榛と白露
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『うーん、そうですね…』
味噌汁を啜った少女は形のいい眉を僅かに寄せた。
『難しいなぁ…えっと…上手くお答え出来ないので、ちょっとお時間頂いてもいいですか?』
私の自棄に近い独白のような言葉にも、律儀に返事をしてくれるらしい。
いっそ、忘れてくれてもいいようなことなのに。
榛と白露#04
午前中寝て、クリアになった思考で今朝のことを思い出す。
大人げない発言だった。以後気を付けなければ。
彼女が数時間程前の出来事をなかった事にしてくれることを願いながら、民宿の玄関で待ち合わせた。
そして現地の調査をする為、今に至る。
伊地知君は担当と周辺地区の『窓』へ、似たような現象が起きていないか確認している。
私とななしさんは土地の呪いの原因を調べる為にこうして山へ立ち入っていた。
「色々考えたんですけど、」
心地が良くも悪くもない沈黙を破って、ななしさんが口を開く。
……今朝の醜態は忘れてくれていなかったらしい。
草木を掻き分けながら足場の悪い山肌を踏みしめ、息をつきながら彼女は言う。
「確かに五条先生一人でもいいかもしれません。お強いですし、なんでも出来ちゃいますし」
あの人に呪術師としての欠点はないと言えるだろう。
むしろ『祓えない』と匙を投げた姿を、高専で学年が被った三年間で一度も見たことない。
本人の人格はさておき、呪術師としては満場一致で『最強』と言える。
そんな彼の生徒は、困ったように笑いながら小さく肩を竦めた。
「でも、一人で色々頑張るのって、しんどいし、寂しいじゃないですか。」
しんどい。
寂しい。
果たして、あの人がそんな風に思うことなんてあるのだろうか。
――脳裏に過ぎるのは、夏油さんが高専から出奔した後すぐのこと。
憔悴しきった夜蛾学長……当時は担任だった彼とは正反対に、五条さんといえば異常なまでに『普段通り』そのものだった。
(……本当に?)
思い返せば今よりもオーバーワークな任務の数。
以前よりも周りと置いた距離。
軽率な空気は変わらないのに、確かにあの時からあの人は少し変わった。
灰原が死んで間もなかったせいで、正直あの軽薄さは神経を酷く逆撫でしたのを覚えている。
あれがあの人の精一杯で、何も考えたくない故に任務をこなし、『浅短』の仮面を被った結果なら?
『もうあの人一人で良くないですか?』
過去の自分が言い放った言葉。
それはあの時、蛆のように沸いた呪霊を祓う任務で奔走していた、間違いなく私の『限界故の本音』。
『五条悟』という尊厳を度外視した、なんて卑怯で、後ろめたくて、無責任な言葉だろう。
「まぁ、五条先生がヒドラみたいにパカッと割れて増えるのが一番呪霊を払う上で効率がいいんでしょうけど。」
「……悪夢じゃないですか。」
「確かに。二人も三人もいたら伊地知さんの胃が溶けそうですもんね。」
くすくすと笑いながらななしさんは歩みを止めず、辺りを捜索する。
響く葉擦れの音。
落ち葉が飛ぶ音。
小枝を踏み折る音。
再び沈黙が私達の間に流れ、それを解いたのは私だった。
「怒らないんですか?」
少女は振り返り、首を傾げる。
「どうしてですか?」
「君は、そういう無責任な発言に対して怒りそうな気がしたので。」
率直に問えば、困ったように彼女は笑う。
「怒りませんよ。それぞれの事情や、色々思うところがあるんでしょうから。
……私は七海さんの考えてることも、嫌だったことも、好きなものも何も知りません。それで一方的に怒ることこそ無責任じゃないですか」
達観したような考え。
普通の高校生くらいの若い人間なら、もっと短絡的で、浅慮で、感情のまま怒ったりしてもいい年頃だというのに。
「君は、変わってますね。」
「褒め言葉として受け取っておきます」
「それに」
「私だって、呪術師が五条先生だけだったら良かったのに、って思ったことありますから」
その言葉の真意を、聞けなかった。
目を細めて笑う彼女の笑顔が、それはそれは儚くて、あまりにも――
***
『どう?任務の方は。』
17時を過ぎたあたりの時間。
西日が眩しく民宿のガラス窓から差し込み、古びた板張りの廊下を煌々と照らしている夕暮れ時。
気まずさ故に、今はあまり関わりたくない人物から着信があった。
それを馬鹿丁寧にとってしまった自分を、ほんの少しだけ恨んだ。
「どうも何も、また夜から朝まで呪霊狩りですよ。」
『え〜。脱サラの七海クンは徹夜得意でしょ?』
「リハビリにしてはスパルタが過ぎると文句を言いたいところですが、相棒が優秀なのでそこまで苦労はしてませんよ。」
実際、思った以上に疲れていない。
身体がブランクを感じていない――なんてことはないが、目にも鮮やかな術捌きのサポートがあるおかげで疲労感は少なかった。
五条さんが電話口の向こうで自慢げに笑ったことが、目の前にいなくとも分かってしまった。少し悔しい。
『僕の生徒、優秀でしょ。』
「優秀すぎて怖いくらいですよ。どこで見つけて来たんですか」
『んん〜ナイショ。』
『その様子じゃ大怪我とかしていないみたいだね。』
「当たり前でしょう。そんな事態になったら応急処置をして即行高専に連れ帰りますよ」
『うん、うん。お前ならそうだよねぇ』
「嫌な人ですね。」
『何が?』
「土地関係の呪いをリハビリに当てたりして。」
『まぁそれはたまたまだよ。気分悪くしたなら、その任務を充ててきた上の連中を皆殺しにして謝るけど?』
「私はそこまで過激派じゃありませんよ。貴方じゃあるまいし」
『まるで僕が人でなしみたいじゃないか、酷いなぁ』
「……まぁ五条さんが人でなしかどうかは置いておいて」
『え、置いとくなよ。』
「要件は何ですか?」
『僕の可愛い生徒は元気かな、って。』
「何ですか、僕のって。教師にあるまじき発言ですよ。不純異性行為は他所でしてください」
『そんなんじゃないよ?まだ。』
「呆れた人ですね。」
つい、溜め息が零れた。
『いや。どうせ電話してもLINEとばしても【大丈夫です!】【元気です!】って小学生みたいな返事しか返してこないだろうからさぁ』
「いつからそんな心配性になったんです?他人になんて興味ないでしょう、貴方。」
『七海ク〜ン、僕は教師だぜ〜?生徒が元気してるか気にするのは当たり前でしょ?これ常識だよ、ジョウシキ。テストでるからね〜』
「…………。」
『今【ウッザ】って思ったでしょ。』
「察しがよくて助かります」
廊下の曲がり角の向こうからスリッパがペタペタと跳ねる音が聞こえる。
「七海さーん?」
『あ、名無しの声だ!オーイ、オーイ!』
「耳元で煩いですよ。これから仕事なので切りますね。」
『オ、』
別れの挨拶もなしに電話を切って、スマホをポケットへ仕舞い込む。
「なんか今、五条先生の声が聞こえた気が。」
「気のせいですよ。」
「そうですか。いえ、言いたいことがあったんですけど…まぁ、いっか。」
「どうかされましたか?」
大事な用事だったかと思い、つい尋ねてしまった。
「本家での談合がつまらないからって、暇を持て余した女子中学生みたいにしつこくLINEを送るのやめてください、って言おうかと思って。」
……とても、どうでもいい。
いや、正直迷惑行為に等しいだろう。
五条家で一番権力を握っている呪術師が、会合の最中に年端もいかぬ少女へひたすらメッセージを送り付ける光景なんて……いや、考えたくない。
やっぱり呪術師なんてクソだ。
「夕方スマホを見たら50件未読メッセージあって、急ぎのご用事かと思って焦って開いたら本当にどうでもいい内容ばかりでした。」
げんなりした表情でこめかみを抑えるななしさんに同情してしまう。
あの人の生徒――もとい、あの人のお気に入りの生徒も苦労が絶えないらしい。
「……やっぱり五条さんは一人で十分ですね。」
「本当に。思わず通知オフにしちゃいましたもん」
「優しいですね。私なら間違いなく即ブロックです」
「流石にそこまで過激派じゃないですよ…」
先程私が五条さんへ贈った皮肉が、まさかこんな形で返ってこようとは。
それがなんだかおかしくて、私は口元を抑えてそっと笑った。
味噌汁を啜った少女は形のいい眉を僅かに寄せた。
『難しいなぁ…えっと…上手くお答え出来ないので、ちょっとお時間頂いてもいいですか?』
私の自棄に近い独白のような言葉にも、律儀に返事をしてくれるらしい。
いっそ、忘れてくれてもいいようなことなのに。
榛と白露#04
午前中寝て、クリアになった思考で今朝のことを思い出す。
大人げない発言だった。以後気を付けなければ。
彼女が数時間程前の出来事をなかった事にしてくれることを願いながら、民宿の玄関で待ち合わせた。
そして現地の調査をする為、今に至る。
伊地知君は担当と周辺地区の『窓』へ、似たような現象が起きていないか確認している。
私とななしさんは土地の呪いの原因を調べる為にこうして山へ立ち入っていた。
「色々考えたんですけど、」
心地が良くも悪くもない沈黙を破って、ななしさんが口を開く。
……今朝の醜態は忘れてくれていなかったらしい。
草木を掻き分けながら足場の悪い山肌を踏みしめ、息をつきながら彼女は言う。
「確かに五条先生一人でもいいかもしれません。お強いですし、なんでも出来ちゃいますし」
あの人に呪術師としての欠点はないと言えるだろう。
むしろ『祓えない』と匙を投げた姿を、高専で学年が被った三年間で一度も見たことない。
本人の人格はさておき、呪術師としては満場一致で『最強』と言える。
そんな彼の生徒は、困ったように笑いながら小さく肩を竦めた。
「でも、一人で色々頑張るのって、しんどいし、寂しいじゃないですか。」
しんどい。
寂しい。
果たして、あの人がそんな風に思うことなんてあるのだろうか。
――脳裏に過ぎるのは、夏油さんが高専から出奔した後すぐのこと。
憔悴しきった夜蛾学長……当時は担任だった彼とは正反対に、五条さんといえば異常なまでに『普段通り』そのものだった。
(……本当に?)
思い返せば今よりもオーバーワークな任務の数。
以前よりも周りと置いた距離。
軽率な空気は変わらないのに、確かにあの時からあの人は少し変わった。
灰原が死んで間もなかったせいで、正直あの軽薄さは神経を酷く逆撫でしたのを覚えている。
あれがあの人の精一杯で、何も考えたくない故に任務をこなし、『浅短』の仮面を被った結果なら?
『もうあの人一人で良くないですか?』
過去の自分が言い放った言葉。
それはあの時、蛆のように沸いた呪霊を祓う任務で奔走していた、間違いなく私の『限界故の本音』。
『五条悟』という尊厳を度外視した、なんて卑怯で、後ろめたくて、無責任な言葉だろう。
「まぁ、五条先生がヒドラみたいにパカッと割れて増えるのが一番呪霊を払う上で効率がいいんでしょうけど。」
「……悪夢じゃないですか。」
「確かに。二人も三人もいたら伊地知さんの胃が溶けそうですもんね。」
くすくすと笑いながらななしさんは歩みを止めず、辺りを捜索する。
響く葉擦れの音。
落ち葉が飛ぶ音。
小枝を踏み折る音。
再び沈黙が私達の間に流れ、それを解いたのは私だった。
「怒らないんですか?」
少女は振り返り、首を傾げる。
「どうしてですか?」
「君は、そういう無責任な発言に対して怒りそうな気がしたので。」
率直に問えば、困ったように彼女は笑う。
「怒りませんよ。それぞれの事情や、色々思うところがあるんでしょうから。
……私は七海さんの考えてることも、嫌だったことも、好きなものも何も知りません。それで一方的に怒ることこそ無責任じゃないですか」
達観したような考え。
普通の高校生くらいの若い人間なら、もっと短絡的で、浅慮で、感情のまま怒ったりしてもいい年頃だというのに。
「君は、変わってますね。」
「褒め言葉として受け取っておきます」
「それに」
「私だって、呪術師が五条先生だけだったら良かったのに、って思ったことありますから」
その言葉の真意を、聞けなかった。
目を細めて笑う彼女の笑顔が、それはそれは儚くて、あまりにも――
***
『どう?任務の方は。』
17時を過ぎたあたりの時間。
西日が眩しく民宿のガラス窓から差し込み、古びた板張りの廊下を煌々と照らしている夕暮れ時。
気まずさ故に、今はあまり関わりたくない人物から着信があった。
それを馬鹿丁寧にとってしまった自分を、ほんの少しだけ恨んだ。
「どうも何も、また夜から朝まで呪霊狩りですよ。」
『え〜。脱サラの七海クンは徹夜得意でしょ?』
「リハビリにしてはスパルタが過ぎると文句を言いたいところですが、相棒が優秀なのでそこまで苦労はしてませんよ。」
実際、思った以上に疲れていない。
身体がブランクを感じていない――なんてことはないが、目にも鮮やかな術捌きのサポートがあるおかげで疲労感は少なかった。
五条さんが電話口の向こうで自慢げに笑ったことが、目の前にいなくとも分かってしまった。少し悔しい。
『僕の生徒、優秀でしょ。』
「優秀すぎて怖いくらいですよ。どこで見つけて来たんですか」
『んん〜ナイショ。』
『その様子じゃ大怪我とかしていないみたいだね。』
「当たり前でしょう。そんな事態になったら応急処置をして即行高専に連れ帰りますよ」
『うん、うん。お前ならそうだよねぇ』
「嫌な人ですね。」
『何が?』
「土地関係の呪いをリハビリに当てたりして。」
『まぁそれはたまたまだよ。気分悪くしたなら、その任務を充ててきた上の連中を皆殺しにして謝るけど?』
「私はそこまで過激派じゃありませんよ。貴方じゃあるまいし」
『まるで僕が人でなしみたいじゃないか、酷いなぁ』
「……まぁ五条さんが人でなしかどうかは置いておいて」
『え、置いとくなよ。』
「要件は何ですか?」
『僕の可愛い生徒は元気かな、って。』
「何ですか、僕のって。教師にあるまじき発言ですよ。不純異性行為は他所でしてください」
『そんなんじゃないよ?まだ。』
「呆れた人ですね。」
つい、溜め息が零れた。
『いや。どうせ電話してもLINEとばしても【大丈夫です!】【元気です!】って小学生みたいな返事しか返してこないだろうからさぁ』
「いつからそんな心配性になったんです?他人になんて興味ないでしょう、貴方。」
『七海ク〜ン、僕は教師だぜ〜?生徒が元気してるか気にするのは当たり前でしょ?これ常識だよ、ジョウシキ。テストでるからね〜』
「…………。」
『今【ウッザ】って思ったでしょ。』
「察しがよくて助かります」
廊下の曲がり角の向こうからスリッパがペタペタと跳ねる音が聞こえる。
「七海さーん?」
『あ、名無しの声だ!オーイ、オーイ!』
「耳元で煩いですよ。これから仕事なので切りますね。」
『オ、』
別れの挨拶もなしに電話を切って、スマホをポケットへ仕舞い込む。
「なんか今、五条先生の声が聞こえた気が。」
「気のせいですよ。」
「そうですか。いえ、言いたいことがあったんですけど…まぁ、いっか。」
「どうかされましたか?」
大事な用事だったかと思い、つい尋ねてしまった。
「本家での談合がつまらないからって、暇を持て余した女子中学生みたいにしつこくLINEを送るのやめてください、って言おうかと思って。」
……とても、どうでもいい。
いや、正直迷惑行為に等しいだろう。
五条家で一番権力を握っている呪術師が、会合の最中に年端もいかぬ少女へひたすらメッセージを送り付ける光景なんて……いや、考えたくない。
やっぱり呪術師なんてクソだ。
「夕方スマホを見たら50件未読メッセージあって、急ぎのご用事かと思って焦って開いたら本当にどうでもいい内容ばかりでした。」
げんなりした表情でこめかみを抑えるななしさんに同情してしまう。
あの人の生徒――もとい、あの人のお気に入りの生徒も苦労が絶えないらしい。
「……やっぱり五条さんは一人で十分ですね。」
「本当に。思わず通知オフにしちゃいましたもん」
「優しいですね。私なら間違いなく即ブロックです」
「流石にそこまで過激派じゃないですよ…」
先程私が五条さんへ贈った皮肉が、まさかこんな形で返ってこようとは。
それがなんだかおかしくて、私は口元を抑えてそっと笑った。