さよならマーメイド
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この春。はじめて後輩が出来ました。
はじめまして、後輩くん
「初めまして、ななし先輩!今年、高専に入学しました。猪野琢真と申しまっス!」
春。
4月に入ったばかりの陽だまりはほのかに暖かく、遅れ気味の桜前線のせいか桜の蕾はまだ固く閉じたまま。
雑草ばかりで華やかとは言い難い中庭に面した廊下で、ビシッと背筋を伸ばして挨拶をする少年に出会った。
数ヶ月前までは中学生だったことも相まって、どこかあどけなさを残した雰囲気は自然と頬が綻ぶ程に微笑ましい。
「よろしくお願いしまっす!」
頭を深々と下げ、手を差し出される。……もしかして、握手だろうか。
周りにいなかったタイプだからだろう。
明らかに体育会系の勢いに呑まれた名無しは、はっと我に返り慌てて手を伸ばした。
「よ、よろしく」
彼女の手より一回り大きい手が、ギュッと包むように掴む。
ブンブンと力強く握り、振られ、全く身構えていなかった名無しの腕は肩から思い切り上下に揺すられた。
激しめのシェイクハンドが五回ほど行われた後、漸く名無しの手は解放される。
人と握手するなんて殆どない機会だったため、名無しは呆気に取られたように手のひらと猪野を何度か見比べた。
そして、気がつく。
猪野の視線が、じっとこちらを射抜いていることに。
「えっと、どうかしました…?」
「いえ。ななし先輩って、可愛いですね!ちっちゃくて!」
170cmはゆうにある彼からの、爆弾発言。
その時彼女は、文字通り頭の中が真っ白になった。
***
「どうやったら先輩っぽく見えるようになりますか!?」
任務の報告が終わり、一段落ついていた七海。
その七海にチュッパチャプスを無理矢理勧めていた五条。
詰所のような役割も果たす応接室へ、突然名無しが飛び込んできたのは流石の二人も面食らった。
「え。どしたの、名無し。」
「初めて出来た後輩くんに『ちっちゃくて可愛い』って言われました。」
「あぁ、猪野琢真って子?よーし、僕が教育的指導しちゃうから、このマロンラテ味を食べながら待っててね。」
七海の頬へグリグリ押し当てていたチュッパチャプスを手渡ししながら五条が笑う。
が、それを即座に押し返しながら名無しは心底嫌そうに目を細めた。
「嫌ですよ。どうせ新商品だからって理由で買って、口に合わなかったんでしょう?
あと五条さんの教育的指導は洒落にならないのでやめてください。」
彼も悪意があって言ったわけじゃないのだろう。
ただ、そう。ほんの少し、素直なだけで。
世の女性は『可愛い』と言われれば、少なくとも好意的な反応か、大人の対応で軽々かわせるのだろう。
だが残念ながら……ろくでもない成長期を過ごし、それを取り戻す為に毎日牛乳を飲み、コツコツ毎日筋トレと体力作りに勤しむ名無しにとって『ちっちゃくて可愛い』は、金槌で頭を打ち抜かれるよりもショックなことであった。
──余談だが、体力は一年前に比べると見違える程についたのだが、身長は殆ど伸びていない。筋肉も同年代の女の子よりもついている程度で、名無しの理想にはまだ遠い。
マシになったものと言えばスタミナと、比較的健康的になった肉付きくらいなもので、彼女の欲しいものは一向に手に入る気配がなかった。
「私二十歳ですよ……?実質5つも歳が離れた後輩に可愛いって……。もっとこう、『先輩!』って慕われたいんですよ、私は。」
「えー、後輩に慕われていいことなんてある?」
「先輩後輩の上下関係なんてロクなのじゃありませんよ。」
五条と七海に口々に否定され、名無しは悔しそうに口元をへの字に曲げる。
「先輩もいない。同級生もいないボッチの気持ちなんて、お二人には分かりませんよ……」
名無しが一年生だった頃には、辛うじて四年生の学年が数人いた。
しかし高専の四年生ともなれば、実質就職活動──もとい、本格的に呪術師として働くか、一般人に溶け込んで暮らすか、進路が様々で積極的に高専へ顔を出す者は少ない。
が、そんな諸先輩方も今年の春に卒業済みだ。
幽霊部員ならぬ、いるのかいないのか怪しかった先輩も、もう高専にはいないのだ。
つまり今、東京校に籍を置いている在校生は、ななし名無しと猪野琢真。その二名だけである。
……呪術業界の人手不足は常であるが、確かにここ数年は本当に少ない。在校生の人数だけ見れば残念極まりなかった。
切実そうに項垂れる少女にどう声を掛けていいものやら。
そこまで深刻に考えていたとは露知らず、七海は「すみません」と謝りながら眼鏡をそっと外した。
「つまり、初めてできた後輩の少年と仲良くしたい、と。」
「はい。」
「えー…だったら僕が同級生ごっこしようか?前みたいに制服着てさ」
「……五条さん、そんなことしたんですか?」
呆れ返る七海。
以前『同級生の雰囲気を味わいたくて』なんて五条が遊び半分で高専の制服を着たことがあった。
慣れないプリクラまで撮ったのだが……どうやらその写真は結局七海に披露していなかったようだ。
大方忘れていたか、自慢するのが勿体なくなったか。どちらかだろう。
「先輩らしい振る舞いなんて楽勝だよ。偉そうにして、後輩をパシって、顎で使う。簡単っしょ?」
「え、えぇ…どう考えても嫌な先輩そのものじゃないですか」
「それは五条さんが私に散々してきたことでしょう」
「ちゃんとついでに飲み物も奢ってやったろ?」
「駄賃は貰っていませんけど」
「騙されたと思ってやってみなよ」と五条は笑いながら焚き付けるが、七海は呆れるばかりで肯定も否定もしない。
五条としては『後輩の、しかも男と仲良くしたい』なんて面白くないに決まっている。このまま国交断絶になってしまえば御の字だと思っている節すらある。
七海は深く深く溜息を吐き、こめかみを押さえる。
高専時代の嫌な思い出でも思い出したのか、本日何度目かの溜息を重く重く吐き出した。
「……ななしさんは誰に対しても敬語でしょう?後輩に対してなら、もう少し砕けた話し方のほうが親しみやすいのではないでしょうか」
「砕けた話し方……。五条さんみたいな?」
「あれはやめておきなさい。」
「ひっどーい、七海ィ」と文句を言いながら笑う五条を尻目に、名無しはますます頭を抱え込む羽目になるのであった。
はじめまして、後輩くん
「初めまして、ななし先輩!今年、高専に入学しました。猪野琢真と申しまっス!」
春。
4月に入ったばかりの陽だまりはほのかに暖かく、遅れ気味の桜前線のせいか桜の蕾はまだ固く閉じたまま。
雑草ばかりで華やかとは言い難い中庭に面した廊下で、ビシッと背筋を伸ばして挨拶をする少年に出会った。
数ヶ月前までは中学生だったことも相まって、どこかあどけなさを残した雰囲気は自然と頬が綻ぶ程に微笑ましい。
「よろしくお願いしまっす!」
頭を深々と下げ、手を差し出される。……もしかして、握手だろうか。
周りにいなかったタイプだからだろう。
明らかに体育会系の勢いに呑まれた名無しは、はっと我に返り慌てて手を伸ばした。
「よ、よろしく」
彼女の手より一回り大きい手が、ギュッと包むように掴む。
ブンブンと力強く握り、振られ、全く身構えていなかった名無しの腕は肩から思い切り上下に揺すられた。
激しめのシェイクハンドが五回ほど行われた後、漸く名無しの手は解放される。
人と握手するなんて殆どない機会だったため、名無しは呆気に取られたように手のひらと猪野を何度か見比べた。
そして、気がつく。
猪野の視線が、じっとこちらを射抜いていることに。
「えっと、どうかしました…?」
「いえ。ななし先輩って、可愛いですね!ちっちゃくて!」
170cmはゆうにある彼からの、爆弾発言。
その時彼女は、文字通り頭の中が真っ白になった。
***
「どうやったら先輩っぽく見えるようになりますか!?」
任務の報告が終わり、一段落ついていた七海。
その七海にチュッパチャプスを無理矢理勧めていた五条。
詰所のような役割も果たす応接室へ、突然名無しが飛び込んできたのは流石の二人も面食らった。
「え。どしたの、名無し。」
「初めて出来た後輩くんに『ちっちゃくて可愛い』って言われました。」
「あぁ、猪野琢真って子?よーし、僕が教育的指導しちゃうから、このマロンラテ味を食べながら待っててね。」
七海の頬へグリグリ押し当てていたチュッパチャプスを手渡ししながら五条が笑う。
が、それを即座に押し返しながら名無しは心底嫌そうに目を細めた。
「嫌ですよ。どうせ新商品だからって理由で買って、口に合わなかったんでしょう?
あと五条さんの教育的指導は洒落にならないのでやめてください。」
彼も悪意があって言ったわけじゃないのだろう。
ただ、そう。ほんの少し、素直なだけで。
世の女性は『可愛い』と言われれば、少なくとも好意的な反応か、大人の対応で軽々かわせるのだろう。
だが残念ながら……ろくでもない成長期を過ごし、それを取り戻す為に毎日牛乳を飲み、コツコツ毎日筋トレと体力作りに勤しむ名無しにとって『ちっちゃくて可愛い』は、金槌で頭を打ち抜かれるよりもショックなことであった。
──余談だが、体力は一年前に比べると見違える程についたのだが、身長は殆ど伸びていない。筋肉も同年代の女の子よりもついている程度で、名無しの理想にはまだ遠い。
マシになったものと言えばスタミナと、比較的健康的になった肉付きくらいなもので、彼女の欲しいものは一向に手に入る気配がなかった。
「私二十歳ですよ……?実質5つも歳が離れた後輩に可愛いって……。もっとこう、『先輩!』って慕われたいんですよ、私は。」
「えー、後輩に慕われていいことなんてある?」
「先輩後輩の上下関係なんてロクなのじゃありませんよ。」
五条と七海に口々に否定され、名無しは悔しそうに口元をへの字に曲げる。
「先輩もいない。同級生もいないボッチの気持ちなんて、お二人には分かりませんよ……」
名無しが一年生だった頃には、辛うじて四年生の学年が数人いた。
しかし高専の四年生ともなれば、実質就職活動──もとい、本格的に呪術師として働くか、一般人に溶け込んで暮らすか、進路が様々で積極的に高専へ顔を出す者は少ない。
が、そんな諸先輩方も今年の春に卒業済みだ。
幽霊部員ならぬ、いるのかいないのか怪しかった先輩も、もう高専にはいないのだ。
つまり今、東京校に籍を置いている在校生は、ななし名無しと猪野琢真。その二名だけである。
……呪術業界の人手不足は常であるが、確かにここ数年は本当に少ない。在校生の人数だけ見れば残念極まりなかった。
切実そうに項垂れる少女にどう声を掛けていいものやら。
そこまで深刻に考えていたとは露知らず、七海は「すみません」と謝りながら眼鏡をそっと外した。
「つまり、初めてできた後輩の少年と仲良くしたい、と。」
「はい。」
「えー…だったら僕が同級生ごっこしようか?前みたいに制服着てさ」
「……五条さん、そんなことしたんですか?」
呆れ返る七海。
以前『同級生の雰囲気を味わいたくて』なんて五条が遊び半分で高専の制服を着たことがあった。
慣れないプリクラまで撮ったのだが……どうやらその写真は結局七海に披露していなかったようだ。
大方忘れていたか、自慢するのが勿体なくなったか。どちらかだろう。
「先輩らしい振る舞いなんて楽勝だよ。偉そうにして、後輩をパシって、顎で使う。簡単っしょ?」
「え、えぇ…どう考えても嫌な先輩そのものじゃないですか」
「それは五条さんが私に散々してきたことでしょう」
「ちゃんとついでに飲み物も奢ってやったろ?」
「駄賃は貰っていませんけど」
「騙されたと思ってやってみなよ」と五条は笑いながら焚き付けるが、七海は呆れるばかりで肯定も否定もしない。
五条としては『後輩の、しかも男と仲良くしたい』なんて面白くないに決まっている。このまま国交断絶になってしまえば御の字だと思っている節すらある。
七海は深く深く溜息を吐き、こめかみを押さえる。
高専時代の嫌な思い出でも思い出したのか、本日何度目かの溜息を重く重く吐き出した。
「……ななしさんは誰に対しても敬語でしょう?後輩に対してなら、もう少し砕けた話し方のほうが親しみやすいのではないでしょうか」
「砕けた話し方……。五条さんみたいな?」
「あれはやめておきなさい。」
「ひっどーい、七海ィ」と文句を言いながら笑う五条を尻目に、名無しはますます頭を抱え込む羽目になるのであった。
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