青藍の冬至
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呪霊は、祓った。
でもまだあの男が残っている。
霞む視界。
血が足りなくてクラクラする。
吐きそうなくらい吸い込んだ煙で酸素も足りなければ、ギリギリまで身体に残した血も、正直足りない。
ここで倒れたら水の泡だ。
――帰らなければ。
私は、あの人のところへ。
限界の膝が、笑うようにガクガクと震える。
立つ気力もない。
刀を握る指先がどんどん冷たくなっていくのが分かる。
駄目だ。駄目、ダメ、だめ。倒れるな。
だって、私はまだ、何も返せていない。
夏油が、ゆっくり一歩一歩こちらへ近付いてくる。
泥のようになった地面を踏む度に、挽肉を練るような音が鳴り響く。
しかし、彼の視線は私ではなく、明後日の方向に向けられていた。
「遅かったじゃないか。――悟。」
薄れる意識の向こうで、眩い程の銀色が見えた……気がした。
青藍の冬至#15
「お前さ、何がしたかったの。」
朽ちた枯葉と泥に塗れた地面。
血と泥と灰でぐしゃぐしゃになった名無しの身体を抱えながら、僕は静かに尋ねた。
腹の底からグツグツと怒りが煮え滾る。
これは『親友』だとしても、許すことは到底出来ない悪行だ。
「目はつけていたさ。反転術式、私は使えないからね。」
特級呪具・游雲でトントンと肩を叩きながら傑が答える。
「それを悟が横取りしただけだろう?」
悪気が微塵も感じられない、一言。
呪術師も、非呪術師にも平等に接していた『夏油傑』の姿は、もうそこにはなかった。
「手足でも千切って恐怖を植え付けてしまえば、大人しく血肉を提供してくれるかと思ったんだけど――牙を剥かれてしまってね。誤算かな。」
困ったように耳の後ろを指先で掻く傑。
……敵意は、ない。
それでも僕は警戒を解くことはない。
それは勿論、腕の中にこの子がいるから。
「呪術師は無闇に殺さないと思ってたんだけど?」
「死んでないじゃないか。――いや、死ねないんじゃないか?彼女。」
――痛いところをついてくる。
八百比丘尼が『どのくらい人魚の肉を喰らったのか』どの文献にも書かれていない。
が、大抵は手土産で持って帰れるくらいの量だ。たかが知れている。
少し口にして、寿命が1000年だとしたら?
名無しがその倍以上喰わされていたとしたら?
……果てがない。
彼女がせおわされた『命の残量』を推し量ることなど、六眼をもってしても不可能だ。
「不老不死になったのなら、ある意味《天元》よりも悲惨な末路になるんじゃないか?」
「黙れ。」
脳裏に過ぎるのは星漿体の少女。
不死の《天元》。
やり切れなかった末路。
――そう。不老不死なんて、欲しがる人間はごまんといる。
呪術師も、非呪術師も。
「どうせ上の老害達からも《秘匿死刑》なんて言い渡されていないのだろう?ななし名無しは。
老人達も人が悪い。最悪『八百比丘尼を喰らえば寿命が延びる』…なんて考えてるんじゃないのか?」
その通りだ。
大抵『特級呪物』や『特級呪霊』に呪われた人間は秘匿死刑が宣告される。
それでも名無しが『要観察』で済んでいるのは、偏にその有用性からだろう。
……聡い彼女のことだ。もしかしたらそれも勘づいているのかもしれない。
「それなのに高専で『保護』なんて、体良く言ったものだね、悟。」
「事実だよ。腐ったミカンみたいな老害に、手を出させるつもりなんて毛程もないからね。」
それは、彼女の手を取った時から決めた事。
彼女は『道具』ではない。
二度と、儚く消費されるだけの『命』を生み出してはならない。
そして、
「名無しは、呪術師だ。そして僕の『初めての生徒』になるんだから。」
呪霊に恐れをなして退学する者。
呪霊に喰われ志半ばで斃る者。
呪術界は常に人手不足。高専の学舎も今は寒々しい程に伽藍堂。
若い芽を、摘ませる訳にはいかない。
それが未来の生徒なら尚更。
「お前が高専の教師?
…………ぷっ、くくっ、あははは!」
「そこは『おめでとう』の一言くらいあってもいいんじゃない?」
「いや…成程……ふふっ、それは、すまない。」
腹を抱えて笑い始めた親友をじとりと見遣れば、目尻に涙を浮かべる程に笑い転げていた。
まぁ、無理もない。僕だって色々考えた結果こうなったんだから。
お前の――『夏油傑の離反』がなければ、こんなこと思いもつかなった。
本人には、絶対に言わないけど。
「『責任取る』って言っちゃったし。そう易々と『じゃあ傑にあげちゃおっかな』なんてする訳ないでしょ。――名無しは、僕のだ。」
言葉には責任があり、縛でもある。
それが呪いを含まないものだとしても、僕が僕と決めた『約束』だ。
誰にも渡さない。
それが親友でも、呪術界の人間でも。
「…………悟、それじゃまるでプロポーズだ。」
「プロポーズ?」
責任を取る。
『僕の』だ。
…なんなら『僕の所においでよ』も言った気がする。
思い返せば後悔――ではなく、不思議とストンと腑に落ちた気分になった。
あぁ、そうか。そうなのかも。
「……うん、うん。悪くないんじゃない?」
「正気か?」
「呪術師だけの世界を作るんだ〜なんて息巻いてるヤツには言われたくないセリフなんだけど。」
何に対しての『正気』なのか。
大体、呪術師なんて全員狂ってるようなものだろうに。
「早く名無しを硝子に診せたいから早く視界から消えてくれない?傑。」
「つれないな。親友だろ?」
「……バーカ。」
白々しく肩を竦める傑は、呼び出した鳥型の呪霊の背に乗る。
禿山になってしまった焼け野原から飛び立つ姿を見送りつつ、僕は『べ。』と舌を出した。
呪力が感知出来ない程に遠ざかるのを確認して、視線を落とす。
すぅすぅと穏やかに寝息を立てる名無し。
回復に専念している為か、夥しい火傷と切り傷はほぼ完治していた。
それを喜ばしいと取るか、嘆かわしいと取るかは、また別問題だけど。
「――帰ろうか、名無し。僕らの高専に。」
でもまだあの男が残っている。
霞む視界。
血が足りなくてクラクラする。
吐きそうなくらい吸い込んだ煙で酸素も足りなければ、ギリギリまで身体に残した血も、正直足りない。
ここで倒れたら水の泡だ。
――帰らなければ。
私は、あの人のところへ。
限界の膝が、笑うようにガクガクと震える。
立つ気力もない。
刀を握る指先がどんどん冷たくなっていくのが分かる。
駄目だ。駄目、ダメ、だめ。倒れるな。
だって、私はまだ、何も返せていない。
夏油が、ゆっくり一歩一歩こちらへ近付いてくる。
泥のようになった地面を踏む度に、挽肉を練るような音が鳴り響く。
しかし、彼の視線は私ではなく、明後日の方向に向けられていた。
「遅かったじゃないか。――悟。」
薄れる意識の向こうで、眩い程の銀色が見えた……気がした。
青藍の冬至#15
「お前さ、何がしたかったの。」
朽ちた枯葉と泥に塗れた地面。
血と泥と灰でぐしゃぐしゃになった名無しの身体を抱えながら、僕は静かに尋ねた。
腹の底からグツグツと怒りが煮え滾る。
これは『親友』だとしても、許すことは到底出来ない悪行だ。
「目はつけていたさ。反転術式、私は使えないからね。」
特級呪具・游雲でトントンと肩を叩きながら傑が答える。
「それを悟が横取りしただけだろう?」
悪気が微塵も感じられない、一言。
呪術師も、非呪術師にも平等に接していた『夏油傑』の姿は、もうそこにはなかった。
「手足でも千切って恐怖を植え付けてしまえば、大人しく血肉を提供してくれるかと思ったんだけど――牙を剥かれてしまってね。誤算かな。」
困ったように耳の後ろを指先で掻く傑。
……敵意は、ない。
それでも僕は警戒を解くことはない。
それは勿論、腕の中にこの子がいるから。
「呪術師は無闇に殺さないと思ってたんだけど?」
「死んでないじゃないか。――いや、死ねないんじゃないか?彼女。」
――痛いところをついてくる。
八百比丘尼が『どのくらい人魚の肉を喰らったのか』どの文献にも書かれていない。
が、大抵は手土産で持って帰れるくらいの量だ。たかが知れている。
少し口にして、寿命が1000年だとしたら?
名無しがその倍以上喰わされていたとしたら?
……果てがない。
彼女がせおわされた『命の残量』を推し量ることなど、六眼をもってしても不可能だ。
「不老不死になったのなら、ある意味《天元》よりも悲惨な末路になるんじゃないか?」
「黙れ。」
脳裏に過ぎるのは星漿体の少女。
不死の《天元》。
やり切れなかった末路。
――そう。不老不死なんて、欲しがる人間はごまんといる。
呪術師も、非呪術師も。
「どうせ上の老害達からも《秘匿死刑》なんて言い渡されていないのだろう?ななし名無しは。
老人達も人が悪い。最悪『八百比丘尼を喰らえば寿命が延びる』…なんて考えてるんじゃないのか?」
その通りだ。
大抵『特級呪物』や『特級呪霊』に呪われた人間は秘匿死刑が宣告される。
それでも名無しが『要観察』で済んでいるのは、偏にその有用性からだろう。
……聡い彼女のことだ。もしかしたらそれも勘づいているのかもしれない。
「それなのに高専で『保護』なんて、体良く言ったものだね、悟。」
「事実だよ。腐ったミカンみたいな老害に、手を出させるつもりなんて毛程もないからね。」
それは、彼女の手を取った時から決めた事。
彼女は『道具』ではない。
二度と、儚く消費されるだけの『命』を生み出してはならない。
そして、
「名無しは、呪術師だ。そして僕の『初めての生徒』になるんだから。」
呪霊に恐れをなして退学する者。
呪霊に喰われ志半ばで斃る者。
呪術界は常に人手不足。高専の学舎も今は寒々しい程に伽藍堂。
若い芽を、摘ませる訳にはいかない。
それが未来の生徒なら尚更。
「お前が高専の教師?
…………ぷっ、くくっ、あははは!」
「そこは『おめでとう』の一言くらいあってもいいんじゃない?」
「いや…成程……ふふっ、それは、すまない。」
腹を抱えて笑い始めた親友をじとりと見遣れば、目尻に涙を浮かべる程に笑い転げていた。
まぁ、無理もない。僕だって色々考えた結果こうなったんだから。
お前の――『夏油傑の離反』がなければ、こんなこと思いもつかなった。
本人には、絶対に言わないけど。
「『責任取る』って言っちゃったし。そう易々と『じゃあ傑にあげちゃおっかな』なんてする訳ないでしょ。――名無しは、僕のだ。」
言葉には責任があり、縛でもある。
それが呪いを含まないものだとしても、僕が僕と決めた『約束』だ。
誰にも渡さない。
それが親友でも、呪術界の人間でも。
「…………悟、それじゃまるでプロポーズだ。」
「プロポーズ?」
責任を取る。
『僕の』だ。
…なんなら『僕の所においでよ』も言った気がする。
思い返せば後悔――ではなく、不思議とストンと腑に落ちた気分になった。
あぁ、そうか。そうなのかも。
「……うん、うん。悪くないんじゃない?」
「正気か?」
「呪術師だけの世界を作るんだ〜なんて息巻いてるヤツには言われたくないセリフなんだけど。」
何に対しての『正気』なのか。
大体、呪術師なんて全員狂ってるようなものだろうに。
「早く名無しを硝子に診せたいから早く視界から消えてくれない?傑。」
「つれないな。親友だろ?」
「……バーカ。」
白々しく肩を竦める傑は、呼び出した鳥型の呪霊の背に乗る。
禿山になってしまった焼け野原から飛び立つ姿を見送りつつ、僕は『べ。』と舌を出した。
呪力が感知出来ない程に遠ざかるのを確認して、視線を落とす。
すぅすぅと穏やかに寝息を立てる名無し。
回復に専念している為か、夥しい火傷と切り傷はほぼ完治していた。
それを喜ばしいと取るか、嘆かわしいと取るかは、また別問題だけど。
「――帰ろうか、名無し。僕らの高専に。」