榛と白露
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嫌な予感程、的中する。
今朝まで相手にしていた呪霊とは比べ物にならない程の『呪い』。
落ち武者を彷彿させ、人の骨と鉄と刀で構成されたそれは精巧なカラクリ……いや、この場合は『呪骸』と呼ぶべきか。
人の身の丈の二倍はあるであろう大きさの呪骸は、家を守るために貼った呪い避けの護符など気にしない様子で太刀を振り回す。
周りに群れていた低級呪霊は一刀両断され、年季の入った家屋の瓦は砕かれる。
『家の中なら安全』だと言われていた住人は、怯えきって外へ飛び出す者までいた。
低級呪霊までなら、護符で家屋ごと守れただろう。
山奥の集落の危機管理意識。
『避難はちょっと』『札で被害がないのなら』『高齢者が多いから移動は難しい』と【要望】を聞いた末の、今回の対応だ。
素直に避難に応じていれば良かったものを。
それが仇となった。
あの呪骸は少なく見積って準一級相当。
血濡れになった呪骸は動くもの全てを標的にしている。
「皆さん、落ち着いて!集会所へ避難を!」
伊地知君の張り上げた声が夜闇に響く。
昼間ならもっと冷静に逃げおおせたであろうに、今は夜だ。
冷ややかな月明かりと、虫の死骸が入った古臭い街灯だけが唯一の明かり。
そして百鬼夜行を思わせる呪霊の群れ。
鬼を思わせる巨大な呪骸。
呪いに怯えた一般人を逃げ惑わせるには、十分すぎる恐怖だろう。
(相性が、悪すぎる。)
呪骸は核を壊さない限り動き続ける。
私のこの鉈はなまくらというハンデを課した上で、七対三の『点』を断つことによって斬れ味を底上げしている。
――核の位置が、どう足掻いてもそれに該当しない。
というより恐らく『核がない』。呪力の流れがずっと澱んでいるのだ。
足が地面にめり込む程の斬撃を受け流すのも限界だ。
私の身体が先に砕けるか、鉈が破壊されるか。
後がない。
どうしようもなく、後がない。
焦りばかりが心臓を煽る。
あの時もそうだった。
焦燥に焼かれた肺が酷く痛む。
あの時もそうだった。
「おか、おかあさん!」
「侑!早くこっちへ!逃げなさい!」
群れていた呪霊に足を掴まれ、引きずり倒されている少年が視界に入る。
いや、こっちはそれどころじゃない。目の前の呪骸で手一杯だ。
それなのに。
ゆう。
ユウ。
雄。
『なぁ、七海!出来ることを全力で頑張るのって、気持ちがいいな!』
屈託なく笑う、高専時代の友人の顔が脳裏に過ぎった。
――気が付けば、少年の足を絡めとっていた呪霊を斬っていた。
まだ小学生の低学年程であろう、幼い少年を咄嗟に庇い、私は愚かにも呪骸に背を向けてしまった。
振り下ろされる錆びた太刀。
月明かりと鮮血で赤黒く、鈍く光る刃渡りから目を背けて、咄嗟に瞼を閉じる。
榛と白露#06
それは、一瞬の出来事だったにも関わらず、1分にも1時間にも思えるような間だった。
肉を斬る濡れた音。
されど痛みはいつまで経っても感じるのことはなく、代わりに生暖かい雨が頬を掠めた。
あの時もそうだった。
私に背を向け、立っている少女。
肩口から胸部まで竹を割ったように裂けた身体。
裂け目から覗く肋骨、肺――。
凄惨な現場は何度も見たことがあるはずなのに、目眩がしたのはいつぶりだろうか。
確実な死を目の当たりにした光景。
理解が追いつかない。
言葉が出ない。
なんだこれは。
私が瞬きを二度繰り返した数瞬。
肉がごぼりと音を立て、醜い切り傷をみるみる塞いでいくではないか。
まるで時を巻き戻しているのかと錯覚する程の反転術式。
ななしさんが咳をひとつ零し、気管に入った血溜まりを吐き出す。
破れた黒い制服の下で、斜めに袈裟斬りされた傷は最早消え失せ、夥しい量の血痕だけが、惨烈な現実が『本物』だと物語っていた。
『やお、…やお、ややや、やおっ、八百比丘尼ィィィ!』
恨み。辛み。
様々な負の感情が入混ざった声音が呪骸の腹の底から響き渡る。
空気すら震わせる低い声音に、私の腕の中の少年は両肩を大きく揺らした。
『お前さえ……お前のせいで、平家はぁぁ…!おま、おお、おおま、おまえ、おまえのせいで、』
狂ったレコードのように繰り返される恨み節。
私に背中を向けたままの彼女は、消え入りそうな声でぽつりと呟く。
「私のせいだなんて、分かってるよ。」
私にしか聞こえないような、か細い独白。
その意味を理解するには私の中のピースが足りない。
ただ、分かったことはひとつだけ。
「――さぁさぁ遊ぼうか、平家の亡霊さん。」
血の海に手をつけば瞬く間に形成される赤刀。
剥き身の刃を呪骸に向けて、彼女は躍り出るように地面を蹴った。
今朝まで相手にしていた呪霊とは比べ物にならない程の『呪い』。
落ち武者を彷彿させ、人の骨と鉄と刀で構成されたそれは精巧なカラクリ……いや、この場合は『呪骸』と呼ぶべきか。
人の身の丈の二倍はあるであろう大きさの呪骸は、家を守るために貼った呪い避けの護符など気にしない様子で太刀を振り回す。
周りに群れていた低級呪霊は一刀両断され、年季の入った家屋の瓦は砕かれる。
『家の中なら安全』だと言われていた住人は、怯えきって外へ飛び出す者までいた。
低級呪霊までなら、護符で家屋ごと守れただろう。
山奥の集落の危機管理意識。
『避難はちょっと』『札で被害がないのなら』『高齢者が多いから移動は難しい』と【要望】を聞いた末の、今回の対応だ。
素直に避難に応じていれば良かったものを。
それが仇となった。
あの呪骸は少なく見積って準一級相当。
血濡れになった呪骸は動くもの全てを標的にしている。
「皆さん、落ち着いて!集会所へ避難を!」
伊地知君の張り上げた声が夜闇に響く。
昼間ならもっと冷静に逃げおおせたであろうに、今は夜だ。
冷ややかな月明かりと、虫の死骸が入った古臭い街灯だけが唯一の明かり。
そして百鬼夜行を思わせる呪霊の群れ。
鬼を思わせる巨大な呪骸。
呪いに怯えた一般人を逃げ惑わせるには、十分すぎる恐怖だろう。
(相性が、悪すぎる。)
呪骸は核を壊さない限り動き続ける。
私のこの鉈はなまくらというハンデを課した上で、七対三の『点』を断つことによって斬れ味を底上げしている。
――核の位置が、どう足掻いてもそれに該当しない。
というより恐らく『核がない』。呪力の流れがずっと澱んでいるのだ。
足が地面にめり込む程の斬撃を受け流すのも限界だ。
私の身体が先に砕けるか、鉈が破壊されるか。
後がない。
どうしようもなく、後がない。
焦りばかりが心臓を煽る。
あの時もそうだった。
焦燥に焼かれた肺が酷く痛む。
あの時もそうだった。
「おか、おかあさん!」
「侑!早くこっちへ!逃げなさい!」
群れていた呪霊に足を掴まれ、引きずり倒されている少年が視界に入る。
いや、こっちはそれどころじゃない。目の前の呪骸で手一杯だ。
それなのに。
ゆう。
ユウ。
雄。
『なぁ、七海!出来ることを全力で頑張るのって、気持ちがいいな!』
屈託なく笑う、高専時代の友人の顔が脳裏に過ぎった。
――気が付けば、少年の足を絡めとっていた呪霊を斬っていた。
まだ小学生の低学年程であろう、幼い少年を咄嗟に庇い、私は愚かにも呪骸に背を向けてしまった。
振り下ろされる錆びた太刀。
月明かりと鮮血で赤黒く、鈍く光る刃渡りから目を背けて、咄嗟に瞼を閉じる。
榛と白露#06
それは、一瞬の出来事だったにも関わらず、1分にも1時間にも思えるような間だった。
肉を斬る濡れた音。
されど痛みはいつまで経っても感じるのことはなく、代わりに生暖かい雨が頬を掠めた。
あの時もそうだった。
私に背を向け、立っている少女。
肩口から胸部まで竹を割ったように裂けた身体。
裂け目から覗く肋骨、肺――。
凄惨な現場は何度も見たことがあるはずなのに、目眩がしたのはいつぶりだろうか。
確実な死を目の当たりにした光景。
理解が追いつかない。
言葉が出ない。
なんだこれは。
私が瞬きを二度繰り返した数瞬。
肉がごぼりと音を立て、醜い切り傷をみるみる塞いでいくではないか。
まるで時を巻き戻しているのかと錯覚する程の反転術式。
ななしさんが咳をひとつ零し、気管に入った血溜まりを吐き出す。
破れた黒い制服の下で、斜めに袈裟斬りされた傷は最早消え失せ、夥しい量の血痕だけが、惨烈な現実が『本物』だと物語っていた。
『やお、…やお、ややや、やおっ、八百比丘尼ィィィ!』
恨み。辛み。
様々な負の感情が入混ざった声音が呪骸の腹の底から響き渡る。
空気すら震わせる低い声音に、私の腕の中の少年は両肩を大きく揺らした。
『お前さえ……お前のせいで、平家はぁぁ…!おま、おお、おおま、おまえ、おまえのせいで、』
狂ったレコードのように繰り返される恨み節。
私に背中を向けたままの彼女は、消え入りそうな声でぽつりと呟く。
「私のせいだなんて、分かってるよ。」
私にしか聞こえないような、か細い独白。
その意味を理解するには私の中のピースが足りない。
ただ、分かったことはひとつだけ。
「――さぁさぁ遊ぼうか、平家の亡霊さん。」
血の海に手をつけば瞬く間に形成される赤刀。
剥き身の刃を呪骸に向けて、彼女は躍り出るように地面を蹴った。