さよならマーメイド
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それは、任務の帰りだった。
茹だるような暑さから逃れる為に商店街のアーケード下を歩いていた。
夏用の高専の制服も暑すぎて、くるりと雑に丸めてカバンにしまってしまう。
シワになるであろう未来のことは……後で考えよう。
先程まで五条もいたのだが、次の任務のため新田に連れて行かれてしまった。
そう考えたら伊地知の迎えまでダラダラできる名無しは贅沢者だろう。
何せ『過労死するのでは』と心配になるくらい五条は引っ張りだこだ。
任務自体、彼にとってそう手を煩わせるものではないのだが…やはり移動時間はどうしようもない。
……今度帰ってきたら肩でも揉んであげよう。
「あーん、取れない〜!」
「早くしなよ、菜々子」
「もうちょっと、もうちょっとだから!あと100円……」
ゲームセンターの、店頭にあるUFOキャッチャー。
セーラー服を着た茶髪の小学生か中学生あたりの少女が筐体を真剣に見つめ、姉妹なのか顔がよく似た黒髪の女の子が呆れたように溜息をついていた。
よくある、ありふれた光景。
その可哀想な瞬間を目にしなければ、素通りしていただろう。
「あ……あーーー!」
転がる百円玉。
それは名無しの足元までコロコロと転がり、商店街の側溝へ目の前で消えてしまった。
茶髪のおだんごヘアーの女の子はガクリと膝をつき、可愛そうに。半べそになっている。
「お、お小遣い…!」
「あーあ…」
黒髪の女の子も持ち合わせはもうないらしい。
小さく肩を落としながら、恨めしそうに側溝を眺めていた。
UFOキャッチャーの筐体に視線を向ければ、確かにもう一息で落ちそうなぬいぐるみがあるではないか。
名無しは小さく息をついて、踵を返す。
小銭入れから百円取り出し、女の子の前にしゃがみ込んだ。
「はい。これ。」
百円玉を差し出せば、銀色の硬貨と名無しの顔を交互に見比べる少女。
警戒されている。
それもそうか。『知らない人から物を受け取るな』とよくよく言い聞かされているのだろう。
教育が行き届いていると感心してしまう。
「さっき落したでしょう。私の足に当たったの。」
見え透いた嘘だが、流石に筐体を揺らせば落ちてしまいそうなぬいぐるみを諦めさせてしまうのは少し酷な気がする。
それに、この年くらいの子供にとって百円は大事な『百円』だ。
親からもらったお小遣いなら、尚更。
「あ…ありがとう…」
「ん。頑張ってね。」
恥ずかしそうにお礼を言う茶髪の子と、小さく会釈をする黒髪の女の子。
姉妹かと思ったが、どうやら双子のようだ。顔つきが瓜二つだった。
立ち上がり、ゲームセンターから離れれば、少し後ろから「やったぁ!」と声が聞こえてくる。
どうやらお目当てのぬいぐるみはとれたようだ。
***
伊地知との待ち合わせ時間まであと1時間はある。
どこか涼をとれる場所、と目についたのはアイスクリームショップだった。
最近できた店らしく、先日五条が車窓から眺めながら『食べたいな~』なんて言っていたのを思い出す。
たまにはアイスを食べながら時間を潰してもいいだろう。
帰りにテイクアウトして冷凍庫にお土産としてしまっておけば完璧だ。
若者向けのアイスクリームショップはまさに今時な雰囲気の内装だ。
適正年齢である名無しですら少し落ち着かないというのに、まさか五条一人で買いに行くつもりだったのだろうか。それはそれで勇者である。
無難にミルクアイスとレモンソルベを注文し、カップに盛り付けられたアイスを片手に窓際のカウンターに座る。
座ろうと、したのだ。
まさかこの男がいるとは、誰も予想だにしていなかっただろう。
「やぁ。奇遇だね」
夏油、傑。
まるで昔の知人に会ったかのような気さくさで、悠々と片手を挙げるではないか。
「――何、してるんですか。」
「見ての通りさ。用件は君と同じだと思うんだけどね」
本を片手に、アイスクリームショップだというのにアイスコーヒーをカウンターテーブルに置いている。
以前見た袈裟の姿ではなく、シャツとズボンというかなりラフな格好だった。
一見すれば髪が長い、ただの美丈夫の優男だろう。
「何。別にたまたま居合わせただけだよ。そんな警戒する必要はないんじゃないか?」
「するでしょう、普通。ボッコボコにしておいて、どの口が言うんです?」
「この口だねぇ」
しゃあしゃあと言い、笑う夏油に反省の色はない。
そういうところは五条に似ていると言えば、目の前の男はどんな顔をするだろうか。
「丁度いいや。時間潰しに少し話し相手になってくれないかい?」
「い」
「私はここで『大暴れ』しても構わないんだよ?」
人のいい笑顔で、息を吐くように脅してくる夏油。
口先まで出かかった『嫌だ』という言葉を呑み込み、名無しは苦虫を嚙みつぶしたような表情を隠すことなく浮かべる。
露骨に嫌そうな顔で、二席分あけてカウンター席へ渋々腰を下ろした。
「素直じゃないか。」
「それはどうも。」
「どうだい?高専は。」
「どうと言われましても。普通ですよ。」
まるで久しぶりに会った親戚のような物言いだ。
名無しの無味無臭の答えに対して、不満そうに夏油は頬肘をついた。
「つまらない答えだなぁ。あるだろう?クラスメイトの話とか。」
「残念ながら私の学年は一人だけですよ」
「なるほど。それは退屈だね」
「……退屈ではないですよ。いつも担任に振り回されてますし」
つまらないとは思っていない。
コツコツと一人で鍛錬するのは嫌いではないし、何より破天荒という肩書きが世界一似合う男が担任なのだ。
『退屈』と思うことは、この数ヶ月一度もなかった。
「その様子だと悟とは上手く付き合えているんだ?へぇー…」
「……なんですか。」
「悟のヤツ、喧嘩っ早いし短慮だったからね。教師になってるとはにわかに信じがたくて」
そんなやんちゃな時期があったのか。
いや。思いついたらすぐ行動に移す五条の性格を鑑みれば、たしかにありえなくはない。
……しかしまた短慮とは。中々酷い言われようだ。
「悟の話、聞きたいかい?」
「いえ。結構です。」
「つれないなぁ。気にならないのかい?」
「そういうのは本人がいないところでコソコソ聞くものじゃないでしょう?」
柔らかくなってしまったアイスをスプーンで掬い、頬張る名無し。
気にならないと言えば嘘になるが、わざわざこの男から聞く必要はない。
それに、目の前の『夏油傑』は少なくとも五条の親友だった男だ。
家入や…もしかすると五条本人も気付いていないエピソードが飛び出すかもしれないが、それでも聞く気にはなれなかった。
理由に、夏油という男を信用していないのは大いにあるが、何よりそれは彼の――彼らの大事なものだ。
赤の他人が安易に触れていいものではない。
気軽に聞いていいものではない。
軽率に覗いていいものではない。
大切な記憶や思い出は、そういうものだと。
そう、思っている。
意外そうに細い目元を一瞬見開き、夏油は「……へぇ」と満足そうに笑った。
「なんですか。」
「誠実だなと思ってね。」
「笑うなら笑えばいいじゃないですか」
「誠実な人間を笑いやしないさ」
人間。
前回顔を合わせた時は『物』扱いしていたというのに。
……どういった心境の変化なのやら。
「まぁ、悟が気に入る理由は何となく分かったよ。」
「は、」
はい?
そう聞き返そうと口を開いた瞬間だった。
「あーーー!」
アイスクリーム屋に響く、溌剌とした少女の声。
振り向けば、先程の茶髪の少女と黒髪の少女ではないか。
別れた時には持っていなかったUFOキャッチャーのぬいぐるみを大層大事そうに抱え、入口に立っていた。
「さっきのお姉さんだ!」
「……夏油様、その人は?」
「ん?ななし名無しさんだよ。」
勝手に紹介される。個人情報とか気にしないのだろうか、この男は。
茶髪の少女は「菜々子です!」と。黒髪の少女は「美々子です」と静かに名乗る。
……教育が行き届いていると感心したことを、ほんの少しだけ後悔した。
保護者がまさかこの男だったとは。
「じゃあテイクアウトを用意してもらってるし、受け取って帰ろうか。菜々子、美々子。」
「はい、夏油様!」「はい、夏油様。」
氷だけになったアイスコーヒーをそのままに、夏油はカウンター席からのっそり立ち上がる。
「――あぁ、そうそう。」と思い出したように口を開き、振り返りざまに綺麗な笑顔を浮かべた。
「非呪術師に消費されるのが嫌になったら、いつでもおいで。歓迎するよ。」
「誰が」
「『呪詛師の仲間になるか』って?
――いや、君と僕らは同類だよ。」
「悪食同士、仲良くしようじゃないか。」
そっと囁き出入口へ向かう。
菜々子は元気よく手を振り、美々子は行儀よく小さく会釈した。
何の変哲もない少女二人を連れて、帰り際に夏油は愉しそうに笑う。
「じゃあ、悟によろしくね。」
小暑の紺碧
すっかり溶けてしまったアイスクリームを片手に、名無しは小さく溜息をついた。
……さて、これは五条に報告するべきなのか。
頭が痛くなったのは、きっと冷たいものを食べたせいではないだろう。
茹だるような暑さから逃れる為に商店街のアーケード下を歩いていた。
夏用の高専の制服も暑すぎて、くるりと雑に丸めてカバンにしまってしまう。
シワになるであろう未来のことは……後で考えよう。
先程まで五条もいたのだが、次の任務のため新田に連れて行かれてしまった。
そう考えたら伊地知の迎えまでダラダラできる名無しは贅沢者だろう。
何せ『過労死するのでは』と心配になるくらい五条は引っ張りだこだ。
任務自体、彼にとってそう手を煩わせるものではないのだが…やはり移動時間はどうしようもない。
……今度帰ってきたら肩でも揉んであげよう。
「あーん、取れない〜!」
「早くしなよ、菜々子」
「もうちょっと、もうちょっとだから!あと100円……」
ゲームセンターの、店頭にあるUFOキャッチャー。
セーラー服を着た茶髪の小学生か中学生あたりの少女が筐体を真剣に見つめ、姉妹なのか顔がよく似た黒髪の女の子が呆れたように溜息をついていた。
よくある、ありふれた光景。
その可哀想な瞬間を目にしなければ、素通りしていただろう。
「あ……あーーー!」
転がる百円玉。
それは名無しの足元までコロコロと転がり、商店街の側溝へ目の前で消えてしまった。
茶髪のおだんごヘアーの女の子はガクリと膝をつき、可愛そうに。半べそになっている。
「お、お小遣い…!」
「あーあ…」
黒髪の女の子も持ち合わせはもうないらしい。
小さく肩を落としながら、恨めしそうに側溝を眺めていた。
UFOキャッチャーの筐体に視線を向ければ、確かにもう一息で落ちそうなぬいぐるみがあるではないか。
名無しは小さく息をついて、踵を返す。
小銭入れから百円取り出し、女の子の前にしゃがみ込んだ。
「はい。これ。」
百円玉を差し出せば、銀色の硬貨と名無しの顔を交互に見比べる少女。
警戒されている。
それもそうか。『知らない人から物を受け取るな』とよくよく言い聞かされているのだろう。
教育が行き届いていると感心してしまう。
「さっき落したでしょう。私の足に当たったの。」
見え透いた嘘だが、流石に筐体を揺らせば落ちてしまいそうなぬいぐるみを諦めさせてしまうのは少し酷な気がする。
それに、この年くらいの子供にとって百円は大事な『百円』だ。
親からもらったお小遣いなら、尚更。
「あ…ありがとう…」
「ん。頑張ってね。」
恥ずかしそうにお礼を言う茶髪の子と、小さく会釈をする黒髪の女の子。
姉妹かと思ったが、どうやら双子のようだ。顔つきが瓜二つだった。
立ち上がり、ゲームセンターから離れれば、少し後ろから「やったぁ!」と声が聞こえてくる。
どうやらお目当てのぬいぐるみはとれたようだ。
***
伊地知との待ち合わせ時間まであと1時間はある。
どこか涼をとれる場所、と目についたのはアイスクリームショップだった。
最近できた店らしく、先日五条が車窓から眺めながら『食べたいな~』なんて言っていたのを思い出す。
たまにはアイスを食べながら時間を潰してもいいだろう。
帰りにテイクアウトして冷凍庫にお土産としてしまっておけば完璧だ。
若者向けのアイスクリームショップはまさに今時な雰囲気の内装だ。
適正年齢である名無しですら少し落ち着かないというのに、まさか五条一人で買いに行くつもりだったのだろうか。それはそれで勇者である。
無難にミルクアイスとレモンソルベを注文し、カップに盛り付けられたアイスを片手に窓際のカウンターに座る。
座ろうと、したのだ。
まさかこの男がいるとは、誰も予想だにしていなかっただろう。
「やぁ。奇遇だね」
夏油、傑。
まるで昔の知人に会ったかのような気さくさで、悠々と片手を挙げるではないか。
「――何、してるんですか。」
「見ての通りさ。用件は君と同じだと思うんだけどね」
本を片手に、アイスクリームショップだというのにアイスコーヒーをカウンターテーブルに置いている。
以前見た袈裟の姿ではなく、シャツとズボンというかなりラフな格好だった。
一見すれば髪が長い、ただの美丈夫の優男だろう。
「何。別にたまたま居合わせただけだよ。そんな警戒する必要はないんじゃないか?」
「するでしょう、普通。ボッコボコにしておいて、どの口が言うんです?」
「この口だねぇ」
しゃあしゃあと言い、笑う夏油に反省の色はない。
そういうところは五条に似ていると言えば、目の前の男はどんな顔をするだろうか。
「丁度いいや。時間潰しに少し話し相手になってくれないかい?」
「い」
「私はここで『大暴れ』しても構わないんだよ?」
人のいい笑顔で、息を吐くように脅してくる夏油。
口先まで出かかった『嫌だ』という言葉を呑み込み、名無しは苦虫を嚙みつぶしたような表情を隠すことなく浮かべる。
露骨に嫌そうな顔で、二席分あけてカウンター席へ渋々腰を下ろした。
「素直じゃないか。」
「それはどうも。」
「どうだい?高専は。」
「どうと言われましても。普通ですよ。」
まるで久しぶりに会った親戚のような物言いだ。
名無しの無味無臭の答えに対して、不満そうに夏油は頬肘をついた。
「つまらない答えだなぁ。あるだろう?クラスメイトの話とか。」
「残念ながら私の学年は一人だけですよ」
「なるほど。それは退屈だね」
「……退屈ではないですよ。いつも担任に振り回されてますし」
つまらないとは思っていない。
コツコツと一人で鍛錬するのは嫌いではないし、何より破天荒という肩書きが世界一似合う男が担任なのだ。
『退屈』と思うことは、この数ヶ月一度もなかった。
「その様子だと悟とは上手く付き合えているんだ?へぇー…」
「……なんですか。」
「悟のヤツ、喧嘩っ早いし短慮だったからね。教師になってるとはにわかに信じがたくて」
そんなやんちゃな時期があったのか。
いや。思いついたらすぐ行動に移す五条の性格を鑑みれば、たしかにありえなくはない。
……しかしまた短慮とは。中々酷い言われようだ。
「悟の話、聞きたいかい?」
「いえ。結構です。」
「つれないなぁ。気にならないのかい?」
「そういうのは本人がいないところでコソコソ聞くものじゃないでしょう?」
柔らかくなってしまったアイスをスプーンで掬い、頬張る名無し。
気にならないと言えば嘘になるが、わざわざこの男から聞く必要はない。
それに、目の前の『夏油傑』は少なくとも五条の親友だった男だ。
家入や…もしかすると五条本人も気付いていないエピソードが飛び出すかもしれないが、それでも聞く気にはなれなかった。
理由に、夏油という男を信用していないのは大いにあるが、何よりそれは彼の――彼らの大事なものだ。
赤の他人が安易に触れていいものではない。
気軽に聞いていいものではない。
軽率に覗いていいものではない。
大切な記憶や思い出は、そういうものだと。
そう、思っている。
意外そうに細い目元を一瞬見開き、夏油は「……へぇ」と満足そうに笑った。
「なんですか。」
「誠実だなと思ってね。」
「笑うなら笑えばいいじゃないですか」
「誠実な人間を笑いやしないさ」
人間。
前回顔を合わせた時は『物』扱いしていたというのに。
……どういった心境の変化なのやら。
「まぁ、悟が気に入る理由は何となく分かったよ。」
「は、」
はい?
そう聞き返そうと口を開いた瞬間だった。
「あーーー!」
アイスクリーム屋に響く、溌剌とした少女の声。
振り向けば、先程の茶髪の少女と黒髪の少女ではないか。
別れた時には持っていなかったUFOキャッチャーのぬいぐるみを大層大事そうに抱え、入口に立っていた。
「さっきのお姉さんだ!」
「……夏油様、その人は?」
「ん?ななし名無しさんだよ。」
勝手に紹介される。個人情報とか気にしないのだろうか、この男は。
茶髪の少女は「菜々子です!」と。黒髪の少女は「美々子です」と静かに名乗る。
……教育が行き届いていると感心したことを、ほんの少しだけ後悔した。
保護者がまさかこの男だったとは。
「じゃあテイクアウトを用意してもらってるし、受け取って帰ろうか。菜々子、美々子。」
「はい、夏油様!」「はい、夏油様。」
氷だけになったアイスコーヒーをそのままに、夏油はカウンター席からのっそり立ち上がる。
「――あぁ、そうそう。」と思い出したように口を開き、振り返りざまに綺麗な笑顔を浮かべた。
「非呪術師に消費されるのが嫌になったら、いつでもおいで。歓迎するよ。」
「誰が」
「『呪詛師の仲間になるか』って?
――いや、君と僕らは同類だよ。」
「悪食同士、仲良くしようじゃないか。」
そっと囁き出入口へ向かう。
菜々子は元気よく手を振り、美々子は行儀よく小さく会釈した。
何の変哲もない少女二人を連れて、帰り際に夏油は愉しそうに笑う。
「じゃあ、悟によろしくね。」
小暑の紺碧
すっかり溶けてしまったアイスクリームを片手に、名無しは小さく溜息をついた。
……さて、これは五条に報告するべきなのか。
頭が痛くなったのは、きっと冷たいものを食べたせいではないだろう。
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