銀朱に交わる
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団体戦があった次の日。
京都校の敷地内で行われた個人戦は、実に呆気なく幕を閉じた。
(なんや。動揺してポカやらかすかと思ったけど、なんもあらへんかったなァ)
観覧席で欠伸を一つ零し、禪院直哉は退屈そうに目を細めた。
「今年の呪術高等専門学校姉妹校交流試合、東京校の勝利!」
銀朱に交わる#07
「野暮用、ですか?」
「そ。まぁ御三家関係のね。だから今日は実家に戻るよ。帰る便は出来れば同じ新幹線に乗りたいところだけど」
鮮やかな勝利を納め、誇らしげに五条が褒めた後のこと。
気だるげに肩を竦める担任に対し、名無しは《仕方ない》と言わんばかりに小さく頷いた。
「お忙しいですもんね。久しぶりのご実家ですし、ゆっくりなさってください。」
「ゆっくり、ねぇ。まぁそうするよ」
***
「五条センセ、別便で帰られるんっスか?」
「そうなるかも。こっちで御用があるみたい」
元々忙しい人だ。
数時間とはいえ移動時間が短縮出来てしまったこのタイミングに、ここぞとばかりに用事を捩じ込まれるのは無理もない話だった。
「じゃあななし先輩!勝利祝いに観光でも行きましょうよ、観光!清水寺とか、金閣寺とか!」
「そうだね。どうせだから美味しいものとか──」
はしゃぐ猪野と同様、名無しも京都観光に向かうはずだった。
この招かれざる客が彼女の前に現れるまでは。
「や、名無しちゃん。ちょっと時間えぇかな?」
ひらりと片手を挙げ、人の良さそうな笑顔を浮かべる『禪院直哉』。
今回の交流試合の臨時補助として入っていた、先達にあたる御三家の人間を目にし、猪野は困ったように彼と名無しの顔を見比べた。
「……えっと、確か、臨時の補助員の方っスよね?」
「そう、今回当主に言われて手伝いに来た、禪院直哉や。ななし名無しちゃんと話がしたいんやけど、借りてもええかな?」
切れ長の目を柔らかく細め、笑う。
名無しはというと僅かに視線を落とした後、何でもない風を装って微笑み、猪野に対して「ごめんね猪野くん」と小さく謝った。
「ちょっと行ってくる。学長に念の為一言伝えておいてくれる?夜までにホテルへ戻りますって。」
「了解っス!」
元気よく走り去った背中が、再び京都校の敷地へ続く曲がり角に消える。
完全に遠ざかったことを確認して、名無しは爪が食い込む程に拳を握りしめ、恐る恐る口を開いた。
「…………何の用ですか。」
「酷いわぁ。そんな塩対応せんでもえぇやん?」
へらりと笑う『直哉』に対し、意を決したように大きく息を吸い込む。
指先が冷えていく感覚。
肺に空気を入れることすら息苦しい。
極めつけは、今まで散々浴びてきた、品定めするように纏わる視線。
殺意はない。侮蔑もない。
ただ気味が悪いほどに純粋な《悪意》と《興味》に満ちたそれは、交流試合の最中相対した『禪院直哉』とは異なるものだった。
「言い方を変えましょうか。──お久しぶりです。」
精一杯冷ややかに目を細めれば、『禪院直哉』を名乗った男は耐え切れなくなったように表情を崩してからからと笑った。
「あーあ、やっぱり兄さんの口調を真似して、コスプレした所で君にはバレちゃうかぁ。折角髪まで染めたのに。」
「分かりますよ。御本人には先日、丁寧な御挨拶をされましたし」
「成程、兄さんらしいや。」
そう。この男は禪院直哉ではない。
《人魚の肉》を用いて、八百比丘尼の研究をしていた男。
忘れたくても脳裏に焼き付いて離れない、黒いシミのような記憶そのものだ。
──九重直次。
あの仄暗く、血と薬品の臭いに満ちた研究所の所長だった男。
「それにしても随分と健康的になったよね!いやぁ、今なら血も沢山採れそうだ!そうそう、君の術式について研究もしたかったんだよね!脳のレントゲンとか、大脳の一部とか採取したいし、他には──」
「もう一度聞きますけれど、何の用ですか。」
子供のようにはしゃぐ九重の言葉を遮れば、彼は一瞬不快そうな色を浮かべた。
が、名無しの血の気が失せるまで握りしめた手を見て気を良くしたのか、狡猾な狐のように目尻を下げ、満足そうに笑う。
「震えてる。本当は僕のこと、怖くて怖くて仕方がないもんね。」
無邪気に笑う表情に、惜しみなく悪意が滲む。
「記憶力がいいっていうのも考えものだよねぇ。何回爪を剥がされたとか、何回火で炙られたとか、他にも色々全〜部覚えてるんだろう?
だから術式もろくにない、術師としては三流の僕に対してさえ、震えて怯えて殺すことすら出来なかったもんね?」
身も竦む恐怖と苦痛の記憶。
痛みで視界が赤く染っていた向こう側で、いつも彼は楽しそうに笑っていた。
正直、今にも崩れ落ちそうな足を叱咤して、逃げ出さずにようやく立てている。
「今も、そうだと思います?」
「いいの?折角新しい研究結果を見せてあげようかと思ったのに」
──新しい、研究結果。
まだこの人はくだらない事を。
新しいって?
研究結果って?
つまり、それは。
瞬間的に巡った思考と、即時に導き出された回答。
最悪の予感というものは往々にして的中するものだ。
背筋が粟立つ。寒気のような恐怖が肌を撫で、制服の袖の下で鳥肌が浮かぶ。
「出来損ないではあるけど、量産には成功したんだよ?でもやっぱり綺麗じゃないから駄目だね。《人魚の肉》に適合する身体を持つキミが、もう一度欲しくなるばかりだったなぁ」
うっとりと目を細める九重。
叫び出したいくらいの怒りと恐怖。
真っ黒な感情がぐちゃぐちゃになって、名無しの喉から飛び出てくる寸前だった。
「阿呆抜かせ、直次。こんなちんちくりん、何処が綺麗やねん。術式だけやのうて、視力も悪ゥなったんか?」
目の前の九重と瓜二つの男。
いや逆だ。九重が、彼と瓜二つに似せてきたのだ。京都校へ近づく為に。
「おや、兄さん。久しぶり。」
「……禪院、直哉さん。」
古めかしい書生のような出で立ちの彼は、乾いた足音を立てて名無しの前に立つ。
当然、彼女には背を向けて。久しぶりに再会した目の前の弟と相対する為に。
「俺の真似をするなら顔面整形してから出直し。男前っぷりが足りんわ。」
「おかしいな、結構似てるだろ?」
「東京校のガキは騙されるけど、名無しちゃんにはモロバレやないか。なぁ?名無しちゃん。俺の方が男前やもんな?」
回答に困る問いかけを振らないで欲しい。
トラウマが掘り起こされるレベルで二人ともそっくりなのだ。どちらがいい、なんて話はほぼ無意味である。
そんなことよりも。
「増やしたって、どういうことですか。」
名無しにとってこちらの方が重要だ。
兄の下らない茶化しがスルーされた様子を見て、九重は満足そうに笑みを深めた。
「言葉のままだよ?不死の特級呪物。
安っぽい言い方をするなら、八百比丘尼もどきってとこかな。不死は実現できたんだけど、不老はねぇ。
肉体の代謝を倍に促進してやれば反転術式の速度はあげることが出来たんだけど、その分肉体の老化──つまるところ幹細胞の劣化が激しくてね。肉体の崩壊と再構築を繰り返して見るに堪えない化け物が出来ちゃってさ」
想像しただけで、吐き気がする。
そのベースになった人間は、もう人のかたちを保てていないだろう。
研究所の冷たい術台の上で、何度も何度も『失敗作の八百比丘尼』を看取ってきたのだから。
魂の行方も分からなくなるような最期。
人のかたちが少しずつ肉塊になって、涙を零す目も少しずつ退化して。呪詛のような悲鳴を上げていた喉も終いには潰れて呻き声すら上げなくなった。
「だからキミが一番嫌がる方法で有効活用しようと思って。」
名無しの考えを見透かしているように、綺麗に──そう。腹の底から凍りつくような笑顔を浮かべ、九重は綺麗に笑った。
「確か今日、御三家の会合なんだって?」
その一言で脳裏に過ぎったのは、
「──まさか、」
「呪術界で最強と謳われる五条悟の無下限術式は、果たして《不死》を殺せるのか、見てみたいと思わないかい?」
呼吸が、詰まる。
吸い込んだ息はヒュッと喉を切り、考えるよりも足が動いた。
「まぁ待ち。」
それを制したのは、それよりも速く腕を伸ばした直哉だ。
乱雑に制服を掴まれた手。
思わずつんのめった身体。
怒りで真っ赤に染まった思考が僅かに晴れる。
「お前、それ禪院家にも喧嘩売っとるんで?」
「だって僕もう禪院家の人間じゃなくて九重家の人間だし。」
心底楽しそうに口元を歪める表情は、悪意なく、無邪気に虫の脚をもぎ取る子供のようだ。
──狂っている。
分別も、良心の呵責も何もない。
ただ《愉しそうだから》《面白そうだから》《どうなるか興味あったから》。
そんな理由だけで、九重直次という男は手を下すことを躊躇わない。
「禪院直哉さん。離してください。」
「阿呆。このクズを今とっちめても絶対奥の手隠しとるやろ。そんなことよりとっとと向かうで」
呆れた色を隠すことなく顔を歪めた直哉は、無遠慮に名無しの身体を肩へ担ぐ。
彼女が『降ろしてください』と抗議する前に、彼はニヤリと口角を上げ、確信をもって囁いた。
「悟君や名無しちゃんに恩を売っておくのも悪かないやろ?」
京都校の敷地内で行われた個人戦は、実に呆気なく幕を閉じた。
(なんや。動揺してポカやらかすかと思ったけど、なんもあらへんかったなァ)
観覧席で欠伸を一つ零し、禪院直哉は退屈そうに目を細めた。
「今年の呪術高等専門学校姉妹校交流試合、東京校の勝利!」
銀朱に交わる#07
「野暮用、ですか?」
「そ。まぁ御三家関係のね。だから今日は実家に戻るよ。帰る便は出来れば同じ新幹線に乗りたいところだけど」
鮮やかな勝利を納め、誇らしげに五条が褒めた後のこと。
気だるげに肩を竦める担任に対し、名無しは《仕方ない》と言わんばかりに小さく頷いた。
「お忙しいですもんね。久しぶりのご実家ですし、ゆっくりなさってください。」
「ゆっくり、ねぇ。まぁそうするよ」
***
「五条センセ、別便で帰られるんっスか?」
「そうなるかも。こっちで御用があるみたい」
元々忙しい人だ。
数時間とはいえ移動時間が短縮出来てしまったこのタイミングに、ここぞとばかりに用事を捩じ込まれるのは無理もない話だった。
「じゃあななし先輩!勝利祝いに観光でも行きましょうよ、観光!清水寺とか、金閣寺とか!」
「そうだね。どうせだから美味しいものとか──」
はしゃぐ猪野と同様、名無しも京都観光に向かうはずだった。
この招かれざる客が彼女の前に現れるまでは。
「や、名無しちゃん。ちょっと時間えぇかな?」
ひらりと片手を挙げ、人の良さそうな笑顔を浮かべる『禪院直哉』。
今回の交流試合の臨時補助として入っていた、先達にあたる御三家の人間を目にし、猪野は困ったように彼と名無しの顔を見比べた。
「……えっと、確か、臨時の補助員の方っスよね?」
「そう、今回当主に言われて手伝いに来た、禪院直哉や。ななし名無しちゃんと話がしたいんやけど、借りてもええかな?」
切れ長の目を柔らかく細め、笑う。
名無しはというと僅かに視線を落とした後、何でもない風を装って微笑み、猪野に対して「ごめんね猪野くん」と小さく謝った。
「ちょっと行ってくる。学長に念の為一言伝えておいてくれる?夜までにホテルへ戻りますって。」
「了解っス!」
元気よく走り去った背中が、再び京都校の敷地へ続く曲がり角に消える。
完全に遠ざかったことを確認して、名無しは爪が食い込む程に拳を握りしめ、恐る恐る口を開いた。
「…………何の用ですか。」
「酷いわぁ。そんな塩対応せんでもえぇやん?」
へらりと笑う『直哉』に対し、意を決したように大きく息を吸い込む。
指先が冷えていく感覚。
肺に空気を入れることすら息苦しい。
極めつけは、今まで散々浴びてきた、品定めするように纏わる視線。
殺意はない。侮蔑もない。
ただ気味が悪いほどに純粋な《悪意》と《興味》に満ちたそれは、交流試合の最中相対した『禪院直哉』とは異なるものだった。
「言い方を変えましょうか。──お久しぶりです。」
精一杯冷ややかに目を細めれば、『禪院直哉』を名乗った男は耐え切れなくなったように表情を崩してからからと笑った。
「あーあ、やっぱり兄さんの口調を真似して、コスプレした所で君にはバレちゃうかぁ。折角髪まで染めたのに。」
「分かりますよ。御本人には先日、丁寧な御挨拶をされましたし」
「成程、兄さんらしいや。」
そう。この男は禪院直哉ではない。
《人魚の肉》を用いて、八百比丘尼の研究をしていた男。
忘れたくても脳裏に焼き付いて離れない、黒いシミのような記憶そのものだ。
──九重直次。
あの仄暗く、血と薬品の臭いに満ちた研究所の所長だった男。
「それにしても随分と健康的になったよね!いやぁ、今なら血も沢山採れそうだ!そうそう、君の術式について研究もしたかったんだよね!脳のレントゲンとか、大脳の一部とか採取したいし、他には──」
「もう一度聞きますけれど、何の用ですか。」
子供のようにはしゃぐ九重の言葉を遮れば、彼は一瞬不快そうな色を浮かべた。
が、名無しの血の気が失せるまで握りしめた手を見て気を良くしたのか、狡猾な狐のように目尻を下げ、満足そうに笑う。
「震えてる。本当は僕のこと、怖くて怖くて仕方がないもんね。」
無邪気に笑う表情に、惜しみなく悪意が滲む。
「記憶力がいいっていうのも考えものだよねぇ。何回爪を剥がされたとか、何回火で炙られたとか、他にも色々全〜部覚えてるんだろう?
だから術式もろくにない、術師としては三流の僕に対してさえ、震えて怯えて殺すことすら出来なかったもんね?」
身も竦む恐怖と苦痛の記憶。
痛みで視界が赤く染っていた向こう側で、いつも彼は楽しそうに笑っていた。
正直、今にも崩れ落ちそうな足を叱咤して、逃げ出さずにようやく立てている。
「今も、そうだと思います?」
「いいの?折角新しい研究結果を見せてあげようかと思ったのに」
──新しい、研究結果。
まだこの人はくだらない事を。
新しいって?
研究結果って?
つまり、それは。
瞬間的に巡った思考と、即時に導き出された回答。
最悪の予感というものは往々にして的中するものだ。
背筋が粟立つ。寒気のような恐怖が肌を撫で、制服の袖の下で鳥肌が浮かぶ。
「出来損ないではあるけど、量産には成功したんだよ?でもやっぱり綺麗じゃないから駄目だね。《人魚の肉》に適合する身体を持つキミが、もう一度欲しくなるばかりだったなぁ」
うっとりと目を細める九重。
叫び出したいくらいの怒りと恐怖。
真っ黒な感情がぐちゃぐちゃになって、名無しの喉から飛び出てくる寸前だった。
「阿呆抜かせ、直次。こんなちんちくりん、何処が綺麗やねん。術式だけやのうて、視力も悪ゥなったんか?」
目の前の九重と瓜二つの男。
いや逆だ。九重が、彼と瓜二つに似せてきたのだ。京都校へ近づく為に。
「おや、兄さん。久しぶり。」
「……禪院、直哉さん。」
古めかしい書生のような出で立ちの彼は、乾いた足音を立てて名無しの前に立つ。
当然、彼女には背を向けて。久しぶりに再会した目の前の弟と相対する為に。
「俺の真似をするなら顔面整形してから出直し。男前っぷりが足りんわ。」
「おかしいな、結構似てるだろ?」
「東京校のガキは騙されるけど、名無しちゃんにはモロバレやないか。なぁ?名無しちゃん。俺の方が男前やもんな?」
回答に困る問いかけを振らないで欲しい。
トラウマが掘り起こされるレベルで二人ともそっくりなのだ。どちらがいい、なんて話はほぼ無意味である。
そんなことよりも。
「増やしたって、どういうことですか。」
名無しにとってこちらの方が重要だ。
兄の下らない茶化しがスルーされた様子を見て、九重は満足そうに笑みを深めた。
「言葉のままだよ?不死の特級呪物。
安っぽい言い方をするなら、八百比丘尼もどきってとこかな。不死は実現できたんだけど、不老はねぇ。
肉体の代謝を倍に促進してやれば反転術式の速度はあげることが出来たんだけど、その分肉体の老化──つまるところ幹細胞の劣化が激しくてね。肉体の崩壊と再構築を繰り返して見るに堪えない化け物が出来ちゃってさ」
想像しただけで、吐き気がする。
そのベースになった人間は、もう人のかたちを保てていないだろう。
研究所の冷たい術台の上で、何度も何度も『失敗作の八百比丘尼』を看取ってきたのだから。
魂の行方も分からなくなるような最期。
人のかたちが少しずつ肉塊になって、涙を零す目も少しずつ退化して。呪詛のような悲鳴を上げていた喉も終いには潰れて呻き声すら上げなくなった。
「だからキミが一番嫌がる方法で有効活用しようと思って。」
名無しの考えを見透かしているように、綺麗に──そう。腹の底から凍りつくような笑顔を浮かべ、九重は綺麗に笑った。
「確か今日、御三家の会合なんだって?」
その一言で脳裏に過ぎったのは、
「──まさか、」
「呪術界で最強と謳われる五条悟の無下限術式は、果たして《不死》を殺せるのか、見てみたいと思わないかい?」
呼吸が、詰まる。
吸い込んだ息はヒュッと喉を切り、考えるよりも足が動いた。
「まぁ待ち。」
それを制したのは、それよりも速く腕を伸ばした直哉だ。
乱雑に制服を掴まれた手。
思わずつんのめった身体。
怒りで真っ赤に染まった思考が僅かに晴れる。
「お前、それ禪院家にも喧嘩売っとるんで?」
「だって僕もう禪院家の人間じゃなくて九重家の人間だし。」
心底楽しそうに口元を歪める表情は、悪意なく、無邪気に虫の脚をもぎ取る子供のようだ。
──狂っている。
分別も、良心の呵責も何もない。
ただ《愉しそうだから》《面白そうだから》《どうなるか興味あったから》。
そんな理由だけで、九重直次という男は手を下すことを躊躇わない。
「禪院直哉さん。離してください。」
「阿呆。このクズを今とっちめても絶対奥の手隠しとるやろ。そんなことよりとっとと向かうで」
呆れた色を隠すことなく顔を歪めた直哉は、無遠慮に名無しの身体を肩へ担ぐ。
彼女が『降ろしてください』と抗議する前に、彼はニヤリと口角を上げ、確信をもって囁いた。
「悟君や名無しちゃんに恩を売っておくのも悪かないやろ?」