榛と白露
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マタタビに酔っ払う猫のように、低級呪霊は地面に広がる『赤』に群がる。
もはや逃げ惑う村人を襲う呪霊はおらず、動きを止めた呪霊を文字通り『撫切り』にする少女。
未完成ながらも太刀筋は鮮やか。
反転術式と同じく『正』の呪力を纏った刃は、呪骸にとっては天敵そのものだろう。
しかしそれで呪骸が倒れるなら、私がとっくに祓えている。
砕けた骨を掻き集め、吸い寄せるように鎧を纏い直し、歪ながらも再生を繰り返す呪骸は厄介そのものだ。
「ななしさん、その呪骸には核がありません!」
「なるほど。じゃあ、こっちが『本命』ですか、ね!」
刀を地面に突き立てる。
それは天変地異のような、はたまた墓を暴くように。
大地が割れ、上水道が砕け、さらにその下から競り上がったものは。
粘土質の土と細い根が絡みついた立派だったであろう墓石が地中から現れる。
土が目詰まりしてしまった石碑の名前は、辛うじて読めた。
『平』と
「七海さん!」
地面から刀を抜くななしさんが、声を張り上げる。
言葉はいらない。ここまでお膳立てしてくれたのなら、十分だ。
『さささ、さわ触、るな、ア、アァァ!』
断末魔に近い呪骸の声。
私へ振り下ろされようとしていた腕は、寸手のところで白く凍る。
ギチリと氷が軋む音。肌を刺すような冷気。
呪骸の身体を貫くのは先程の血刃ではなく、清廉とした氷の刃だった。
鉈を、振るう。
呪いの根源となっていた墓石を七対三で斬り祓えば、澱んだ『呪い』が爆ぜて消えた。
榛と白露#07
「いいから見せなさい。」
「いや、本当に大丈夫なんです。なんともありませんから」
事後処理を伊地知さんにお願いし、私は民宿へ連行されていた。
ザックリ裂けた制服を隠すために七海さんがジャケットの上着を貸してくれた、の、だが。
『汚れますから』と固辞すれば物凄い顔で睨まれた。怖い。
そして今、本当に怪我が治っているのかと問い詰められていた。
かと言って全裸になって証明する訳にもいかない。痴女認定待ったナシだろう。
「言ったでしょう?すごくタフなんですよ、私。」
そう答えれば『そんな一言で済まないでしょう』と苦虫を噛み潰したような表情をさせてしまった。
……ご尤もです。
「…二度も体験したくないものですね。本当に、心臓に悪い」
「すみません。」
重い、重い溜息。
――二度『も』という点は触れない方がいいだろう。
七海さん自身も無意識の内に口走ってしまったのかもしれない。
『だって、【もう】あの人一人で良くないですか』
以前も口にしていた諦観の言葉。
他愛ない言葉の節々に諦めと未練が入り混じった感情が見え隠れして――正直、かける言葉を見失ったくらいだ。
七海さんが歩んできた道程の途中に、誰かの影がぼんやり浮かぶ。
しかしそこに触れる権利を私は持ち合わせていない。
他人の心のやわらかい部分に触れる勇気など、持ち合わせていないのだから。
「……聞いてもいいですか?」
居心地の悪い沈黙を破ったのは、七海さんだった。
「えっと、大丈夫だと思います。多分」
「この体質のことですよね?」と念の為問えば、黙って頷かれた。
まぁ、そうだろう。
呪われているという上辺の見える事実も相まって、呪術師ならそれを見過ごすことは出来ないだろうから。
それを見越した上で『七海は信用出来るから大丈夫』なんて、五条さんは電話越しに笑っていたのだろう。
さて。どこから話をしたらいいものか。
私は七海さんから借りたジャケットの襟を正しながら、のっそりと口を開くのであった。
***
「――やはり呪術師はクソですね」
「まぁ、そうですね。私もそう思います。」
ななしさんの掻い摘んだ説明を聞くだけでも胸焼けがする。
まるで架空の物語を語っているかのように、彼女の態度は実にあっさりとしたものだった。
いや。彼女の妄言ならどれだけ良かっただろう。
そう思ってしまう程に聞くに絶えないバックボーン。
しかし皮肉にも彼女に対して感じていた違和感が、パズルのピースが噛み合ったように腑に落ちたのも事実だ。
「一応確認ですけど、あの輸血パックは」
「多分私のだと思います。」
だとすればあれを見つけた瞬間、彼女は今回の件を悟ったのだろう。
よくもまぁ動揺を隠して平然と任務に就けたものだ。
腹立たしいくらい隠し事が上手くて、言葉に出来ないもどかしさが喉に詰まった。
「すみませんでした。」
「えっ、何がですか?」
「『気味が悪い』と言ったでしょう?」
「え。あ、あぁ。そんなこと気にしていなかったのに。」
本当に気に留めていなかったのかあっけらかんと笑うななしさん。
普通は気にするところだろうに。
それを『そんなこと』と一蹴してしまう程に、痛みに対して鈍くならざるを得なかった事実は、なんて残酷なのだろう。
「しかし、」
「いや。あんな散らばってたら普通にホラーですよ。七海さんが謝ることなんてこれっぽっちもありません」
それは一般的な感覚だとそうだろう。
手口を目の当たりにした彼女と、遅れてその真相を知った私。
軽々しく許しを乞う訳ではないのだが、どうしても謝らなければならないと、私はそう思った。
「……じゃあ君も同じですね。」
「何がです?」
「今回の件、君には何の非もありません。」
幼さが残る双眸を見開く彼女。
ななしさんが息を呑む音が、静まり返った部屋に響いた気がした。
「君の、せいじゃない。」
言い聞かせるように、私はもう一度言葉にする。
『私のせいだなんて、分かってるよ。』
独白のように呟かれた、彼女の言葉。
怨嗟と自責に満ちた静かな声。
心の中で呟いたであろう言葉は、腹の内から溢れ出して唇から零れたのだろう。
「あ……」
「いいですか。そもそも君がそんな理不尽な目に遭っているのは不運としか言いようがありません。強いて言うなら、呪術師なんてやっていればもっと不条理に晒される」
一呼吸置いて、私は問うた。
「ななしさん。呪術師、嫌いでしょう」
「……好きじゃ、ないとは思います。」
「それなのに『強くなれ』と言われたからといって、痛い目にあってまで頑張るのは違うんじゃないですか?」
そんな他人に押し付けられた願いなんて放っておけばいいものを。
『私だって、呪術師が五条先生だけだったら良かったのに、って思ったことありますから』
彼女の中で『五条悟』は最も信頼出来る人間なのだろう。
見縊らず、傷付けず、腫れ物のように扱ったりもしない。
勿論『物』のように扱うこともなく、その身体になってから初めて『人間としてきちんと扱ってくれた』のが大きな理由だろう。
性格や人格は破綻しているが、確かに五条さん自身は比較的『善人』だ。
そして呪術師のくせにある程度モラルも持ち合わせている上、理由もなく彼女を呪物に変えた呪詛師のような行いもすることはない。
実際、呪術師が五条さん一人だけだったとしたら、彼女のような悲劇は起こることはなかっただろう。
だからといって彼の願いを叶える必要は何処にもないし、そんな義務もない。
痛みに対して鈍くなりすぎた彼女の目標は、私からしたら『狂気の沙汰』としか言いようがないものなのだから。
「えぇっと、その。その目標はあくまで中継地点の目標といいますか、ついでというか、その」
口篭りながら視線を泳がせるななしさん。
「ほら。こんな身の上ですし。自分で自分の身を守れるようになりたいんです。だから五条先生に言われたから……というのは多少は理由に含まれるんですけど、なんというかそれが『最終目標』ではなくて、」
途切れる、言葉。
私はそれを催促することなく、彼女の言葉が整うのをじっと待つ。
「笑いませんか?」
「えぇ。」
二つ返事で、即答した。
「――自由に生きるために、誰にも生活を脅かされないように、したいんです。」
なんて。
なんて平凡で、穏やかで、慎ましい願いだろうか。
「……あ、ちょっと。今笑いませんでした!?」
「笑ってませんよ。」
「嘘ですよ、口元見せてください。ほら。」
それはあまりにも普通の女の子のようで。
――失礼。
そうだ。本当はこの子は、何処にでもいるような女の子だったはずなのだ。
「馬鹿にしてるわけじゃないですよ。」
「本当ですか…?」
「えぇ。」
サングラスを外し、ポケットにしまっていたクロスを取り出して丁寧に拭く。
羨ましい。
私も、そんな風に将来過ごしたいものだ。
「…いいですね。その目標。私も適度にお金を稼いだら、とっとと呪術師なんて足を洗って外国で暮らしたいです」
「外国で暮らしてどうするんですか?」
「時間がなくて読めずに積み上げている本をのんびり読みながら、日がな一日を過ごします」
「完全に老後の過ごし方ですね…」
いいじゃないか。
外国は呪術師はおろか、呪霊の発現も稀らしい。
優雅に過ごす夢を見たって、バチは当たらないだろう。
「でも、いいなぁ。そう、出来たらいいのに。」
俯いてそっと笑ったななしさんの言葉に、返す台詞は――思いつかなかった。
もはや逃げ惑う村人を襲う呪霊はおらず、動きを止めた呪霊を文字通り『撫切り』にする少女。
未完成ながらも太刀筋は鮮やか。
反転術式と同じく『正』の呪力を纏った刃は、呪骸にとっては天敵そのものだろう。
しかしそれで呪骸が倒れるなら、私がとっくに祓えている。
砕けた骨を掻き集め、吸い寄せるように鎧を纏い直し、歪ながらも再生を繰り返す呪骸は厄介そのものだ。
「ななしさん、その呪骸には核がありません!」
「なるほど。じゃあ、こっちが『本命』ですか、ね!」
刀を地面に突き立てる。
それは天変地異のような、はたまた墓を暴くように。
大地が割れ、上水道が砕け、さらにその下から競り上がったものは。
粘土質の土と細い根が絡みついた立派だったであろう墓石が地中から現れる。
土が目詰まりしてしまった石碑の名前は、辛うじて読めた。
『平』と
「七海さん!」
地面から刀を抜くななしさんが、声を張り上げる。
言葉はいらない。ここまでお膳立てしてくれたのなら、十分だ。
『さささ、さわ触、るな、ア、アァァ!』
断末魔に近い呪骸の声。
私へ振り下ろされようとしていた腕は、寸手のところで白く凍る。
ギチリと氷が軋む音。肌を刺すような冷気。
呪骸の身体を貫くのは先程の血刃ではなく、清廉とした氷の刃だった。
鉈を、振るう。
呪いの根源となっていた墓石を七対三で斬り祓えば、澱んだ『呪い』が爆ぜて消えた。
榛と白露#07
「いいから見せなさい。」
「いや、本当に大丈夫なんです。なんともありませんから」
事後処理を伊地知さんにお願いし、私は民宿へ連行されていた。
ザックリ裂けた制服を隠すために七海さんがジャケットの上着を貸してくれた、の、だが。
『汚れますから』と固辞すれば物凄い顔で睨まれた。怖い。
そして今、本当に怪我が治っているのかと問い詰められていた。
かと言って全裸になって証明する訳にもいかない。痴女認定待ったナシだろう。
「言ったでしょう?すごくタフなんですよ、私。」
そう答えれば『そんな一言で済まないでしょう』と苦虫を噛み潰したような表情をさせてしまった。
……ご尤もです。
「…二度も体験したくないものですね。本当に、心臓に悪い」
「すみません。」
重い、重い溜息。
――二度『も』という点は触れない方がいいだろう。
七海さん自身も無意識の内に口走ってしまったのかもしれない。
『だって、【もう】あの人一人で良くないですか』
以前も口にしていた諦観の言葉。
他愛ない言葉の節々に諦めと未練が入り混じった感情が見え隠れして――正直、かける言葉を見失ったくらいだ。
七海さんが歩んできた道程の途中に、誰かの影がぼんやり浮かぶ。
しかしそこに触れる権利を私は持ち合わせていない。
他人の心のやわらかい部分に触れる勇気など、持ち合わせていないのだから。
「……聞いてもいいですか?」
居心地の悪い沈黙を破ったのは、七海さんだった。
「えっと、大丈夫だと思います。多分」
「この体質のことですよね?」と念の為問えば、黙って頷かれた。
まぁ、そうだろう。
呪われているという上辺の見える事実も相まって、呪術師ならそれを見過ごすことは出来ないだろうから。
それを見越した上で『七海は信用出来るから大丈夫』なんて、五条さんは電話越しに笑っていたのだろう。
さて。どこから話をしたらいいものか。
私は七海さんから借りたジャケットの襟を正しながら、のっそりと口を開くのであった。
***
「――やはり呪術師はクソですね」
「まぁ、そうですね。私もそう思います。」
ななしさんの掻い摘んだ説明を聞くだけでも胸焼けがする。
まるで架空の物語を語っているかのように、彼女の態度は実にあっさりとしたものだった。
いや。彼女の妄言ならどれだけ良かっただろう。
そう思ってしまう程に聞くに絶えないバックボーン。
しかし皮肉にも彼女に対して感じていた違和感が、パズルのピースが噛み合ったように腑に落ちたのも事実だ。
「一応確認ですけど、あの輸血パックは」
「多分私のだと思います。」
だとすればあれを見つけた瞬間、彼女は今回の件を悟ったのだろう。
よくもまぁ動揺を隠して平然と任務に就けたものだ。
腹立たしいくらい隠し事が上手くて、言葉に出来ないもどかしさが喉に詰まった。
「すみませんでした。」
「えっ、何がですか?」
「『気味が悪い』と言ったでしょう?」
「え。あ、あぁ。そんなこと気にしていなかったのに。」
本当に気に留めていなかったのかあっけらかんと笑うななしさん。
普通は気にするところだろうに。
それを『そんなこと』と一蹴してしまう程に、痛みに対して鈍くならざるを得なかった事実は、なんて残酷なのだろう。
「しかし、」
「いや。あんな散らばってたら普通にホラーですよ。七海さんが謝ることなんてこれっぽっちもありません」
それは一般的な感覚だとそうだろう。
手口を目の当たりにした彼女と、遅れてその真相を知った私。
軽々しく許しを乞う訳ではないのだが、どうしても謝らなければならないと、私はそう思った。
「……じゃあ君も同じですね。」
「何がです?」
「今回の件、君には何の非もありません。」
幼さが残る双眸を見開く彼女。
ななしさんが息を呑む音が、静まり返った部屋に響いた気がした。
「君の、せいじゃない。」
言い聞かせるように、私はもう一度言葉にする。
『私のせいだなんて、分かってるよ。』
独白のように呟かれた、彼女の言葉。
怨嗟と自責に満ちた静かな声。
心の中で呟いたであろう言葉は、腹の内から溢れ出して唇から零れたのだろう。
「あ……」
「いいですか。そもそも君がそんな理不尽な目に遭っているのは不運としか言いようがありません。強いて言うなら、呪術師なんてやっていればもっと不条理に晒される」
一呼吸置いて、私は問うた。
「ななしさん。呪術師、嫌いでしょう」
「……好きじゃ、ないとは思います。」
「それなのに『強くなれ』と言われたからといって、痛い目にあってまで頑張るのは違うんじゃないですか?」
そんな他人に押し付けられた願いなんて放っておけばいいものを。
『私だって、呪術師が五条先生だけだったら良かったのに、って思ったことありますから』
彼女の中で『五条悟』は最も信頼出来る人間なのだろう。
見縊らず、傷付けず、腫れ物のように扱ったりもしない。
勿論『物』のように扱うこともなく、その身体になってから初めて『人間としてきちんと扱ってくれた』のが大きな理由だろう。
性格や人格は破綻しているが、確かに五条さん自身は比較的『善人』だ。
そして呪術師のくせにある程度モラルも持ち合わせている上、理由もなく彼女を呪物に変えた呪詛師のような行いもすることはない。
実際、呪術師が五条さん一人だけだったとしたら、彼女のような悲劇は起こることはなかっただろう。
だからといって彼の願いを叶える必要は何処にもないし、そんな義務もない。
痛みに対して鈍くなりすぎた彼女の目標は、私からしたら『狂気の沙汰』としか言いようがないものなのだから。
「えぇっと、その。その目標はあくまで中継地点の目標といいますか、ついでというか、その」
口篭りながら視線を泳がせるななしさん。
「ほら。こんな身の上ですし。自分で自分の身を守れるようになりたいんです。だから五条先生に言われたから……というのは多少は理由に含まれるんですけど、なんというかそれが『最終目標』ではなくて、」
途切れる、言葉。
私はそれを催促することなく、彼女の言葉が整うのをじっと待つ。
「笑いませんか?」
「えぇ。」
二つ返事で、即答した。
「――自由に生きるために、誰にも生活を脅かされないように、したいんです。」
なんて。
なんて平凡で、穏やかで、慎ましい願いだろうか。
「……あ、ちょっと。今笑いませんでした!?」
「笑ってませんよ。」
「嘘ですよ、口元見せてください。ほら。」
それはあまりにも普通の女の子のようで。
――失礼。
そうだ。本当はこの子は、何処にでもいるような女の子だったはずなのだ。
「馬鹿にしてるわけじゃないですよ。」
「本当ですか…?」
「えぇ。」
サングラスを外し、ポケットにしまっていたクロスを取り出して丁寧に拭く。
羨ましい。
私も、そんな風に将来過ごしたいものだ。
「…いいですね。その目標。私も適度にお金を稼いだら、とっとと呪術師なんて足を洗って外国で暮らしたいです」
「外国で暮らしてどうするんですか?」
「時間がなくて読めずに積み上げている本をのんびり読みながら、日がな一日を過ごします」
「完全に老後の過ごし方ですね…」
いいじゃないか。
外国は呪術師はおろか、呪霊の発現も稀らしい。
優雅に過ごす夢を見たって、バチは当たらないだろう。
「でも、いいなぁ。そう、出来たらいいのに。」
俯いてそっと笑ったななしさんの言葉に、返す台詞は――思いつかなかった。