銀朱に交わる
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
頬に当たる雨水が、やたらと冷たく感じる。
「最後の石、なんなん?術式ちゃうよな?」
金髪に、紺と白の袴。
出で立ちは全く異なる姿なのに、知っている『彼』に酷似した男はそう問うた。
「……土から、硝石に必要な要素だけを取り出しました。急熱反応を利用して、内側から凍らせてしまえば反転術式の速度を上回ると思ったので」
私が種明かしをすれば「泥臭い方法やなァ」と彼は嗤う。
確かにそうだ。もっと術式を研究していれば、こんな回りくどいやり方でなくとも一撃で仕留めることが出来ただろう。
嘲笑うように口元を歪める彼は、私の困惑した視線に気がついたのだろう。
切れ長の目元を細め、座り込んだままの私を見下ろすように腰を屈めた。
「──あぁ、俺?俺は、禪院直哉や。宜しくな、ななし名無しちゃん。」
一見人の良さそうな笑みに見えるが、細めた目元は獲物を物色する蛇のようだ。
……別人だと理解している。
それでも心臓が破裂しそうなくらい痛いのは、きっと記憶の中の『彼』に似ているからだ。
「何や、人の顔そんなじっと見て。誰かに似とった?」
底意地悪そうに口角が上がる。
「そりゃそうやろ。キミの知っとる男は俺の弟やねん。術式もない、とんだ落ちこぼれやけど──」
治りかけていた脚を草履で踏み躙られる。
グチャッと音が鳴ったのは、泥水なのか治りかけの血肉なのか。
幸いな事に、与えられる痛みのおかげで震えそうになる脚を押し止められている。なんて皮肉だろう。
「その代わり、面白いオモチャは造れたみたいけどなァ?」
加虐的な笑みが深くなる。
──成程。『彼』の兄というのも心の底から頷ける。
悪夢のように染み付いた記憶の中で、彼が嗤った気がしたからだ。
「というか、そもそも元を正せば『八百比丘尼』は禪院家の物になる予定やったんで?阿呆共がヘマをやらかしたせいで、ホンマ残念やわ」
そう言って禪院直哉と名乗った男は、皮一枚で辛うじて繋がっている左脚から草履を離した。
まるで汚物を踏んでしまったかのように、草履の足裏をその辺の雑草に擦り付けることも忘れずに。
「肩貸したろか?歩くのも難儀やろ」
ハリボテの優しい言葉が、表面上の物だと考えるまでもなく理解する。
『誰のせいで』と毒づきたくなる言葉を腹の底まで呑み込み、首を緩く横に振った。
「自分で、歩けます。」
「女はしおらしく、男を頼ればえぇんねん。」
掴まれる制服の襟元。
制服のボタンが音を立てて千切れ、血と泥水で濁った水溜まりに落ちた。
「何やってんの。」
冷ややかな声。
聞き馴染んた音なのに、腹の底から凍るような冷たさを孕んだそれは、まるで別人のようだった。
「おっ、悟君やないか。久しゅうなぁ!元気しとったん?」
「何やってんの、って聞いてるんだけど?」
目元を隠している為、正確な表情を読み取ることは難しい。
……難しいが、これだけは分かる。
五条さんが、怒っている。
「呪霊に脚を喰われて大変そうやったからな、立つのを手伝っとったんよ。なぁ?名無しちゃん」
話を振られるが、否定も肯定もしない。
否定すれば血を見るだろう。肯定すれば付け上がらせるだろう。これは恐らく、沈黙が正解だ。
見兼ねた五条さんが小さく溜息を吐き出し、口を開く。
「一人で立てるでしょ?名無し。」
「勿論です。」
やんわりと禪院直哉の手を解き、二・三歩下がる。
裸足だから当然なのだが、雨と土が混ざりあった泥水が足の指に纏わりつき少しだけ不快だった。
「悟君、スパルタやなぁ。女の子なんやから丁寧に扱わんと。傷物にでもなったら嫁の貰い手が──あぁ。でもすぐ『直る』呪物やから、いくら嬲っても平気やもんなァ?生きたまま臓物引き裂かれてもピンピンしとったのがえぇ証拠やわ」
カラカラと悪びれなく笑う禪院直哉。
私の背後に立つ五条さんの纏う空気が、2℃程下がった気がしたのは、きっと錯覚じゃない。
「死体すら残さなければ、完全犯罪になると思わない?」
「嫌やわ、冗談で。いやまぁ、事実なんやけどな?堪忍してや」
形のいい口元を吊り上げて、禪院直哉は嗤う。
「じゃ、京都校のへばっとるヤツら引っ張って本部へ戻っとるわ。ほな、悟君。名無しちゃん。また後で。」
***
「顔色悪いよ?」
険しい顔のまま固まっている彼女に声を掛ける。
緊張の糸が切れたのか、名無しにしては珍しく長い溜息をそっと吐き出した。
「……知っている人に、よく似ていたので。」
「あぁ、」
僕は実際に会ったことはないが、名前は書類上知っている。
《九重直次》
禪院家の現当主、禪院直毘人の息子の一人。
禪院直哉の弟に当たる男だ。
しかし呪力を殆ど持ち合わせず生まれ、禪院家では《存在しない者》として扱われたと聞き及んでいる。
時期の詳細は不明だが、禪院家の分家である九重家へ養子に出されたとか。
その後、この男の動向は記録に殆ど残っていない。
養子に出されたあと、直次を迎え入れた九重家は当主をはじめ使用人まで忽然と消失。誰もいなくなった屋敷だけが残された。
九重直次が最後に残した足取りは、《特級呪物・八百比丘尼の研究の最高責任者》という肩書きだけ。
彼女が閉じ込められていた、地下にあった研究所。
今は名目上破棄され、厳重封印をされることとなったあの部屋からは、九重直次による研究結果は何も残されていなかった。
──まるであの日、僕らがやって来ることを知っているかのように、見事に雲隠れされたのだ。
彼女が動揺するくらいだから、禪院直哉と九重直次はよく似ているのだろう。
僕は内心舌打ちを零した。『余計な真似を』と。
勿論、彼女に対してではなく、あの悪びれなく笑っていた男に対してだ。
気持ちを切り替える為に小さく息を吐き、未だに表情が硬い彼女の顔を覗き込む。
「呪霊、どう?強かった?」
「そうですね。物量で押してくるタイプだったので。……良かった、猪野くんの方に行かなくて」
安堵したように表情を緩めるが、目元へ落ちた翳りは未だに晴れない。
そもそも、だ。
相性にもよるが、二級呪霊に手こずる名無しではない。
贔屓目なしにしても彼女がこれだけ痛手を負うということは、間違いなく一級相当の呪霊だ。
試験用に森へ放つ前に高専の検閲を受けているにも関わらず、等級に見合わないとなると、考えられる原因は今のところひとつ。
呪霊の残穢に混ざった、僕もよく知っている『残穢』。
彼女がほっと胸を撫で下ろした理由は、後輩の身を案じて──というだけではなかった。
『自分の血が原因で、凶暴化した呪霊が試験参加者を殺す』
そんな惨劇を回避したことへの安堵だったのだ。
踏み躙られたのか。草履の足跡が残った、血と泥で汚れたままの彼女の左脚。
制服のボタンはちぎれ、ぐしゃぐしゃに乱された上着からは白いブラウスが見え隠れしていた。
「──やっぱり殺しておくべきだったかな。」
九重直次の兄ということを差し引いても、禪院直哉という男は呪術界の膿を煮凝りにしたような男だ。
古い体制を壊したくてたまらない僕とは、正直相容れない男である。
しかも彼女を傷付けたとなれば──
「五条さん。」
僕の裾を、彼女がそっと引っ張る。
雨と泥でずぶ濡れになった名無しが、困ったように笑った。
「大丈夫です。慣れてますから」
銀朱に交わる#06
──僕は、そんな顔を君にさせたい訳じゃなかったのに。
「最後の石、なんなん?術式ちゃうよな?」
金髪に、紺と白の袴。
出で立ちは全く異なる姿なのに、知っている『彼』に酷似した男はそう問うた。
「……土から、硝石に必要な要素だけを取り出しました。急熱反応を利用して、内側から凍らせてしまえば反転術式の速度を上回ると思ったので」
私が種明かしをすれば「泥臭い方法やなァ」と彼は嗤う。
確かにそうだ。もっと術式を研究していれば、こんな回りくどいやり方でなくとも一撃で仕留めることが出来ただろう。
嘲笑うように口元を歪める彼は、私の困惑した視線に気がついたのだろう。
切れ長の目元を細め、座り込んだままの私を見下ろすように腰を屈めた。
「──あぁ、俺?俺は、禪院直哉や。宜しくな、ななし名無しちゃん。」
一見人の良さそうな笑みに見えるが、細めた目元は獲物を物色する蛇のようだ。
……別人だと理解している。
それでも心臓が破裂しそうなくらい痛いのは、きっと記憶の中の『彼』に似ているからだ。
「何や、人の顔そんなじっと見て。誰かに似とった?」
底意地悪そうに口角が上がる。
「そりゃそうやろ。キミの知っとる男は俺の弟やねん。術式もない、とんだ落ちこぼれやけど──」
治りかけていた脚を草履で踏み躙られる。
グチャッと音が鳴ったのは、泥水なのか治りかけの血肉なのか。
幸いな事に、与えられる痛みのおかげで震えそうになる脚を押し止められている。なんて皮肉だろう。
「その代わり、面白いオモチャは造れたみたいけどなァ?」
加虐的な笑みが深くなる。
──成程。『彼』の兄というのも心の底から頷ける。
悪夢のように染み付いた記憶の中で、彼が嗤った気がしたからだ。
「というか、そもそも元を正せば『八百比丘尼』は禪院家の物になる予定やったんで?阿呆共がヘマをやらかしたせいで、ホンマ残念やわ」
そう言って禪院直哉と名乗った男は、皮一枚で辛うじて繋がっている左脚から草履を離した。
まるで汚物を踏んでしまったかのように、草履の足裏をその辺の雑草に擦り付けることも忘れずに。
「肩貸したろか?歩くのも難儀やろ」
ハリボテの優しい言葉が、表面上の物だと考えるまでもなく理解する。
『誰のせいで』と毒づきたくなる言葉を腹の底まで呑み込み、首を緩く横に振った。
「自分で、歩けます。」
「女はしおらしく、男を頼ればえぇんねん。」
掴まれる制服の襟元。
制服のボタンが音を立てて千切れ、血と泥水で濁った水溜まりに落ちた。
「何やってんの。」
冷ややかな声。
聞き馴染んた音なのに、腹の底から凍るような冷たさを孕んだそれは、まるで別人のようだった。
「おっ、悟君やないか。久しゅうなぁ!元気しとったん?」
「何やってんの、って聞いてるんだけど?」
目元を隠している為、正確な表情を読み取ることは難しい。
……難しいが、これだけは分かる。
五条さんが、怒っている。
「呪霊に脚を喰われて大変そうやったからな、立つのを手伝っとったんよ。なぁ?名無しちゃん」
話を振られるが、否定も肯定もしない。
否定すれば血を見るだろう。肯定すれば付け上がらせるだろう。これは恐らく、沈黙が正解だ。
見兼ねた五条さんが小さく溜息を吐き出し、口を開く。
「一人で立てるでしょ?名無し。」
「勿論です。」
やんわりと禪院直哉の手を解き、二・三歩下がる。
裸足だから当然なのだが、雨と土が混ざりあった泥水が足の指に纏わりつき少しだけ不快だった。
「悟君、スパルタやなぁ。女の子なんやから丁寧に扱わんと。傷物にでもなったら嫁の貰い手が──あぁ。でもすぐ『直る』呪物やから、いくら嬲っても平気やもんなァ?生きたまま臓物引き裂かれてもピンピンしとったのがえぇ証拠やわ」
カラカラと悪びれなく笑う禪院直哉。
私の背後に立つ五条さんの纏う空気が、2℃程下がった気がしたのは、きっと錯覚じゃない。
「死体すら残さなければ、完全犯罪になると思わない?」
「嫌やわ、冗談で。いやまぁ、事実なんやけどな?堪忍してや」
形のいい口元を吊り上げて、禪院直哉は嗤う。
「じゃ、京都校のへばっとるヤツら引っ張って本部へ戻っとるわ。ほな、悟君。名無しちゃん。また後で。」
***
「顔色悪いよ?」
険しい顔のまま固まっている彼女に声を掛ける。
緊張の糸が切れたのか、名無しにしては珍しく長い溜息をそっと吐き出した。
「……知っている人に、よく似ていたので。」
「あぁ、」
僕は実際に会ったことはないが、名前は書類上知っている。
《九重直次》
禪院家の現当主、禪院直毘人の息子の一人。
禪院直哉の弟に当たる男だ。
しかし呪力を殆ど持ち合わせず生まれ、禪院家では《存在しない者》として扱われたと聞き及んでいる。
時期の詳細は不明だが、禪院家の分家である九重家へ養子に出されたとか。
その後、この男の動向は記録に殆ど残っていない。
養子に出されたあと、直次を迎え入れた九重家は当主をはじめ使用人まで忽然と消失。誰もいなくなった屋敷だけが残された。
九重直次が最後に残した足取りは、《特級呪物・八百比丘尼の研究の最高責任者》という肩書きだけ。
彼女が閉じ込められていた、地下にあった研究所。
今は名目上破棄され、厳重封印をされることとなったあの部屋からは、九重直次による研究結果は何も残されていなかった。
──まるであの日、僕らがやって来ることを知っているかのように、見事に雲隠れされたのだ。
彼女が動揺するくらいだから、禪院直哉と九重直次はよく似ているのだろう。
僕は内心舌打ちを零した。『余計な真似を』と。
勿論、彼女に対してではなく、あの悪びれなく笑っていた男に対してだ。
気持ちを切り替える為に小さく息を吐き、未だに表情が硬い彼女の顔を覗き込む。
「呪霊、どう?強かった?」
「そうですね。物量で押してくるタイプだったので。……良かった、猪野くんの方に行かなくて」
安堵したように表情を緩めるが、目元へ落ちた翳りは未だに晴れない。
そもそも、だ。
相性にもよるが、二級呪霊に手こずる名無しではない。
贔屓目なしにしても彼女がこれだけ痛手を負うということは、間違いなく一級相当の呪霊だ。
試験用に森へ放つ前に高専の検閲を受けているにも関わらず、等級に見合わないとなると、考えられる原因は今のところひとつ。
呪霊の残穢に混ざった、僕もよく知っている『残穢』。
彼女がほっと胸を撫で下ろした理由は、後輩の身を案じて──というだけではなかった。
『自分の血が原因で、凶暴化した呪霊が試験参加者を殺す』
そんな惨劇を回避したことへの安堵だったのだ。
踏み躙られたのか。草履の足跡が残った、血と泥で汚れたままの彼女の左脚。
制服のボタンはちぎれ、ぐしゃぐしゃに乱された上着からは白いブラウスが見え隠れしていた。
「──やっぱり殺しておくべきだったかな。」
九重直次の兄ということを差し引いても、禪院直哉という男は呪術界の膿を煮凝りにしたような男だ。
古い体制を壊したくてたまらない僕とは、正直相容れない男である。
しかも彼女を傷付けたとなれば──
「五条さん。」
僕の裾を、彼女がそっと引っ張る。
雨と泥でずぶ濡れになった名無しが、困ったように笑った。
「大丈夫です。慣れてますから」
銀朱に交わる#06
──僕は、そんな顔を君にさせたい訳じゃなかったのに。