芒種の死
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『ちょっと席外すね。』
そう言って五条さんは寮から出ていった。
ほっと胸を撫で下ろすと同時に、どうしようもない寂しさと罪悪感で胸がいっぱいになる。
(呆れられただろうか。)
別に、あの呪術師を庇うつもりはなかったが、結果的にそうなってしまった。
『大事な子を侮辱されてもへらへら笑っていられる程、僕も大人じゃないってことだよ。』
呪霊を前に彼が逃亡したことも、もしかすると浴びせられたあの言葉も五条さんは知っているかもしれない。
心配して怒ってくれているのは、分かっていた。
その好意を背中から撃つような真似をしてしまい、ギリギリと心が悲鳴を上げないはずがなかった。
(少し、疲れたな……)
自分の心に嘘をつくのは息が詰まる程に苦しい。
その本音があまりにも痛くて、痛くて、泣き出したくなるくらいどうしようもないことなら、尚更。
あの場で訴えることが出来たら楽になったのだろうか。
楽に、なっただろう。間違いなく、絶対。
──その後のことを度外視すれば。
後先何も考えず、あの場で喚くことが出来たらどんなによかっただろう。
あの呪術師の虚言を『違う』と否定すれば、間違いなく彼は高専の管轄下から排斥されただろう。
高専の管轄をただの『指摘』と『敵前逃亡』で追い出された呪術師が、解雇理由に理不尽を覚えないはずがない。逆恨みの可能性が高まるだろう。
何故なら彼の私に対する《指摘》は真っ当で、敵前逃亡だって本来対応するべき術師の階級が手違いなのだから正当な理由と認められてもおかしくない。
仮に──彼が逆恨みから呪詛師になったとすれば、それは間違いなく『五条悟』の敵になりうる。
ならこのまま高専の管轄下で活動をさせ続ければいい。
あの人の敵を増やすくらいなら、私が我慢した方がずっとマシだ。
泥のような感情を呑み込むのは得意のはず。
どうしようもない理不尽に見舞われようと、仕方がないと諦めることが出来た。
でも、それでも。
(言いたくは、なかった)
罵倒──いや。事実なのだからこれはやはり《指摘》と言うべきだろう。
化け物、と。
そう罵られたと感じるのは、心のどこかで《それは違う》と否定したい私がいるから。
──いや、どう考えても化け物だろう。
火で炙っても、切り刻んでも、毒を盛っても、何度も何度も殺しても、何が何でも死なないのだから。
確かにそれは、熱かった。痛かった。苦しかった。
その熱は、痛みは、苦しみは身体と心へ確かに刻まれているのに、まるでなかったことのように身体だけは元通りになる。
それを化け物と言わずして、一体なんだというのだろう。
心と肉体が乖離していくような、焦燥感。
いっそ物になれたなら。心を捨て置くことが出来たなら。
呪物として消費され、磨り減って、心が死んでいくのをただあの暗い場所で待っていればよかったのに。
『この『被呪者』は高専が預かり受けます。』
初めて会ったあの日。あの人は、こう言った。
呪物ではなく、あくまで人だと。
『まぁ、こうは言ったものの選ぶのは君だ。』
選ぶ。
あの地獄に来て、選ぶことなんてただの一度も許されなかった。
心の赴くままに選べと、あの人はそう言った。
『どこにだって行けるさ。だって君は人魚じゃなくて、立派な足がある人間なんだから。』
あの言葉でどれだけ救われたか。当然のように私を助けたあの人は、きっと知らないのだろう。
人として扱われたことで、私の消し炭になりかけていた心が、初めて声を上げて泣いたことなんて。
(──あぁ。)
こんな嫌なことで自覚なんかしたくなかった。
化け物だと自称するのは当然のことで、当たり前のことだから平気だったはずなのに。
《あの人の敵を作りたくない。》
《事を荒立てたくない。》
《私が我慢すれば、呑み込めば。》
そんな本音がちっぽけで矮小なものに感じてしまうくらい、こちらの本音が本命なのだ。
『あの呪術師に化け物だと言われました。』
そんな訴えを口にすることすら、悲しいと感じるようになってしまったなんて。
それを言葉にすれば少なくともあの人に私は『そう』だと認識する。意識される。
私は呪言師ではないが、口にした途端それが【言い逃れのない事実】に形作られるような気がして、どうしても嫌だったのだ。
──分かってる。今更そんなことを言ったって、私が抱いているこのちっぽけな我儘は《もうどうしようもない事実》だということも。
でも、それでも、私はあの人の前では『人間』でいたい。
あの人の生徒で、ただの呪術師で、なんてことない、ありふれた普通の──。
──…それは何故、と自分に問いかけるのは最早野暮である。
だから醜い姿を見られなくなかった。
たちまち治る様を目の当たりにされるから。
だから触れられたくなかった。
人のあたたかさを知ってしまえば、寂しくなるから。
……だから自覚なんか、したくなかった。
(私は、)
芒種の死#06
あぁ。
五条さんが、好きだったんだ。
そう言って五条さんは寮から出ていった。
ほっと胸を撫で下ろすと同時に、どうしようもない寂しさと罪悪感で胸がいっぱいになる。
(呆れられただろうか。)
別に、あの呪術師を庇うつもりはなかったが、結果的にそうなってしまった。
『大事な子を侮辱されてもへらへら笑っていられる程、僕も大人じゃないってことだよ。』
呪霊を前に彼が逃亡したことも、もしかすると浴びせられたあの言葉も五条さんは知っているかもしれない。
心配して怒ってくれているのは、分かっていた。
その好意を背中から撃つような真似をしてしまい、ギリギリと心が悲鳴を上げないはずがなかった。
(少し、疲れたな……)
自分の心に嘘をつくのは息が詰まる程に苦しい。
その本音があまりにも痛くて、痛くて、泣き出したくなるくらいどうしようもないことなら、尚更。
あの場で訴えることが出来たら楽になったのだろうか。
楽に、なっただろう。間違いなく、絶対。
──その後のことを度外視すれば。
後先何も考えず、あの場で喚くことが出来たらどんなによかっただろう。
あの呪術師の虚言を『違う』と否定すれば、間違いなく彼は高専の管轄下から排斥されただろう。
高専の管轄をただの『指摘』と『敵前逃亡』で追い出された呪術師が、解雇理由に理不尽を覚えないはずがない。逆恨みの可能性が高まるだろう。
何故なら彼の私に対する《指摘》は真っ当で、敵前逃亡だって本来対応するべき術師の階級が手違いなのだから正当な理由と認められてもおかしくない。
仮に──彼が逆恨みから呪詛師になったとすれば、それは間違いなく『五条悟』の敵になりうる。
ならこのまま高専の管轄下で活動をさせ続ければいい。
あの人の敵を増やすくらいなら、私が我慢した方がずっとマシだ。
泥のような感情を呑み込むのは得意のはず。
どうしようもない理不尽に見舞われようと、仕方がないと諦めることが出来た。
でも、それでも。
(言いたくは、なかった)
罵倒──いや。事実なのだからこれはやはり《指摘》と言うべきだろう。
化け物、と。
そう罵られたと感じるのは、心のどこかで《それは違う》と否定したい私がいるから。
──いや、どう考えても化け物だろう。
火で炙っても、切り刻んでも、毒を盛っても、何度も何度も殺しても、何が何でも死なないのだから。
確かにそれは、熱かった。痛かった。苦しかった。
その熱は、痛みは、苦しみは身体と心へ確かに刻まれているのに、まるでなかったことのように身体だけは元通りになる。
それを化け物と言わずして、一体なんだというのだろう。
心と肉体が乖離していくような、焦燥感。
いっそ物になれたなら。心を捨て置くことが出来たなら。
呪物として消費され、磨り減って、心が死んでいくのをただあの暗い場所で待っていればよかったのに。
『この『被呪者』は高専が預かり受けます。』
初めて会ったあの日。あの人は、こう言った。
呪物ではなく、あくまで人だと。
『まぁ、こうは言ったものの選ぶのは君だ。』
選ぶ。
あの地獄に来て、選ぶことなんてただの一度も許されなかった。
心の赴くままに選べと、あの人はそう言った。
『どこにだって行けるさ。だって君は人魚じゃなくて、立派な足がある人間なんだから。』
あの言葉でどれだけ救われたか。当然のように私を助けたあの人は、きっと知らないのだろう。
人として扱われたことで、私の消し炭になりかけていた心が、初めて声を上げて泣いたことなんて。
(──あぁ。)
こんな嫌なことで自覚なんかしたくなかった。
化け物だと自称するのは当然のことで、当たり前のことだから平気だったはずなのに。
《あの人の敵を作りたくない。》
《事を荒立てたくない。》
《私が我慢すれば、呑み込めば。》
そんな本音がちっぽけで矮小なものに感じてしまうくらい、こちらの本音が本命なのだ。
『あの呪術師に化け物だと言われました。』
そんな訴えを口にすることすら、悲しいと感じるようになってしまったなんて。
それを言葉にすれば少なくともあの人に私は『そう』だと認識する。意識される。
私は呪言師ではないが、口にした途端それが【言い逃れのない事実】に形作られるような気がして、どうしても嫌だったのだ。
──分かってる。今更そんなことを言ったって、私が抱いているこのちっぽけな我儘は《もうどうしようもない事実》だということも。
でも、それでも、私はあの人の前では『人間』でいたい。
あの人の生徒で、ただの呪術師で、なんてことない、ありふれた普通の──。
──…それは何故、と自分に問いかけるのは最早野暮である。
だから醜い姿を見られなくなかった。
たちまち治る様を目の当たりにされるから。
だから触れられたくなかった。
人のあたたかさを知ってしまえば、寂しくなるから。
……だから自覚なんか、したくなかった。
(私は、)
芒種の死#06
あぁ。
五条さんが、好きだったんだ。
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