紫黒の雨水
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俺が中三に上がり、間もなく津美紀は呪われた。
正体不明、出所不明。
全国に同じような被呪者がいるらしい。
――何も分からないということだけが分かって、津美紀は寝たきりになった。
紫黒の雨水#02
「飲む?」
差し出されたのは、微糖の缶コーヒー。
睡眠不足で重い瞼をゆるゆると上げると、相変わらず淀んだ呪いを纏ったアイツが立っていた。
高専の制服は、もう着ていない。
黒いパーカーを羽織りショートパンツを履いた女。
古めかしい高専の建物を照らす夕日の赤。
黄昏時で、逆光に照らされた女の表情は読み取ることが出来なかった。
俺は黙ったまま、視線を背ける。
そんなことを、している場合ではない。
でも、何もできない。
昏睡状態になった津美紀は家入と名乗る女医が診てくれてはいるが、恐らく呪いの手掛かりは見つからないだろう。
焦燥感に駆られるばかりで、何もできない。
心臓だけがバクバクと音を立てながら肋骨を叩き、呼吸ばかりが浅くなる。
『恵。』
瞼を閉じればいつものように笑っている姉を思い出せるのに、今彼女は笑うことも出来ない。
じれったさばかりが身体の中でぐるぐると渦巻き、視界が真っ暗になる気分だった。
黙りこくった俺を見かねて、小さく溜息を吐く女。
「いつまでしょげてるの。立ちなさい。」
毅然とした、曇りのない声。
それは怒っているわけでもなく、かといって甘ったるい優しさが滲んでいるものでもなかった。
「お前に何が分かる。呪いのくせに」
自分の中のまだ冷静な部分が『まるでガキの八つ当たりだな』とせせら笑う。
分かっている。
目の前のコイツは何も悪くない。
けれど俺は、何かを呪わずにはいられなかった。
「分かるわけないでしょ。他人に何を期待してるの?」
呆れた、声。
俺は気だるげに顔を上げ、見上げた。
以前会ったのはいつだったか。
一年前だったか、それとももう少し前だったか。
顔立ちが少しは変わってもいいだろうに、目の前の女は不自然なまでに何も変わっていなかった。
前会った時と違う点を挙げるならば、俺に向けられる視線が以前のものより厳しいものになっているくらいだ。
「私はキミじゃないし、キミは私じゃない。
……学校で大暴れしていたんだって?あれだけ散々いきがって強がっていたのに、落ち込んだ途端、誰かに甘ったれて理解してもらいたいだなんて虫がよすぎるんじゃない?」
厳しい、言葉。
正論だ。完膚なきまでに叩きのめすような正論だ。
だからこそ一瞬で頭に血が上り、俺は目の前に立つ女に向かって、気が付けば拳を振り上げていた。
一撃目。
綺麗に入るパンチ。
しかし即座に胸倉を掴もうとした手は軽く振り払われ、逆に腕を軽々と取られる。
瞬きよりも早く俺の視界は反転し、受け身をとることも出来ず背中から放り投げられた。
詰まる、息。
思った以上に痛みが強く、俺はアスファルトの上で青天になりながら大きく咳き込んだ。
――俺よりも小柄な女に易々と投げられてしまった。
いや、そんな衝撃的な事実よりも、
(痛ェ)
久しぶりに感じた痛み。
人を殴っても気にしたことがなかったのに、いざ自分が投げられたらそれは酷く痛むもので。
あぁ。――嗚呼。
生きてる。
この痛みが、俺を現実に繋ぎ止めている。
姉は指先一つ動かせなくなったというのに、俺はこうしてむざむざと生きている。
「その痛みも、」
降ってくる言葉。
静かな声は年相応よりも大人びて聞こえ、痛みで冷えた頭にすんなりととけるように沁みた。
「辛さも、後悔も、キミだけものだ。
――手放したくなる時もあるだろうし、重く圧しかかる時もあると思う。
でも…それでも大事にしなさい。それは『呪い』の原動力になる。」
切れた口の端から滲んだ血を袖で拭う女。
薄暮れの赤よりも鮮やかな朱は、最初からそこに『なかった』かのように消え失せる。
「キミのするべきことは、後悔しながら、泣きながらお姉ちゃんの手を握ることじゃない。もうとっくの昔に道は示されていたでしょう」
差し出された手。
それは小さく、しかし頼りないという言葉とは…何故か無縁に感じた。
「立ちなさい、伏黒恵。」
正体不明、出所不明。
全国に同じような被呪者がいるらしい。
――何も分からないということだけが分かって、津美紀は寝たきりになった。
紫黒の雨水#02
「飲む?」
差し出されたのは、微糖の缶コーヒー。
睡眠不足で重い瞼をゆるゆると上げると、相変わらず淀んだ呪いを纏ったアイツが立っていた。
高専の制服は、もう着ていない。
黒いパーカーを羽織りショートパンツを履いた女。
古めかしい高専の建物を照らす夕日の赤。
黄昏時で、逆光に照らされた女の表情は読み取ることが出来なかった。
俺は黙ったまま、視線を背ける。
そんなことを、している場合ではない。
でも、何もできない。
昏睡状態になった津美紀は家入と名乗る女医が診てくれてはいるが、恐らく呪いの手掛かりは見つからないだろう。
焦燥感に駆られるばかりで、何もできない。
心臓だけがバクバクと音を立てながら肋骨を叩き、呼吸ばかりが浅くなる。
『恵。』
瞼を閉じればいつものように笑っている姉を思い出せるのに、今彼女は笑うことも出来ない。
じれったさばかりが身体の中でぐるぐると渦巻き、視界が真っ暗になる気分だった。
黙りこくった俺を見かねて、小さく溜息を吐く女。
「いつまでしょげてるの。立ちなさい。」
毅然とした、曇りのない声。
それは怒っているわけでもなく、かといって甘ったるい優しさが滲んでいるものでもなかった。
「お前に何が分かる。呪いのくせに」
自分の中のまだ冷静な部分が『まるでガキの八つ当たりだな』とせせら笑う。
分かっている。
目の前のコイツは何も悪くない。
けれど俺は、何かを呪わずにはいられなかった。
「分かるわけないでしょ。他人に何を期待してるの?」
呆れた、声。
俺は気だるげに顔を上げ、見上げた。
以前会ったのはいつだったか。
一年前だったか、それとももう少し前だったか。
顔立ちが少しは変わってもいいだろうに、目の前の女は不自然なまでに何も変わっていなかった。
前会った時と違う点を挙げるならば、俺に向けられる視線が以前のものより厳しいものになっているくらいだ。
「私はキミじゃないし、キミは私じゃない。
……学校で大暴れしていたんだって?あれだけ散々いきがって強がっていたのに、落ち込んだ途端、誰かに甘ったれて理解してもらいたいだなんて虫がよすぎるんじゃない?」
厳しい、言葉。
正論だ。完膚なきまでに叩きのめすような正論だ。
だからこそ一瞬で頭に血が上り、俺は目の前に立つ女に向かって、気が付けば拳を振り上げていた。
一撃目。
綺麗に入るパンチ。
しかし即座に胸倉を掴もうとした手は軽く振り払われ、逆に腕を軽々と取られる。
瞬きよりも早く俺の視界は反転し、受け身をとることも出来ず背中から放り投げられた。
詰まる、息。
思った以上に痛みが強く、俺はアスファルトの上で青天になりながら大きく咳き込んだ。
――俺よりも小柄な女に易々と投げられてしまった。
いや、そんな衝撃的な事実よりも、
(痛ェ)
久しぶりに感じた痛み。
人を殴っても気にしたことがなかったのに、いざ自分が投げられたらそれは酷く痛むもので。
あぁ。――嗚呼。
生きてる。
この痛みが、俺を現実に繋ぎ止めている。
姉は指先一つ動かせなくなったというのに、俺はこうしてむざむざと生きている。
「その痛みも、」
降ってくる言葉。
静かな声は年相応よりも大人びて聞こえ、痛みで冷えた頭にすんなりととけるように沁みた。
「辛さも、後悔も、キミだけものだ。
――手放したくなる時もあるだろうし、重く圧しかかる時もあると思う。
でも…それでも大事にしなさい。それは『呪い』の原動力になる。」
切れた口の端から滲んだ血を袖で拭う女。
薄暮れの赤よりも鮮やかな朱は、最初からそこに『なかった』かのように消え失せる。
「キミのするべきことは、後悔しながら、泣きながらお姉ちゃんの手を握ることじゃない。もうとっくの昔に道は示されていたでしょう」
差し出された手。
それは小さく、しかし頼りないという言葉とは…何故か無縁に感じた。
「立ちなさい、伏黒恵。」