立夏と六花
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(しくじったなぁ)
目を覚まし、見た景色は知らない場所だった。
窓もない。仄暗い。地下室のような、ひんやりと底冷えするコンクリートの床。
音を刈り取ったように静かな空間は、少しでも物音を立てたら伸びやかに反響しそうだ。
鉄格子の向こうには同じような牢屋がいくつも並び、幾人かの息遣いが聞こえてくる。他にも囚われている人間がいるのだろうか。
もぞりと身動ぎすれば、肩、肘の関節が静かに軋む。
後ろ手でかけられた鉄枷が僅かな抵抗すら許さない。
目の前で倒れている菜々子の手首にかけられた物を見る限り、ちょっとやそっとの力では壊せそうもない頑丈なものだった。
「ん……」
冷たいコンクリートの上で気を失っていた菜々子が小さく呻く。
活発そうな目元をゆっくりと開き、繁華街の街並みから一変した景色に顔色を一瞬にして変えた。
「っ、なに、ここ。どうなってんの!?」
動揺するのも当然だろう。
陽の光すら届かない。昼か夜かすら分からない。
僅かに湿った空気は冷ややかでカビ臭く、圧迫感のある光景も相まって息苦しいくらいだった。
「拉致されたみたい。目的は、知らないけど」
菜々子と同じような扱いを受けているところから察するに、『八百比丘尼』目的ではなさそうだ。
しかし小道具を入れていたウエストポーチや、財布等が入ったリュックは勿論ない。
……拉致されたとなるとお目付け役として持たされていた呪骸が、もしかすると異常事態を高専へ知らせてくれているかもしれないが──
(……これ、高専が調査している案件だよねぇ…)
呪詛師や呪術師の失踪。
実態はこういった拉致に近い手口なのかもしれない。
さて、どうしたものか。
脱出するのは出来なくもないが、事件の解決の糸口をみすみす手放すのは得策ではない。
かといって真っ青な表情で気が動転している菜々子を置いていく程、冷酷になりきれない。
(本当に、どうしたものかな。)
困ったように目を伏せて、溜息を細く長く音もなく吐き出したのだった。
立夏と六花#05
「……一人でいた理由。喧嘩でもした?」
長い沈黙を破って、名無しさんはそっと問うてきた。
「な、何よ、別にそんなんじゃ」
「そっか。」
苦し紛れに誤魔化せば、茶化すわけでも追及するわけでもなく、彼女は小さく頷いて会話を切った。
無理に訊ねるわけでもなく、かといって全くの無関心でもなく。
付かず離れずの距離感が……ちょっとだけ夏油様に似ていた。
「……夏油様が、」
ぽそりと、恐る恐る声を漏らす。
「買ってきたプリン、美々子の分も食べちゃったの。」
本当につまらない喧嘩だった。
私が悪かったことも分かっている。
他愛ないデザートだったとしても、それは夏油様が折角買ってきてくれたものだ。美々子の怒りは尤もだった。
逆に私が美々子にプリンを食べられたとしたら、子供っぽくもっと怒り狂っていたかもしれない。
だから頭を冷やし、プリンに代わるものを買いに行くつもりで街へ一人で出た、 …んだけど……。
ご覧の有様だ。
あの村にいた時のような、冷たい牢屋。暗い場所。
昔と今で違うことといえば、頑丈に拘束された手首と、隣に美々子がいないこと。代わりにななし名無しさんがいること。
村に出てからというものの、美々子と夏油様以外と殆ど関わることがない生活をしてきたけれど、……この人の隣は不思議と落ち着いた。
敵意も悪意もない。
まるで、そう。凪いだ海のように、纏う空気が穏やかだからだろうか。
「帰ったら仲直り、しなくちゃね。」
さも当然と言わんばかりに言い放つ彼女の言葉に、私は思わずたじろいだ。
……『くだらない理由』だと普通は嗤うだろうに。
名無しさんは呆れることもなく、驚くこともなく、ただ小さく頷いて諭すように応えた。
彼女と言葉を交わせば交わす程、夏油様の面影がチラチラと重なる。
見た目も性別も身長だって全然違うのに、どうしてだろう。私の話を穏やかに聞いてくれるその姿は、大好きな大好きなあの人が纏う空気によく似ていた。
「……名無しさんはさ、夏油様のこと嫌い?」
「好きか嫌いかって言われたら、…まぁボコボコにされたことあるし、苦手かな。」
隠すことなく、ありのままの言葉を紡がれる。
少しだけ期待していた気持ちは呆気なく砕かれ、私は力なく項垂れた。
あと人の理解者が一人でも増えることは、とても嬉しいことだから。
「そっか…」
「どうかした?」
不思議そうに首を傾げる名無しさん。
一瞬私はたじろいだ後、億劫ながらも口を開く。
「……会ったことある呪術師の連中、夏油様と一緒にいると大体『正気か』とか『まだお前達は若いんだからやり直せる』とか言うけど、名無しさんは言わないから夏油様のこと嫌いじゃないのかと思って。」
とんだ勘違いだったけど。
非呪術師の言葉を『正義だ』と声高らかに掲げられた私達の気持ちなんか、わかるものか。
夏油様が示してくれた道が私達の『正解』で、あの人の掲げる理想こそが『正義』なのだ。
でなければ、私達は一体なんだろう。
同じ呪術師の屍を見たくないがために世の中を変えようと足掻いているのに、それを理解しようともせず、真っ向から否定してくるヤツらなんか。
私の言葉の意味を汲み取ったのか。
「なるほど」と納得したように頷く名無しさん。
嫌悪感を滲ませるわけでもなく、侮蔑の眼差しを送るわけでもなく。
あっけらかんとした表情で、彼女はからりと答えてくれた。
「そんな無責任なこと言わないよ。」
「……無責任?」
「うん。」
短い相槌を打った彼女はそれ以上語ることなく。
意味を理解出来ず、私は思わず問うた。
「……どういうこと?」
「夏油傑に、ついて来いって命令されたの?」
呪詛師になることを強制されたか。
そんなの、
「違う。夏油様はそんなこと一度も言ったことない。……私達が、あの人と一緒にいたいって思って、」
「じゃあそれを外野の私がとやかく言う筋合いはないでしょ。自分で決めたなら、それでいいんじゃない。」
一聞すると突き放したような言い方に聞こえるかもしれない。
けれどそれは私にとって驚く程に新鮮な言葉で。
「そんなこと言われたの、初めてかも。」
「だってそうでしょ。結局、自分が信じているものが正しいんだから」
正論だ。
私達は夏油様を信じているし、疑わない。
それを否定されても共にいることを指摘されたとしても、私達が決めたことを曲げるつもりは毛頭ないのだ。
……結局の所、誰がなんと言おうと私達の正義は夏油様であることに変わりはないのだから。
「名無しさんって、ちょっと変な人だね。」
「え…えぇ……。それはちょっと、心外かな…」
変人呼ばわりされることに抵抗があるのか、凪いだ海のように変化の乏しかった表情が露骨に歪む。
「褒めてるんだよ?」と私が悪戯っぽく笑えば、「どうだか」と呟き、そっと肩を竦められた。
私は、一息ついた会話を終えて、辺りを見渡した。
お世辞にも高いとは言えない天井に、篝火すらない薄暗い地下室。
術式を発動する為の媒体であるスマホがあれば話は別だったのかもしれないが、生憎気絶した際に落としたか誘拐した相手に奪われている。
手だって拘束されていて、立ち上がることすら難しい状況だった。
……名無しさんは、『帰ったら』なんて言うけれど、本当にここから出られるのだろうか?
お腹の底から冷えていくような不安と、もう帰れないかもしれないと泣き出してしまいそうな絶望。
私は縋るように彼女へ問うた。
「あのさ、」
「うん?」
「私達、帰れるの…?」
恐る恐る名無しさんを見れば、夜を流し込んだような黒い瞳と視線が絡む。
ニュートラルだった表情が、不意に緩んだ。
陽だまりに花が咲くような。
やわらかく弓形に細めた目元と屈託なく笑った表情に、息が詰まるような恐怖が解けていくようだった。
「勿論。」
誤魔化すわけでもなく、曖昧な言葉で濁すわけでもなく。
そう言い切った名無しさんの声は暗がりの中静かに響いて、凛として力強かった。
目を覚まし、見た景色は知らない場所だった。
窓もない。仄暗い。地下室のような、ひんやりと底冷えするコンクリートの床。
音を刈り取ったように静かな空間は、少しでも物音を立てたら伸びやかに反響しそうだ。
鉄格子の向こうには同じような牢屋がいくつも並び、幾人かの息遣いが聞こえてくる。他にも囚われている人間がいるのだろうか。
もぞりと身動ぎすれば、肩、肘の関節が静かに軋む。
後ろ手でかけられた鉄枷が僅かな抵抗すら許さない。
目の前で倒れている菜々子の手首にかけられた物を見る限り、ちょっとやそっとの力では壊せそうもない頑丈なものだった。
「ん……」
冷たいコンクリートの上で気を失っていた菜々子が小さく呻く。
活発そうな目元をゆっくりと開き、繁華街の街並みから一変した景色に顔色を一瞬にして変えた。
「っ、なに、ここ。どうなってんの!?」
動揺するのも当然だろう。
陽の光すら届かない。昼か夜かすら分からない。
僅かに湿った空気は冷ややかでカビ臭く、圧迫感のある光景も相まって息苦しいくらいだった。
「拉致されたみたい。目的は、知らないけど」
菜々子と同じような扱いを受けているところから察するに、『八百比丘尼』目的ではなさそうだ。
しかし小道具を入れていたウエストポーチや、財布等が入ったリュックは勿論ない。
……拉致されたとなるとお目付け役として持たされていた呪骸が、もしかすると異常事態を高専へ知らせてくれているかもしれないが──
(……これ、高専が調査している案件だよねぇ…)
呪詛師や呪術師の失踪。
実態はこういった拉致に近い手口なのかもしれない。
さて、どうしたものか。
脱出するのは出来なくもないが、事件の解決の糸口をみすみす手放すのは得策ではない。
かといって真っ青な表情で気が動転している菜々子を置いていく程、冷酷になりきれない。
(本当に、どうしたものかな。)
困ったように目を伏せて、溜息を細く長く音もなく吐き出したのだった。
立夏と六花#05
「……一人でいた理由。喧嘩でもした?」
長い沈黙を破って、名無しさんはそっと問うてきた。
「な、何よ、別にそんなんじゃ」
「そっか。」
苦し紛れに誤魔化せば、茶化すわけでも追及するわけでもなく、彼女は小さく頷いて会話を切った。
無理に訊ねるわけでもなく、かといって全くの無関心でもなく。
付かず離れずの距離感が……ちょっとだけ夏油様に似ていた。
「……夏油様が、」
ぽそりと、恐る恐る声を漏らす。
「買ってきたプリン、美々子の分も食べちゃったの。」
本当につまらない喧嘩だった。
私が悪かったことも分かっている。
他愛ないデザートだったとしても、それは夏油様が折角買ってきてくれたものだ。美々子の怒りは尤もだった。
逆に私が美々子にプリンを食べられたとしたら、子供っぽくもっと怒り狂っていたかもしれない。
だから頭を冷やし、プリンに代わるものを買いに行くつもりで街へ一人で出た、 …んだけど……。
ご覧の有様だ。
あの村にいた時のような、冷たい牢屋。暗い場所。
昔と今で違うことといえば、頑丈に拘束された手首と、隣に美々子がいないこと。代わりにななし名無しさんがいること。
村に出てからというものの、美々子と夏油様以外と殆ど関わることがない生活をしてきたけれど、……この人の隣は不思議と落ち着いた。
敵意も悪意もない。
まるで、そう。凪いだ海のように、纏う空気が穏やかだからだろうか。
「帰ったら仲直り、しなくちゃね。」
さも当然と言わんばかりに言い放つ彼女の言葉に、私は思わずたじろいだ。
……『くだらない理由』だと普通は嗤うだろうに。
名無しさんは呆れることもなく、驚くこともなく、ただ小さく頷いて諭すように応えた。
彼女と言葉を交わせば交わす程、夏油様の面影がチラチラと重なる。
見た目も性別も身長だって全然違うのに、どうしてだろう。私の話を穏やかに聞いてくれるその姿は、大好きな大好きなあの人が纏う空気によく似ていた。
「……名無しさんはさ、夏油様のこと嫌い?」
「好きか嫌いかって言われたら、…まぁボコボコにされたことあるし、苦手かな。」
隠すことなく、ありのままの言葉を紡がれる。
少しだけ期待していた気持ちは呆気なく砕かれ、私は力なく項垂れた。
あと人の理解者が一人でも増えることは、とても嬉しいことだから。
「そっか…」
「どうかした?」
不思議そうに首を傾げる名無しさん。
一瞬私はたじろいだ後、億劫ながらも口を開く。
「……会ったことある呪術師の連中、夏油様と一緒にいると大体『正気か』とか『まだお前達は若いんだからやり直せる』とか言うけど、名無しさんは言わないから夏油様のこと嫌いじゃないのかと思って。」
とんだ勘違いだったけど。
非呪術師の言葉を『正義だ』と声高らかに掲げられた私達の気持ちなんか、わかるものか。
夏油様が示してくれた道が私達の『正解』で、あの人の掲げる理想こそが『正義』なのだ。
でなければ、私達は一体なんだろう。
同じ呪術師の屍を見たくないがために世の中を変えようと足掻いているのに、それを理解しようともせず、真っ向から否定してくるヤツらなんか。
私の言葉の意味を汲み取ったのか。
「なるほど」と納得したように頷く名無しさん。
嫌悪感を滲ませるわけでもなく、侮蔑の眼差しを送るわけでもなく。
あっけらかんとした表情で、彼女はからりと答えてくれた。
「そんな無責任なこと言わないよ。」
「……無責任?」
「うん。」
短い相槌を打った彼女はそれ以上語ることなく。
意味を理解出来ず、私は思わず問うた。
「……どういうこと?」
「夏油傑に、ついて来いって命令されたの?」
呪詛師になることを強制されたか。
そんなの、
「違う。夏油様はそんなこと一度も言ったことない。……私達が、あの人と一緒にいたいって思って、」
「じゃあそれを外野の私がとやかく言う筋合いはないでしょ。自分で決めたなら、それでいいんじゃない。」
一聞すると突き放したような言い方に聞こえるかもしれない。
けれどそれは私にとって驚く程に新鮮な言葉で。
「そんなこと言われたの、初めてかも。」
「だってそうでしょ。結局、自分が信じているものが正しいんだから」
正論だ。
私達は夏油様を信じているし、疑わない。
それを否定されても共にいることを指摘されたとしても、私達が決めたことを曲げるつもりは毛頭ないのだ。
……結局の所、誰がなんと言おうと私達の正義は夏油様であることに変わりはないのだから。
「名無しさんって、ちょっと変な人だね。」
「え…えぇ……。それはちょっと、心外かな…」
変人呼ばわりされることに抵抗があるのか、凪いだ海のように変化の乏しかった表情が露骨に歪む。
「褒めてるんだよ?」と私が悪戯っぽく笑えば、「どうだか」と呟き、そっと肩を竦められた。
私は、一息ついた会話を終えて、辺りを見渡した。
お世辞にも高いとは言えない天井に、篝火すらない薄暗い地下室。
術式を発動する為の媒体であるスマホがあれば話は別だったのかもしれないが、生憎気絶した際に落としたか誘拐した相手に奪われている。
手だって拘束されていて、立ち上がることすら難しい状況だった。
……名無しさんは、『帰ったら』なんて言うけれど、本当にここから出られるのだろうか?
お腹の底から冷えていくような不安と、もう帰れないかもしれないと泣き出してしまいそうな絶望。
私は縋るように彼女へ問うた。
「あのさ、」
「うん?」
「私達、帰れるの…?」
恐る恐る名無しさんを見れば、夜を流し込んだような黒い瞳と視線が絡む。
ニュートラルだった表情が、不意に緩んだ。
陽だまりに花が咲くような。
やわらかく弓形に細めた目元と屈託なく笑った表情に、息が詰まるような恐怖が解けていくようだった。
「勿論。」
誤魔化すわけでもなく、曖昧な言葉で濁すわけでもなく。
そう言い切った名無しさんの声は暗がりの中静かに響いて、凛として力強かった。