星霜を辿る
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「すげー色。」
「身体に悪いものほど美味しいんだよ」
名無しが食べているアイスは緑と白が混ざり、赤と緑のトッピングまで混ぜられたアイスクリームだった。
美味そうに目の前で食べているが、お世辞にも食べ物の色をしていない。
「一口いる?」と勧められ、おっかなびっくりでスプーンで掬って口に運べば──
「ん、ん!?なんだこれ、バチバチしてる!」
「へー、弾けるキャンディって無下限関係ないんだね」
「口の中はノーカンだっての!面白れー、もう一口!」
ぱちぱち、しゅわしゅわ。
コーティングされた柔らかいチョコレートの中には、口の中で弾ける飴の欠片。
バニラの甘さとほんのり香るミントの爽やかさも絶妙だ。
美味い、それでいて面白い。
催促すれば『仕方ないな』と小さく肩を竦めて名無しがカップごとアイスを差し出してくる。
キャンディが沢山あるところを俺の方へ向けてくるあたり、何だかんだで『いいヤツだな』と口元を緩めてしまった。
「一口だけだよ、僕の分がなくなる。」
「ケチケチするなよ、俺の分やるからさー」
食べかけの大納言あずきを差し出せば、名無しは少し不満そうな表情を浮かべる。
「渋ゥ…」
「うめーのに。」
「美味しいけどさ」
確かにこの派手派手しいアイスクリーム屋では異色を放っていたフレーバーだが、食べ慣れた味で無難に美味い。
次は別のフレーバーも試してみることにしよう。
テーブルに備え付けられたカラフルなフレーバーのパンフレットを眺めながら、溶けかけてきたアイスクリームを幸せそうに食べる、目の前の同級生を見遣る。
靄が掛かったような呪力。術式も正直よく見えない。
指先でサングラスを軽く持ち上げたところで、瑠璃色の呪力の見え方は相変わらずだ。
タチの悪い呪詛師なら問題だが、見えない相手は単なる同級生だ。分からないなら尋ねてしまう方が手っ取り早い。
「そういや名無しの術式って何?」
溶けてしまった白とミントグリーンの液体をスプーンで掬っていた名無しが、キュッと眉を顰める。
「アイスクリーム屋でその話する?」
「別に一般人 に聞かれたところで全然分かんねー話だから別にいいだろ?」
傑がいたなら『コラ、悟。』だとか言って子喧しく諌められるのだろうけど。
空になったピンクのスプーンで意味もなく宙に円を描きながら、名無しは「うーん…」と軽く唸っている。
「……なんかこう、火を出したり、水を出したりする、術式的な…」
「大道芸かよ。」
説明が下手にも程がある。
もしかして自分の術式を把握してないとか?
四級ならありうる。一度、しっかり見てやれば術式の把握とか昇級に繋がるんじゃないか?
名無しの育成計画を勝手に頭の中で組み立てていると、ポケットの携帯電話が着メロ音を鳴らしたてる。
「五条くん、電話。」と名無しに促され画面を見ると、あまり見たくない担任の名前がディスプレイに表示されていた。
「げ、夜蛾セン。……もっしもーし、俺です。俺オレ」
『悟!今どこだ!』
オレオレ詐欺の真似事をしても、いつもなら拾ってくれるボケをスルーされてしまう。
切羽詰まった声。どうやら只事ではないようだ。
ハンズフリーにしていないにも関わらず、名無しにも夜蛾先生の声は聞こえているらしい。
俺が小さく手招きすれば、隣で中腰になり、聞き耳を立て始めた。
「アキバのゲーセン行って、今アイス食ってるとこ」
『傑とか!?』
「いや。名無しだけど」
名前を出せば『そうか』と一言で済まされる。
腹ごなしになる程度の軽い案件なら楽なのにな、なんて思っていたが……どうやらそうはいかないようだ。
『東京メトロ丸ノ内線を走行する地下鉄車両内で呪霊が発生した。今すぐ祓除に向かってくれ。』
「へいへい。で、何処の駅に停んの?」
『停まらん。』
「は?」
『運転手とも連絡が繋がらない。車両の制御がきかない状況だ』
「先生、俺ら映画のスタントマンじゃないんだけど?第一、地下鉄って言ったら地下走ってんだろ?車両ごとドカンなら簡単に出来るけど」
『悟、当然だが人命救助が優先だ』
「あのなぁ…」
「貸して。」
俺の手からするりと携帯を取り上げる名無し。
文句のひとつでもつけてやろうかと「オイ!」と声を上げるが、子供をあやすように人差し指を口元へ当てられた。
「どっち方面に向かっている車両ですか?」
『新大塚駅をもうすぐ通過し、御茶ノ水駅方面に向かっている。通常の速度で走行していれば10分程度で到着するが、今は駅に停まらん。もっと早い通過になるだろう』
「《後処理》お願い出来ますか?」
『……分かった。手配しておく。』
夜蛾先生との会話を終えた名無しは、「ごめん、返すね」と一言断り、学生鞄を持って走り出す。
アイツあんなに足が速かったか?と思わず目を見張ったが、今はそんな事を感心している場合じゃない。
「こら待て、名無し!」
戦利品のキティちゃんを置き去りにして全速力で走れば、人の波の間を縫うように走る名無しにようやく追いついた。
向かう先は秋葉原駅から西へ。
神田川沿いの都道を跳ぶように走る様は、普段見る《同級生の名無し》とはまるで別人のようだった。
「お前が行ったとこでどうにもなんねぇだろうが!」
「いやまぁ、そうなんだけど、人命救助優先って言われちゃったし」
「はぁ!?」
意味分かんねぇ。
名無しが立ち止まった場所は、JR御茶ノ水駅の目の前。聖橋付近。
ただ呪霊が発生した路線は東京メトロだ。路線が違う。
警戒する小動物のように辺りを確認した名無しは、俺の肩をトントンと叩き、北西の地下を指差した。
「五条くん、遮蔽物多いけど見える?地下から電車来てる?」
「…今そこのトンネル走ってんな。車両の外っぽいとこに1体、中に呪力が3つ。全部呪霊だな」
「分かった。」
短く返事したアイツは、俺の予想していなかった行動に出た。
フェンスを軽業師のように乗り越え、有刺鉄線をひらりと躱し、神田川の土手へ飛び降りる。
それと同時に地下から姿を現す車両。間違いない、東京メトロだ。川を渡る際は一瞬だけ地上に出るらしい。
遮蔽物がない分、状況が六眼でよく見える。
外に張り付いた準一級相当の呪霊が一体、車両の中に三級相当が三体。
そして電車の天井に着地した名無しが呑気に手を振ってる。
「……は!?」
「ごめーん!荷物よろしくー!」
荷物なんかどうでもいいだろ!あのバカ!
ポケットから携帯を取りだし、着歴から慌てて夜蛾先生に電話を掛ける。
2、3コールぽっちの時間が、やたら長く感じてしまった。
『もしもし』
「もしもし、先生!?あのバカ、橋から地下鉄へ飛び乗りやがった!」
『名無しか?』
「他にどのバカがいるって言うんだよ!」
正直俺は、東京の地理はおおよそ把握したとはいえ、地下鉄が地上に出てくる場所までは覚えていない。
たけどアイツは、東京メトロ丸ノ内線にパンダグラフと架線がないから天井から取りつきやすいとか、聖橋付近のここが一番最短で最速だと判断したのだろう。
分かっている。そんな頭の回転が早いヤツがバカなわけない。
(それでも無謀だろ!)
足を踏み外せば人間ミンチの出来上がりだ。硝子だってそんな状態から反転術式で治せない。
第一、四級相当の術師が複数呪霊を単独で対処する状況だって自殺行為に近い。
背中に伝う嫌な汗がやたらと冷たく感じる。
俺の焦燥感が伝わっているのか伝わっていないのか、電話の夜蛾先生の声は落ち着き払っていた。
そう、不自然な程に。
『なら大丈夫だ』
大丈夫。
この教師はスパルタではあるが、クリア不可能な無理難題を吹っ掛けたりはしない。
乗り越えられるか出来ないか。乗るか反るかのギリギリを攻めるのが非常に上手い、嫌な性格をした大人だ。
その反面、生徒の命を粗末に扱うような上層部とは違う。
血の通った、ちゃんとした、真っ当な先生だ。
そんな夜蛾先生が『大丈夫』と太鼓判を押すということは──。
「どういうことだよ。」
10.メトロ・エクスプレス
『ごめん、五条くん。メトロの西新宿駅までお財布持ってきて…電車賃がない…あと携帯電池切れそう…』
あのバカが無賃乗車した30分後。
まるで《出掛けたのに財布忘れた》というような軽いノリで呑気にメールが届いた。
それよりも祓除の状況報告だろうが!
麻痺した公共交通機関は使えない。
イライラしながらもタクシーを拾い、「メトロ西新宿駅まで」と短く運転手に伝える。
(しかも電池切れそうって何だよ、超弩級のバカじゃねーの?)
タクシーのメーターを確認し、五千円札を運転手に押し付ける。
「お兄さんお釣り!」と声が後ろから聞こえるが、今はそんなことを気にしている場合じゃない。
西新宿駅付近は人通りが多い。
だとしても救急車と警察、補助監督であろう黒服が集まっている場所は一目で分かる。
そしてその人集りの端で、何食わぬ顔で体育座りしているバカを見つけるのは実に容易い。
「あ、五条くん。ありがとう!助かっ」
呑気に手を振る名無しを見て堪忍袋の緒が、音を立てて完全に切れた。
つきたての餅のように伸びる頬を抓り上げ、俺は文句のひとつでも浴びせてやろうと口を開く。
「あ、の、なぁ…!」
「いだだだだだだっ!」
「俺をパシリに使うなんていい度胸だな?オイ」
「後処理しに来てくれた補助監督の人にお金借りるのも…ちょっと…そういう雰囲気じゃなくて…」
そんな呑気なことを言ってる場合か?
やはりバカなのか、コイツ。
頭の天辺から足の先まで六眼で見てみるが、元々憑いている呪い以外、何ら異変がなかった。
当然、被呪や怪我の類も、である。
祓えなくて逃げた?取り逃したとか?いや、そんなはずはない。
停まっている車両に残穢は残っているものの、呪霊の気配は完全に消え失せている。
「あの、ごじょーく……」
「五条特級術師!」
頬を抓られたままの名無しが声を上げている最中、遮るように俺の名前を呼ばれる。
呼んだヤツは補助監督。多分だけど何回か任務に同行したオッサンだろう。
「何だよ、今説教で忙しいんだけど」
「呪霊祓除、お疲れ様でした。後はこちらで処理しておきますので」
身に覚えのない出来事をつらつらと述べられ、俺はジットリした視線を下へ落とす。
頬を抓られて変な顔になったままの名無しは、口パクで『ごめん』と謝る始末だ。
らしくない。柄にもない。
《俺なんにもしてねーけど》なんて言うのは簡単だ。…だけど、
「……あー、別に。余裕だったし。どうってことねーよ」
名無しの頬を抓る手を離し、ヒラヒラと両手を挙げる。
持ち場に戻る補助監督。そして俺の隣には頬を手のひらで押さえたままの名無し。
どことなく気まずそうな表情なのは、気の所為でないようだ。
「で?一 から説明してくれるんだろうな?」
「身体に悪いものほど美味しいんだよ」
名無しが食べているアイスは緑と白が混ざり、赤と緑のトッピングまで混ぜられたアイスクリームだった。
美味そうに目の前で食べているが、お世辞にも食べ物の色をしていない。
「一口いる?」と勧められ、おっかなびっくりでスプーンで掬って口に運べば──
「ん、ん!?なんだこれ、バチバチしてる!」
「へー、弾けるキャンディって無下限関係ないんだね」
「口の中はノーカンだっての!面白れー、もう一口!」
ぱちぱち、しゅわしゅわ。
コーティングされた柔らかいチョコレートの中には、口の中で弾ける飴の欠片。
バニラの甘さとほんのり香るミントの爽やかさも絶妙だ。
美味い、それでいて面白い。
催促すれば『仕方ないな』と小さく肩を竦めて名無しがカップごとアイスを差し出してくる。
キャンディが沢山あるところを俺の方へ向けてくるあたり、何だかんだで『いいヤツだな』と口元を緩めてしまった。
「一口だけだよ、僕の分がなくなる。」
「ケチケチするなよ、俺の分やるからさー」
食べかけの大納言あずきを差し出せば、名無しは少し不満そうな表情を浮かべる。
「渋ゥ…」
「うめーのに。」
「美味しいけどさ」
確かにこの派手派手しいアイスクリーム屋では異色を放っていたフレーバーだが、食べ慣れた味で無難に美味い。
次は別のフレーバーも試してみることにしよう。
テーブルに備え付けられたカラフルなフレーバーのパンフレットを眺めながら、溶けかけてきたアイスクリームを幸せそうに食べる、目の前の同級生を見遣る。
靄が掛かったような呪力。術式も正直よく見えない。
指先でサングラスを軽く持ち上げたところで、瑠璃色の呪力の見え方は相変わらずだ。
タチの悪い呪詛師なら問題だが、見えない相手は単なる同級生だ。分からないなら尋ねてしまう方が手っ取り早い。
「そういや名無しの術式って何?」
溶けてしまった白とミントグリーンの液体をスプーンで掬っていた名無しが、キュッと眉を顰める。
「アイスクリーム屋でその話する?」
「別に
傑がいたなら『コラ、悟。』だとか言って子喧しく諌められるのだろうけど。
空になったピンクのスプーンで意味もなく宙に円を描きながら、名無しは「うーん…」と軽く唸っている。
「……なんかこう、火を出したり、水を出したりする、術式的な…」
「大道芸かよ。」
説明が下手にも程がある。
もしかして自分の術式を把握してないとか?
四級ならありうる。一度、しっかり見てやれば術式の把握とか昇級に繋がるんじゃないか?
名無しの育成計画を勝手に頭の中で組み立てていると、ポケットの携帯電話が着メロ音を鳴らしたてる。
「五条くん、電話。」と名無しに促され画面を見ると、あまり見たくない担任の名前がディスプレイに表示されていた。
「げ、夜蛾セン。……もっしもーし、俺です。俺オレ」
『悟!今どこだ!』
オレオレ詐欺の真似事をしても、いつもなら拾ってくれるボケをスルーされてしまう。
切羽詰まった声。どうやら只事ではないようだ。
ハンズフリーにしていないにも関わらず、名無しにも夜蛾先生の声は聞こえているらしい。
俺が小さく手招きすれば、隣で中腰になり、聞き耳を立て始めた。
「アキバのゲーセン行って、今アイス食ってるとこ」
『傑とか!?』
「いや。名無しだけど」
名前を出せば『そうか』と一言で済まされる。
腹ごなしになる程度の軽い案件なら楽なのにな、なんて思っていたが……どうやらそうはいかないようだ。
『東京メトロ丸ノ内線を走行する地下鉄車両内で呪霊が発生した。今すぐ祓除に向かってくれ。』
「へいへい。で、何処の駅に停んの?」
『停まらん。』
「は?」
『運転手とも連絡が繋がらない。車両の制御がきかない状況だ』
「先生、俺ら映画のスタントマンじゃないんだけど?第一、地下鉄って言ったら地下走ってんだろ?車両ごとドカンなら簡単に出来るけど」
『悟、当然だが人命救助が優先だ』
「あのなぁ…」
「貸して。」
俺の手からするりと携帯を取り上げる名無し。
文句のひとつでもつけてやろうかと「オイ!」と声を上げるが、子供をあやすように人差し指を口元へ当てられた。
「どっち方面に向かっている車両ですか?」
『新大塚駅をもうすぐ通過し、御茶ノ水駅方面に向かっている。通常の速度で走行していれば10分程度で到着するが、今は駅に停まらん。もっと早い通過になるだろう』
「《後処理》お願い出来ますか?」
『……分かった。手配しておく。』
夜蛾先生との会話を終えた名無しは、「ごめん、返すね」と一言断り、学生鞄を持って走り出す。
アイツあんなに足が速かったか?と思わず目を見張ったが、今はそんな事を感心している場合じゃない。
「こら待て、名無し!」
戦利品のキティちゃんを置き去りにして全速力で走れば、人の波の間を縫うように走る名無しにようやく追いついた。
向かう先は秋葉原駅から西へ。
神田川沿いの都道を跳ぶように走る様は、普段見る《同級生の名無し》とはまるで別人のようだった。
「お前が行ったとこでどうにもなんねぇだろうが!」
「いやまぁ、そうなんだけど、人命救助優先って言われちゃったし」
「はぁ!?」
意味分かんねぇ。
名無しが立ち止まった場所は、JR御茶ノ水駅の目の前。聖橋付近。
ただ呪霊が発生した路線は東京メトロだ。路線が違う。
警戒する小動物のように辺りを確認した名無しは、俺の肩をトントンと叩き、北西の地下を指差した。
「五条くん、遮蔽物多いけど見える?地下から電車来てる?」
「…今そこのトンネル走ってんな。車両の外っぽいとこに1体、中に呪力が3つ。全部呪霊だな」
「分かった。」
短く返事したアイツは、俺の予想していなかった行動に出た。
フェンスを軽業師のように乗り越え、有刺鉄線をひらりと躱し、神田川の土手へ飛び降りる。
それと同時に地下から姿を現す車両。間違いない、東京メトロだ。川を渡る際は一瞬だけ地上に出るらしい。
遮蔽物がない分、状況が六眼でよく見える。
外に張り付いた準一級相当の呪霊が一体、車両の中に三級相当が三体。
そして電車の天井に着地した名無しが呑気に手を振ってる。
「……は!?」
「ごめーん!荷物よろしくー!」
荷物なんかどうでもいいだろ!あのバカ!
ポケットから携帯を取りだし、着歴から慌てて夜蛾先生に電話を掛ける。
2、3コールぽっちの時間が、やたら長く感じてしまった。
『もしもし』
「もしもし、先生!?あのバカ、橋から地下鉄へ飛び乗りやがった!」
『名無しか?』
「他にどのバカがいるって言うんだよ!」
正直俺は、東京の地理はおおよそ把握したとはいえ、地下鉄が地上に出てくる場所までは覚えていない。
たけどアイツは、東京メトロ丸ノ内線にパンダグラフと架線がないから天井から取りつきやすいとか、聖橋付近のここが一番最短で最速だと判断したのだろう。
分かっている。そんな頭の回転が早いヤツがバカなわけない。
(それでも無謀だろ!)
足を踏み外せば人間ミンチの出来上がりだ。硝子だってそんな状態から反転術式で治せない。
第一、四級相当の術師が複数呪霊を単独で対処する状況だって自殺行為に近い。
背中に伝う嫌な汗がやたらと冷たく感じる。
俺の焦燥感が伝わっているのか伝わっていないのか、電話の夜蛾先生の声は落ち着き払っていた。
そう、不自然な程に。
『なら大丈夫だ』
大丈夫。
この教師はスパルタではあるが、クリア不可能な無理難題を吹っ掛けたりはしない。
乗り越えられるか出来ないか。乗るか反るかのギリギリを攻めるのが非常に上手い、嫌な性格をした大人だ。
その反面、生徒の命を粗末に扱うような上層部とは違う。
血の通った、ちゃんとした、真っ当な先生だ。
そんな夜蛾先生が『大丈夫』と太鼓判を押すということは──。
「どういうことだよ。」
10.メトロ・エクスプレス
『ごめん、五条くん。メトロの西新宿駅までお財布持ってきて…電車賃がない…あと携帯電池切れそう…』
あのバカが無賃乗車した30分後。
まるで《出掛けたのに財布忘れた》というような軽いノリで呑気にメールが届いた。
それよりも祓除の状況報告だろうが!
麻痺した公共交通機関は使えない。
イライラしながらもタクシーを拾い、「メトロ西新宿駅まで」と短く運転手に伝える。
(しかも電池切れそうって何だよ、超弩級のバカじゃねーの?)
タクシーのメーターを確認し、五千円札を運転手に押し付ける。
「お兄さんお釣り!」と声が後ろから聞こえるが、今はそんなことを気にしている場合じゃない。
西新宿駅付近は人通りが多い。
だとしても救急車と警察、補助監督であろう黒服が集まっている場所は一目で分かる。
そしてその人集りの端で、何食わぬ顔で体育座りしているバカを見つけるのは実に容易い。
「あ、五条くん。ありがとう!助かっ」
呑気に手を振る名無しを見て堪忍袋の緒が、音を立てて完全に切れた。
つきたての餅のように伸びる頬を抓り上げ、俺は文句のひとつでも浴びせてやろうと口を開く。
「あ、の、なぁ…!」
「いだだだだだだっ!」
「俺をパシリに使うなんていい度胸だな?オイ」
「後処理しに来てくれた補助監督の人にお金借りるのも…ちょっと…そういう雰囲気じゃなくて…」
そんな呑気なことを言ってる場合か?
やはりバカなのか、コイツ。
頭の天辺から足の先まで六眼で見てみるが、元々憑いている呪い以外、何ら異変がなかった。
当然、被呪や怪我の類も、である。
祓えなくて逃げた?取り逃したとか?いや、そんなはずはない。
停まっている車両に残穢は残っているものの、呪霊の気配は完全に消え失せている。
「あの、ごじょーく……」
「五条特級術師!」
頬を抓られたままの名無しが声を上げている最中、遮るように俺の名前を呼ばれる。
呼んだヤツは補助監督。多分だけど何回か任務に同行したオッサンだろう。
「何だよ、今説教で忙しいんだけど」
「呪霊祓除、お疲れ様でした。後はこちらで処理しておきますので」
身に覚えのない出来事をつらつらと述べられ、俺はジットリした視線を下へ落とす。
頬を抓られて変な顔になったままの名無しは、口パクで『ごめん』と謝る始末だ。
らしくない。柄にもない。
《俺なんにもしてねーけど》なんて言うのは簡単だ。…だけど、
「……あー、別に。余裕だったし。どうってことねーよ」
名無しの頬を抓る手を離し、ヒラヒラと両手を挙げる。
持ち場に戻る補助監督。そして俺の隣には頬を手のひらで押さえたままの名無し。
どことなく気まずそうな表情なのは、気の所為でないようだ。
「で?