2014 summer┊︎short story
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
その日の五条は最高に機嫌が悪かった。
出張明けの、しかも徹夜明け。
念願叶ってようやく愛しの彼女と恋人関係になって日も浅いというのに、舞い込んでくる任務は相変わらず容赦ない。
あれもこれもそれも全て呪霊が悪い。あとこんな任務を振ってくる上層部も。
黒い布に目元が覆われているにも関わらず、その表情は誰が見ても不機嫌そのものだった。
「何イライラしてんの、五条。不機嫌を露骨に出すのやめなさいよ、周りが迷惑だわ」
そんな彼を見て眉を顰めるのは、本来なら東京にいないはずの歌姫。
が、その姿は仕事着である巫女装束ではなく、ラフなカジュアルスタイルである。
「何してんの?歌姫。退職の挨拶まわり?」
「んなわけないでしょうが。夜、硝子達と飲みに行くから迎えに来たのよ」
「へー。いいよね、暇人は。」
「仕事終わらせて来たに決まってんでしょーが!ったく、大人なら自分の機嫌くらい自分で取りなさいよ。本当にガキなんだから……」
ストレスフルの五条にも遠慮なく声を掛けられる人物は限られているが、その内の一人が歌姫だ。
八つ当たりに近い棘のある嫌味も臆することなく全力で打ち返してくるものだから、五条も気が楽なのだろう。
そんな彼の嫌味に近い毒吐きに、隠すことなく呆れた様子で彼女は溜息を吐き出した。
そして溜息をつきたいのは、どうやら五条も同じようで。
「だから探してんの。」
「何を?」
「名無しを。」
彼の口から出てきたのは、彼の教え子である生徒の名前。
真面目で、努力家で、目上の人間は勿論、目下の後輩にも丁寧な彼女は、歌姫からすれば犬猿の仲である五条には勿体ない程の生徒だ。
「うわ、生徒にそのストレスを八つ当たりするの…?そこまでクズだなんて、見損なったわ五条。」
「僕をなんだと思ってんの。」
なんだと思っているの、だなんて。
反射的に吐き出しそうになった《五条悟の駄目なところ一覧》を気合いで飲み込み、歌姫は一呼吸置いて声を絞る。
「あの子ならさっき補助監督に呼ばれてたけど」
「ふーん。…でも今日あの子、任務入ってないはずなんだけどな。」
「一応生徒の予定は把握してるのね」
「当然。で?名無しはどこ?」
気が長いとは思っていなかったが、歌姫が思っている以上に五条は短気なのかもしれない。
それともストレスが相当に限界なのか。
──彼の置かれた立場を顧みると苛立ちが溜まるのは当然ではあるが、それをひらりと躱す余裕も五条は持ち合わせていたはず。
……その余裕もないとすればかなり重症だ。
(主に伊地知への)被害が出る前に早急に名無しを見つけた方がいいだろう。
「確かこっちの方に──」
そう遠くなかったはず。隣の別棟に先程はいた。
早足に五条を案内すると、そこには黒髪の女子生徒の姿。
歌姫はほっと胸を撫で下ろすが、その場にいたのは名無しだけではなかった。
「一度でいいから、僕の京都の実家に来てくれないか?悪いようにはしないからさ」
男の声。
曲がり角の影から顔を覗かせれば、黒いスーツの姿。
見覚えのある顔は──確か、そう。怪我が原因で術師を引退し、今は補助監督になった人物だった。
元々京都校での配属だったが、どうやら東京へ転属になったようで。道理で最近京都で顔を見ないはずだ。
対して名無しはというと、背中を向けているため五条や歌姫からは表情が見えないが、声音からして色良いものではないようで。
「その、外出許可がいりますし、そういうのはちょっと」
「特級呪物認定されているのが気になるのかい?僕はそんなこと気にしないよ。君は高専の生徒じゃないか」
「えっ、と──」
どう角が立たないように断るべきか。
言い淀み、困った様子で口元に手を当てる名無し。
そんな彼女の後ろ姿を眺めながら、歌姫は納得したように小さく頷く。
「そりゃモテるわよね。術式も優秀、性格もよし。アンタの生徒であるのが勿体ないくらい──って、ちょっと!」
歌姫の、ささやかな五条への嫌味を本人が聞く前に、小言を言われた当人は遠慮なく歩を進めてた。
当然、名無しの方へ。
補助監督が話をしていようが『知ったことか』と思っているのだろう。生徒と教師というには軽々しい様相で名無しの肩へ腕を回し、男子高校生が友人に絡んでいくような気軽さで話へ割入った。
「なぁにしてんの?」
「五条先生、」
「お──おかえりなさいませ、五条特級術師。」
僅かに安堵の色が浮かんだ名無しの表情。
それと反比例するように、補助監督の男の顔色は少しばかり翳ってしまう。
それも当然だろう。担任であり後見人のような立場である五条は、男のような立場の人間からすれば目の上のたんこぶなのだ。
わざわざ居ぬ合間を狙って話し掛けたというのにこんなことになろうとは。
「何してんの?って聞いてるんだけど。」
念を押すように繰り返された台詞が、先程よりも幾らか冷ややかに聞こえるのは──気のせいではないらしい。
生唾をごくりと飲み、男はぎこちなくたじろいだ後、上擦りそうになる声を深呼吸で押さえ、噛み締めるように答えた。
「僕の両親が是非ななしさんに一度お会いしたいと申していまして。その話をしていました。」
「へぇ。いつから君らそういう関係になってたの?僕記憶にないなぁ〜」
「なっていません…」
五条の白々しい質問に対して、困ったようにやんわりと否定する名無しの表情は僅かに顰められている。
じとりと担任を見上げる黒い瞳は『これ以上余計なことを言うな』『知っているくせに』と訴えているように見えて、歌姫は小さく首を傾げた。
その湿度のある視線に気づいた五条が口角を僅かに上げて笑う。
──歌姫は知っていた。こういった表情を浮かべた時の彼は、大抵ろくなことをしない。
「だってさ、田中くん。名無しは否定してるんだけど?」
「僕は田中じゃな「僕が田中って言ったら田中なんだよ。」
そんな無茶な。
その場にいた五条以外の全員──肩を組まれたままの名無し、物陰から見ている歌姫、田中と勝手に命名された補助監督──の心がひとつになった瞬間である。
……余談だが、五条の親友である某教祖も似たような暴挙をしているのでこの二人、やはり類友であったようだ。
「名無しも適当な理由探さずにさ、はっきり否定してやりなよ。十分理由あるでしょ?」
「いえ……公にするものじゃないでしょう…五条、先生、の立場もありますし」
「立場?僕の?問題ないけど。」
「大ありです」
普段の呼び名が出そうになるが『五条の生徒』である名無しは冷静を装いつつも、煽る五条へやんわり釘を刺す。
が、そんな進言もどこか吹く風。
五条は飄々と笑うばかりで、彼曰く『断る為の十分な理由』を晒しても構わないといった様子。
「あの、話が見えてこないのですが」
機嫌が良くなっていく五条とは反比例に、不味い薬草を食べたかのように顔をくしゃくしゃに歪めていく名無し。
そんな二人の様子から察することが出来なかった補助監督は、痺れを切らしたのだろう。半身詰め寄り、二人へ問うた。
「ん?こういうこと。」
肩を組んでいた腕から伸びた手のひらは、名無しの顎を攫うように掴む。
190cmを超える長身の男は覆い被さるように背を丸め、完全に無防備だった名無しの唇をいとも容易く塞いでしまった。
「んッ、ん〜〜〜!?」
五条の銀髪が眩しい頭頂部で隠され見えないが、名無しのくぐもった声と生々しい水音でなにをしているかなんて、一目しなくとも瞭然であった。
完全に固まる補助監督と、開いた口が塞がらない歌姫。
(五条当人比で)大して長いキスではなかったにも関わず、その時間は秒単位以上に長く感じられた。
最後に「ちゅっ」と音だけは可愛らしいリップ音を名残惜しそうに残し、普段よりも艶やかさが増した唇を、五条は見せつけるようにぺろりと舐めた。
腕の中に隠すように抱えられた名無しは腰が抜けたのか、両手で顔を覆い隠している。が、火照った耳までは当然隠せていない。
きっと心の底から居た堪れない気分になっているのだろう、無理もない。
「ちなみにこれ、同意の上だから。他の虫除けの為にも、ななし名無しは五条悟の恋人ってこと、じゃんじゃん吹聴してね。田中くん♡」
なんて笑いながら言うものだから、呆然としていた補助監督は抜けそうになる腰に鞭打って、逃げるようにその場を後にしてしまった。
「ごっ、ごごっ、ごじょッ、さん!」
「なぁに?」
顔を両手で覆い隠したまま、掌の隙間から名無しは声を上げる。
名前を呼ばれた五条は随分機嫌良さそうに聞き返しながら、白々しい仕草で首を傾げた。
まぁ──先程まで行われていた公開処刑が、そんなチープな可愛子ぶりっ子ごときで帳消しされるわけないのだが。
むしろ、火に油を注ぐ結果だ。
「人前でッ!しないで!ください!」
「人前じゃなかったらいいの?」
「そういう問題じゃ…ッああぁぁぁぁ〜もう!」
従順で素直で優秀な生徒の姿は、一旦店仕舞い。
『あぁいえばこういう』といった様子でおちょくる五条に対して、名無しはやけくそ気味な声を上げた。
怒る彼女の姿すら嬉しそうに目を細め、五条は気に留めることなく機嫌よく笑う。
「ガツンと言ってやればよかったのに。『天下の五条悟の恋人で〜す♡術式と身体目当てのお見合いなんて真っ平御免だよ、くたばれ♡』って。」
「五条さん。私はまだ在校生で、あなたは担任ですよ?その……こういう関係を大っぴらにするのは世間的にアウトですよ、間違いなく。あと身体って言わないでください、語弊が生まれますから。」
「何でさ。名無しは成人してるんだら児童福祉法違反にはならないよ」
「世間の目の話をしているんですよ、五条さん…」
「呪術界にそれが適用されるとでも?」
「それは………………そうですけど……」
「はい、論破♡」
先程まで歌姫の隣にいた超絶不機嫌五条は幻覚だったのだろうか。
可愛い恋人(暫定)を腕に抱き、花を撒き散らす勢いでニコニコと笑う彼はいっそ気味が悪い。新手の呪霊か?
情報が完結しないというのはこういうことだろう。
歌姫自身、頭が悪いわけではないし、むしろ平均より随分と頭の回転が早い方ではあるはずなのだが、この目の前の男の行動を目の当たりにした結果、理解が追いついていなかった。
それも仕方ないと言えば仕方ない。なぜなら相手があの五条悟だ。
一般常識を身につけている人間であればあるほど、彼の破天荒な振る舞いは理解に苦しむのだから。
「……五条、待ちなさい。何?付き合ってるって、冗談じゃなくて?」
絞り出した質問は酷くチープな質問だと、歌姫自身笑いそうになってしまった。
いや。同じ教職として、そこは最重要事項ではあるのだが。
よりによって。歌姫のお気に入りである名無しが。この男の毒牙に掛かっているなどと。
「う、うううう、歌姫さん!?いつからそこに、」
「僕をここに案内したの歌姫だよ。あと冗談じゃなくてド本命の本気に決まってるでしょ。」
開いた口が塞がらない歌姫へ見せつけるように、名無しの頬へ口付けを一つ落とす。
唇が触れた瞬間に瞬間湯沸かし器のように茹だるのだから、まぁ見てて飽きない。
──というより、歌姫は一体何を見せられているのだろう。いや考えてはいけない。感じてもいけない。
「ってワケで、歌姫の説教の前に退散退散。さ〜、思う存分名無しで充電しよっと♡」
「わっ、ちょっ、五条さん!弁解をッ」
「何言ってんの、弁解する必要ある?どっかの雪の女王だってありのままの姿見せろって言ってたじゃん。格言だよね。」
「そうじゃなくて!あの、降ッ…降ろし…ッあぁぁぁぁ人攫いぃぃぃぃ……!」
高専の廊下。消えていく名無しの断末魔。
五条の脚に歌姫が追いつくはずもないので、あの男が軽やかに誘拐──失礼。拉致する後ろ姿を、ただただ見送ってしまった。
……本日の飲み会に名無しも参加予定のはずなのだが、はてさてどうしたものか。
歌姫庵の受難
「…………今夜の飲みの話題、確定ね。」
きっと東京校の後輩にあたる家入も、五条と名無しの関係は知っているのだろう。
不躾ではない範囲で酒の肴にしようじゃないか。
古今東西、所謂『恋バナ』というものは女子会につきものなのだから。
出張明けの、しかも徹夜明け。
念願叶ってようやく愛しの彼女と恋人関係になって日も浅いというのに、舞い込んでくる任務は相変わらず容赦ない。
あれもこれもそれも全て呪霊が悪い。あとこんな任務を振ってくる上層部も。
黒い布に目元が覆われているにも関わらず、その表情は誰が見ても不機嫌そのものだった。
「何イライラしてんの、五条。不機嫌を露骨に出すのやめなさいよ、周りが迷惑だわ」
そんな彼を見て眉を顰めるのは、本来なら東京にいないはずの歌姫。
が、その姿は仕事着である巫女装束ではなく、ラフなカジュアルスタイルである。
「何してんの?歌姫。退職の挨拶まわり?」
「んなわけないでしょうが。夜、硝子達と飲みに行くから迎えに来たのよ」
「へー。いいよね、暇人は。」
「仕事終わらせて来たに決まってんでしょーが!ったく、大人なら自分の機嫌くらい自分で取りなさいよ。本当にガキなんだから……」
ストレスフルの五条にも遠慮なく声を掛けられる人物は限られているが、その内の一人が歌姫だ。
八つ当たりに近い棘のある嫌味も臆することなく全力で打ち返してくるものだから、五条も気が楽なのだろう。
そんな彼の嫌味に近い毒吐きに、隠すことなく呆れた様子で彼女は溜息を吐き出した。
そして溜息をつきたいのは、どうやら五条も同じようで。
「だから探してんの。」
「何を?」
「名無しを。」
彼の口から出てきたのは、彼の教え子である生徒の名前。
真面目で、努力家で、目上の人間は勿論、目下の後輩にも丁寧な彼女は、歌姫からすれば犬猿の仲である五条には勿体ない程の生徒だ。
「うわ、生徒にそのストレスを八つ当たりするの…?そこまでクズだなんて、見損なったわ五条。」
「僕をなんだと思ってんの。」
なんだと思っているの、だなんて。
反射的に吐き出しそうになった《五条悟の駄目なところ一覧》を気合いで飲み込み、歌姫は一呼吸置いて声を絞る。
「あの子ならさっき補助監督に呼ばれてたけど」
「ふーん。…でも今日あの子、任務入ってないはずなんだけどな。」
「一応生徒の予定は把握してるのね」
「当然。で?名無しはどこ?」
気が長いとは思っていなかったが、歌姫が思っている以上に五条は短気なのかもしれない。
それともストレスが相当に限界なのか。
──彼の置かれた立場を顧みると苛立ちが溜まるのは当然ではあるが、それをひらりと躱す余裕も五条は持ち合わせていたはず。
……その余裕もないとすればかなり重症だ。
(主に伊地知への)被害が出る前に早急に名無しを見つけた方がいいだろう。
「確かこっちの方に──」
そう遠くなかったはず。隣の別棟に先程はいた。
早足に五条を案内すると、そこには黒髪の女子生徒の姿。
歌姫はほっと胸を撫で下ろすが、その場にいたのは名無しだけではなかった。
「一度でいいから、僕の京都の実家に来てくれないか?悪いようにはしないからさ」
男の声。
曲がり角の影から顔を覗かせれば、黒いスーツの姿。
見覚えのある顔は──確か、そう。怪我が原因で術師を引退し、今は補助監督になった人物だった。
元々京都校での配属だったが、どうやら東京へ転属になったようで。道理で最近京都で顔を見ないはずだ。
対して名無しはというと、背中を向けているため五条や歌姫からは表情が見えないが、声音からして色良いものではないようで。
「その、外出許可がいりますし、そういうのはちょっと」
「特級呪物認定されているのが気になるのかい?僕はそんなこと気にしないよ。君は高専の生徒じゃないか」
「えっ、と──」
どう角が立たないように断るべきか。
言い淀み、困った様子で口元に手を当てる名無し。
そんな彼女の後ろ姿を眺めながら、歌姫は納得したように小さく頷く。
「そりゃモテるわよね。術式も優秀、性格もよし。アンタの生徒であるのが勿体ないくらい──って、ちょっと!」
歌姫の、ささやかな五条への嫌味を本人が聞く前に、小言を言われた当人は遠慮なく歩を進めてた。
当然、名無しの方へ。
補助監督が話をしていようが『知ったことか』と思っているのだろう。生徒と教師というには軽々しい様相で名無しの肩へ腕を回し、男子高校生が友人に絡んでいくような気軽さで話へ割入った。
「なぁにしてんの?」
「五条先生、」
「お──おかえりなさいませ、五条特級術師。」
僅かに安堵の色が浮かんだ名無しの表情。
それと反比例するように、補助監督の男の顔色は少しばかり翳ってしまう。
それも当然だろう。担任であり後見人のような立場である五条は、男のような立場の人間からすれば目の上のたんこぶなのだ。
わざわざ居ぬ合間を狙って話し掛けたというのにこんなことになろうとは。
「何してんの?って聞いてるんだけど。」
念を押すように繰り返された台詞が、先程よりも幾らか冷ややかに聞こえるのは──気のせいではないらしい。
生唾をごくりと飲み、男はぎこちなくたじろいだ後、上擦りそうになる声を深呼吸で押さえ、噛み締めるように答えた。
「僕の両親が是非ななしさんに一度お会いしたいと申していまして。その話をしていました。」
「へぇ。いつから君らそういう関係になってたの?僕記憶にないなぁ〜」
「なっていません…」
五条の白々しい質問に対して、困ったようにやんわりと否定する名無しの表情は僅かに顰められている。
じとりと担任を見上げる黒い瞳は『これ以上余計なことを言うな』『知っているくせに』と訴えているように見えて、歌姫は小さく首を傾げた。
その湿度のある視線に気づいた五条が口角を僅かに上げて笑う。
──歌姫は知っていた。こういった表情を浮かべた時の彼は、大抵ろくなことをしない。
「だってさ、田中くん。名無しは否定してるんだけど?」
「僕は田中じゃな「僕が田中って言ったら田中なんだよ。」
そんな無茶な。
その場にいた五条以外の全員──肩を組まれたままの名無し、物陰から見ている歌姫、田中と勝手に命名された補助監督──の心がひとつになった瞬間である。
……余談だが、五条の親友である某教祖も似たような暴挙をしているのでこの二人、やはり類友であったようだ。
「名無しも適当な理由探さずにさ、はっきり否定してやりなよ。十分理由あるでしょ?」
「いえ……公にするものじゃないでしょう…五条、先生、の立場もありますし」
「立場?僕の?問題ないけど。」
「大ありです」
普段の呼び名が出そうになるが『五条の生徒』である名無しは冷静を装いつつも、煽る五条へやんわり釘を刺す。
が、そんな進言もどこか吹く風。
五条は飄々と笑うばかりで、彼曰く『断る為の十分な理由』を晒しても構わないといった様子。
「あの、話が見えてこないのですが」
機嫌が良くなっていく五条とは反比例に、不味い薬草を食べたかのように顔をくしゃくしゃに歪めていく名無し。
そんな二人の様子から察することが出来なかった補助監督は、痺れを切らしたのだろう。半身詰め寄り、二人へ問うた。
「ん?こういうこと。」
肩を組んでいた腕から伸びた手のひらは、名無しの顎を攫うように掴む。
190cmを超える長身の男は覆い被さるように背を丸め、完全に無防備だった名無しの唇をいとも容易く塞いでしまった。
「んッ、ん〜〜〜!?」
五条の銀髪が眩しい頭頂部で隠され見えないが、名無しのくぐもった声と生々しい水音でなにをしているかなんて、一目しなくとも瞭然であった。
完全に固まる補助監督と、開いた口が塞がらない歌姫。
(五条当人比で)大して長いキスではなかったにも関わず、その時間は秒単位以上に長く感じられた。
最後に「ちゅっ」と音だけは可愛らしいリップ音を名残惜しそうに残し、普段よりも艶やかさが増した唇を、五条は見せつけるようにぺろりと舐めた。
腕の中に隠すように抱えられた名無しは腰が抜けたのか、両手で顔を覆い隠している。が、火照った耳までは当然隠せていない。
きっと心の底から居た堪れない気分になっているのだろう、無理もない。
「ちなみにこれ、同意の上だから。他の虫除けの為にも、ななし名無しは五条悟の恋人ってこと、じゃんじゃん吹聴してね。田中くん♡」
なんて笑いながら言うものだから、呆然としていた補助監督は抜けそうになる腰に鞭打って、逃げるようにその場を後にしてしまった。
「ごっ、ごごっ、ごじょッ、さん!」
「なぁに?」
顔を両手で覆い隠したまま、掌の隙間から名無しは声を上げる。
名前を呼ばれた五条は随分機嫌良さそうに聞き返しながら、白々しい仕草で首を傾げた。
まぁ──先程まで行われていた公開処刑が、そんなチープな可愛子ぶりっ子ごときで帳消しされるわけないのだが。
むしろ、火に油を注ぐ結果だ。
「人前でッ!しないで!ください!」
「人前じゃなかったらいいの?」
「そういう問題じゃ…ッああぁぁぁぁ〜もう!」
従順で素直で優秀な生徒の姿は、一旦店仕舞い。
『あぁいえばこういう』といった様子でおちょくる五条に対して、名無しはやけくそ気味な声を上げた。
怒る彼女の姿すら嬉しそうに目を細め、五条は気に留めることなく機嫌よく笑う。
「ガツンと言ってやればよかったのに。『天下の五条悟の恋人で〜す♡術式と身体目当てのお見合いなんて真っ平御免だよ、くたばれ♡』って。」
「五条さん。私はまだ在校生で、あなたは担任ですよ?その……こういう関係を大っぴらにするのは世間的にアウトですよ、間違いなく。あと身体って言わないでください、語弊が生まれますから。」
「何でさ。名無しは成人してるんだら児童福祉法違反にはならないよ」
「世間の目の話をしているんですよ、五条さん…」
「呪術界にそれが適用されるとでも?」
「それは………………そうですけど……」
「はい、論破♡」
先程まで歌姫の隣にいた超絶不機嫌五条は幻覚だったのだろうか。
可愛い恋人(暫定)を腕に抱き、花を撒き散らす勢いでニコニコと笑う彼はいっそ気味が悪い。新手の呪霊か?
情報が完結しないというのはこういうことだろう。
歌姫自身、頭が悪いわけではないし、むしろ平均より随分と頭の回転が早い方ではあるはずなのだが、この目の前の男の行動を目の当たりにした結果、理解が追いついていなかった。
それも仕方ないと言えば仕方ない。なぜなら相手があの五条悟だ。
一般常識を身につけている人間であればあるほど、彼の破天荒な振る舞いは理解に苦しむのだから。
「……五条、待ちなさい。何?付き合ってるって、冗談じゃなくて?」
絞り出した質問は酷くチープな質問だと、歌姫自身笑いそうになってしまった。
いや。同じ教職として、そこは最重要事項ではあるのだが。
よりによって。歌姫のお気に入りである名無しが。この男の毒牙に掛かっているなどと。
「う、うううう、歌姫さん!?いつからそこに、」
「僕をここに案内したの歌姫だよ。あと冗談じゃなくてド本命の本気に決まってるでしょ。」
開いた口が塞がらない歌姫へ見せつけるように、名無しの頬へ口付けを一つ落とす。
唇が触れた瞬間に瞬間湯沸かし器のように茹だるのだから、まぁ見てて飽きない。
──というより、歌姫は一体何を見せられているのだろう。いや考えてはいけない。感じてもいけない。
「ってワケで、歌姫の説教の前に退散退散。さ〜、思う存分名無しで充電しよっと♡」
「わっ、ちょっ、五条さん!弁解をッ」
「何言ってんの、弁解する必要ある?どっかの雪の女王だってありのままの姿見せろって言ってたじゃん。格言だよね。」
「そうじゃなくて!あの、降ッ…降ろし…ッあぁぁぁぁ人攫いぃぃぃぃ……!」
高専の廊下。消えていく名無しの断末魔。
五条の脚に歌姫が追いつくはずもないので、あの男が軽やかに誘拐──失礼。拉致する後ろ姿を、ただただ見送ってしまった。
……本日の飲み会に名無しも参加予定のはずなのだが、はてさてどうしたものか。
歌姫庵の受難
「…………今夜の飲みの話題、確定ね。」
きっと東京校の後輩にあたる家入も、五条と名無しの関係は知っているのだろう。
不躾ではない範囲で酒の肴にしようじゃないか。
古今東西、所謂『恋バナ』というものは女子会につきものなのだから。