銀朱に交わる
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木の、匂い。
指先から感覚を取り戻すような浮遊感。
『眠っていたのか』と理解してしまえば、あとは目を開けるだけだ。
見たことない木目の天井。
手入れの行き届いた庭からは鹿威しの乾いた音が子気味よく鳴り響く。
「目が覚めた?」
耳に馴染む、声。
首を左へ向ければ、報告書らしき紙の束とスマートフォンを片手に持った五条さんの姿。
最後に見た格式高そうな着物でもなく、高専でよく見る黒ずくめの仕事着でもなく、紺色の浴衣を身に纏っていた。
慣れた様子で着ているところから察するに、部屋着代わりのものだろうか。
「大丈夫。うちの本家だよ。」
以前通された客間とは違う部屋のようだ。
布団から身体を起こせば、服も変わっていることに気付く。
薄桃色の、旅館で着るような浴衣だ。きっと寝泊まりする来客用のものだろう。
吐血で汚れただろうに、誰かが着替えさせてくれたと思うと少しばかり申し訳ない気分になった。
「丸一日寝てたんだよ。術式のハッキングとか、脳や肉体に負担かかって当然なんだけどさ」
「そうですね」
「身体 の術式も、たまにそうやって読んでるってわけ?」
口調は変えずに。しかしこちらへ向けられた視線は些か冷ややかだ。
「術式を読むなんて芸当、一朝一夕で出来ないでしょ」
──その通りだ。
そうならないように努力しているつもりだが、万が一呪詛師に捕まってしまったら。
一歩も動けないような深手を負って、呪霊に喰われる状況だとしたら。
その最悪の『もしも』を、想定しないわけがない。
己の術式で《分解》と《再構築》が出来るなら。
この呪われた身体に刻まれた『八百比丘尼』の呪いを祓えないかと。
いや。祓うなんて贅沢は言わない。
自死することが出来ないかと、何度も何度も術式を読もうと試みた。
「不当に利用されるくらいなら、自害する術があった方が皆さん安心するでしょう?」
公で口には出さないだろうが、それでも《そう》思っている人間は必ずいるだろう。
何せ不老不死の八百比丘尼なんて呪術高専側からすれば、悪用されるデメリットはあれど、手元に置いておくメリットなんてないのだから。
(まぁ、殆ど術式を読み解けていないから、こうして生きているんですけど)
自分で言うのもなんだが、この身体は完全にブラックボックスのようなものだ。
そもそも不老不死の術式 が紐解かれているならば、《八百比丘尼を造って不老不死を解明する》なんて馬鹿げたことをしようとする、九重直次のような人間は現れないだろう。
私の答えに対し、呆れた様子で溜息を吐き出す五条さん。
「僕、君のそういうトコは好きじゃないかな」
「そう思って頂けるなら良かったです」
心の底から、そう思った。
疑心暗鬼になる心。
鉛玉を飲み込んでしまったかのように、腹の底がズンと重くなる。
誰だって、後ろ指を差されながら生きたくない。
私だって──本当は、こんなこと。
我ながら卑怯だと思う。口には出せない私の本音を、目の前のこの人が代弁してくれる。
それだけで安堵する自分がいる。
『お前の考えは最適解じゃない』と暗に否定されることが、こんなにも安心するだなんて。
五条さんは「よくねーよ。」と呟き、本日二度目の溜息を深く吐き出した。
「……で?事のあらましは禪院側から聞いたけど、接触してきたって?」
「はい。相変わらず、不愉快な人でした」
誰、とは具体的に名前を出さない。五条さんなりの配慮なのだろう。
「猪野に感謝だね。たまたま京都校内で本物の禪院直哉に会って『何で同じ顔が二人いるンっスか!?』ってビックリしてたみたいだし」
「…あー、それで。」
だからあの場に禪院直哉さんが居合わせたのか。
良い印象は相変わらずないのだが、今回の事は折を見て御礼をするべきだろう。
「…大丈夫?」
「大丈夫ですよ。」
五条さんの問いかけに、脊椎反射に近い返事を返してしまう。
大丈夫。大丈夫。大丈夫だと言い聞かせるしかない。
私がここで鬱憤を吐き出したところでどうにもならない。
子供のように泣き喚いたところで、きっと目の前の恩人を困らせるだけだ。
だから、大丈夫。
我慢するのは慣れている。
痛みに耐える事も、痛いことを《痛い》と思わない事も、ずっとずっと味わってきたことだ。
あの水底のように暗く、冷たく、死に満ちた場所で。
銀朱に交わる#09
見透かすような六眼の視線がいたたまれなくて、私は静かに視線を落とした。
指先から感覚を取り戻すような浮遊感。
『眠っていたのか』と理解してしまえば、あとは目を開けるだけだ。
見たことない木目の天井。
手入れの行き届いた庭からは鹿威しの乾いた音が子気味よく鳴り響く。
「目が覚めた?」
耳に馴染む、声。
首を左へ向ければ、報告書らしき紙の束とスマートフォンを片手に持った五条さんの姿。
最後に見た格式高そうな着物でもなく、高専でよく見る黒ずくめの仕事着でもなく、紺色の浴衣を身に纏っていた。
慣れた様子で着ているところから察するに、部屋着代わりのものだろうか。
「大丈夫。うちの本家だよ。」
以前通された客間とは違う部屋のようだ。
布団から身体を起こせば、服も変わっていることに気付く。
薄桃色の、旅館で着るような浴衣だ。きっと寝泊まりする来客用のものだろう。
吐血で汚れただろうに、誰かが着替えさせてくれたと思うと少しばかり申し訳ない気分になった。
「丸一日寝てたんだよ。術式のハッキングとか、脳や肉体に負担かかって当然なんだけどさ」
「そうですね」
「
口調は変えずに。しかしこちらへ向けられた視線は些か冷ややかだ。
「術式を読むなんて芸当、一朝一夕で出来ないでしょ」
──その通りだ。
そうならないように努力しているつもりだが、万が一呪詛師に捕まってしまったら。
一歩も動けないような深手を負って、呪霊に喰われる状況だとしたら。
その最悪の『もしも』を、想定しないわけがない。
己の術式で《分解》と《再構築》が出来るなら。
この呪われた身体に刻まれた『八百比丘尼』の呪いを祓えないかと。
いや。祓うなんて贅沢は言わない。
自死することが出来ないかと、何度も何度も術式を読もうと試みた。
「不当に利用されるくらいなら、自害する術があった方が皆さん安心するでしょう?」
公で口には出さないだろうが、それでも《そう》思っている人間は必ずいるだろう。
何せ不老不死の八百比丘尼なんて呪術高専側からすれば、悪用されるデメリットはあれど、手元に置いておくメリットなんてないのだから。
(まぁ、殆ど術式を読み解けていないから、こうして生きているんですけど)
自分で言うのもなんだが、この身体は完全にブラックボックスのようなものだ。
そもそも不老不死の
私の答えに対し、呆れた様子で溜息を吐き出す五条さん。
「僕、君のそういうトコは好きじゃないかな」
「そう思って頂けるなら良かったです」
心の底から、そう思った。
疑心暗鬼になる心。
鉛玉を飲み込んでしまったかのように、腹の底がズンと重くなる。
誰だって、後ろ指を差されながら生きたくない。
私だって──本当は、こんなこと。
我ながら卑怯だと思う。口には出せない私の本音を、目の前のこの人が代弁してくれる。
それだけで安堵する自分がいる。
『お前の考えは最適解じゃない』と暗に否定されることが、こんなにも安心するだなんて。
五条さんは「よくねーよ。」と呟き、本日二度目の溜息を深く吐き出した。
「……で?事のあらましは禪院側から聞いたけど、接触してきたって?」
「はい。相変わらず、不愉快な人でした」
誰、とは具体的に名前を出さない。五条さんなりの配慮なのだろう。
「猪野に感謝だね。たまたま京都校内で本物の禪院直哉に会って『何で同じ顔が二人いるンっスか!?』ってビックリしてたみたいだし」
「…あー、それで。」
だからあの場に禪院直哉さんが居合わせたのか。
良い印象は相変わらずないのだが、今回の事は折を見て御礼をするべきだろう。
「…大丈夫?」
「大丈夫ですよ。」
五条さんの問いかけに、脊椎反射に近い返事を返してしまう。
大丈夫。大丈夫。大丈夫だと言い聞かせるしかない。
私がここで鬱憤を吐き出したところでどうにもならない。
子供のように泣き喚いたところで、きっと目の前の恩人を困らせるだけだ。
だから、大丈夫。
我慢するのは慣れている。
痛みに耐える事も、痛いことを《痛い》と思わない事も、ずっとずっと味わってきたことだ。
あの水底のように暗く、冷たく、死に満ちた場所で。
銀朱に交わる#09
見透かすような六眼の視線がいたたまれなくて、私は静かに視線を落とした。