった手が突然掴まれる感覚に、思わず肩が揺れる。
反射的に瞬きひとつ落とし、驚きで酸素を吸い込んだ。
「…び……っくりしたぁ。お仕事、サボりですか?浦原さん」
予想だにしていなかった人物に腕を引かれ目を丸くするが、一瞬で目元が思わず緩む。
それはある程度気を許した同居人だったからか、はたまた別の何かか。
「丁度夜一サンの所へ用事があったので。で、名無しサンと入れ替わりと聞いたから追いかけて来たんっス、けど、」
彼にしては少し歯切れ悪く、言葉を紡ぐ。
『けど』。なんだろう。
続けられるであろう言葉を待って見上げていれば、「…いや、なんでもないっス」と濁されてしまった。
きっと詮索しても答えてはくれないだろう。私と彼はそんな深い間柄でもない。
「桜、散っちゃうかと思うくらい風が強かったですねぇ」
「…そっスねぇ。名無しサン、風に吹き飛ばされるのかと思っちゃいましたよ」
「そこまで軽くはないですよ。それに台風じゃあるまいし、大丈夫ですよ」
天災であればありえなくもないが、これはただの突風だ。意外と浦原は心配性なのだろうか。
「桜で、」
ぽつりと小さく呟かれた言葉。
掴まれた腕は未だ離されず、握られていた大きな手にほんの少しだけ力が入った…ような気がした。
「名無しサンが見えなくなって、春風に攫われたのかと」
詩的ですね。
そう茶化しながら笑おうかと思ったが、言葉はぐっと呑み込んだ。
珍しく彼が、ほんの少しだけ焦燥したような顔をしていたから。
ここに来たこと自体が不慮の事故だったから。
いなくなるのも突然…という話は、ありえなくはない。
そう思えば何となく合点がつく。
けれど、いなくなって浦原が困ることもないだろうに。
むしろ少し前まで頭を悩ませていた悩みの種がなくなるのだ。
こんな顔をする必要なんて、ないはずなのに。
「大丈夫です。私は、ここにいますよ」
正解かどうか分からない言葉を気休め程度に掛ければ、ほんの僅かに強ばっていた彼の表情がふっと緩む。
無意識のうちに力が入っていたのだろう。固くなっていた背筋は丸くなり、いつもの猫背にふわりと戻った。
「…急いで名無しサン追いかけたら、小腹空いたっスね」
「ちゃんと十二番隊の皆さんの分も作ってますよ、差し入れ。」
いつもの調子でのんびり下駄を鳴らす浦原の隣を、後ろから小走りで追いかける。
くせっ毛の髪に絡むように添えられた、桜の花びら。
そろりと背伸びして指先で払えば、少しだけ気恥しそうに彼は笑うのであった。
桜色、君に胸高鳴る春
それは目も眩むような、薄紅色の世界。
夜一への用事も手短に済ませ『今なら追いつくかも』と、ただの出来心で彼女の後を追いかけた。
そんなボクを眺めていた夜一の視線が、どこか楽しそうだったのは…見なかったことにしよう。
二番隊隊舎の中ですれ違う隊士に物珍しそうな視線を向けられたが、まぁ二番隊は古巣だ。気に留める程でもなかった。
いつもはのんびりしたリズムでカラリと鳴いている下駄も、今日ばかりは忙しなく歩調を刻んでいる。
古道のように細い小路。
はらりはらりと石畳に落ちていく花弁は柔らかく、京楽がこれを見れば『風流だねぇ』と感嘆の息を漏らすことだろう。
きっと二言目には『花見酒飲みたくなるね』と言うのだろうけど。
少し先に、小さな背中が見えた。
動きやすそうな浅葱色の小袖、歩く度に小さく揺れる嫋やかな黒髪。
桜並木が物珍しいのか、小動物が辺りを見回すように忙しなく視線を巡らせていた。
(絵になるとは、こういうことっスかね)
こちらに気づいていないのだろう。
振り返る気配もなく、のんびり桜の下を散策する名無しの後ろ姿は一枚の写真のようだった。
ただ観ているだけなのに、胸が高鳴る。
声を掛けることすら忘れてしまう程に、一人の少女に視線を奪われてしまった。
そよりと頬を撫でた柔風は、奔り抜けるような突風に突如変わる。
儚く宙を舞っていた花弁が、視界を覆い尽くすのは一瞬だった。
小さな背中を見失いそうになる程の、花嵐。
まるでそれは、神隠しのような――
花吹雪の向こうで髪を抑える、消えそうな程に白い手。小さな背中。
穏やかだった呼吸は一瞬で詰まり、気がつけば側に駆け寄り、手を伸ばしていた。
細い、腕。
思い切り押せば砕けてしまいそうな肩が、小さく揺れた。
花吹雪に視線を奪われていた彼女が、驚いたようにこちらを見上げてくる。
大きく見開かれた黒い瞳は、まるで上等な鏡のようだった。
凪いだ湖面に反射するように、桜色と、花蕾の隙間から零れる空色と、少しだけ情けない顔をしたボクの表情が映り込んだ。
「…び……っくりしたぁ。お仕事、サボりですか?浦原さん」
ボクだと分かった瞬間、少しだけ強ばっていた名無しの目元がふっと緩む。
こんなボクでも少しだけ気を許してくれているのが、なんだか擽ったいと同時に嬉しかった。
「丁度夜一サンの所へ用事があったので。で、名無しサンと入れ替わりと聞いたから追いかけて来たんっス、けど、」
けど。
続けられるはずだった言葉が、出てこない。
覚束無い感情が形作ることは難しく、ただボクは歯切れ悪く言葉を呑み込んだ。
「…いや、なんでもないっス」と締めくくれば、これ以上彼女が詮索することもなく、ただ小さく笑うだけだった。
「桜、散っちゃうかと思うくらい風が強かったですねぇ」
「…そっスねぇ。名無しサン、風に吹き飛ばされるのかと思っちゃいましたよ」
「そこまで軽くはないですよ。それに台風じゃあるまいし、大丈夫ですよ」
彼女の言うことは尤もだ。
けれど、思ってしまったのだ。
消えてしまうんじゃ、ないのかと。
春に、桜に、嵐に。
攫われてしまうのではないのか、と。
それは前触れもなく、天災のように。
彼女はボクの前に現れた。
だからこそ、今この瞬間も瞬きひとつした後に消えてしまうのではないのかと、時々無性に不安になる。
最初はただの悩みの種。突然降って湧いた『不可思議』の存在。
原因は恐らくボクなんだろうけど、それは少しだけ煩わしさすら感じていた。
――いつからだろうか。
手放すのが惜しくなって、気がつけばこんな風に追いかけてしまうようになったのは。
「桜で、」
ぽつりと小さく呟いた言葉。
彼女は、呆れるだろうか?それとも首を傾げてしまうだろうか。
思ったままの言葉を形にして伝えるのが、こんなに怖いと思ったのは久方ぶりだった。
「名無しサンが見えなくなって、春風に攫われたのかと」
絡んだ視線を外したいのに、目が離せない。
情けない表情の自分がありありと映り込んでいるというのに、黒曜石のような瞳をずっと見ていたい。そう思ってしまうくらいには、重症だった。
意外そうに目を小さく見開いた彼女が、綻ぶように目を細める。
それは呆れるわけでもなく、『よく分からない』と言わんばかりに首を傾げるでもなく。
ボクが無意識のうちに欲しがっていた言葉が、ただ柔らかく紡がれた。
「大丈夫です。私は、ここにいますよ」
――嗚呼。
恋に、落ちる音がした。
それは見ないふりをしていたのに、いつの間にか大きくなっていて。
自覚した瞬間、なんだか泣き出してしまいそうな感情が胸の奥から洪水のように溢れ出る。
他人に、
――ヒトに『恋する』なんて、覚えている限りでは初めてだった。
静かに掻き乱される感情を抑えるように、ひとつ深呼吸をゆっくり零す。
落ち着いて、あとで整理しよう。時間は…たっぷりあるのだから。
今はただ、
「…急いで名無しサン追いかけたら、小腹空いたっスね」
「ちゃんと十二番隊の皆さんの分も作ってますよ、差し入れ。」
彼女と、いたい。
十二番隊へ帰る足取りは、先程と倍速以上にゆっくりと。
風を孕むように優雅に足取りを進めれば、隊長羽織が春風にふわりと舞った。
6/6ページ