立夏と六花
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照りつける日差しが眩くなってきた、5月。
大型連休が明けたとある平日のこと。
先日の五条の言葉を借りるならば『草臥れ損』の任務だった。
インチキ商売に手を染めている呪詛師の調査だったのだが、根城にしている雑居ビルの一室はもぬけの殻だった。
五条が言っていた通り大して争った形跡はなく、机の上にあったであろうボールペンとメモ帳が転がるように床へ落ちていたくらいだ。
この件を統括している『窓』へ引継ぎを行い、名無しは落胆の息を吐き出した。
任務が終わった頃合に、別の任務についている補助監督の新田が高専へ戻る際拾ってくれる予定だった。
が、肝心の呪詛師はおらず、現状報告と引継ぎを『窓』へ行えば、自ずと時間を持て余す結果になり――
「あ。ななし名無し!さん!」
立夏と六花#02
取って付けたような敬称に小さく首を傾げながら振り返れば、昨年見た時よりも背丈が伸びた少女の姿。
中学生になったのか、以前着ていた制服と違うデザインになっている。
白いブラウスに紺色のリボン。気崩しているもののアイロンが行き届いた布地はパリッとしており、清潔感のある夏服だ。
「……確か、夏油…さん、のところの。」
「菜々子でーす!ねー、何してるの?」
一瞬『さん』付けをするべきか躊躇ってしまうが、一応彼は歳上だ。
……いくら以前、ボコボコにされたとしても。
自分の感情はどうあれ『夏油傑』を敬愛する彼女の前で呼び捨てにするのは、ほんの少し憚られてしまった。
人懐こい笑顔で視線を合わせてくる菜々子は一年程前の背丈ではなく、名無しとほぼ同じ身長へ成長していた。
それが内心ちょっとだけ悔しくて、名無しは並ばないように歩調を僅かに早める。
「……えっと、任務帰り。」
「ふーん。あれ?でもホジョカントクって人いなくない?」
夏油に聞いたのだろう。高専に所属する学生の任務事情も多少なりとも把握しているらしい。
最近頻発している呪詛師の失踪で、五条をはじめとする呪術師は勿論、調査のため補助監督も出払っていた。
帳を張るのは学生でも出来るため、危険度の低い任務はこうして単独でこなしているのが近状である。
かといって、身内でもない――むしろ呪詛師である夏油傑の一派である彼女にそれをわざわざ説明する必要はない。
「今日は、たまたま。」
「なぁんだ、ぼっちじゃん。かわいそ〜」
適当にはぐらかせば、全くもって不名誉な言葉を投げかけられる。
【保険】として呪骸がリュックの中に潜んでいるので正しくはぼっちではないのだが、名無しも実年齢は二十歳。大人である。
子供相手にむきになっても仕方がないので、そっと息を吐いて他愛ない会話を続けた。
「そういうあなたこそ。もう一人の子はどうしたの?」
双子だから常に一緒、というわけでもないのは重々承知だ。
ただ、以前彼女達に会った時の所感としては 、いつも一緒、仲のいい双子の姉妹……という印象だった。
……しかし、何気なく投げ掛けた言葉は、意図せずして皮肉として打ち返してしまったようだ。
菜々子は気まずそうに視線を逸らし、自覚していなかったのか…はたまた失念していたのか『自分もおひとり様』ということに今更思い出した様子だった。
「美々子は、今はカンケーないでしょ。私は気晴らしにポップコーン買いに来ただけだし」
気晴らしにポップコーンを買いに行くことなんてるのか。
……いや、『ちょっとした休憩』でケーキバイキングに行く教師もいるのだ。ありえないことではない。
『何かあったのか』なんて聞くのは無粋だし、そこまで込み入った関係でもない。
むしろなるべく関わらない方がいい対象であることは分かっている。
「ね、ね。ヒマでしょ?原宿のギャレットポップコーン食べに行こ〜?」
「フレンドリー過ぎやしない?私、あなたのことは兎も角、夏油…さん、はちょっと。」
「えー、でも家族になるかもだから仲良くしてあげてね、って夏油様が。」
(あの野郎。)
悪意もなく敵意もなく。
ただ『知っている人だから』という純粋な気持ちで声をかけてきた菜々子を、無下に、そしてぞんざいに扱えないことを見越して夏油は言ったのだろう。
『人が悪い』を通り越して『性根が悪い』。
そうやって外堀を埋めていく下準備のつもりなのか。舐められたものだ。
「……家族にはならないし、ポップコーンも行かないよ」
「えー!」
夏油の過激な思想を…仮に僅かでも理解出来たとして。
それに賛同することは出来ないし、したいとも思わない。
呪術師・呪詛師・非呪術師。人間であれば誰しも醜い面を必ず持っているものだと解っているから。
夏油の掲げる理想はある意味性善説に近い。呪術師こそ至高の存在なのだ、と。
呪術師はそんな崇高な存在ではないし、非呪術師だって彼が思うほど愚かじゃない。
結局のところ、本人達の資質によるのだ。残念ながら。
それにこれは我ながら笑ってしまうのだが――
自分が『五条悟』を裏切るような真似が出来るとは、到底思えなかった。
「それにあまり勝手に出歩いちゃいけないし、」
最近の任務が特例なだけ。
階級が与えられたとはいえ、補助監督もなしに任務につくなんて異例中の異例だ。
なにせ上層部は『呪物だけで任務に行くなど』という見解だからだ。冷たくせせら笑っている顔が目に浮かぶ。
だからお目付け役に夜蛾学長の呪骸を携帯している。
つまり一人で外に出ること自体、上層部からあまりいい顔をされていないのが現実だった。
「だから、」
遊びに行けない。特に夏油さんと関わりがあるなら尚更。
なんて言葉を続けようとした時だった。
ふらりと倒れ込む、菜々子の身体。
膝から崩れ落ちるように倒れ込む身体を慌てて受け止めれば、踵が無様にたたらを踏んでしまう。
「ッ、う、わ!」
同じくらいの体格をした女の子とはいえ、抱き止めればこんなにも重たいものなのか。
だらりと力なく垂れた両腕。
するリと彼女が片手に持っていたスマホが滑り落ち、角からカタンと地面に転がり落ちた。
……息は、ある。
けれど先程まで溌剌と開いていた双眸は重く閉じられている。
まさか立ったまま寝るなんて特技……は、ないだろう。
熱中症にしては様子がおかしいし、そこまで今日は茹だるような暑さではない。
「どうした、」
の。
首筋に走る、僅かな痛み。
注射針で突いたようなか細い痛覚は、普段なら気の所為だと見過ごすことも出来ただろう。
反射的に首元を抑え、飛び立とうとしていた異物を握り潰す。
クシャリともグチャリとも、子気味良いとは到底言えぬ感触が手の中で砕けた。
「……蜂…?」
蠅頭よりも弱い呪力。アシナガバチよりも小さい身体。
生理的な嫌悪感が沸くよりも早く、視界がグラリと大きく揺れ、攫うように意識が白く沈んでいった。
大型連休が明けたとある平日のこと。
先日の五条の言葉を借りるならば『草臥れ損』の任務だった。
インチキ商売に手を染めている呪詛師の調査だったのだが、根城にしている雑居ビルの一室はもぬけの殻だった。
五条が言っていた通り大して争った形跡はなく、机の上にあったであろうボールペンとメモ帳が転がるように床へ落ちていたくらいだ。
この件を統括している『窓』へ引継ぎを行い、名無しは落胆の息を吐き出した。
任務が終わった頃合に、別の任務についている補助監督の新田が高専へ戻る際拾ってくれる予定だった。
が、肝心の呪詛師はおらず、現状報告と引継ぎを『窓』へ行えば、自ずと時間を持て余す結果になり――
「あ。ななし名無し!さん!」
立夏と六花#02
取って付けたような敬称に小さく首を傾げながら振り返れば、昨年見た時よりも背丈が伸びた少女の姿。
中学生になったのか、以前着ていた制服と違うデザインになっている。
白いブラウスに紺色のリボン。気崩しているもののアイロンが行き届いた布地はパリッとしており、清潔感のある夏服だ。
「……確か、夏油…さん、のところの。」
「菜々子でーす!ねー、何してるの?」
一瞬『さん』付けをするべきか躊躇ってしまうが、一応彼は歳上だ。
……いくら以前、ボコボコにされたとしても。
自分の感情はどうあれ『夏油傑』を敬愛する彼女の前で呼び捨てにするのは、ほんの少し憚られてしまった。
人懐こい笑顔で視線を合わせてくる菜々子は一年程前の背丈ではなく、名無しとほぼ同じ身長へ成長していた。
それが内心ちょっとだけ悔しくて、名無しは並ばないように歩調を僅かに早める。
「……えっと、任務帰り。」
「ふーん。あれ?でもホジョカントクって人いなくない?」
夏油に聞いたのだろう。高専に所属する学生の任務事情も多少なりとも把握しているらしい。
最近頻発している呪詛師の失踪で、五条をはじめとする呪術師は勿論、調査のため補助監督も出払っていた。
帳を張るのは学生でも出来るため、危険度の低い任務はこうして単独でこなしているのが近状である。
かといって、身内でもない――むしろ呪詛師である夏油傑の一派である彼女にそれをわざわざ説明する必要はない。
「今日は、たまたま。」
「なぁんだ、ぼっちじゃん。かわいそ〜」
適当にはぐらかせば、全くもって不名誉な言葉を投げかけられる。
【保険】として呪骸がリュックの中に潜んでいるので正しくはぼっちではないのだが、名無しも実年齢は二十歳。大人である。
子供相手にむきになっても仕方がないので、そっと息を吐いて他愛ない会話を続けた。
「そういうあなたこそ。もう一人の子はどうしたの?」
双子だから常に一緒、というわけでもないのは重々承知だ。
ただ、以前彼女達に会った時の所感としては 、いつも一緒、仲のいい双子の姉妹……という印象だった。
……しかし、何気なく投げ掛けた言葉は、意図せずして皮肉として打ち返してしまったようだ。
菜々子は気まずそうに視線を逸らし、自覚していなかったのか…はたまた失念していたのか『自分もおひとり様』ということに今更思い出した様子だった。
「美々子は、今はカンケーないでしょ。私は気晴らしにポップコーン買いに来ただけだし」
気晴らしにポップコーンを買いに行くことなんてるのか。
……いや、『ちょっとした休憩』でケーキバイキングに行く教師もいるのだ。ありえないことではない。
『何かあったのか』なんて聞くのは無粋だし、そこまで込み入った関係でもない。
むしろなるべく関わらない方がいい対象であることは分かっている。
「ね、ね。ヒマでしょ?原宿のギャレットポップコーン食べに行こ〜?」
「フレンドリー過ぎやしない?私、あなたのことは兎も角、夏油…さん、はちょっと。」
「えー、でも家族になるかもだから仲良くしてあげてね、って夏油様が。」
(あの野郎。)
悪意もなく敵意もなく。
ただ『知っている人だから』という純粋な気持ちで声をかけてきた菜々子を、無下に、そしてぞんざいに扱えないことを見越して夏油は言ったのだろう。
『人が悪い』を通り越して『性根が悪い』。
そうやって外堀を埋めていく下準備のつもりなのか。舐められたものだ。
「……家族にはならないし、ポップコーンも行かないよ」
「えー!」
夏油の過激な思想を…仮に僅かでも理解出来たとして。
それに賛同することは出来ないし、したいとも思わない。
呪術師・呪詛師・非呪術師。人間であれば誰しも醜い面を必ず持っているものだと解っているから。
夏油の掲げる理想はある意味性善説に近い。呪術師こそ至高の存在なのだ、と。
呪術師はそんな崇高な存在ではないし、非呪術師だって彼が思うほど愚かじゃない。
結局のところ、本人達の資質によるのだ。残念ながら。
それにこれは我ながら笑ってしまうのだが――
自分が『五条悟』を裏切るような真似が出来るとは、到底思えなかった。
「それにあまり勝手に出歩いちゃいけないし、」
最近の任務が特例なだけ。
階級が与えられたとはいえ、補助監督もなしに任務につくなんて異例中の異例だ。
なにせ上層部は『呪物だけで任務に行くなど』という見解だからだ。冷たくせせら笑っている顔が目に浮かぶ。
だからお目付け役に夜蛾学長の呪骸を携帯している。
つまり一人で外に出ること自体、上層部からあまりいい顔をされていないのが現実だった。
「だから、」
遊びに行けない。特に夏油さんと関わりがあるなら尚更。
なんて言葉を続けようとした時だった。
ふらりと倒れ込む、菜々子の身体。
膝から崩れ落ちるように倒れ込む身体を慌てて受け止めれば、踵が無様にたたらを踏んでしまう。
「ッ、う、わ!」
同じくらいの体格をした女の子とはいえ、抱き止めればこんなにも重たいものなのか。
だらりと力なく垂れた両腕。
するリと彼女が片手に持っていたスマホが滑り落ち、角からカタンと地面に転がり落ちた。
……息は、ある。
けれど先程まで溌剌と開いていた双眸は重く閉じられている。
まさか立ったまま寝るなんて特技……は、ないだろう。
熱中症にしては様子がおかしいし、そこまで今日は茹だるような暑さではない。
「どうした、」
の。
首筋に走る、僅かな痛み。
注射針で突いたようなか細い痛覚は、普段なら気の所為だと見過ごすことも出来ただろう。
反射的に首元を抑え、飛び立とうとしていた異物を握り潰す。
クシャリともグチャリとも、子気味良いとは到底言えぬ感触が手の中で砕けた。
「……蜂…?」
蠅頭よりも弱い呪力。アシナガバチよりも小さい身体。
生理的な嫌悪感が沸くよりも早く、視界がグラリと大きく揺れ、攫うように意識が白く沈んでいった。