芒種の死
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家入女史に毒を治癒してもらい、高専の息がかかった病院の一室で俺は瞼を閉じていた。
カラリと開く窓。夜風に揺れるカーテン。
雨上がりの曇天を背負った、長身の人影がそこに立っていた。
「やあ。こんばんは。」
明かりがなくとも輪郭が浮かび上がる銀髪。
軽薄さを含んだ低い声。
黒いガラス板のサングラスの向こうから覗く、青い双眸。
誰だ、なんて愚問だろう。
高専の管轄下である呪術師なら──いや。普通の呪術師も、呪詛師も、知っているであろう男がそこにいた。
「ごめんね、病院の面会時間過ぎてるみたいだからさ。窓からお邪魔するね。」
まるで犬の散歩の途中に立ち寄ったような気軽さで、五条悟はそう言って笑った。
「ここ、5階ですけど、」
「だから何?」
有無を言わさぬ返事に圧を感じ、俺は「いえ……」と歯切れ悪く返事することしか出来なかった。
人間離れしていやがる。どいつもこいつも。
「僕の生徒が世話になったみたいだからね。どうしても『お礼』しに行きたくてね」
窓の縁に腰を掛け、五条悟は満面の笑みを浮かべた。
見惚れるような美形も、張り付けた笑みが氷のような冷たさだと話は別である。
腕の傷は燃えるように痛むのに、向けられた殺気で腹の底から脳髄まで血が抜かれたように冷めていく。
全身の毛穴から吹き出す汗と、鳥肌が立つ感覚。
数時間前に対峙した呪霊の群れの方がよっぽど可愛らしく見えた。
「彼女から色々聞いたよ。」
何を。
そんなこと、愚問だ。
やっぱりアレは死ななかったのか。
生きていたなら当然、何が起きたのか話すに決まっている。
俺は終わりだ。全部この男にバラされたのなら。
それなら苦し紛れの言い訳だって許されるはずだ。
「ッあれは!仕方がなかったじゃないですか!あの任務にあたるべき術師は俺達じゃなかったはずで、ムグッ!」
「少し黙れよ。病院だよ?ここ。」
窓の縁に寄りかかっていた五条悟の手が俺の口元を覆う。
息が出来ない。
言い訳は喉に絡まり、行き場をなくした呼吸が霧散し、漸く解放された時には不満をぶつけるような言い訳は弱々しくなってしまった。
「囮に、使ったのは…悪かったと思ってます。けどアレは死なないんでしょう?だったら、」
「だったら別に咎められる筋合いはない、って?」
だって、そうじゃないか。
人の形をした特級呪物なら有効活用して当然ではないのか?
俺は毒を浴びれば人並みに死ぬし、身体の一部を呪霊に食われたら元に戻らない。
それを天秤にかけるなら当然の判断じゃないのか?
首元にナイフを押し付けられているような緊張感の中、目の前の五条悟はというと「ふーん」と呑気な相槌を打つばかり。
しかし彼の口からは、俺の訴えを肯定も否定もない。予想外の『報告』が飛び出てきた。
「おっかしいなぁ。彼女の行動は本人から『ななし名無しは撤退の命令を無視して、勝手な判断の上、単独行動で祓った』って聞いているんだけど。」
それは、俺が先程ノートパソコンで作り上げたでっち上げの報告書と、治療に当たった家入女史に話した内容だ。
俺がアレの立場なら、それを聞いた瞬間否定するだろう。
その報告は嘘だ。囮にされた。死にかけた。俺の言うことを信じてくれ、と。
それを丸々肯定して担任に説明するなんて、聞き分けのいい…忖度できる生徒を通り越して気味が悪い。
何が目的なんだ。何がしたいんだ。
俺は間違っていない。間違った選択をしていないことが、間違っていたというのか。
「……ッすみま、せ、」
「何について謝ってるわけ?言えよ、ほら」
「囮に、使ったことを、」
「いや?別に僕はそこに関して怒ってないよ。
なんならぜ〜んぶ彼女はきっちり祓ったから結果オーライだし。君よりずっと優秀だよ、僕の生徒は。」
五条悟が自慢げに笑った瞬間だけ、一瞬空気が緩む。
囮に使ったことは怒っていない。
あの呪霊の群れを祓ったなんてにわかに信じ難い話だが、五条悟が言うのだから間違いないのだろう。
だが、数瞬の間に空気は一変する。
今日一番冷淡な表情は殺意に満ちていて、サングラスの向こうの六眼は怒りで瞳孔が開ききっていた。
「彼女は人間だ。二度と『アレ』なんて呼び方、しないでくれる?ムカつきすぎて、うっかり殺したくなっちゃうからさ。」
諭すような声音で、脅迫の言葉。
あまりの恐怖に身が竦み、奥歯がカチカチと音を立てた。
「……ま、僕もまだ『優しい五条先生』でいたいし?彼女の証言はちゃーんと信じるさ。」
芒種の死#05
「慈悲深い僕の生徒に感謝しろよ。」
そう言い残し、悪夢のようにするりと現れたあの男は、雲の合間から姿を現した月光の下へと消えていった。
カラリと開く窓。夜風に揺れるカーテン。
雨上がりの曇天を背負った、長身の人影がそこに立っていた。
「やあ。こんばんは。」
明かりがなくとも輪郭が浮かび上がる銀髪。
軽薄さを含んだ低い声。
黒いガラス板のサングラスの向こうから覗く、青い双眸。
誰だ、なんて愚問だろう。
高専の管轄下である呪術師なら──いや。普通の呪術師も、呪詛師も、知っているであろう男がそこにいた。
「ごめんね、病院の面会時間過ぎてるみたいだからさ。窓からお邪魔するね。」
まるで犬の散歩の途中に立ち寄ったような気軽さで、五条悟はそう言って笑った。
「ここ、5階ですけど、」
「だから何?」
有無を言わさぬ返事に圧を感じ、俺は「いえ……」と歯切れ悪く返事することしか出来なかった。
人間離れしていやがる。どいつもこいつも。
「僕の生徒が世話になったみたいだからね。どうしても『お礼』しに行きたくてね」
窓の縁に腰を掛け、五条悟は満面の笑みを浮かべた。
見惚れるような美形も、張り付けた笑みが氷のような冷たさだと話は別である。
腕の傷は燃えるように痛むのに、向けられた殺気で腹の底から脳髄まで血が抜かれたように冷めていく。
全身の毛穴から吹き出す汗と、鳥肌が立つ感覚。
数時間前に対峙した呪霊の群れの方がよっぽど可愛らしく見えた。
「彼女から色々聞いたよ。」
何を。
そんなこと、愚問だ。
やっぱりアレは死ななかったのか。
生きていたなら当然、何が起きたのか話すに決まっている。
俺は終わりだ。全部この男にバラされたのなら。
それなら苦し紛れの言い訳だって許されるはずだ。
「ッあれは!仕方がなかったじゃないですか!あの任務にあたるべき術師は俺達じゃなかったはずで、ムグッ!」
「少し黙れよ。病院だよ?ここ。」
窓の縁に寄りかかっていた五条悟の手が俺の口元を覆う。
息が出来ない。
言い訳は喉に絡まり、行き場をなくした呼吸が霧散し、漸く解放された時には不満をぶつけるような言い訳は弱々しくなってしまった。
「囮に、使ったのは…悪かったと思ってます。けどアレは死なないんでしょう?だったら、」
「だったら別に咎められる筋合いはない、って?」
だって、そうじゃないか。
人の形をした特級呪物なら有効活用して当然ではないのか?
俺は毒を浴びれば人並みに死ぬし、身体の一部を呪霊に食われたら元に戻らない。
それを天秤にかけるなら当然の判断じゃないのか?
首元にナイフを押し付けられているような緊張感の中、目の前の五条悟はというと「ふーん」と呑気な相槌を打つばかり。
しかし彼の口からは、俺の訴えを肯定も否定もない。予想外の『報告』が飛び出てきた。
「おっかしいなぁ。彼女の行動は本人から『ななし名無しは撤退の命令を無視して、勝手な判断の上、単独行動で祓った』って聞いているんだけど。」
それは、俺が先程ノートパソコンで作り上げたでっち上げの報告書と、治療に当たった家入女史に話した内容だ。
俺がアレの立場なら、それを聞いた瞬間否定するだろう。
その報告は嘘だ。囮にされた。死にかけた。俺の言うことを信じてくれ、と。
それを丸々肯定して担任に説明するなんて、聞き分けのいい…忖度できる生徒を通り越して気味が悪い。
何が目的なんだ。何がしたいんだ。
俺は間違っていない。間違った選択をしていないことが、間違っていたというのか。
「……ッすみま、せ、」
「何について謝ってるわけ?言えよ、ほら」
「囮に、使ったことを、」
「いや?別に僕はそこに関して怒ってないよ。
なんならぜ〜んぶ彼女はきっちり祓ったから結果オーライだし。君よりずっと優秀だよ、僕の生徒は。」
五条悟が自慢げに笑った瞬間だけ、一瞬空気が緩む。
囮に使ったことは怒っていない。
あの呪霊の群れを祓ったなんてにわかに信じ難い話だが、五条悟が言うのだから間違いないのだろう。
だが、数瞬の間に空気は一変する。
今日一番冷淡な表情は殺意に満ちていて、サングラスの向こうの六眼は怒りで瞳孔が開ききっていた。
「彼女は人間だ。二度と『アレ』なんて呼び方、しないでくれる?ムカつきすぎて、うっかり殺したくなっちゃうからさ。」
諭すような声音で、脅迫の言葉。
あまりの恐怖に身が竦み、奥歯がカチカチと音を立てた。
「……ま、僕もまだ『優しい五条先生』でいたいし?彼女の証言はちゃーんと信じるさ。」
芒種の死#05
「慈悲深い僕の生徒に感謝しろよ。」
そう言い残し、悪夢のようにするりと現れたあの男は、雲の合間から姿を現した月光の下へと消えていった。