五条悟の引越し事情
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「五条さん。もしかして引越しされたのって、先日のことが関係されてますか?」
名無しの唐突な問いかけに、五条はフォークを持っていた手を思わず止めた。
『昨日の夕方、雨が降りましたね』なんて天気の話題を振ってくるような自然さで聞いてくるものだから、五条がひっそりと面食らったのは彼だけの秘密だ。
「──ちょっとだけね。でも仕事漬けで家に帰るのも面倒だったから、丁度良かった。」
「すみません……」
「あーあ、やっぱり。謝ると思った。」
たまたま巻き込まれた事件とはいえ、結果的に五条の気を遣わせてしまうことになってしまった。
あの時彼が『決めた』と独り言で言っていた意味は、この引越しの件だろう。
担任も兼ねた五条の監視が煩わしいとは微塵も思わない。
むしろ彼は『特級呪物』という事実を気にすることなく自由にさせてくれているし、あくまで担任・保護者として温かく見守ってくれている。
ただただ、引越しという手間をかけさせてしまったことだけが申し訳なくて、名無しは胃の奥がキリリと僅かに痛んだ。
幸い、五条は引越しに関して恐らく特に苦に思っていないだろう……という点。
家具屋ではしゃぎ、家電量販店で人を散々『僕の奥さん』とからかいながら買い物する姿は、久しぶりに息抜きをしているように見えた。
名無しにとってそれだけは救いだった。例え、少々気疲れしてしまったことを差し引いても。
五条はゆるりと笑い、食べかけの白桃のタルトを美味しそうに頬張る。
「ま、名無しにとっては災難だったよね。あれはなんというか──」
(傑を、挑発するような。)
仮に、彼の庇護下にある少女が殺されていれば、文字通り夏油は怒り狂い、あの場にいた全員を皆殺しにしていただろう。
あの後尋問や取り調べの件も多少なりとも関わったが、決定的な首謀者の証拠は出てこず、ただ金儲けのために術師同士、あるいは呪霊と術師を殺し合わせたという証言しか出てきていない。
それよりも一番気になる点は、非呪術師が呪霊を視認できるようになっていたこと。
脳を弄られた痕跡があるものの、残穢を辿るには霞のようにあまりにも薄い。
この一件の首謀者か、あるいは協力者の物なのだろうが、手口を見る限りでは厄介なことこの上なかった。
(もう僕の知る由もないんだけどさ。)
その件にずっと食い下がれる程、五条は暇ではない。
終わってしまったことだ。何より、かの親友に会うことはもうないかもしれない。
あったとしても次は十中八九殺し合うだろう。
小さくそっと息をついて、溶けきらなかった角砂糖がカップの底でザラザラと揺蕩う、甘ったるいコーヒーを静かに傾ける。
「……五条さん?」
「ん。ごめんね、考え事しちゃってた」
正直に白状すれば、特に根掘り葉掘り聞いてくることもなく「そうですか。」と頷いて、名無しはアイスレモンティーをストローでカラリと混ぜる。
──余計な詮索をすることもなく、五条が口を噤んでも不満を持つこともなく。
凪いだ海のように静かに寄り添う彼女の隣は、やはり心地がいいな、と五条はつい口元を緩めた。
「それに引越しだって悪いことばっかじゃないよ。夕飯作るのが面倒な時とか、名無しの部屋に転がり込めばお裾分けして貰えるんでしょ?」
「そりゃあ、まぁ、いいんですけど」
甘夏のタルトを咀嚼し、困ったように視線を泳がせる名無し。
「なんか歯切れ悪いね。僕に隠し事?」
「……隠し事というか、口止めはされていないんですけど」
五条悟の引越し事情#03
「名無し、お疲れ様。……って、あーあ、遂に来たか。」
「その言い方はないんじゃない?硝子。」
先に部屋にいたのは五条なのだが、まるで邪魔者を見つけたような言い草だ。
ビニール袋と脱いだ白衣を片手に、家入は勝手知ったる様子で名無しの部屋へ上がった。
「お疲れ様です、硝子さん。」
「ん。はい、これ。ワサビえんがわとー…」
取り出したのは、ラベルに『獺祭』と書かれた一升瓶。
「酒。」
ニヤッと笑う家入。
一方で五条はというと、ウワバミの同級生を珍しく軽蔑したような目で見ていた。
「……あのさぁ、成人したとはいえ、いくらなんでも生徒の部屋で飲み散らかすのはどうなの?」
「飯をたかりに来てるお前も大概だろ。」
「ま、まぁまぁ、一人分作るのも三人分作るのも、分量変えるだけですし」
三倍の量となると中々だが、作る料理といっても手間暇かけるようなメニューでもないし、何より一人で食べるより誰かと食事をするのは単純に嬉しい。
いつもと立場が逆転した担任と保健医を宥め、名無しは下味を染み込ませている最中の鶏肉を家入に見せた。
「今日は五条さんのリクエストで唐揚げですよ。出来上がるまで待っててくださいね。」
姉弟喧嘩の間に入るお母さんは、きっとこんな気持ちなのだろう。
ローテーブルを囲って腰を落ち着かせた大人二人を尻目に、名無しは唐揚げを作るべく、こじんまりとしたキッチンへ立つのであった。
***
「何嫉妬してんの。」
「するでしょ。何勝手に楽しんでんのさ。」
「一人で晩酌するのも悪くないんだけどね。どうせなら話し相手が欲しいだろう?」
部屋に備え付けられたテレビは、自分達が学生寮に住んでいた頃と同じものだった。
地デジが始まってすぐの頃の、何年も型落ちしてしまった古いデジタルテレビ。
それに映る他愛ない番組をぼんやり眺めながら、家入は持ってきた酒と肴で晩酌を始めていた。
四角いローテーブルを挟み、五条はというと不満そうに口先を尖らせている。
普段の『特級呪術師・五条悟』では見れない子供のような拗ね方だ。
「だからってさぁ。」
「何も五条の許可がいるわけじゃないだろ?」
家入自身、あまり歯に衣を着せぬ言い方をする性格だが、五条に対しては特に顕著だ。
気心がそれなりに知れている仲であるせいだが、この発言はあまりにも核心を突いており、流石の五条も苦虫を噛み潰したような表情を露骨に浮かべた。
「嫌なとこ突くじゃん。」
「事実だし」
仮に──仮にだ。
五条が名無しの恋人であるというなら、小耳に挟ませるくらいはしてもいいかもしれない。
だが、彼と彼女はあくまで教師と生徒。
保護者……といっても、見た目はああでも名無しは半年程前に成人を迎えた。
酒もタバコも嗜めるし、選挙権だってある。
彼女は学生という身分で曖昧な立場であるものの、確かに間違いなく大人なのだ。
だというのに家入が名無しの部屋へ居座ることに対して、五条へ逐一報告する義務はあるはずがない。
だから五条の拗ねる理由は、ただの嫉妬で、独占欲で、子供じみた我儘なのだ。──本人も自覚はあるようだが。
「……今日二人で買い物行ったんだけどさぁ」
「ん。」
「カップルに見えるかもね、なんて言ったら『それはないでしょう』って即答だよ?僕の生徒、手強すぎる。」
名無しに用意してもらった麦茶をヤケ酒のように呷り、五条はローテーブルに顎を乗せる。
勿論この愚痴は声を抑えて。本人に聞かれでもしたらたまったものじゃない。
「全然意識されてないじゃん。」
「いっそここまで来ると笑っちゃうよ、ホント。」
ストレートに言葉で伝えるのは容易い。
だが仮に──またしても、仮にだ。
玉砕したなら。今の関係に戻ることは不可能だろう。
好意を伝えることがこんなにも恐ろしく、こんなにも勇気がいることなのだと、五条は24歳にして初めて思い知ることになった。
ぬるま湯のような今の心地よい関係も悪いこととは思えない。
それでも触れたい、抱きしめたい、抱き潰したいと思う、男としての欲だって五条には十二分に備わっている。ここ数年はご無沙汰なだけで。
一歩進んだ関係になりたいと思うのは当然の欲求で、好意を抱いているなら尚更な感情だった。
名無しの匂いに満ちた部屋の空気を、肺いっぱいに吸い込む。
これで少しは自分の欲求不満も解消されれば──と淡い期待を抱いたのだが、残念ながら匂いだけで満足することは出来なかった。
モヤモヤした感情ばかりが渦巻いて、五条は重々しく溜息を深く長く吐き出す。
「ご飯、出来ましたよ。お待ちどうさまです」
揚げたての唐揚げをバットに乗せ、満足そうにやってくる名無し。
山盛りになった唐揚げは一体鶏もも肉何枚分だろう。積み上げられた唐揚げを見ていると、豪快な店主が経営していそうな居酒屋のようにも見える。
煩悩に満ちた悩みを、露知らぬ教え子。
そのままでいて欲しいような、この醜い情欲を分からせたいような。
五条はなんとも言えぬ複雑そうな表情で、サングラス越しに名無しの顔をじっと見上げた。
「?、何かついます?」
「……僕のお茶碗とかお箸とか、置かせてもらおって思って。」
図々しい提案を名無しは笑い、頬を綻ばせる。
断る理由なんか、彼女にはこれっぽっちもないのだから。
名無しの唐突な問いかけに、五条はフォークを持っていた手を思わず止めた。
『昨日の夕方、雨が降りましたね』なんて天気の話題を振ってくるような自然さで聞いてくるものだから、五条がひっそりと面食らったのは彼だけの秘密だ。
「──ちょっとだけね。でも仕事漬けで家に帰るのも面倒だったから、丁度良かった。」
「すみません……」
「あーあ、やっぱり。謝ると思った。」
たまたま巻き込まれた事件とはいえ、結果的に五条の気を遣わせてしまうことになってしまった。
あの時彼が『決めた』と独り言で言っていた意味は、この引越しの件だろう。
担任も兼ねた五条の監視が煩わしいとは微塵も思わない。
むしろ彼は『特級呪物』という事実を気にすることなく自由にさせてくれているし、あくまで担任・保護者として温かく見守ってくれている。
ただただ、引越しという手間をかけさせてしまったことだけが申し訳なくて、名無しは胃の奥がキリリと僅かに痛んだ。
幸い、五条は引越しに関して恐らく特に苦に思っていないだろう……という点。
家具屋ではしゃぎ、家電量販店で人を散々『僕の奥さん』とからかいながら買い物する姿は、久しぶりに息抜きをしているように見えた。
名無しにとってそれだけは救いだった。例え、少々気疲れしてしまったことを差し引いても。
五条はゆるりと笑い、食べかけの白桃のタルトを美味しそうに頬張る。
「ま、名無しにとっては災難だったよね。あれはなんというか──」
(傑を、挑発するような。)
仮に、彼の庇護下にある少女が殺されていれば、文字通り夏油は怒り狂い、あの場にいた全員を皆殺しにしていただろう。
あの後尋問や取り調べの件も多少なりとも関わったが、決定的な首謀者の証拠は出てこず、ただ金儲けのために術師同士、あるいは呪霊と術師を殺し合わせたという証言しか出てきていない。
それよりも一番気になる点は、非呪術師が呪霊を視認できるようになっていたこと。
脳を弄られた痕跡があるものの、残穢を辿るには霞のようにあまりにも薄い。
この一件の首謀者か、あるいは協力者の物なのだろうが、手口を見る限りでは厄介なことこの上なかった。
(もう僕の知る由もないんだけどさ。)
その件にずっと食い下がれる程、五条は暇ではない。
終わってしまったことだ。何より、かの親友に会うことはもうないかもしれない。
あったとしても次は十中八九殺し合うだろう。
小さくそっと息をついて、溶けきらなかった角砂糖がカップの底でザラザラと揺蕩う、甘ったるいコーヒーを静かに傾ける。
「……五条さん?」
「ん。ごめんね、考え事しちゃってた」
正直に白状すれば、特に根掘り葉掘り聞いてくることもなく「そうですか。」と頷いて、名無しはアイスレモンティーをストローでカラリと混ぜる。
──余計な詮索をすることもなく、五条が口を噤んでも不満を持つこともなく。
凪いだ海のように静かに寄り添う彼女の隣は、やはり心地がいいな、と五条はつい口元を緩めた。
「それに引越しだって悪いことばっかじゃないよ。夕飯作るのが面倒な時とか、名無しの部屋に転がり込めばお裾分けして貰えるんでしょ?」
「そりゃあ、まぁ、いいんですけど」
甘夏のタルトを咀嚼し、困ったように視線を泳がせる名無し。
「なんか歯切れ悪いね。僕に隠し事?」
「……隠し事というか、口止めはされていないんですけど」
五条悟の引越し事情#03
「名無し、お疲れ様。……って、あーあ、遂に来たか。」
「その言い方はないんじゃない?硝子。」
先に部屋にいたのは五条なのだが、まるで邪魔者を見つけたような言い草だ。
ビニール袋と脱いだ白衣を片手に、家入は勝手知ったる様子で名無しの部屋へ上がった。
「お疲れ様です、硝子さん。」
「ん。はい、これ。ワサビえんがわとー…」
取り出したのは、ラベルに『獺祭』と書かれた一升瓶。
「酒。」
ニヤッと笑う家入。
一方で五条はというと、ウワバミの同級生を珍しく軽蔑したような目で見ていた。
「……あのさぁ、成人したとはいえ、いくらなんでも生徒の部屋で飲み散らかすのはどうなの?」
「飯をたかりに来てるお前も大概だろ。」
「ま、まぁまぁ、一人分作るのも三人分作るのも、分量変えるだけですし」
三倍の量となると中々だが、作る料理といっても手間暇かけるようなメニューでもないし、何より一人で食べるより誰かと食事をするのは単純に嬉しい。
いつもと立場が逆転した担任と保健医を宥め、名無しは下味を染み込ませている最中の鶏肉を家入に見せた。
「今日は五条さんのリクエストで唐揚げですよ。出来上がるまで待っててくださいね。」
姉弟喧嘩の間に入るお母さんは、きっとこんな気持ちなのだろう。
ローテーブルを囲って腰を落ち着かせた大人二人を尻目に、名無しは唐揚げを作るべく、こじんまりとしたキッチンへ立つのであった。
***
「何嫉妬してんの。」
「するでしょ。何勝手に楽しんでんのさ。」
「一人で晩酌するのも悪くないんだけどね。どうせなら話し相手が欲しいだろう?」
部屋に備え付けられたテレビは、自分達が学生寮に住んでいた頃と同じものだった。
地デジが始まってすぐの頃の、何年も型落ちしてしまった古いデジタルテレビ。
それに映る他愛ない番組をぼんやり眺めながら、家入は持ってきた酒と肴で晩酌を始めていた。
四角いローテーブルを挟み、五条はというと不満そうに口先を尖らせている。
普段の『特級呪術師・五条悟』では見れない子供のような拗ね方だ。
「だからってさぁ。」
「何も五条の許可がいるわけじゃないだろ?」
家入自身、あまり歯に衣を着せぬ言い方をする性格だが、五条に対しては特に顕著だ。
気心がそれなりに知れている仲であるせいだが、この発言はあまりにも核心を突いており、流石の五条も苦虫を噛み潰したような表情を露骨に浮かべた。
「嫌なとこ突くじゃん。」
「事実だし」
仮に──仮にだ。
五条が名無しの恋人であるというなら、小耳に挟ませるくらいはしてもいいかもしれない。
だが、彼と彼女はあくまで教師と生徒。
保護者……といっても、見た目はああでも名無しは半年程前に成人を迎えた。
酒もタバコも嗜めるし、選挙権だってある。
彼女は学生という身分で曖昧な立場であるものの、確かに間違いなく大人なのだ。
だというのに家入が名無しの部屋へ居座ることに対して、五条へ逐一報告する義務はあるはずがない。
だから五条の拗ねる理由は、ただの嫉妬で、独占欲で、子供じみた我儘なのだ。──本人も自覚はあるようだが。
「……今日二人で買い物行ったんだけどさぁ」
「ん。」
「カップルに見えるかもね、なんて言ったら『それはないでしょう』って即答だよ?僕の生徒、手強すぎる。」
名無しに用意してもらった麦茶をヤケ酒のように呷り、五条はローテーブルに顎を乗せる。
勿論この愚痴は声を抑えて。本人に聞かれでもしたらたまったものじゃない。
「全然意識されてないじゃん。」
「いっそここまで来ると笑っちゃうよ、ホント。」
ストレートに言葉で伝えるのは容易い。
だが仮に──またしても、仮にだ。
玉砕したなら。今の関係に戻ることは不可能だろう。
好意を伝えることがこんなにも恐ろしく、こんなにも勇気がいることなのだと、五条は24歳にして初めて思い知ることになった。
ぬるま湯のような今の心地よい関係も悪いこととは思えない。
それでも触れたい、抱きしめたい、抱き潰したいと思う、男としての欲だって五条には十二分に備わっている。ここ数年はご無沙汰なだけで。
一歩進んだ関係になりたいと思うのは当然の欲求で、好意を抱いているなら尚更な感情だった。
名無しの匂いに満ちた部屋の空気を、肺いっぱいに吸い込む。
これで少しは自分の欲求不満も解消されれば──と淡い期待を抱いたのだが、残念ながら匂いだけで満足することは出来なかった。
モヤモヤした感情ばかりが渦巻いて、五条は重々しく溜息を深く長く吐き出す。
「ご飯、出来ましたよ。お待ちどうさまです」
揚げたての唐揚げをバットに乗せ、満足そうにやってくる名無し。
山盛りになった唐揚げは一体鶏もも肉何枚分だろう。積み上げられた唐揚げを見ていると、豪快な店主が経営していそうな居酒屋のようにも見える。
煩悩に満ちた悩みを、露知らぬ教え子。
そのままでいて欲しいような、この醜い情欲を分からせたいような。
五条はなんとも言えぬ複雑そうな表情で、サングラス越しに名無しの顔をじっと見上げた。
「?、何かついます?」
「……僕のお茶碗とかお箸とか、置かせてもらおって思って。」
図々しい提案を名無しは笑い、頬を綻ばせる。
断る理由なんか、彼女にはこれっぽっちもないのだから。