幸せの方程式
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「そういえば五条さん」
カタブツを擬人化したような、僕の後輩。
詰所でばったり鉢会っただけ。
本当になんでもない日の、唐突なカミングアウト。
「この度私、結婚しました」
「は?」
……マジで?
僕の後輩、結婚したってさ。
呪術師と補助監督
補助監督が軒並み帰宅し、伽藍堂となってしまった高専の一角にある事務室。
必要最低限の蛍光灯を点け、仄暗い部屋は何処と無く不気味だ。
そんな中、煌々と光るパソコンのモニターと睨めっこをしている人物がひとり。
というより、部屋には彼女一人だけだった。
「お疲れ様です」
気配も足音も消していなかった。
にも関わらず、相当集中していたのか声をかけた瞬間両肩が大きく戦慄いた。
高々と結ったポニーテールが首の動きに合わせて揺れ、黒曜石のような双眸がこちらを無遠慮に見上げてきた。可愛い。
「七海さん、お疲れ様です。」
花が咲くような笑顔を浮かべ、疲れた様子を見せることなく彼女は表情を綻ばせた。
……我儘を言うなら、そう。
この部屋には彼女と私の二人きり。
コホン、と我ながら白々しい咳払いをひとつ零し、少しだけ意地の悪い…試すようなことを口走る。
「今、ここには貴女と私以外いません。」
言葉の真意を汲み取ったのだろう。
子供の可愛らしい悪戯に気付いた母親のようにくすくすと小さく笑い、彼女は――名無しは笑みを一層深めた。
「建人さん、お疲れ様です。」
「お疲れ様です。今日も残業ですか」
自販機で買った缶コーヒーをデスクに置けば「ありがとうございます」と礼を述べながら、困ったように彼女は肩を竦める。
「もうすぐ終わりますから、ちょっとだけ待っててください」
任務に同行した際の報告書を作成しているのだろう。ノートパソコンのキーボードを澱みなく叩く指先を、私はじっと見つめた。
婚約指輪もない。結婚指輪もまだ見に行っていない。
彼女の左薬指に似合う指輪を、次の休日にこそ見繕いに行きたいと思いながらも、中々休みが被ることがない。
呪術界の人手不足がこんな所で仇になるとは思わず、ちょっとした罪悪感と環境に対しての苛立ちで、私は彼女の死角で忌々しく口元を歪めてしまった。
「なんかちょっと罪悪感。」
液晶から視線を外さず、ぽそりと呟かれた彼女の一言。
それは私のセリフです――という言葉を呑み込んで、そっと問い返した。
「なぜです?」
「新婚生活って、こう、料理作って家で待って『おかえりなさい、建人さん』みたいなのがテンプレじゃないですか」
想像した。
夕食の匂い。家に灯った暖かな明かり。
シンプルなエプロンを身につけて、今みたいに人懐こい笑顔を浮かべて、帰ってきた私を彼女はきっと出迎えてくれるのだろう。
なるほど、悪くない。
けれど現実は、こうだ。
「今のご時世、共働きは珍しくありません。
しかしご希望でしたら私は専業主婦になって頂いても一向に構いませんし、なんなら大歓迎です」
「いえいえ。私も頑張って稼ぎますよ。」
何度目かの提案。しかしそれはあっさりと却下される。
県外の任務へ泊まりで同行することだって、補助監督は珍しくない。
伊地知君や彼女のように仕事が出来る人材なら尚更。
独占欲という子供っぽい私情が故に『専業主婦』という選択肢をチラつかせてみるが、その提案に彼女が乗る素振りは微塵もなかった。
女性とならまだしも、他の男と泊まりの任務だなんて冗談じゃない。……なんて、口に出して言わないけれど。
彼女は彼女なりに、この仕事に生き甲斐を感じている。
『私に出来ることだから』と言って、このクソのような業界に居続けている彼女は、一度逃げ出した私なんかよりもずっと立派で、彼女の芯の強さが誇らしくもあった。
だから止める理由はない。
勿論、身に危険が迫るようなことがあれば無理矢理にでも辞めさせるが。
「……帰りはどこかで食事を摂ってから帰りましょう。惣菜を買って帰っても構いませんし」
「エンゲル指数上がりそうですね。重ね重ね申し訳ない…」
「責任感をもって働く貴女を見るのは嫌いじゃありませんので、お気になさらず」
そもそも彼女が食事を用意しなければいけないなんて、前時代的なことを強要するつもりはない。
激務なのはお互い様なのだから、彼女が謝らなければいけない理由なんて皆無なのだ。
「安心してください。その分私も稼ぎますので。」
金があれば。金さえあれば。金、金、金。
――そう思っていた時期があった。
勿論今だって金は大事だ。生きる為に必要なものだから。
それよりも、もっと大切なものが出来た。
今一番大事なものは、
「心強いですね。」
「えぇ。そうでしょう。そして早期引退、悠々自適生活。」
「名無しとなら楽しくなりそうです」
「建人さんとなら楽しそうですね」
金を稼いで、一人で物価の安い国で隠居生活。
それがいつしか『彼女と』に変わった。
なんとも夢のある話だ。
もっとも、名無しと一緒ならどこでだって常夏のような楽園になってしまうのだろうけど。
息のあった台詞に面食らった彼女は驚いたように目を丸くした後、一頻り笑って「お待たせしました、建人さん。帰りましょう」と立ち上がったのだった。
カタブツを擬人化したような、僕の後輩。
詰所でばったり鉢会っただけ。
本当になんでもない日の、唐突なカミングアウト。
「この度私、結婚しました」
「は?」
……マジで?
僕の後輩、結婚したってさ。
呪術師と補助監督
補助監督が軒並み帰宅し、伽藍堂となってしまった高専の一角にある事務室。
必要最低限の蛍光灯を点け、仄暗い部屋は何処と無く不気味だ。
そんな中、煌々と光るパソコンのモニターと睨めっこをしている人物がひとり。
というより、部屋には彼女一人だけだった。
「お疲れ様です」
気配も足音も消していなかった。
にも関わらず、相当集中していたのか声をかけた瞬間両肩が大きく戦慄いた。
高々と結ったポニーテールが首の動きに合わせて揺れ、黒曜石のような双眸がこちらを無遠慮に見上げてきた。可愛い。
「七海さん、お疲れ様です。」
花が咲くような笑顔を浮かべ、疲れた様子を見せることなく彼女は表情を綻ばせた。
……我儘を言うなら、そう。
この部屋には彼女と私の二人きり。
コホン、と我ながら白々しい咳払いをひとつ零し、少しだけ意地の悪い…試すようなことを口走る。
「今、ここには貴女と私以外いません。」
言葉の真意を汲み取ったのだろう。
子供の可愛らしい悪戯に気付いた母親のようにくすくすと小さく笑い、彼女は――名無しは笑みを一層深めた。
「建人さん、お疲れ様です。」
「お疲れ様です。今日も残業ですか」
自販機で買った缶コーヒーをデスクに置けば「ありがとうございます」と礼を述べながら、困ったように彼女は肩を竦める。
「もうすぐ終わりますから、ちょっとだけ待っててください」
任務に同行した際の報告書を作成しているのだろう。ノートパソコンのキーボードを澱みなく叩く指先を、私はじっと見つめた。
婚約指輪もない。結婚指輪もまだ見に行っていない。
彼女の左薬指に似合う指輪を、次の休日にこそ見繕いに行きたいと思いながらも、中々休みが被ることがない。
呪術界の人手不足がこんな所で仇になるとは思わず、ちょっとした罪悪感と環境に対しての苛立ちで、私は彼女の死角で忌々しく口元を歪めてしまった。
「なんかちょっと罪悪感。」
液晶から視線を外さず、ぽそりと呟かれた彼女の一言。
それは私のセリフです――という言葉を呑み込んで、そっと問い返した。
「なぜです?」
「新婚生活って、こう、料理作って家で待って『おかえりなさい、建人さん』みたいなのがテンプレじゃないですか」
想像した。
夕食の匂い。家に灯った暖かな明かり。
シンプルなエプロンを身につけて、今みたいに人懐こい笑顔を浮かべて、帰ってきた私を彼女はきっと出迎えてくれるのだろう。
なるほど、悪くない。
けれど現実は、こうだ。
「今のご時世、共働きは珍しくありません。
しかしご希望でしたら私は専業主婦になって頂いても一向に構いませんし、なんなら大歓迎です」
「いえいえ。私も頑張って稼ぎますよ。」
何度目かの提案。しかしそれはあっさりと却下される。
県外の任務へ泊まりで同行することだって、補助監督は珍しくない。
伊地知君や彼女のように仕事が出来る人材なら尚更。
独占欲という子供っぽい私情が故に『専業主婦』という選択肢をチラつかせてみるが、その提案に彼女が乗る素振りは微塵もなかった。
女性とならまだしも、他の男と泊まりの任務だなんて冗談じゃない。……なんて、口に出して言わないけれど。
彼女は彼女なりに、この仕事に生き甲斐を感じている。
『私に出来ることだから』と言って、このクソのような業界に居続けている彼女は、一度逃げ出した私なんかよりもずっと立派で、彼女の芯の強さが誇らしくもあった。
だから止める理由はない。
勿論、身に危険が迫るようなことがあれば無理矢理にでも辞めさせるが。
「……帰りはどこかで食事を摂ってから帰りましょう。惣菜を買って帰っても構いませんし」
「エンゲル指数上がりそうですね。重ね重ね申し訳ない…」
「責任感をもって働く貴女を見るのは嫌いじゃありませんので、お気になさらず」
そもそも彼女が食事を用意しなければいけないなんて、前時代的なことを強要するつもりはない。
激務なのはお互い様なのだから、彼女が謝らなければいけない理由なんて皆無なのだ。
「安心してください。その分私も稼ぎますので。」
金があれば。金さえあれば。金、金、金。
――そう思っていた時期があった。
勿論今だって金は大事だ。生きる為に必要なものだから。
それよりも、もっと大切なものが出来た。
今一番大事なものは、
「心強いですね。」
「えぇ。そうでしょう。そして早期引退、悠々自適生活。」
「名無しとなら楽しくなりそうです」
「建人さんとなら楽しそうですね」
金を稼いで、一人で物価の安い国で隠居生活。
それがいつしか『彼女と』に変わった。
なんとも夢のある話だ。
もっとも、名無しと一緒ならどこでだって常夏のような楽園になってしまうのだろうけど。
息のあった台詞に面食らった彼女は驚いたように目を丸くした後、一頻り笑って「お待たせしました、建人さん。帰りましょう」と立ち上がったのだった。
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