2012 winter┊︎short story
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昼下がりの、教室にて。
「ねぇ、知ってる?ハグするとストレス軽減になるんだってさ。」
どこかの豆しばのような口上を述べ、実に数週間ぶりに会った目の前の担任──五条悟は、他愛もない話題を振る。
午後の実習を終え教室に戻ってきた名無しは、提出する実習レポートに誤字脱字がないか最終チェックをしながら口を開いた。
「ドーパミンやオキシトシンが分泌されるから、多幸感やリラックス効果があるそうですね。」
「へーそうなんだ。」
「……今、五条さんも知っている会話の流れでしたよね?」
実によく出来ているレポートから視線を上げ、名無しはじとりと五条を見遣る。
「僕が知っているのは30秒ハグしたら……なんと!三割もストレスが軽減される!って話だよ。」
「というわけで、名無し。ギュッてしてもいい?」
「なんでよりによって生徒をストレス解消の捌け口にするんですか」
「捌け口なんて人聞きが悪いなぁ。猫吸いならぬ、名無し吸いでも僕は元気になるのに、こりゃもうハグするっきゃないでしょ。」
以前家入に『猫吸い』を勧められた五条は、猫よりも名無しを吸う方がいい、と言い張り、あろうことか容赦なく吸ってきた前科がある。
「あれは不可抗力でしたよ」と溜息をつく名無し。
教師、保護者、後見人──どの肩書きを当てはめても、五条の距離感はやたらと近い。
不愉快というわけでは全くないのだが、あれだけ顔がいいのだ。心臓がうるさく跳ね上がるのは無理もない話だった。
素直に『いいですよ、ハグしましょう』とすんなり了承が得られるとは思っていなかったが、これはこれで手強そうだ。
勿論、名無しにちょっとやそっと渋られても、そこであっさり引き下がる五条ではない。
彼女に触れるチャンスがあるのなら、年甲斐もなく駄々を捏ねるのも躊躇わない男。
それが五条悟なのだから。
「あーあーあー。連日任務ばっかでさぁ、可愛い生徒とふれあう機会もなかったんだよ?僕。
ストレスメーター振り切っちゃって鬱病になっちゃうかも」
「自分で鬱病になるかも〜なんて冗談を口走るうちはまだ大丈夫でしょう。」
「大丈夫じゃないよ。寂しくて僕、毎日夜しか眠れなかったのに。」
「意外としっかり寝ていらっしゃるみたいで安心しました」
「2時間だけど。」
「それは……大丈夫じゃないですね」
最早それは仮眠と言って差し支えない。
思っていた以上に重症なのかもしれない。
名無しは五条に提出するレポートを学校机に置いて立ち上がり、諦めたように指をピッと三本立てた。
「30秒だけですよ。」
「いや、100秒。よく考えてよ、30秒で三割なら100秒でストレス軽減十割なんじゃない?」
対する五条は両手を駆使し指を十本立てる。つまり大きな手のひらを名無しに見せるように、ぱっと開いた。
その流れで両腕を大きく広げ、腕の中にすっぽり覆い隠すように抱きしめる。
まるでお気に入りのぬいぐるみを大切そうに抱きしめる、子供さながらの仕草だ。
猫吸いならぬ『名無し吸い』をされた時のようにバックハグかと思いきや、まさかの正面から抱きしめられ、当の名無しは完全に面食らった。
「五条さん、あの、正面からは、ちょっと」
「いいじゃん。名無しのぬくもり感じられて僕はホックホク、顧客満足度No.1よ?」
「私は恥ずかしくてそれどころじゃありません…」
後ろからならまだいい。
背中に五条の体温が当たるだけなのだから。
だが正面から抱きしめられるとなれば、話は別だ。
服越しのまどろむような体温。
息をすれば自ずと肺を満たす、彼の匂い。
服の上からでも分かる堅い筋肉の感触。
名無しの早鐘を打つ心拍とは相反して、トクトクと聞こえる穏やかな心臓の音。
少し息苦しくて、彼の服に埋めていた顔を無遠慮に上げれば、心底嬉しそうに見える五条の表情が視界に映る。
──ダメだ。どれもこれも、心臓に悪い。
五感の殆どを塗り潰す様な状況に、耳まで火照るのが嫌でも分かる。
当たり前の話だが、嫌いな人間に触れられればこんな風に動揺することもない。
少なくとも、今一番大切にしたい人は紛れもなくこの五条悟なのだから。
──それが単なる親愛か、はたまた別のものかはさて置き。
努めて冷静を装い、名無しは呼吸を整える。
「……思ったんですけど、30秒で三割減なんですね?」
「うん。」
「……更に30秒ハグしたとすれば、残り七割のストレスを三割減するのであって、ストレスは永遠にゼロにならないのでは?」
「……それに気付いちゃうとは。名無し、さてはハーバード大学卒?」
「高専在学中ですし、名門大学のハードルを勝手に下げないでください。世界中のハーバード大学生に怒られますよ」
これは相当疲れているな、と呆れてしまうと同時に、労りの気持ちと同情心が腹の底からじわじわ湧き出る。
気心知れた相手にしか疲れた様子を見せない五条を知っている分、嬉しくないはずがないのだ。この状況は。
「じゃあ、100秒ハグするのはやっぱりダメ?」
顔がいいことを自覚しているのだろう。
あざといおねだりに、Noと突っぱねることが出来ない名無しも、大概絆されている。
「…………五条さんのストレスが…まぁ…これくらいでゼロになるなら……」
「え?ゼロになるなら1時間ハグコースでもいいですよ、って?」
「息を吐くように桁を変えるのやめましょうね。私が恥ずかしくてどうにかなってしまいそうなので。」
『恥ずかしい』という感情と『五条のストレス緩和』を天秤にかけた結果、現在の状況になっているのだ。
今にも叫んで逃げ出したくなるくらい緊張しているというのに、この男はしゃあしゃあと延長を要求してくるのだから、本当にタチが悪い。
「恥ずかしいの?」
「そりゃ、まぁ。五条さんも男性ですし」
間違いなく名無しにとって一番親しい異性であるのだが、それでもやはり触れられれば緊張する。
なにせこの美貌と、似つかわしくないくらい鍛え上げられた身体である。
『男性』として意識するなと言う方が無理な話なのだ。
それでも普段緊張せず接することが出来るのは、五条の破天荒な行動、子供っぽい嗜好、若者よりも若者らしい自由さで振り回してくるからだろう。
呆れることも多々あるが、やはり同級生がいない分ほっと安心することもある。彼のその性格は。
かくいう肝心の五条はというと、少しばかり面食らった後、至極嬉しそうにニンマリ笑みを浮かべた。
「そうだよ〜。グッドルッキングガイ・五条先生も立派な男だよ。服の上から触っても中々の身体でしょ?」
「筋肉をわざと押し付けないでください……羨ましい…」
「名無しはふわふわで柔らかくて細くて可愛いよね。」
五条は褒めているつもりでも、名無しからすれば歯噛みする格差でしかない。
苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる可愛い生徒を見下ろしながら、五条は「100秒で離すのは無理だけど、あと5分だけ。」と頬を綻ばすのであった。
100秒のひとりじめ
(この抱き心地、クセになりそう。)
可愛い。小さい。いい匂い。
居心地悪そうにもそりと動く仕草さえ、食べてしまいたくなるくらい愛おしい。
──彼女の恋心が手に入れば、もっとずっと触れていられるのだろうか。
そんなことをぼんやり考えながら、五条は回した腕へ僅かに力を込めるのであった。
「ねぇ、知ってる?ハグするとストレス軽減になるんだってさ。」
どこかの豆しばのような口上を述べ、実に数週間ぶりに会った目の前の担任──五条悟は、他愛もない話題を振る。
午後の実習を終え教室に戻ってきた名無しは、提出する実習レポートに誤字脱字がないか最終チェックをしながら口を開いた。
「ドーパミンやオキシトシンが分泌されるから、多幸感やリラックス効果があるそうですね。」
「へーそうなんだ。」
「……今、五条さんも知っている会話の流れでしたよね?」
実によく出来ているレポートから視線を上げ、名無しはじとりと五条を見遣る。
「僕が知っているのは30秒ハグしたら……なんと!三割もストレスが軽減される!って話だよ。」
「というわけで、名無し。ギュッてしてもいい?」
「なんでよりによって生徒をストレス解消の捌け口にするんですか」
「捌け口なんて人聞きが悪いなぁ。猫吸いならぬ、名無し吸いでも僕は元気になるのに、こりゃもうハグするっきゃないでしょ。」
以前家入に『猫吸い』を勧められた五条は、猫よりも名無しを吸う方がいい、と言い張り、あろうことか容赦なく吸ってきた前科がある。
「あれは不可抗力でしたよ」と溜息をつく名無し。
教師、保護者、後見人──どの肩書きを当てはめても、五条の距離感はやたらと近い。
不愉快というわけでは全くないのだが、あれだけ顔がいいのだ。心臓がうるさく跳ね上がるのは無理もない話だった。
素直に『いいですよ、ハグしましょう』とすんなり了承が得られるとは思っていなかったが、これはこれで手強そうだ。
勿論、名無しにちょっとやそっと渋られても、そこであっさり引き下がる五条ではない。
彼女に触れるチャンスがあるのなら、年甲斐もなく駄々を捏ねるのも躊躇わない男。
それが五条悟なのだから。
「あーあーあー。連日任務ばっかでさぁ、可愛い生徒とふれあう機会もなかったんだよ?僕。
ストレスメーター振り切っちゃって鬱病になっちゃうかも」
「自分で鬱病になるかも〜なんて冗談を口走るうちはまだ大丈夫でしょう。」
「大丈夫じゃないよ。寂しくて僕、毎日夜しか眠れなかったのに。」
「意外としっかり寝ていらっしゃるみたいで安心しました」
「2時間だけど。」
「それは……大丈夫じゃないですね」
最早それは仮眠と言って差し支えない。
思っていた以上に重症なのかもしれない。
名無しは五条に提出するレポートを学校机に置いて立ち上がり、諦めたように指をピッと三本立てた。
「30秒だけですよ。」
「いや、100秒。よく考えてよ、30秒で三割なら100秒でストレス軽減十割なんじゃない?」
対する五条は両手を駆使し指を十本立てる。つまり大きな手のひらを名無しに見せるように、ぱっと開いた。
その流れで両腕を大きく広げ、腕の中にすっぽり覆い隠すように抱きしめる。
まるでお気に入りのぬいぐるみを大切そうに抱きしめる、子供さながらの仕草だ。
猫吸いならぬ『名無し吸い』をされた時のようにバックハグかと思いきや、まさかの正面から抱きしめられ、当の名無しは完全に面食らった。
「五条さん、あの、正面からは、ちょっと」
「いいじゃん。名無しのぬくもり感じられて僕はホックホク、顧客満足度No.1よ?」
「私は恥ずかしくてそれどころじゃありません…」
後ろからならまだいい。
背中に五条の体温が当たるだけなのだから。
だが正面から抱きしめられるとなれば、話は別だ。
服越しのまどろむような体温。
息をすれば自ずと肺を満たす、彼の匂い。
服の上からでも分かる堅い筋肉の感触。
名無しの早鐘を打つ心拍とは相反して、トクトクと聞こえる穏やかな心臓の音。
少し息苦しくて、彼の服に埋めていた顔を無遠慮に上げれば、心底嬉しそうに見える五条の表情が視界に映る。
──ダメだ。どれもこれも、心臓に悪い。
五感の殆どを塗り潰す様な状況に、耳まで火照るのが嫌でも分かる。
当たり前の話だが、嫌いな人間に触れられればこんな風に動揺することもない。
少なくとも、今一番大切にしたい人は紛れもなくこの五条悟なのだから。
──それが単なる親愛か、はたまた別のものかはさて置き。
努めて冷静を装い、名無しは呼吸を整える。
「……思ったんですけど、30秒で三割減なんですね?」
「うん。」
「……更に30秒ハグしたとすれば、残り七割のストレスを三割減するのであって、ストレスは永遠にゼロにならないのでは?」
「……それに気付いちゃうとは。名無し、さてはハーバード大学卒?」
「高専在学中ですし、名門大学のハードルを勝手に下げないでください。世界中のハーバード大学生に怒られますよ」
これは相当疲れているな、と呆れてしまうと同時に、労りの気持ちと同情心が腹の底からじわじわ湧き出る。
気心知れた相手にしか疲れた様子を見せない五条を知っている分、嬉しくないはずがないのだ。この状況は。
「じゃあ、100秒ハグするのはやっぱりダメ?」
顔がいいことを自覚しているのだろう。
あざといおねだりに、Noと突っぱねることが出来ない名無しも、大概絆されている。
「…………五条さんのストレスが…まぁ…これくらいでゼロになるなら……」
「え?ゼロになるなら1時間ハグコースでもいいですよ、って?」
「息を吐くように桁を変えるのやめましょうね。私が恥ずかしくてどうにかなってしまいそうなので。」
『恥ずかしい』という感情と『五条のストレス緩和』を天秤にかけた結果、現在の状況になっているのだ。
今にも叫んで逃げ出したくなるくらい緊張しているというのに、この男はしゃあしゃあと延長を要求してくるのだから、本当にタチが悪い。
「恥ずかしいの?」
「そりゃ、まぁ。五条さんも男性ですし」
間違いなく名無しにとって一番親しい異性であるのだが、それでもやはり触れられれば緊張する。
なにせこの美貌と、似つかわしくないくらい鍛え上げられた身体である。
『男性』として意識するなと言う方が無理な話なのだ。
それでも普段緊張せず接することが出来るのは、五条の破天荒な行動、子供っぽい嗜好、若者よりも若者らしい自由さで振り回してくるからだろう。
呆れることも多々あるが、やはり同級生がいない分ほっと安心することもある。彼のその性格は。
かくいう肝心の五条はというと、少しばかり面食らった後、至極嬉しそうにニンマリ笑みを浮かべた。
「そうだよ〜。グッドルッキングガイ・五条先生も立派な男だよ。服の上から触っても中々の身体でしょ?」
「筋肉をわざと押し付けないでください……羨ましい…」
「名無しはふわふわで柔らかくて細くて可愛いよね。」
五条は褒めているつもりでも、名無しからすれば歯噛みする格差でしかない。
苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる可愛い生徒を見下ろしながら、五条は「100秒で離すのは無理だけど、あと5分だけ。」と頬を綻ばすのであった。
100秒のひとりじめ
(この抱き心地、クセになりそう。)
可愛い。小さい。いい匂い。
居心地悪そうにもそりと動く仕草さえ、食べてしまいたくなるくらい愛おしい。
──彼女の恋心が手に入れば、もっとずっと触れていられるのだろうか。
そんなことをぼんやり考えながら、五条は回した腕へ僅かに力を込めるのであった。