「見て、硝子。地味ハロウィン。」

目の前のクズは機嫌よく笑ってそう言った。

「何の仮装だ？」
「『シャツに口紅がついてて、浮気を疑われてビンタされた男』の仮装。」
「お前の常識を疑うよ。なんでそれにした？」
「名無しを驚かせたかったから。あと嫉妬してもらいたい。」

付き合い始めたと思ったらこれだ。
好きな子の反応を楽しむ、小学生男子のようなムーヴは如何なものか。悪趣味にも程がある。

五条の格好は、いつもの仕事着のスラックスに、水色のシャツ。
ブランド物だと一目で分かる上質なシャツの襟元には、不格好なキスマークらしき赤いインクが付着していた。

「……で、その口紅は？」
「寮の冷蔵庫の中に入りっぱなしだった、かき氷のイチゴシロップ。」
「ブランドのシャツに付けたのか？馬鹿だろ。」

クリーニングで落ちるのだろうか？
いや、後先考えていない上、きっと洗濯出来なくとも『まぁいっか』と済ませてしまうのが、この五条悟という男だった。

「というわけで、硝子。無下限解くからビンタしてくんない？強〜いやつ」

シミ・シワ・くすみひとつない、腹が立つほど肌質のいい頬を指差しながら五条は笑う。

「私がそんなことしなくても、名無しにキッツいやつ頼んだら？」
「ははは。あの子が本気ビンタ、冗談でもすると思う？」

五条の扱い方に慣れてきたとはいえ、一応『教師』という目上の立場もあってか、確かに名無しが振りかぶってビンタするとは考えられない。

呆れた。
この部屋にいるのは五条と私だけ。
シャツの襟元には口紅らしき痕。

いくら私があの子から信用を得ているとはいえ、勘違いさせるには十分な要素が揃いすぎている。
そう。揃いすぎていたのだ。


「失礼しまーす。硝子さん、五条さんがここに来ていません」

か。

バサバサバサッ。

言い終わる前に状況を理解勘違いした名無しが、配る用だったのだろう。
ハロウィンのパッケージのお菓子を抱えていたようだが、放心のあまり全て落としてしまった。


無理もない。
口紅らしきものが付着した五条のシャツ。
しかも私にビンタをせがんでいたため、不本意ながらやたらと距離も近い。
医務室に、男と女が、二人きり。
……嫌な句を詠んでしまった。


「──すみません、お邪魔しました。」
「ちょっ、ちょっと待った！！！！！名無し！！！多分誤解！」


真顔になって医務室を去っていく名無しの背中を、心底焦っているのか彼らしくもない大声を上げて五条が追いかける。まるで大きな小学生男子だ。
何が地味ハロウィンか。クソガキのコスプレの方がよっぽど様になるだろう。
恋人の反応が見たいだとか気を引きたいだとか、もうアラサーなのだから卒業すればいいのに。

こんな時、夏油がいれば馬鹿でも分かるように噛み砕いて懇切丁寧に諌めるのだろうが。
生憎私はそこまで優しくない。
あわよくば、名無しが鉄拳制裁を贈ると共に、あのどうしようもない五条を矯正してくれることを願った。



仮装は用法用量を守って正しくお楽しみください



「ビンタの一つ二つ、喰らわせてやればいいのに。」

渡り廊下を早足で歩く名無しと、珍しく必至な形相の五条。
そんな二人を窓越しに眺めながら、私は苦いコーヒーを傾けた。