立夏と六花
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よく見知ったシルエット。
朝焼けの空を背に降り立つ彼にいつもの飄々とした余裕は微塵もなく、すっぽり覆い隠されるように目一杯抱き竦められた。
「ご、じょうさん?なんでここに、」
「それ、僕のセリフ。」
「これ、着てて。」と肩から掛けられるのは五条の黒い服。
血や埃で汚れる、と名無しが辞退するより早く、首元まできっちりファスナーを上げられた。
突如降ってきた建物の瓦礫で逃げ惑う観客。
それを掴んで喰らおうとするのは、崩壊しかけたら建物の奥から湧いて出た呪霊だ。
五条は「チッ」と舌打ちを零し、手を伸ばす。
術式反転・赫で狙い撃たれた呪霊は呆気なく霧散し、建造物の壁には口を開けたような大穴が出来上がる。
悲鳴と、轟音と、呪霊の死肉の臭い。
その光景を眺めていた人物が、まるで散歩でもするように悠々とした様子で降り立った。
「やれやれ、まるで地獄絵図じゃないか。」
二対の翼を持った、巨大な鳥。
五条の後に一呼吸置いて降りてきたのは、鳥の呪霊の背に乗った夏油だ。
落下するはずだった赤龍は黒い玉に姿を変え、今は夏油傑の手の中に。
「……っ…夏油様!」
「菜々子、怪我はないかい?」
弾かれたように走り出した菜々子を、呪霊を持っていない手で夏油は抱きとめる。
慈しむように細められた目元は安堵の色を浮かべており、誰にも気付かれないくらい静かにそっと息をついていた。
「…さて、名無し。菜々子が世話になったね。私の用事はここまでなんだ。家族も無事保護できたし、あとはよろしく頼むよ、悟。」
「はぁ?なに、丸投げ?」
名無しが見上げた五条の表情は、視点があまりにも低いせいで覗き見ることが叶わない。
ただ声音はいつもより刺々しく、いつもののらりくらりとした雰囲気は微塵も感じられなかった。
怒っているのか、呆れているのか。それすら分からない。
「どうせ此処に高専の連中がもうすぐ来るんだろう?今は面倒事より、菜々子の怪我を手当しなきゃいけないしね。」
「それに、君なら余裕だろ?」そう言って夏油は左手に持っていた呪霊だったものを丸呑みし、嚥下する。
以前彼が言っていた『悪食』の意味をここで漸く理解した。
彼は、呪霊を食べている。
「じゃあまたね、二人共。」
ばさりと風を扇ぐ鳥の呪霊。
二度、三度と羽ばたく音を立てて、夏油と菜々子は東雲色の空へ消えていった。
曙に染まった雲を見上げ、五条は小さく舌打ちを漏らす。
本日二度目の不機嫌な音に、名無しは五条から借りた上着の袖を指先で握りしめた。
「──さて、僕の大事な生徒をこんな目に遭わせた屑は……どこのどいつかな。」
アイマスクを外し、露わになる六眼。
名無しは、知らなかった。
この人もこんな顔をするのか、と。
銀の睫毛に縁取られた天色の瞳は、冷ややかで涼しげな印象とは裏腹に常にやわらかく微笑んでいた。
……少なくとも名無しの知る、見た事のあった『五条悟』は。
呪霊を祓う時ですら常に余裕の色が浮かんでいた目元は、今や底冷えするような怒りに染まっている。
あくまで名無しの所感の話になるが──そう、視線だけで人を殺せそうな、
「殺し合いを観てた観客も同罪だと思わない?……あぁ、皆殺しにしてやろうかな。」
独り言のように零れる言葉。
名無しを抱えるように回された腕は相変わらず優しいのに、肌を刺すような殺気だけが生々しい。
名無しは潜めていた息を大きく吸い込み、五条の上着越しに彼のワイシャツを掴み、引く。
「駄目です、五条さん。情報を吐かせて、きちんと然るべき場で罰を与えるべきです。」
殺してしまっては聞き出すことも出来ない。
観客の数だって、一人二人の話ではないのだ。
少なくとも呪霊と術師を放り入れた『見世物』を取り囲むようにして、満員御礼だったのだから。
今だって瓦礫の下敷きになり息絶えだえになっている運営側の黒衣や、上質そうなスーツを着込んだ観客もいる。
……殺してしまうのは、きっと簡単だろう。
だからこそ救うために助けるのではない。事情を洗いざらい吐かせ、正しい場所で罰を与える必要がある。その為に殺してはいけないのだ。
それに、
「あなたは、そっちに行かないでください。」
夏油も中々喰えない男だ。
それとも五条なら『出来る』と思ったのか。
呪霊が見えるだけの、限りなく非呪術師に近い観客を、指先ひとつで殺す。
きっと五条の術式ならば、殺した感触も残さず、花弁を息で吹き飛ばすよりも容易に出来るのだろう。
試しているのか、そちら側へ手招きしているのか。
それは真意を計り知ることは出来ないけれど、これだけ言える。
《そんな下らないことで、五条の手を汚す必要などないのだ》と。
理性もなく私刑に走るなら、呪詛師となんら変わらない。
──そうじゃない。五条悟は呪術師なのだ。
どんな理不尽にぶつかろうと、腹の底から煮え立つような怒りに苛まれようと。
彼は、呪術師だ。
「…………。」
「五条さん。」
「……はーーー…」
肺の空気を押し出すような、深い溜息。
「そんなボロ雑巾みたいにされてんのに、よくもまぁ冷静だこと。」
「呪術師は、感情を常にフラットに保つことが大事なんでしょう?」
「そうだけど。」
毒気を抜かれたように長く長く息を吐き出す五条。
今にも切れてしまいそうな糸は緩々と緩み、一周まわって呆れたように口元を歪めた。
事後処理と包囲するためだろう。
ぽっかりと拓き、朝焼けが降り注ぐ頭上を覆い始める『帳』。
他の呪術師や補助監督の増援が来たのだろう。
思っていた以上の厄介事に巻き込まれた事実に今更ながら実感してしまう。
「制服は原型ないし。」
「……男前が上がったでしょう?」
「男前になってどーするの。肌、見えてんだけど?おっぱい見えちゃうよ?見ていいワケ?」
「見えなければセーフです。あと見ないでください。」
「そうじゃないでしょ。……そうじゃなくて、」
「すみません。ご心配おかけしました。」
「ホント。優等生なんだか問題児なんだか…僕、分かんなくなってきちゃった。」
もう五条が直接手を下すことはないと判断したのか、抱き寄せていた腕を背中に回し、軽々と横抱きにする。
名無しが『歩けますよ』と抗議する前に、彼はぽそりと小さく呟く。
「アイツのところの子なんて、ほっとけば良かったのに。」
呆れを含んだ、複雑そうな声。
「そういうこと言っちゃダメですよ。」
「言うよ。いくら傑の身内と言えども、見知らぬ呪詛師のガキに情けをかけるほど僕は慈悲深くない。」
命を天秤にかけるとしたら、当然だが身内を優先させるだろう。五条の意見は尤もだ。
自惚れでないのなら、言葉の真意は『名無しの方が大事』この一言なのだろう。
五条なりの優しさで、至極真っ当な答えだ。
それは擽ったくて、ちょっとだけ嬉しくて。素直にその言葉を額面通りに受け止めることが出来ないからこそ申し訳なくて。
「……ごめんなさい。私は上手く割り切れませんでした。」
彼に心配を掛けてしまっていることを自覚しているからこそ後ろめたくて申し訳ない。
『性分だから』と完全に開き直れるほど名無しは図太くもないし、五条の優しさを簡単に無碍にすることも出来ない。
考えて考えて熟考した結果、彼の心配を踏み躙ってしまっている現状に心苦しくもあった。
「…ホント。他人を守って怪我してりゃ世話ないよ。」
「すみません」
「あーあ、失敗していれば僕も堂々と『ほらみたことか』って説教出来るのにさ。優秀なのも考えものだよね」
「縁起でもないこと言っちゃ駄目ですよ。褒められているのに喜べないじゃないですか」
褒めているのか皮肉なのか。
曖昧な嫌味に名無しは困ったように笑う。
失敗だなんて。全く、菜々子が聞いていたら『この人でなし』と罵っていたことだろう。
立夏と六花#09
「……はぁ、きーめた。」
「?何がです?」
「ナイショ。」
悪戯を思いついた子供のように笑う五条の瞳に、もう剣呑な色は浮かんでいなかった。
朝焼けの空を背に降り立つ彼にいつもの飄々とした余裕は微塵もなく、すっぽり覆い隠されるように目一杯抱き竦められた。
「ご、じょうさん?なんでここに、」
「それ、僕のセリフ。」
「これ、着てて。」と肩から掛けられるのは五条の黒い服。
血や埃で汚れる、と名無しが辞退するより早く、首元まできっちりファスナーを上げられた。
突如降ってきた建物の瓦礫で逃げ惑う観客。
それを掴んで喰らおうとするのは、崩壊しかけたら建物の奥から湧いて出た呪霊だ。
五条は「チッ」と舌打ちを零し、手を伸ばす。
術式反転・赫で狙い撃たれた呪霊は呆気なく霧散し、建造物の壁には口を開けたような大穴が出来上がる。
悲鳴と、轟音と、呪霊の死肉の臭い。
その光景を眺めていた人物が、まるで散歩でもするように悠々とした様子で降り立った。
「やれやれ、まるで地獄絵図じゃないか。」
二対の翼を持った、巨大な鳥。
五条の後に一呼吸置いて降りてきたのは、鳥の呪霊の背に乗った夏油だ。
落下するはずだった赤龍は黒い玉に姿を変え、今は夏油傑の手の中に。
「……っ…夏油様!」
「菜々子、怪我はないかい?」
弾かれたように走り出した菜々子を、呪霊を持っていない手で夏油は抱きとめる。
慈しむように細められた目元は安堵の色を浮かべており、誰にも気付かれないくらい静かにそっと息をついていた。
「…さて、名無し。菜々子が世話になったね。私の用事はここまでなんだ。家族も無事保護できたし、あとはよろしく頼むよ、悟。」
「はぁ?なに、丸投げ?」
名無しが見上げた五条の表情は、視点があまりにも低いせいで覗き見ることが叶わない。
ただ声音はいつもより刺々しく、いつもののらりくらりとした雰囲気は微塵も感じられなかった。
怒っているのか、呆れているのか。それすら分からない。
「どうせ此処に高専の連中がもうすぐ来るんだろう?今は面倒事より、菜々子の怪我を手当しなきゃいけないしね。」
「それに、君なら余裕だろ?」そう言って夏油は左手に持っていた呪霊だったものを丸呑みし、嚥下する。
以前彼が言っていた『悪食』の意味をここで漸く理解した。
彼は、呪霊を食べている。
「じゃあまたね、二人共。」
ばさりと風を扇ぐ鳥の呪霊。
二度、三度と羽ばたく音を立てて、夏油と菜々子は東雲色の空へ消えていった。
曙に染まった雲を見上げ、五条は小さく舌打ちを漏らす。
本日二度目の不機嫌な音に、名無しは五条から借りた上着の袖を指先で握りしめた。
「──さて、僕の大事な生徒をこんな目に遭わせた屑は……どこのどいつかな。」
アイマスクを外し、露わになる六眼。
名無しは、知らなかった。
この人もこんな顔をするのか、と。
銀の睫毛に縁取られた天色の瞳は、冷ややかで涼しげな印象とは裏腹に常にやわらかく微笑んでいた。
……少なくとも名無しの知る、見た事のあった『五条悟』は。
呪霊を祓う時ですら常に余裕の色が浮かんでいた目元は、今や底冷えするような怒りに染まっている。
あくまで名無しの所感の話になるが──そう、視線だけで人を殺せそうな、
「殺し合いを観てた観客も同罪だと思わない?……あぁ、皆殺しにしてやろうかな。」
独り言のように零れる言葉。
名無しを抱えるように回された腕は相変わらず優しいのに、肌を刺すような殺気だけが生々しい。
名無しは潜めていた息を大きく吸い込み、五条の上着越しに彼のワイシャツを掴み、引く。
「駄目です、五条さん。情報を吐かせて、きちんと然るべき場で罰を与えるべきです。」
殺してしまっては聞き出すことも出来ない。
観客の数だって、一人二人の話ではないのだ。
少なくとも呪霊と術師を放り入れた『見世物』を取り囲むようにして、満員御礼だったのだから。
今だって瓦礫の下敷きになり息絶えだえになっている運営側の黒衣や、上質そうなスーツを着込んだ観客もいる。
……殺してしまうのは、きっと簡単だろう。
だからこそ救うために助けるのではない。事情を洗いざらい吐かせ、正しい場所で罰を与える必要がある。その為に殺してはいけないのだ。
それに、
「あなたは、そっちに行かないでください。」
夏油も中々喰えない男だ。
それとも五条なら『出来る』と思ったのか。
呪霊が見えるだけの、限りなく非呪術師に近い観客を、指先ひとつで殺す。
きっと五条の術式ならば、殺した感触も残さず、花弁を息で吹き飛ばすよりも容易に出来るのだろう。
試しているのか、そちら側へ手招きしているのか。
それは真意を計り知ることは出来ないけれど、これだけ言える。
《そんな下らないことで、五条の手を汚す必要などないのだ》と。
理性もなく私刑に走るなら、呪詛師となんら変わらない。
──そうじゃない。五条悟は呪術師なのだ。
どんな理不尽にぶつかろうと、腹の底から煮え立つような怒りに苛まれようと。
彼は、呪術師だ。
「…………。」
「五条さん。」
「……はーーー…」
肺の空気を押し出すような、深い溜息。
「そんなボロ雑巾みたいにされてんのに、よくもまぁ冷静だこと。」
「呪術師は、感情を常にフラットに保つことが大事なんでしょう?」
「そうだけど。」
毒気を抜かれたように長く長く息を吐き出す五条。
今にも切れてしまいそうな糸は緩々と緩み、一周まわって呆れたように口元を歪めた。
事後処理と包囲するためだろう。
ぽっかりと拓き、朝焼けが降り注ぐ頭上を覆い始める『帳』。
他の呪術師や補助監督の増援が来たのだろう。
思っていた以上の厄介事に巻き込まれた事実に今更ながら実感してしまう。
「制服は原型ないし。」
「……男前が上がったでしょう?」
「男前になってどーするの。肌、見えてんだけど?おっぱい見えちゃうよ?見ていいワケ?」
「見えなければセーフです。あと見ないでください。」
「そうじゃないでしょ。……そうじゃなくて、」
「すみません。ご心配おかけしました。」
「ホント。優等生なんだか問題児なんだか…僕、分かんなくなってきちゃった。」
もう五条が直接手を下すことはないと判断したのか、抱き寄せていた腕を背中に回し、軽々と横抱きにする。
名無しが『歩けますよ』と抗議する前に、彼はぽそりと小さく呟く。
「アイツのところの子なんて、ほっとけば良かったのに。」
呆れを含んだ、複雑そうな声。
「そういうこと言っちゃダメですよ。」
「言うよ。いくら傑の身内と言えども、見知らぬ呪詛師のガキに情けをかけるほど僕は慈悲深くない。」
命を天秤にかけるとしたら、当然だが身内を優先させるだろう。五条の意見は尤もだ。
自惚れでないのなら、言葉の真意は『名無しの方が大事』この一言なのだろう。
五条なりの優しさで、至極真っ当な答えだ。
それは擽ったくて、ちょっとだけ嬉しくて。素直にその言葉を額面通りに受け止めることが出来ないからこそ申し訳なくて。
「……ごめんなさい。私は上手く割り切れませんでした。」
彼に心配を掛けてしまっていることを自覚しているからこそ後ろめたくて申し訳ない。
『性分だから』と完全に開き直れるほど名無しは図太くもないし、五条の優しさを簡単に無碍にすることも出来ない。
考えて考えて熟考した結果、彼の心配を踏み躙ってしまっている現状に心苦しくもあった。
「…ホント。他人を守って怪我してりゃ世話ないよ。」
「すみません」
「あーあ、失敗していれば僕も堂々と『ほらみたことか』って説教出来るのにさ。優秀なのも考えものだよね」
「縁起でもないこと言っちゃ駄目ですよ。褒められているのに喜べないじゃないですか」
褒めているのか皮肉なのか。
曖昧な嫌味に名無しは困ったように笑う。
失敗だなんて。全く、菜々子が聞いていたら『この人でなし』と罵っていたことだろう。
立夏と六花#09
「……はぁ、きーめた。」
「?何がです?」
「ナイショ。」
悪戯を思いついた子供のように笑う五条の瞳に、もう剣呑な色は浮かんでいなかった。
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