雪白と帰り花
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恐山、登山口。
(絶対に情報を漏らさないように縛りもつけているなんて)
「用意周到だよ、ホント。」
補助監督に支給されている黒塗りのセダン車。
そこから少し離れた場所。
『補助監督』に扮していた呪詛師を縛り上げ、手短に尋問しようとした時だった。
火薬でも抱いていたのかと疑ってしまう程の爆発。
僕の立っていた場所を除き、辺り一面肉塊と血と灰燼に染まる。
無下限がなければ僕も五体満足でいられなかっただろうがこれが最強たる所以だ。
しかし口封じまで余念がないとは、黒幕を探すのも一筋縄ではいかないらしい。
「さて。」
辺りの呪力を探知しても夥しい残穢ばかり。
彼女に限って『死んだ』なんてことは有り得ないが、それでも万が一ということもある。
──腹の底から冷えていくような、恐怖。
僕自身、今まで何度か死にかけたり、暗殺の危険に何度も晒されたが一度も『怖い』なんて感じなかった。
それなのに。
呪力で探知出来ないなら足で探しに行くまでだ。
そう、血の海から一歩踏み出した時。
──吹雪く視界。
厚い雪雲に覆われた空は仄暗く、夜明けが近いというのに一筋の光も差し込まない。
白い雪だけが夜闇の中浮かび上がり、荒涼とした雪山の景色がそこにあった。
獣も、草木も、息を潜める。
吹雪の向こうでそれは確かに『いた』。
二対の腕。
人の姿を象った異形。
いや。どちらかというとその様相よりも、風前の灯のような呪力が『異質』だった。
濃いくせに、吹けば飛ぶようなそれ。
ドロドロとした呪力は質の悪い血肉のようなのに、霞む程に薄いのだから訳が分からない。
そんな、阿修羅のような影を纏った腕の中に、彼女はいた。
「名無し!」
名前を呼ぶと同時に吹き荒れるボタ雪。
殴りつけるような白と、肌を刺すような冷気が一瞬にして視界を攫う。
その間、僅か数秒だったはず。
ホワイトアウトした視界が開けた時には、もうその姿は見当たらなかった。
──吹き荒れる雪白の中、任務の目的である『両面宿儺の指』を握りしめたまま横たわる名無しだけを残して。
***
深い水底にいるような意識が、ふわりと浮かび上がる。
それは手の指先から、足の爪先から。
自分の体の感覚を少しずつ取り戻すように、目覚めは小波のように穏やかなものだった。
「あ、起きた。」
聞き覚えるある声の主へ視線を向けると、泣きボクロが印象的な女性と目が合う。
「硝子さん、」
「熱があるんだ、まだ寝てなさい」
ひやりとした指先が心地いい。
少しアルコールっぽい匂いがする指は、私の前髪をそっと除けるように額に触れた。
「少し前まで五条もいたんだけどね」
「……五条さんが?」
「任務に駆り出されに行ったよ。渋々とね。」
むしろあの人が嬉々とした表情で任務に行く姿を見たことがない。
やる気がないわけではないのだろうが、如何せん激務だ。モチベーションが下がるのは無理もないのだろう。
「名無しを迎えに行ったのも五条なんだけど、覚えてない?」
「……覚えてないです…」
「まぁそりゃそうか。丸一日眠っていたしね」
季節外れのダイビングをした後、湖から這って出た。
両面宿儺と一言二言話をしたことは覚えているが、その後のことはさっぱりだ。
(……五条さんの任務先、福岡じゃなかったっけ)
随分と遠くに出張するのだな、と思ったので、これは確かな情報だ。
任務先からわざわざ青森まで来てくれたのだろうか。
……呪詛師の存在に気づいたのだろうが、驚き以上に申し訳なくて胃が痛くなった。
「あの、硝子さん。」
「なに?」
「持って帰った呪物は、」
「安心しな。ちゃんと忌庫に預けられたよ。」
それを聞いて安堵の息を吐き出した。
任務達成もそうだが、何よりこれでもう悪用されることもないだろう。
「しかし驚いた。失血死してもおかしくない量の血がなくなっても大丈夫なのか」
「暫く動けませんけどね…」
死にはしない。
それは散々血を抜かれて知っている事だ。
手足の体温がなくなり意識も朦朧とする寒さの中、心臓だけが懸命に動く感覚だけが身体に残る。
それは、何度も経験したことだ。
「痛かっただろう。」
沈痛な表情で、目を細めた硝子さんが呟く。
「慣れてますから。」
なるべくあっけらかんと笑って答えるが、やはり曇った色が晴れることはなかった。
あぁ、そんな顔をさせたいわけじゃないのに。
「痛みに慣れるんじゃない。もう少し自分の身を守れるように立ち回……」
言いかけた言葉を呑み込み、「いや。」と軽く頭を振りかぶる。
「……現場に出ない私が言っても説得力はないけどね」
自虐にも近い、独白。
何を言うか。
沢山の呪術師の凄惨な現場や、数多の死を看取ってきた貴女に文句を言える人物なんているわけがない。
屠るより、祓うより、人の命を掬い上げることの方が何百倍も難しいというのに。
……言いたい言葉は山程ある。
けれど、今一番心配を掛けている原因は事実、私だ。
今その言葉をこの人に投げかけても薄っぺらい慰めにしかならないだろう。
なら、なるべく心配をかけないように心掛けるべきだ。
「そんなことはありません。怪我をしないのが一番。仰る通りだと思います。
なんというか…ご心配お掛けして申し訳ない……」
ぺこりと頭を下げれば、翳った表情を少しだけ和らげ硝子さんは笑った。
「心配しているのが五条だけだと思ったら大間違いだからな」
ぶっきらぼうで、一歩引いた──けれど、優しい言葉。
私はそれが何だか擽ったくて「はい。」と小さく頷いたのであった。
雪白と帰り花#08
夜の医務室。
念の為繋いでいる点滴の関係で、私は自室ではなく白いベッドの上で夜を迎えていた。
ガラス窓を叩く雨音が聞こえる。
夜の静寂に包まれた学校は少しだけ気味が悪いが、不規則な雨足のリズムで気が紛れた。
意識だけがふわりと浮いて、身体はピクリとも動かない。
思っている以上に疲れていて、目に見えないが身体は相当ボロが出ているのだろう。
外傷が殆ど治っていることだけが、唯一の救いかもしれない。
夜の学校はいつもより一層静まり返っている。
硝子さんも先程席を外した気配がしたので、この医務室には文字通り私一人だけだ。
自分の呼吸音と雨音、暖房と加湿器の霧が吹き出す音以外は何もなかったはずだった。
ガラリと開く、医務室の扉。
硝子さんが開けたにしては些か雑な音に違和感を感じるものの、疲労感でいっぱいの身体は指先ひとつ動かせなかった。
「寝てる?」
降ってきた、声。
それは心地よい程に聞き慣れた五条さんのもの。
返事をしたいのに動かない身体と、浮き沈みする曖昧な意識。ノンレム睡眠とレム睡眠の狭間はこんな感じなのだろう。
寝たふりという訳ではないが、指先ひとつ動かせない身体では声を発することもままならなかった。
額に触れる指先。
外から帰ってきたばかりなのか、外気で冷やされた指は人肌とは思えない程に冷えきっていた。
今は、その冷たい手が酷く心地いい。
「……よく頑張ったね。」
労りの言葉と、瞼に触れる柔らかい何か。
指先にしては温かく、男の人の手にしてはふわふわした感触だった。
近くなった五条さんの匂い。
一瞬だけ、お互いの息が絡むような距離になったのは──気のせいではないはず。
(いま、)
問いただす術も、確かめる気力も、今はない。
離れていく足音に耳を澄ませながら、熱に浮かされた意識を再び手放すのであった。
(絶対に情報を漏らさないように縛りもつけているなんて)
「用意周到だよ、ホント。」
補助監督に支給されている黒塗りのセダン車。
そこから少し離れた場所。
『補助監督』に扮していた呪詛師を縛り上げ、手短に尋問しようとした時だった。
火薬でも抱いていたのかと疑ってしまう程の爆発。
僕の立っていた場所を除き、辺り一面肉塊と血と灰燼に染まる。
無下限がなければ僕も五体満足でいられなかっただろうがこれが最強たる所以だ。
しかし口封じまで余念がないとは、黒幕を探すのも一筋縄ではいかないらしい。
「さて。」
辺りの呪力を探知しても夥しい残穢ばかり。
彼女に限って『死んだ』なんてことは有り得ないが、それでも万が一ということもある。
──腹の底から冷えていくような、恐怖。
僕自身、今まで何度か死にかけたり、暗殺の危険に何度も晒されたが一度も『怖い』なんて感じなかった。
それなのに。
呪力で探知出来ないなら足で探しに行くまでだ。
そう、血の海から一歩踏み出した時。
──吹雪く視界。
厚い雪雲に覆われた空は仄暗く、夜明けが近いというのに一筋の光も差し込まない。
白い雪だけが夜闇の中浮かび上がり、荒涼とした雪山の景色がそこにあった。
獣も、草木も、息を潜める。
吹雪の向こうでそれは確かに『いた』。
二対の腕。
人の姿を象った異形。
いや。どちらかというとその様相よりも、風前の灯のような呪力が『異質』だった。
濃いくせに、吹けば飛ぶようなそれ。
ドロドロとした呪力は質の悪い血肉のようなのに、霞む程に薄いのだから訳が分からない。
そんな、阿修羅のような影を纏った腕の中に、彼女はいた。
「名無し!」
名前を呼ぶと同時に吹き荒れるボタ雪。
殴りつけるような白と、肌を刺すような冷気が一瞬にして視界を攫う。
その間、僅か数秒だったはず。
ホワイトアウトした視界が開けた時には、もうその姿は見当たらなかった。
──吹き荒れる雪白の中、任務の目的である『両面宿儺の指』を握りしめたまま横たわる名無しだけを残して。
***
深い水底にいるような意識が、ふわりと浮かび上がる。
それは手の指先から、足の爪先から。
自分の体の感覚を少しずつ取り戻すように、目覚めは小波のように穏やかなものだった。
「あ、起きた。」
聞き覚えるある声の主へ視線を向けると、泣きボクロが印象的な女性と目が合う。
「硝子さん、」
「熱があるんだ、まだ寝てなさい」
ひやりとした指先が心地いい。
少しアルコールっぽい匂いがする指は、私の前髪をそっと除けるように額に触れた。
「少し前まで五条もいたんだけどね」
「……五条さんが?」
「任務に駆り出されに行ったよ。渋々とね。」
むしろあの人が嬉々とした表情で任務に行く姿を見たことがない。
やる気がないわけではないのだろうが、如何せん激務だ。モチベーションが下がるのは無理もないのだろう。
「名無しを迎えに行ったのも五条なんだけど、覚えてない?」
「……覚えてないです…」
「まぁそりゃそうか。丸一日眠っていたしね」
季節外れのダイビングをした後、湖から這って出た。
両面宿儺と一言二言話をしたことは覚えているが、その後のことはさっぱりだ。
(……五条さんの任務先、福岡じゃなかったっけ)
随分と遠くに出張するのだな、と思ったので、これは確かな情報だ。
任務先からわざわざ青森まで来てくれたのだろうか。
……呪詛師の存在に気づいたのだろうが、驚き以上に申し訳なくて胃が痛くなった。
「あの、硝子さん。」
「なに?」
「持って帰った呪物は、」
「安心しな。ちゃんと忌庫に預けられたよ。」
それを聞いて安堵の息を吐き出した。
任務達成もそうだが、何よりこれでもう悪用されることもないだろう。
「しかし驚いた。失血死してもおかしくない量の血がなくなっても大丈夫なのか」
「暫く動けませんけどね…」
死にはしない。
それは散々血を抜かれて知っている事だ。
手足の体温がなくなり意識も朦朧とする寒さの中、心臓だけが懸命に動く感覚だけが身体に残る。
それは、何度も経験したことだ。
「痛かっただろう。」
沈痛な表情で、目を細めた硝子さんが呟く。
「慣れてますから。」
なるべくあっけらかんと笑って答えるが、やはり曇った色が晴れることはなかった。
あぁ、そんな顔をさせたいわけじゃないのに。
「痛みに慣れるんじゃない。もう少し自分の身を守れるように立ち回……」
言いかけた言葉を呑み込み、「いや。」と軽く頭を振りかぶる。
「……現場に出ない私が言っても説得力はないけどね」
自虐にも近い、独白。
何を言うか。
沢山の呪術師の凄惨な現場や、数多の死を看取ってきた貴女に文句を言える人物なんているわけがない。
屠るより、祓うより、人の命を掬い上げることの方が何百倍も難しいというのに。
……言いたい言葉は山程ある。
けれど、今一番心配を掛けている原因は事実、私だ。
今その言葉をこの人に投げかけても薄っぺらい慰めにしかならないだろう。
なら、なるべく心配をかけないように心掛けるべきだ。
「そんなことはありません。怪我をしないのが一番。仰る通りだと思います。
なんというか…ご心配お掛けして申し訳ない……」
ぺこりと頭を下げれば、翳った表情を少しだけ和らげ硝子さんは笑った。
「心配しているのが五条だけだと思ったら大間違いだからな」
ぶっきらぼうで、一歩引いた──けれど、優しい言葉。
私はそれが何だか擽ったくて「はい。」と小さく頷いたのであった。
雪白と帰り花#08
夜の医務室。
念の為繋いでいる点滴の関係で、私は自室ではなく白いベッドの上で夜を迎えていた。
ガラス窓を叩く雨音が聞こえる。
夜の静寂に包まれた学校は少しだけ気味が悪いが、不規則な雨足のリズムで気が紛れた。
意識だけがふわりと浮いて、身体はピクリとも動かない。
思っている以上に疲れていて、目に見えないが身体は相当ボロが出ているのだろう。
外傷が殆ど治っていることだけが、唯一の救いかもしれない。
夜の学校はいつもより一層静まり返っている。
硝子さんも先程席を外した気配がしたので、この医務室には文字通り私一人だけだ。
自分の呼吸音と雨音、暖房と加湿器の霧が吹き出す音以外は何もなかったはずだった。
ガラリと開く、医務室の扉。
硝子さんが開けたにしては些か雑な音に違和感を感じるものの、疲労感でいっぱいの身体は指先ひとつ動かせなかった。
「寝てる?」
降ってきた、声。
それは心地よい程に聞き慣れた五条さんのもの。
返事をしたいのに動かない身体と、浮き沈みする曖昧な意識。ノンレム睡眠とレム睡眠の狭間はこんな感じなのだろう。
寝たふりという訳ではないが、指先ひとつ動かせない身体では声を発することもままならなかった。
額に触れる指先。
外から帰ってきたばかりなのか、外気で冷やされた指は人肌とは思えない程に冷えきっていた。
今は、その冷たい手が酷く心地いい。
「……よく頑張ったね。」
労りの言葉と、瞼に触れる柔らかい何か。
指先にしては温かく、男の人の手にしてはふわふわした感触だった。
近くなった五条さんの匂い。
一瞬だけ、お互いの息が絡むような距離になったのは──気のせいではないはず。
(いま、)
問いただす術も、確かめる気力も、今はない。
離れていく足音に耳を澄ませながら、熱に浮かされた意識を再び手放すのであった。
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