雪白と帰り花
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ごぽり、ごぽり。
肺から立ち上る空気が、浮かんで消える。
これは、そう。
泡沫の夢のようだ。
一時の受肉も、再び相見えたことも。
雪白と帰り花#07
「ゲホッ、ケホッ…っふ、は……」
爆発音が聞こえてから数十秒。
煙と灰の臭いが立ち込めた湖畔。
呪詛師の男の姿はなく、文字通り木っ端微塵になったのだろう。
口封じとしては効果的かもしれないが──さて。この小娘はそれで納得するのかどうかが問題だ。
……それにしても。
(核の呪物は、あれしきで消滅するわけがないというのに)
無意識か、それとも根からのお人好しか。
自分だけ水の中へ飛び込んでしまえばよかったのに、敵か味方か曖昧な俺の手も引いて助けるとは。
「ほとほと呆れる。相変わらず阿呆だな、お前は」
本質は、あの時から何も変わらなかった。
異形の二対の腕や双眸を見ても怯える様子すらない。
受肉した呪物に対して食糧を与える愚かしさも。
腹を括り、覚悟を呑み込んだあの横顔も、何ら昔と変わらなかった。
「生還早々に罵倒とは……酷いですね……」
深く咳き込みながら薄らと開かれる瞼。
常人ならあれだけ失血しまえば死ぬ筈なのだが、やはりこの小娘はどうあっても死ねぬらしい。
ほんの僅かに安堵する己に嫌気が差してしまう。
それは終ぞ果たされることがなかった約束を叶えてやる機会があることに対してか、それとも──
「さむ……」
「八百比丘尼でも凍死はするのか」
「それは、試されたことないですけど……まぁ、死ねないでしょうね…」
湖の冷水をたんまり含んだ衣は用を為していない。
ゼェゼェと虫の息だというのに『死ねない』と答えるあたり、俺が知らぬ間に散々な目にあったのだろう。想像にかたくない。
吐く息も温まらないのか、薄い唇から溢れる息は白くすらならない。
細い呼吸の合間をぬうように、ぽそりと言葉を紡がれた。
「ひとつ、お願いが」
「何だ。」
「手を握っててもらっても、いいですか」
予想していなかった申し出につい瞬きを忘れてしまうが、「目を覚まして呪物がない、なんてことあったら、大変なので」と小さく笑いながら名無しは答えた。
……お前はそういう女だったな。
取り付く島もない小娘に対してか、それとも自分の浅ましさに対してか分かないまま、俺は小さく舌打ちを零し、屍蝋化した指がある左手を重ねた。
二回り程小ぶりな手の平は、泥雪で薄汚れているものの傷一つなかった。
……あぁ、なんて忌々しい。
その手が何度血に染まり傷が刻まれようと、瞬く間に治ってしまうのだから。
だからこの小娘は勘違いする。貪欲になる。
『手を差し伸べれば助けられる』
『痛みに目を瞑ればどうということはない』
なんて昔は綺麗事を抜かしていたか。
もっとこの女は我儘になるべきだったのだ。
己を《殺して欲しい》と嘆願するよりも前に、纏うしがらみを全て焼き払ってしまえばよかったのだ。
今だってそうだ。
『両面宿儺の指』を持ち帰り、呪術師として下命を全うするなどと、
「呪術師なんてものに拘る必要があるか?お前が与えられる痛みは全て、その呪術師によるものだぞ」
術者の男が死んだ今もこうして現界を保っていられるのは、偏に八百比丘尼の血のお陰だろう。
なら、血を与えられ続ければ?
未だに枷のようについてくるこの小娘の因果も、根絶やしという形で祓えるのではないか。
「呪霊も、人間も、呪詛師も呪術師も、いっそ全て鏖殺してやろうか?」
気に入らぬものは殺してしまえばいい。
俺は、そうして来た。こうして来たから『呪いの王』と呼ばれるまでに至った。
その細い首を縦に振り小さく頷きさえすれば、今すぐにでも殺しに行ってやるというのに。
地面で仰向けになったままの小娘は小さく笑いながら首を横に振る。
「それは、無理でしょう」
「なんだと?」
「だって私は、呪術師ですから」
『だって私は、呪術師ですから』
──あぁ、嗚呼。
千年前と同じくお前は笑うのか。
人でありたいと祈るように、忌まわしい呪術師として生きる選択をするのか。
(まるで泥中の蓮だな)
泥のようなしがらみを振り払うように、高く、高く、手を伸ばす。
……そんなところが、気に入っていた。
それを手折ってやりたいとずっと願っていた。
「泣いて懇願する姿も見れぬのか。つまらんな」
時代が変わろうと、俺を忘れようと、別人だったとしても。
どこまで行っても『名無し』という女は、こういう人間だったことを色鮮やかに思い出した。
「……宿儺殿は、意外とおやさしいですね」
消え入りそうな声。
小さく笑い、話し疲れたのか薄い瞼をそっと閉じる。
「……そんな酔狂な事を言うのはお前くらいなものだろうよ」
重ねた手を砕かぬようそっと握り返す。
そう遠くない日、再び相見えることを願うように。
肺から立ち上る空気が、浮かんで消える。
これは、そう。
泡沫の夢のようだ。
一時の受肉も、再び相見えたことも。
雪白と帰り花#07
「ゲホッ、ケホッ…っふ、は……」
爆発音が聞こえてから数十秒。
煙と灰の臭いが立ち込めた湖畔。
呪詛師の男の姿はなく、文字通り木っ端微塵になったのだろう。
口封じとしては効果的かもしれないが──さて。この小娘はそれで納得するのかどうかが問題だ。
……それにしても。
(核の呪物は、あれしきで消滅するわけがないというのに)
無意識か、それとも根からのお人好しか。
自分だけ水の中へ飛び込んでしまえばよかったのに、敵か味方か曖昧な俺の手も引いて助けるとは。
「ほとほと呆れる。相変わらず阿呆だな、お前は」
本質は、あの時から何も変わらなかった。
異形の二対の腕や双眸を見ても怯える様子すらない。
受肉した呪物に対して食糧を与える愚かしさも。
腹を括り、覚悟を呑み込んだあの横顔も、何ら昔と変わらなかった。
「生還早々に罵倒とは……酷いですね……」
深く咳き込みながら薄らと開かれる瞼。
常人ならあれだけ失血しまえば死ぬ筈なのだが、やはりこの小娘はどうあっても死ねぬらしい。
ほんの僅かに安堵する己に嫌気が差してしまう。
それは終ぞ果たされることがなかった約束を叶えてやる機会があることに対してか、それとも──
「さむ……」
「八百比丘尼でも凍死はするのか」
「それは、試されたことないですけど……まぁ、死ねないでしょうね…」
湖の冷水をたんまり含んだ衣は用を為していない。
ゼェゼェと虫の息だというのに『死ねない』と答えるあたり、俺が知らぬ間に散々な目にあったのだろう。想像にかたくない。
吐く息も温まらないのか、薄い唇から溢れる息は白くすらならない。
細い呼吸の合間をぬうように、ぽそりと言葉を紡がれた。
「ひとつ、お願いが」
「何だ。」
「手を握っててもらっても、いいですか」
予想していなかった申し出につい瞬きを忘れてしまうが、「目を覚まして呪物がない、なんてことあったら、大変なので」と小さく笑いながら名無しは答えた。
……お前はそういう女だったな。
取り付く島もない小娘に対してか、それとも自分の浅ましさに対してか分かないまま、俺は小さく舌打ちを零し、屍蝋化した指がある左手を重ねた。
二回り程小ぶりな手の平は、泥雪で薄汚れているものの傷一つなかった。
……あぁ、なんて忌々しい。
その手が何度血に染まり傷が刻まれようと、瞬く間に治ってしまうのだから。
だからこの小娘は勘違いする。貪欲になる。
『手を差し伸べれば助けられる』
『痛みに目を瞑ればどうということはない』
なんて昔は綺麗事を抜かしていたか。
もっとこの女は我儘になるべきだったのだ。
己を《殺して欲しい》と嘆願するよりも前に、纏うしがらみを全て焼き払ってしまえばよかったのだ。
今だってそうだ。
『両面宿儺の指』を持ち帰り、呪術師として下命を全うするなどと、
「呪術師なんてものに拘る必要があるか?お前が与えられる痛みは全て、その呪術師によるものだぞ」
術者の男が死んだ今もこうして現界を保っていられるのは、偏に八百比丘尼の血のお陰だろう。
なら、血を与えられ続ければ?
未だに枷のようについてくるこの小娘の因果も、根絶やしという形で祓えるのではないか。
「呪霊も、人間も、呪詛師も呪術師も、いっそ全て鏖殺してやろうか?」
気に入らぬものは殺してしまえばいい。
俺は、そうして来た。こうして来たから『呪いの王』と呼ばれるまでに至った。
その細い首を縦に振り小さく頷きさえすれば、今すぐにでも殺しに行ってやるというのに。
地面で仰向けになったままの小娘は小さく笑いながら首を横に振る。
「それは、無理でしょう」
「なんだと?」
「だって私は、呪術師ですから」
『だって私は、呪術師ですから』
──あぁ、嗚呼。
千年前と同じくお前は笑うのか。
人でありたいと祈るように、忌まわしい呪術師として生きる選択をするのか。
(まるで泥中の蓮だな)
泥のようなしがらみを振り払うように、高く、高く、手を伸ばす。
……そんなところが、気に入っていた。
それを手折ってやりたいとずっと願っていた。
「泣いて懇願する姿も見れぬのか。つまらんな」
時代が変わろうと、俺を忘れようと、別人だったとしても。
どこまで行っても『名無し』という女は、こういう人間だったことを色鮮やかに思い出した。
「……宿儺殿は、意外とおやさしいですね」
消え入りそうな声。
小さく笑い、話し疲れたのか薄い瞼をそっと閉じる。
「……そんな酔狂な事を言うのはお前くらいなものだろうよ」
重ねた手を砕かぬようそっと握り返す。
そう遠くない日、再び相見えることを願うように。