2012 autumn┊︎short story
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急に冷えた、高専1年目の秋の出来事である。
「うそ。」
cranberry girl#前篇
「持っていなかったのか?」
保健室にパックで置いてあるのだろう。
硝子さんが持ってきてくれた紙袋の中には『昼用』『夜用』と新品未開封の《それ》が入っている。
久しぶりに目にするナプキンはよく見知ったメーカーなのだが、数年ぶりに目にしたパッケージは新しく刷新されたものだった。
「すみません…」
油断していた。というより、失念していた。
不甲斐ないとしか言いようがない。
こんなしょうもない事で多忙な彼女の手を煩わせてしまったのが申し訳なくて、今すぐ消えてしまいたいくらい恥ずかしくて、胃の奥がきゅっと縮こまるような気分になってしまった。
ベッドの上で項垂れる私に、普段より少しだけ柔らかいトーンで声を掛けてくれる硝子さん。
恐る恐る顔を上げれば、困ったように笑う彼女と視線が絡んだ。
「怒っているわけじゃない。ただ、三ヶ月以上生理が来ていないのなら、続発性無月経といって治療が必要な症状だからね」
ナプキンの入った紙袋と一緒に持ってきていた、カルテを挟んだバインダーを片手にサラサラと書いていく硝子さん。
そこで咄嗟に嘘を並べればよかったのだが、重い鈍痛で思考が鈍っていた。
つい「あー…」と、何とも間の抜けた相槌を打ってしまう。
察しが悪かったり、軽く聞き流してくれていたらどれだけよかっただろう。
綺麗に整った眉を顰め、硝子さんは呆れたように小さく息を吐き出した。
「なるほど、年単位か。」
「すみません」
医者としてはさぞかし愚かな患者に違いない。
ただ、言い訳をさせて欲しい。
「その、そういう内臓の機能はもう『ない』かと思ってたので……」
──失言だった。
それに気づいたのは、硝子さんが苦虫を噛み潰したような表情を浮かべてしまったから。
自分の中ではもう『過去の出来事』で、終わってしまった痛みを伴う記憶のひとつに過ぎないが、それを聞かされる方は決して気分のいい話ではないだろう。
詳細を話したことはないが察しはつくだろうし、何より高専関係者ならあの場所で行われていたあれこれを調べようと思ったら不可能ではないはず。知っていても驚きはしない。
「すみません、忘れてください」と頭を下げるが、後の祭りだ。忘れてくれるはずもない。
楽しい話でもないからなるべく他人にはこういった具合の話へ触れないようにしていたのに。
あぁ、やはり頭が痛い時は思考が鈍る。全然ダメだ。
「名無しが謝ることじゃないだろう。」
くしゃりと撫でられる頭。
ひやりとした指先が額に触れれば、ぼやぼやと熱を孕んだ脳髄がほんの少しだけクリアになるような気がした。
「久しぶりなら尚更、安静にしてなさい。気分も悪いだろうし、何より顔色が良くない」
「すみ、」
言い聞かせるような口調は穏やかで、優しい。
焦燥感から反射的に出てきた謝罪の言葉は、先程まで額に触れていた指先でもにっと塞がれた。
まるで『その先は言わなくていい』と遮るように。
舌先まで転がり落ちかけていた言葉を飲み込み、一呼吸。
代わりに紡ぐ言葉は、硝子さんのお眼鏡にかなうものだったようだ。
「あ……ありがとうございます、硝子さん」
「どういたしまして。」
泣きぼくろが特徴的な目元をふっと緩ませて、ちょっとだけエタノールの匂いが残る手のひらが、慈しむようにもう一度私の頭を撫でてくれた。
***
「どうだった?」
医務室で大人しく待っていた五条が、開口一番問うてくる。
そわそわとずっと落ち着かなかったのだろう。
手持ち無沙汰だった為、自販機で買ってきたであろう甘ったるいココアは、プルタブさえ起こされずすっかり冷えきってしまっていた。
どうして分かったのかと言うと、私の分として買ってきてくれた缶コーヒーも、残念な程に冷えきっていたから。
「貧血と……まぁお前に黙ってても無駄だろうから言うけど、生理痛。」
「生理痛。」
人肌よりも冷えた缶コーヒー程、がっかりするものもないだろう。
特に、突然寒暖差が激しくなったこの季節。
蝉が五月蝿いくらいに鳴いていた夏なら冷えたアイスコーヒーも悪くないのだが、今は朝晩や空模様が悪い日は肌寒いくらいだ。
「そっかそっか、女の子だもんね。月イチでしんどいのは仕方ないか」
「違う。数年ぶり。」
五条がほっと胸を撫で下ろしているところ悪いが、私は間髪入れずに訂正を入れる。
──こういった職業柄、あまり相手に感情を傾けないようにしていたつもりだった。
名無しもそういったことは見せないようにしていたし、デリケートな部分だからこちらも敢えて触れないように、見ないようにしていた。
『そういったことを上手く隠してくれるのは、正直ありがたい』
そう、思っていた。
彼女の奇異な部分を見たのは、これで二度目。
……あぁ。たったそれだけなのに腸が煮えくり返る程、彼女を貶めた呪詛師を『憎い』と思ってしまうくらいには、私もななし名無しという少女を好いているのだ。
平静を装っているものの、内心は穏やかではないし、今すぐタバコを吸いたい。
「本人は『使い物にならないと思っていた』って言ってたけど、どんなゴミ溜めみたいな環境だったわけ。」
想像にかたくない。
人の道を踏み外した呪詛師なら真っ先に思いつきそうな事だったのに。
『被検体が造れるなら、多いに越したことはない』なんて。
「うそ。」
cranberry girl#前篇
「持っていなかったのか?」
保健室にパックで置いてあるのだろう。
硝子さんが持ってきてくれた紙袋の中には『昼用』『夜用』と新品未開封の《それ》が入っている。
久しぶりに目にするナプキンはよく見知ったメーカーなのだが、数年ぶりに目にしたパッケージは新しく刷新されたものだった。
「すみません…」
油断していた。というより、失念していた。
不甲斐ないとしか言いようがない。
こんなしょうもない事で多忙な彼女の手を煩わせてしまったのが申し訳なくて、今すぐ消えてしまいたいくらい恥ずかしくて、胃の奥がきゅっと縮こまるような気分になってしまった。
ベッドの上で項垂れる私に、普段より少しだけ柔らかいトーンで声を掛けてくれる硝子さん。
恐る恐る顔を上げれば、困ったように笑う彼女と視線が絡んだ。
「怒っているわけじゃない。ただ、三ヶ月以上生理が来ていないのなら、続発性無月経といって治療が必要な症状だからね」
ナプキンの入った紙袋と一緒に持ってきていた、カルテを挟んだバインダーを片手にサラサラと書いていく硝子さん。
そこで咄嗟に嘘を並べればよかったのだが、重い鈍痛で思考が鈍っていた。
つい「あー…」と、何とも間の抜けた相槌を打ってしまう。
察しが悪かったり、軽く聞き流してくれていたらどれだけよかっただろう。
綺麗に整った眉を顰め、硝子さんは呆れたように小さく息を吐き出した。
「なるほど、年単位か。」
「すみません」
医者としてはさぞかし愚かな患者に違いない。
ただ、言い訳をさせて欲しい。
「その、そういう内臓の機能はもう『ない』かと思ってたので……」
──失言だった。
それに気づいたのは、硝子さんが苦虫を噛み潰したような表情を浮かべてしまったから。
自分の中ではもう『過去の出来事』で、終わってしまった痛みを伴う記憶のひとつに過ぎないが、それを聞かされる方は決して気分のいい話ではないだろう。
詳細を話したことはないが察しはつくだろうし、何より高専関係者ならあの場所で行われていたあれこれを調べようと思ったら不可能ではないはず。知っていても驚きはしない。
「すみません、忘れてください」と頭を下げるが、後の祭りだ。忘れてくれるはずもない。
楽しい話でもないからなるべく他人にはこういった具合の話へ触れないようにしていたのに。
あぁ、やはり頭が痛い時は思考が鈍る。全然ダメだ。
「名無しが謝ることじゃないだろう。」
くしゃりと撫でられる頭。
ひやりとした指先が額に触れれば、ぼやぼやと熱を孕んだ脳髄がほんの少しだけクリアになるような気がした。
「久しぶりなら尚更、安静にしてなさい。気分も悪いだろうし、何より顔色が良くない」
「すみ、」
言い聞かせるような口調は穏やかで、優しい。
焦燥感から反射的に出てきた謝罪の言葉は、先程まで額に触れていた指先でもにっと塞がれた。
まるで『その先は言わなくていい』と遮るように。
舌先まで転がり落ちかけていた言葉を飲み込み、一呼吸。
代わりに紡ぐ言葉は、硝子さんのお眼鏡にかなうものだったようだ。
「あ……ありがとうございます、硝子さん」
「どういたしまして。」
泣きぼくろが特徴的な目元をふっと緩ませて、ちょっとだけエタノールの匂いが残る手のひらが、慈しむようにもう一度私の頭を撫でてくれた。
***
「どうだった?」
医務室で大人しく待っていた五条が、開口一番問うてくる。
そわそわとずっと落ち着かなかったのだろう。
手持ち無沙汰だった為、自販機で買ってきたであろう甘ったるいココアは、プルタブさえ起こされずすっかり冷えきってしまっていた。
どうして分かったのかと言うと、私の分として買ってきてくれた缶コーヒーも、残念な程に冷えきっていたから。
「貧血と……まぁお前に黙ってても無駄だろうから言うけど、生理痛。」
「生理痛。」
人肌よりも冷えた缶コーヒー程、がっかりするものもないだろう。
特に、突然寒暖差が激しくなったこの季節。
蝉が五月蝿いくらいに鳴いていた夏なら冷えたアイスコーヒーも悪くないのだが、今は朝晩や空模様が悪い日は肌寒いくらいだ。
「そっかそっか、女の子だもんね。月イチでしんどいのは仕方ないか」
「違う。数年ぶり。」
五条がほっと胸を撫で下ろしているところ悪いが、私は間髪入れずに訂正を入れる。
──こういった職業柄、あまり相手に感情を傾けないようにしていたつもりだった。
名無しもそういったことは見せないようにしていたし、デリケートな部分だからこちらも敢えて触れないように、見ないようにしていた。
『そういったことを上手く隠してくれるのは、正直ありがたい』
そう、思っていた。
彼女の奇異な部分を見たのは、これで二度目。
……あぁ。たったそれだけなのに腸が煮えくり返る程、彼女を貶めた呪詛師を『憎い』と思ってしまうくらいには、私もななし名無しという少女を好いているのだ。
平静を装っているものの、内心は穏やかではないし、今すぐタバコを吸いたい。
「本人は『使い物にならないと思っていた』って言ってたけど、どんなゴミ溜めみたいな環境だったわけ。」
想像にかたくない。
人の道を踏み外した呪詛師なら真っ先に思いつきそうな事だったのに。
『被検体が造れるなら、多いに越したことはない』なんて。