雪白と帰り花

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結界の、端。
帳以上に完成度の高い結界に、ついつい溜息が零れてしまう。

この強度では呪力を纏った攻撃でも壊すことは不可能だろう。
ペタリと触ってみても見えない壁があるばかりで、あの呪詛師がかなりの手練であることが嫌でも分かった。


そして、今に至る。


殺し合いが再開するわけでもなく、ただ物静かに両面宿儺は木に凭れる。
消え失せてしまった殺気に警戒しながら、名無しは持っていた荷物の中から非常食用に準備していたカロリーメイトをもそりと頬張った。

腹が減っては戦ができぬ、なんて、昔の人はいい格言を残したものだ。
実際、失血が酷くてさっきから頭がクラクラするのも事実。
危険人物がすぐ側にいるのに体力回復を図ろうなんて笑ってしまうが、邪魔立てされないのなら休むに限る。
何せ、この男は何を考えているのか──正直、さっぱりだからだ。


「相変わらずろくな目に遭っていないのか、お前は」


沈黙を破ったのは彼の呟き。
カロリーメイトを一本食べ終わり、口の端についた欠片を親指で拭っていたところだった。

「相変わらず、って言われますけど…すみません。本当に初対面だと思うんですけど」
「……貴様、八百比丘尼だろう。」
「はい。」
「名は。」
「……ななし名無しです。」
「蘆屋ではないのか」

淡々と問うてくる両面宿儺。
名前を教えて呪われる──なんてことはなさそうだ。
少しだけ躊躇った後に名前を告げれば、ほんの少しだけ落胆した色を浮かべるではないか。

「えっと、恐らくそれは先代の八百比丘尼では…」
「名前は同じだがな」
「たまたまじゃないですかね…」

だとしたらとんだ因果だ。

確かに高専の書庫では、蘆屋道満の娘が八百比丘尼に転じた──と伝記に近い資料があったが。
まさか千年前の八百比丘尼と同じ名前だったなんて、偶然にしては出来すぎている。

「……そういう事にしておくか」と納得していない様子で視線を外す両面宿儺。
きっと先代の八百比丘尼は彼の知り合いだったのだろう。
……いや。ただの知り合いを、普通殺しにかかって来るだろうか?

(一体何をしたの、昔の八百比丘尼。)

とんだとばっちりである。
私は全く身に覚えがないのに、嬉々とした様子で殺されかかったのだから。

(というか、どうしてこの人は私を連れて逃げたんだろう)

呪詛師は『八百比丘尼を捕縛するのが目的』だと言った。
思い違いでなければ、両面宿儺はそれに対して……恐らく、怒った。
だとすれば先程の『ろくな目に遭っていないのか』という問いにも合点がつく。


両面宿儺は、八百比丘尼を利用されるのを良しとしない。
……だとしても、出会い頭に殺そうとしてきたのは納得がいかないが。


(訳が分からない。)


問うてもきっと答えるつもりはないのだろう。
というより、薮蛇でもう一度殺されかけるのも御免だ。別に痛いのが好きというわけではないのだから。


結論としては『考えても無駄』だということ。
今はとにかく、呪詛師を殺さなければこの結界は破ることが出来ない、ということ。
呪詛師の術式が解除されなければ『両面宿儺の指』という特級呪物を持って帰ることが出来ない、ということ。
この3つだ。


ふぅ、と小さく溜息をついて、未開封だったカロリーメイトの袋を、木に凭れ掛かっていた両面宿儺に差し出す。
一人で黙々と食べるのも少し味気ないし、受肉したのなら腹も減るだろう。
それに、曲りなりとも助けて貰えた。これはほんの礼だ。

「……食べられますか?」
「呪物に食事を勧める阿呆はお前くらいだろうよ」
「生前は人であったと聞いていたので。それに私だって呪物ですけどお腹減りますし」

呪いの王だと謳われているが、それでも彼は『人間の呪術師』だった、と資料の記録で憶えている。
呪物だから腹が減らない、なんてことはないだろう。人の形をしているなら、尚更。


食料を差し出されたからか。
複眼の双眸も見開き、こちらを見つめてくる両面宿儺。
が。茜色の瞳が大きく開いたのは一瞬で、その後は呆れたように細められる。

盛大に溜息をつきながら、なんと彼はこう言い放った。


「お前は人間だろう。」


──意外、だった。

こんな風に言ってくれる人は、五条さんをはじめとするほんのひと握りだと思っていた。

それが、初対面の彼に。しかも先程容赦なく殺そうとしてきた男に。
諭すように、言われるなんて。

「──そう、だといいですね。」



雪白と帰り花#04



「寄越せ」

食料を促せば、思い出したように手渡してくる。
生きていた頃にはなかった形状の、見た目は到底食事とは言い難い何か。

それを美味そうに……というわけではなさそうだが、腹を膨らます為だろう。名無しは黙々と頬張っていた。


──今度は、約束を違えるつもりはない。
受肉出来る可能性があるのなら、尚更。

でも、そうさな。
記憶がないとしても、はたまた別人だったとしても。
こうして再び相見えるのは──


「悪くない。」




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