萌黄の清明
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カポン。
離れに備え付けられている風呂。
半露天の小窓から見える庭から、こっくり首を縦に振る鹿威しが鳴り響く。
ざぷりと肩まで浸かり、ぼんやりと湯気を眺める。
――言葉は、時々嘘をつく。
『大した事ない、ただの世間話だったよ。』
あれは、多分うそだ。
確信があるわけじゃない。何か嘘をついた素振りもない。
けれど何となく――直感で、それは嘘だと分かってしまった。
本当の事が残酷であれば残酷であるほど、言葉は優しくなるものだから。
(……さっきの人みたいに、)
数刻前に茶を出してくれた、女性。
あのように気持ち悪がられた方が、分かりやすくて至極明快だ。
勘繰ることも疑うこともしなくていい。
自分の心に小さな傷が出来る方が、誰かに対して疑心暗鬼になるよりずっとよかった。
風呂から上がり、ひたりと脱衣所に立つ。
『寝間着は用意させておくね』
なんて、笑っていた五条さん。
……思えば、この屋敷では和服の人がとても多い。
用意されているものも必然的に浴衣だった。
(……浴衣なんて、着たことないんだけどなぁ…)
私は小さく溜息をひとつ吐き出して、そろりと袖を通すのであった。
萌黄の清明#11
「名無しさぁ、何かあった?」
相変わらず堅苦しい本家の食事。
用意させた膳を前にして、僕は白味噌のお上品な味噌汁をズゾッと啜った。
「何か、というのは?」
「んー?なんか表情がモヤモヤしてるな、と思って。」
「足の痺れをしつこく突いてきた、大人げない大人に呆れてるんですよ。」
付け合せの柴漬けまで綺麗に食べながら、名無しが小さく笑う。
笑っているように、見える。
「嘘が顔に出てるよ?」
「五条さんは顔には出てないけど嘘ついていらっしゃいましたよね?」
ピシャリ。
容赦ない一言。
そんなこと有り得もしないのに――心臓を、鷲掴みにされた気分になった。
『そんなことないよ』
いつもならそんな風に誤魔化すことが出来ただろう。
しかし、名無しの言葉は『問いかけ』ではなく最早『確認』に近い。
適当にはぐらかせば、きっとそれは致命的な『疵』になる。
喉まで出掛けた言葉をそっと飲み込み、僕は慎重に言葉を選んだ。
「…………名無しさぁ、なんで分かるの?僕、なんか変な癖ある?」
「いえ、何となくです。」
勘。
――カン、かぁ。
女の勘は鋭いとは言うけど、この子は別格だ。
些細な嘘なら意に介さないだろうが、彼女自身に絡むことだからか。
こちらの肝が思わず冷えてしまいそうな恐ろしささえ感じてしまう。
「だってキミはまだ子供だからね。」
「それは理由のつもりですか?」
「立派な理由だよ。大人は、子供を守る義務があるからね。」
「私は一応今年で成人ですよ?」
「……四年間も監禁されていたのに、精神年齢まで大人になった気分でいられちゃあ困るんだけど。」
あぁいえばこう言う。
そんな問答を繰り返し、思わず出てきたのは辛辣な本音。
反射的に口を手で覆うが、もう出てしまった言葉は取り消せない。
「――いや、ごめんね。言い過ぎた。」
「いえ。気持ちがいいくらいの正論です。」
僕の予想に反して、名無しはあっけらかんと笑っている。
……むしろこの本音を吐き出させるために、あえて揚げ足取りのような返事をした可能性も脳裏に過ってしまった。
この子は本当に面白いと思うと同時に油断ならない。
「先生。下手に嘘をつかれて、コソコソと庇護下に置かれる方が私は嫌です。
言葉が通じない赤子じゃないんです。物事の分別くらいちゃんとつきますから。
――私に関係ない事なら言って下さらなくても結構です。先生と私は他人ですし、そこまで無粋な知りたがりになるつもりもありません。もし私の予想が杞憂だったのなら謝ります。」
カチャリと箸を置き、僕を見る黒曜石の双眸。
顔つきはまだあどけなさが残るというのに、視線だけはやけに力強い。
僕をこんなに真っ直ぐ直視する人間なんて、ここ最近だと彼女くらいだ。
嬉しい。慣れない。くすぐったい。
名無しは特別な『眼』を持っている人間ではないのは分かっているはずなのに、見透かされているように感じるのは気の所為だろうか。
ほら。こうやって狡い言葉を、彼女は僕に与えてくる。
「私は、信頼する人を疑うような事はしたくないです。」
「………………はぁ〜〜…そんなこと言われたらさぁ、僕もう名無しに嘘つけないじゃん…」
「えぇ、確信犯で言ってますから。」
「なんて悪い子…」
今回ばかりは僕の負け。
なんで嘘が分かったのか。いつも通りにしていたつもりなんだけど。
ほとぼりが冷めたらこっそり、根掘り葉掘り聞くことにしよう。
項垂れる僕。
目の前に座る名無しは悪びれた様子を微塵も感じさせないくらい、くすくすと――しかしどこか意地が悪そうな笑顔を浮かべていた。
「そうですよ、今更気付きました?」と笑ってすらいる。
「飯が不味くなるような話だよ?」
「大丈夫ですよ。そんなものは心の持ちようですから」
「……名無しって妙なところ男らしいよね。」
僕は溜息を小さくひとつ。
「実は――」
離れに備え付けられている風呂。
半露天の小窓から見える庭から、こっくり首を縦に振る鹿威しが鳴り響く。
ざぷりと肩まで浸かり、ぼんやりと湯気を眺める。
――言葉は、時々嘘をつく。
『大した事ない、ただの世間話だったよ。』
あれは、多分うそだ。
確信があるわけじゃない。何か嘘をついた素振りもない。
けれど何となく――直感で、それは嘘だと分かってしまった。
本当の事が残酷であれば残酷であるほど、言葉は優しくなるものだから。
(……さっきの人みたいに、)
数刻前に茶を出してくれた、女性。
あのように気持ち悪がられた方が、分かりやすくて至極明快だ。
勘繰ることも疑うこともしなくていい。
自分の心に小さな傷が出来る方が、誰かに対して疑心暗鬼になるよりずっとよかった。
風呂から上がり、ひたりと脱衣所に立つ。
『寝間着は用意させておくね』
なんて、笑っていた五条さん。
……思えば、この屋敷では和服の人がとても多い。
用意されているものも必然的に浴衣だった。
(……浴衣なんて、着たことないんだけどなぁ…)
私は小さく溜息をひとつ吐き出して、そろりと袖を通すのであった。
萌黄の清明#11
「名無しさぁ、何かあった?」
相変わらず堅苦しい本家の食事。
用意させた膳を前にして、僕は白味噌のお上品な味噌汁をズゾッと啜った。
「何か、というのは?」
「んー?なんか表情がモヤモヤしてるな、と思って。」
「足の痺れをしつこく突いてきた、大人げない大人に呆れてるんですよ。」
付け合せの柴漬けまで綺麗に食べながら、名無しが小さく笑う。
笑っているように、見える。
「嘘が顔に出てるよ?」
「五条さんは顔には出てないけど嘘ついていらっしゃいましたよね?」
ピシャリ。
容赦ない一言。
そんなこと有り得もしないのに――心臓を、鷲掴みにされた気分になった。
『そんなことないよ』
いつもならそんな風に誤魔化すことが出来ただろう。
しかし、名無しの言葉は『問いかけ』ではなく最早『確認』に近い。
適当にはぐらかせば、きっとそれは致命的な『疵』になる。
喉まで出掛けた言葉をそっと飲み込み、僕は慎重に言葉を選んだ。
「…………名無しさぁ、なんで分かるの?僕、なんか変な癖ある?」
「いえ、何となくです。」
勘。
――カン、かぁ。
女の勘は鋭いとは言うけど、この子は別格だ。
些細な嘘なら意に介さないだろうが、彼女自身に絡むことだからか。
こちらの肝が思わず冷えてしまいそうな恐ろしささえ感じてしまう。
「だってキミはまだ子供だからね。」
「それは理由のつもりですか?」
「立派な理由だよ。大人は、子供を守る義務があるからね。」
「私は一応今年で成人ですよ?」
「……四年間も監禁されていたのに、精神年齢まで大人になった気分でいられちゃあ困るんだけど。」
あぁいえばこう言う。
そんな問答を繰り返し、思わず出てきたのは辛辣な本音。
反射的に口を手で覆うが、もう出てしまった言葉は取り消せない。
「――いや、ごめんね。言い過ぎた。」
「いえ。気持ちがいいくらいの正論です。」
僕の予想に反して、名無しはあっけらかんと笑っている。
……むしろこの本音を吐き出させるために、あえて揚げ足取りのような返事をした可能性も脳裏に過ってしまった。
この子は本当に面白いと思うと同時に油断ならない。
「先生。下手に嘘をつかれて、コソコソと庇護下に置かれる方が私は嫌です。
言葉が通じない赤子じゃないんです。物事の分別くらいちゃんとつきますから。
――私に関係ない事なら言って下さらなくても結構です。先生と私は他人ですし、そこまで無粋な知りたがりになるつもりもありません。もし私の予想が杞憂だったのなら謝ります。」
カチャリと箸を置き、僕を見る黒曜石の双眸。
顔つきはまだあどけなさが残るというのに、視線だけはやけに力強い。
僕をこんなに真っ直ぐ直視する人間なんて、ここ最近だと彼女くらいだ。
嬉しい。慣れない。くすぐったい。
名無しは特別な『眼』を持っている人間ではないのは分かっているはずなのに、見透かされているように感じるのは気の所為だろうか。
ほら。こうやって狡い言葉を、彼女は僕に与えてくる。
「私は、信頼する人を疑うような事はしたくないです。」
「………………はぁ〜〜…そんなこと言われたらさぁ、僕もう名無しに嘘つけないじゃん…」
「えぇ、確信犯で言ってますから。」
「なんて悪い子…」
今回ばかりは僕の負け。
なんで嘘が分かったのか。いつも通りにしていたつもりなんだけど。
ほとぼりが冷めたらこっそり、根掘り葉掘り聞くことにしよう。
項垂れる僕。
目の前に座る名無しは悪びれた様子を微塵も感じさせないくらい、くすくすと――しかしどこか意地が悪そうな笑顔を浮かべていた。
「そうですよ、今更気付きました?」と笑ってすらいる。
「飯が不味くなるような話だよ?」
「大丈夫ですよ。そんなものは心の持ちようですから」
「……名無しって妙なところ男らしいよね。」
僕は溜息を小さくひとつ。
「実は――」