銀朱に交わる
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京都駅から東京へ向かう新幹線の中。
出発してすぐ席を立った僕は、先に席へ着いている名無しの元へ向かった。
「ごめんごめん、荷物ありがとね。」
「いえ。これくらい大丈夫ですよ」
僕の分の荷物も棚上へしまってくれた彼女は、通路側の席に座っていた。
「折角なんだし、名無し窓際座りなよ。景色いいよ?」
「いえ。私は通路側で大丈夫です」
だと思った。
きっと僕が少し遅れて席に来たことも、便所か何かだと思っているのだろう。
「いいからいいから。そっちの窓からなら富士山見えるかもよ」
身体で押しのけるように彼女を窓際の席に追いやれば、流石の強情も渋々窓際へ座り直した。
「眠たくなったら凭れてもいいよ。僕の肩、寝やすそうだと思わない?」
「ありがとうございます。お気持ちだけで十分です」
軽い冗談すら返すことなく、社交辞令のようにやんわり断られる。
少し前までは「ご冗談を」と笑って返してくれていたものだが、今は小さく微笑むだけ。
それもそのはず。
名無しはずっと、警戒している。
それは勿論僕に対してではない。
「大丈夫だよ。新幹線内見てみたけどいなかったし、呪物の持ち込みもなかったから。」
全車両。
新幹線が出発すると同時に、九重直次・八百比丘尼のなりそこない・八百比丘尼に関する呪物を持ち込まれていないか、視て回った。
そして、僕がこうして腰を落ち着かせるに至る。結果は白である。
名無しは動揺を隠しきれなかったのか黒い鏡のような瞳を丸くし、僕の顔を見上げてくる。
久しぶりに目が合った彼女の表情は疲れているというより、憔悴しているようにも見えた。
どこかで既視感があると思えば、そうだ。
いなくなる前の傑も似たような顔をしていた。…気がする。
白状するとあの頃は術式の研究に没頭していて、傑がどんな顔をしていたのか。どんな様子だったのか。記憶が曖昧なところがある。
我ながら薄情だと自嘲してしまうが、残念ながら取り零すにはあまりにも大きく、そして過ぎてしまったことだ。
今はただ、僕に出来ることは目の前のこの子が壊れないように手を伸ばすしかない。
「気にしてた?」
「……はい。」
「気を張りすぎ。そんなんじゃ身が持たないよ」
僕がなるべく軽い調子で指摘すると、自覚があったのか「それも、そうですね」と名無しは苦笑いを浮かべた。
困ったように細めた目元はいつもより覇気がないように見える。
それもそう。今朝の様子から察するに恐らく眠りが浅かったのか、眠れなかったのだろう。
今まで彼女がこなしてきた任務は、学生があたるにしては決して軽くないものがいくつもあった。
それでもメンタルの不調を訴えてきたり、そんな様子は見受けられなかった。
それでも、あの男に再会してから。
悪い意味で彼女の心を掻き乱しているということは重々承知だ。こんなことで苛立ちを覚えるなんて身勝手だと理解している。
それでも《面白くない》と思ってしまう辺り、僕の性格も大概だ。
少なくとも──僕の告白では、彼女の心を動かすことは叶わなかったのだから。
「着いたら起こしてあげるから寝ときな。それともご当地銘菓しりとりでもしちゃう?」
「そのしりとり、勝てる気がしません」
そう言って名無しは笑う。
流れていく景色に視線を向けた彼女だったが、結局帰りの新幹線で眠ることは一睡もなかった。
銀朱に交わる#12
『儂の若い頃、《ななし名無し》を見たことがある。』
交流会の団体戦後。
教員と補助監督による、明日の個人戦の打ち合わせも終わった後のことだ。
夜蛾学長と僕は、楽巌寺学長に別室へ呼び出された。
八百比丘尼のことについて小言でも言われるのかと内心溜息をついていたが、予想に反して目の前の老人も『伝えていいものか』と思案しているようだった。
湯呑みの茶がぬるくなる程の沈黙を経て、重い口を開けた内容が先程の発言だ。
『はぁ?ついに耄碌した?お爺ちゃん。』
『しとらん。いや…見たという言い方は違うな。儂の若い頃、命を助けられた。』
『先の団体戦で術式を見て確信したわい』とボヤく辺り、ほぼ確信に近い答えなのだろう。
『戦後の話だ。今とは違って髪が長く着物を着ておったが、確かにあの女はななし名無しと瓜二つだったぞ』
楽巌寺学長が言いたいこと。
《あの娘は先代の八百比丘尼ではないか》
しかしそれでは辻褄が合わない。
名無しが言うには『子供の頃は至って普通でしたよ。呪霊は見えていましたけど』と聞いている。
ならば《人魚の肉》を食べさせられたのは、九重直次に拉致されてからで間違いない。
『名無しが《八百比丘尼》にさせられたのは7年前だよ。それまでは呪力のある、ただの女の子なんだから有り得ないでしょ』
実際に会ったという楽巌寺学長の発言は信用に値するものだろう。
こんなこと、確信がなければ夜蛾学長だけなら兎も角、態々僕まで呼び出してまで話するはずがない。
それに、何より僕は彼女のことを信頼している。
『……八百比丘尼は二人いる、なんてことはないのですか?』
黙って聞いていた夜蛾学長が口を開く。
同一人物でないとすれば。
時系列の辻褄が合わないとするならば。
『可能性はゼロではないが。』
『そっくりさんの理由が立たないって?』
『あぁ。』
僕が間の手のように問えば、たくわえた髭を揺らしながら楽巌寺学長は首を縦に揺らした。
『──その辺は僕が調べときますよ。』
他人に彼女の領域 を踏み荒らされるなんて真っ平御免だ。
出発してすぐ席を立った僕は、先に席へ着いている名無しの元へ向かった。
「ごめんごめん、荷物ありがとね。」
「いえ。これくらい大丈夫ですよ」
僕の分の荷物も棚上へしまってくれた彼女は、通路側の席に座っていた。
「折角なんだし、名無し窓際座りなよ。景色いいよ?」
「いえ。私は通路側で大丈夫です」
だと思った。
きっと僕が少し遅れて席に来たことも、便所か何かだと思っているのだろう。
「いいからいいから。そっちの窓からなら富士山見えるかもよ」
身体で押しのけるように彼女を窓際の席に追いやれば、流石の強情も渋々窓際へ座り直した。
「眠たくなったら凭れてもいいよ。僕の肩、寝やすそうだと思わない?」
「ありがとうございます。お気持ちだけで十分です」
軽い冗談すら返すことなく、社交辞令のようにやんわり断られる。
少し前までは「ご冗談を」と笑って返してくれていたものだが、今は小さく微笑むだけ。
それもそのはず。
名無しはずっと、警戒している。
それは勿論僕に対してではない。
「大丈夫だよ。新幹線内見てみたけどいなかったし、呪物の持ち込みもなかったから。」
全車両。
新幹線が出発すると同時に、九重直次・八百比丘尼のなりそこない・八百比丘尼に関する呪物を持ち込まれていないか、視て回った。
そして、僕がこうして腰を落ち着かせるに至る。結果は白である。
名無しは動揺を隠しきれなかったのか黒い鏡のような瞳を丸くし、僕の顔を見上げてくる。
久しぶりに目が合った彼女の表情は疲れているというより、憔悴しているようにも見えた。
どこかで既視感があると思えば、そうだ。
いなくなる前の傑も似たような顔をしていた。…気がする。
白状するとあの頃は術式の研究に没頭していて、傑がどんな顔をしていたのか。どんな様子だったのか。記憶が曖昧なところがある。
我ながら薄情だと自嘲してしまうが、残念ながら取り零すにはあまりにも大きく、そして過ぎてしまったことだ。
今はただ、僕に出来ることは目の前のこの子が壊れないように手を伸ばすしかない。
「気にしてた?」
「……はい。」
「気を張りすぎ。そんなんじゃ身が持たないよ」
僕がなるべく軽い調子で指摘すると、自覚があったのか「それも、そうですね」と名無しは苦笑いを浮かべた。
困ったように細めた目元はいつもより覇気がないように見える。
それもそう。今朝の様子から察するに恐らく眠りが浅かったのか、眠れなかったのだろう。
今まで彼女がこなしてきた任務は、学生があたるにしては決して軽くないものがいくつもあった。
それでもメンタルの不調を訴えてきたり、そんな様子は見受けられなかった。
それでも、あの男に再会してから。
悪い意味で彼女の心を掻き乱しているということは重々承知だ。こんなことで苛立ちを覚えるなんて身勝手だと理解している。
それでも《面白くない》と思ってしまう辺り、僕の性格も大概だ。
少なくとも──僕の告白では、彼女の心を動かすことは叶わなかったのだから。
「着いたら起こしてあげるから寝ときな。それともご当地銘菓しりとりでもしちゃう?」
「そのしりとり、勝てる気がしません」
そう言って名無しは笑う。
流れていく景色に視線を向けた彼女だったが、結局帰りの新幹線で眠ることは一睡もなかった。
銀朱に交わる#12
『儂の若い頃、《ななし名無し》を見たことがある。』
交流会の団体戦後。
教員と補助監督による、明日の個人戦の打ち合わせも終わった後のことだ。
夜蛾学長と僕は、楽巌寺学長に別室へ呼び出された。
八百比丘尼のことについて小言でも言われるのかと内心溜息をついていたが、予想に反して目の前の老人も『伝えていいものか』と思案しているようだった。
湯呑みの茶がぬるくなる程の沈黙を経て、重い口を開けた内容が先程の発言だ。
『はぁ?ついに耄碌した?お爺ちゃん。』
『しとらん。いや…見たという言い方は違うな。儂の若い頃、命を助けられた。』
『先の団体戦で術式を見て確信したわい』とボヤく辺り、ほぼ確信に近い答えなのだろう。
『戦後の話だ。今とは違って髪が長く着物を着ておったが、確かにあの女はななし名無しと瓜二つだったぞ』
楽巌寺学長が言いたいこと。
《あの娘は先代の八百比丘尼ではないか》
しかしそれでは辻褄が合わない。
名無しが言うには『子供の頃は至って普通でしたよ。呪霊は見えていましたけど』と聞いている。
ならば《人魚の肉》を食べさせられたのは、九重直次に拉致されてからで間違いない。
『名無しが《八百比丘尼》にさせられたのは7年前だよ。それまでは呪力のある、ただの女の子なんだから有り得ないでしょ』
実際に会ったという楽巌寺学長の発言は信用に値するものだろう。
こんなこと、確信がなければ夜蛾学長だけなら兎も角、態々僕まで呼び出してまで話するはずがない。
それに、何より僕は彼女のことを信頼している。
『……八百比丘尼は二人いる、なんてことはないのですか?』
黙って聞いていた夜蛾学長が口を開く。
同一人物でないとすれば。
時系列の辻褄が合わないとするならば。
『可能性はゼロではないが。』
『そっくりさんの理由が立たないって?』
『あぁ。』
僕が間の手のように問えば、たくわえた髭を揺らしながら楽巌寺学長は首を縦に揺らした。
『──その辺は僕が調べときますよ。』
他人に彼女の
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