青藍の冬至
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
目に眩しい程の白に映えるのは、生々しい赤。
破れた買い物袋。
転がった夕飯の材料。
『何か』に呪霊が群がっていた気配がした為、運転手をしていた伊地知に寄り道をしてもらったのだが――。
飛び散った血痕を啜る呪霊は、まるでハイエナだ。
ブロック塀に飛び散った鮮血さえ惜しむように、コンクリートを削り食べていたのは嫌悪さえ覚えた。
呪霊を祓い、痕跡を探る。
名無しの残した八百比丘尼の残穢。
呪霊の残穢。
それに混じって間違えるはずがない残穢を確認して、僕は目を見開いた。
「伊地知。」
「は、はい!」
「至急、夜蛾学長へ報告。
――名無しが、夏油傑に拉致された。」
やられた。
盲点だった。
『呪霊操術』を駆使するアイツなら、狙わない理由はないのに。
青藍の冬至#11
目を覚ませば、そこは住宅街ではなく廃墟だった。
煤けた室内。割れたガラス窓。
雨風に晒され、剥がれて浮いた壁紙。
埃を被った食器棚や室内の雰囲気からして、洋館か別荘だろうか。
東京の郊外なのか窓を貫いて室内へ伸びている木の枝は鬱蒼とし、まるで異世界のようだった。
「やぁ、目が覚めたかい?」
ギシッと音の鳴るほうへ視線を向ければ、足を組んで座っている法師のような出で立ちの男。
私が起きるのを待っていたのか、持っていた本をパタンと閉じ、ゆっくり立ち上がった。
「あなた、は、」
「夏油傑。呪術師…だったけど、今は呪詛師って言えばいいかな。」
思い出した。
この男、呪霊を操っていた。
術式を取り戻せていない私は、手足を呪霊に『喰われて』気を失ったんだった。
その証拠に、床にはボロ布になったコートが落ちており、下に着ていたパーカーも右肩から下の袖がない。
ジーンズも膝から下がなく、買ってもらったコンバースのスニーカーも無くなっていた。勿論裸足だ。
一昔のロックンローラーじゃあるまいし勘弁して欲しい。何より寒い。
「八百比丘尼というのは眉唾ではなさそうだ。というより…呪物そのものになっている、と言った方が正しいのかな?」
近づいてくる足音。
反射的に下がろうにも手首を縛られて身動きが上手く取れない。
焦りに身を任せたまま後ろへ下がれば、今にも崩れそうな壁が背中に当たった。
床には砕けたガラス片。
これで縄を切れるかもしれない。
そっと固唾を飲み込み、私はガラスをそっと握り締めた。
「キミは元々呪術師だったのかい?」
「……見えては、いました。」
「そうか……可哀想に。」
「…可哀想?」
何を言い出すのか。
呪霊に容赦なく手足をもがせた男の発言とは思えない。
訝しげな表情がつい出てしまったからか、夏油傑と名乗った男は「すまないね、素直について来てもらえなさそうだったから。」と悪びれなく答えた。
「私は、呪術師がマイノリティーであることが許せなくてね。」
床にへたり込んだ私の前に、夏油は視線を合わせるように座り込む。
彼の黒い瞳に映るのは――
絶望、諦観、底なしの嫌悪。
柔和な表情とは裏腹な色に、背筋がゾッと震えた。
「キミは、呪霊がどのようにして発生するか知っているかい?」
「……人が、無意識のうちに漏出させた、呪力が積み重なって出来たもの。」
「その通り。流石、悟が拾ってきたものだけある。」
悟。――五条さんだ。
ただの知り合いなのか。いや、それにしては親しさを含んだ呼び方だった。
「なら、どうすれば呪霊は発生しなくなると思う?」
「祓えば、消えるんじゃないですか」
「それは対症療法さ。私は、根本的な解決をしたいんだよ。」
夏油は人差し指でピッと自らの首を斬る仕草をする。
あっけらかんと笑うその表情は、悪意など微塵も感じさせなかった。
だからこそ、彼の発した言葉は『異常』と思える不気味さを孕んでいた。
「簡単なことさ。非呪術師を、『猿共』を皆殺しにすればいい。呪術師だけの世界を作るんだ。」
将来の夢を語る子供のような無邪気さで。
理想論を語る独裁者のように。
目の前の袈裟を纏った男は満面の笑みでそう答えた。
「何、言って」
「キミは、喰わされたんだろう?特級呪物を。」
身動きが出来ない私の耳元で、慈愛に満ちた声音でひっそり囁く。
「どんな味がした?『人魚の肉』は美味かったかい?」
問われれば、脳裏に過ぎる数年前の記憶。
顎をこじ開けられ、ぶつ切りにされた生臭い何かを口の中に押し込まれた。
飲み込むには大きく、咀嚼することも出来ず。
吐き戻すことはとてもじゃないが許されなかった。
苦しい。不味い。私の中で何かが作り替えられていく感覚がする。
それは言葉に出来ない程の地獄だった。
ひゅっ、と息が喉を切る。
気を抜けば震えてしまいそうな黒い記憶と怒りをぐっと呑み込み、私は静かな声で答えた。
「…………汚物と、下水を混ぜたような、味でした」
「あぁ、うん。――キミなら、分かってくれそうだ。」
絞り出した声で答えれば、夏油は満足そうにひとつ頷く。
「私もね、呪霊を取り込む時、思うんだ。『あぁ、不味い。吐瀉物を処理した雑巾のような味だ』と。
それを他人の為に――しかも力もない、醜い非呪術師を守る為に取り込まなければならないなんて、とんだお笑い草だ」
すくりと立ち上がり、床板が軋む室内をコツリコツリとゆっくり歩く。
「キミが取り込まされた呪物だって、元々は非呪術師の呪いが原因で出来たものだ。
そう。非呪術師さえいなければ、私達はこんな惨い目に遭わなくて済んだんじゃないのか?」
……そうかもしれない。
彼の言っていることは呪術師側からしたら正論かもしれない。
けれどそれは極論でもあり、暴論でもある。
誰が判断しても《必ず正しい》なんてことは有り得ない。
絶対的な正義なんて、この世にはないのだから。
「――呪術師だって、人間以下の外道はいますよ。」
「知っているさ。しかし、それはいずれ淘汰していくさ。
……いいかい?非呪術師と私達呪術師は、生き物の『格』が違うんだよ。」
コツリ。
部屋の中をゆっくり巡っていた足取りは、私の目の前で止まる。
顎を掴まれ、顔を彼の方に向けさせられる。
黒い瞳は闇より深く、沼より濃く。
沢山の死を、見届けた目をしていた。
「私はキミが欲しい。反転術式を持っていない身としてはキミは最高の『治療方法』だ。
更に呪霊に対しての撒き餌、そして――」
彼の背後から這い出でる、呪霊。
百足と芋虫を足したような外観は、グロテスクの一言に尽きた。
「――ッ…ぅ、あ……っ!」
「呪霊の級数が上がる程の、最高の贄になる。」
私の肩に、食らいつく異形。
血肉を啜った瞬間ボコリ、ボコリと形状を変え、中型犬程の大きさだった呪霊は更に大きな肉体に変貌した。
痛みでくらくらする。
視界だって火花が爆ぜたようにチカチカする。
この状況が非常に『まずい』ことは、子供でも分かるだろう。
「心臓と脳さえ残しておけばいいのかな?何にせよ、無限に湧く呪霊の餌だ。強い呪霊を集めるよりも、手持ちの呪霊の呪力を底上げさせた方が何倍も効率がいいからね。」
にこにこと人の良さそうな笑みを浮かべる夏油。
痛みに耐えるよう奥歯を噛み締めれば、歯軋りの嫌な音が脳髄に響いた。
――ブツリ。
漸く切れた縄。
纏わりつく呪霊を振りほどき、吹き晒していたバルコニーへ走り出す。
眼下に広がるのは鬱蒼とした森。
周りに住宅街は見当たらない。山奥の、破棄された邸宅だろうか。
大きく息を吸って、私はバルコニーの縁に足を掛けた。
破れた買い物袋。
転がった夕飯の材料。
『何か』に呪霊が群がっていた気配がした為、運転手をしていた伊地知に寄り道をしてもらったのだが――。
飛び散った血痕を啜る呪霊は、まるでハイエナだ。
ブロック塀に飛び散った鮮血さえ惜しむように、コンクリートを削り食べていたのは嫌悪さえ覚えた。
呪霊を祓い、痕跡を探る。
名無しの残した八百比丘尼の残穢。
呪霊の残穢。
それに混じって間違えるはずがない残穢を確認して、僕は目を見開いた。
「伊地知。」
「は、はい!」
「至急、夜蛾学長へ報告。
――名無しが、夏油傑に拉致された。」
やられた。
盲点だった。
『呪霊操術』を駆使するアイツなら、狙わない理由はないのに。
青藍の冬至#11
目を覚ませば、そこは住宅街ではなく廃墟だった。
煤けた室内。割れたガラス窓。
雨風に晒され、剥がれて浮いた壁紙。
埃を被った食器棚や室内の雰囲気からして、洋館か別荘だろうか。
東京の郊外なのか窓を貫いて室内へ伸びている木の枝は鬱蒼とし、まるで異世界のようだった。
「やぁ、目が覚めたかい?」
ギシッと音の鳴るほうへ視線を向ければ、足を組んで座っている法師のような出で立ちの男。
私が起きるのを待っていたのか、持っていた本をパタンと閉じ、ゆっくり立ち上がった。
「あなた、は、」
「夏油傑。呪術師…だったけど、今は呪詛師って言えばいいかな。」
思い出した。
この男、呪霊を操っていた。
術式を取り戻せていない私は、手足を呪霊に『喰われて』気を失ったんだった。
その証拠に、床にはボロ布になったコートが落ちており、下に着ていたパーカーも右肩から下の袖がない。
ジーンズも膝から下がなく、買ってもらったコンバースのスニーカーも無くなっていた。勿論裸足だ。
一昔のロックンローラーじゃあるまいし勘弁して欲しい。何より寒い。
「八百比丘尼というのは眉唾ではなさそうだ。というより…呪物そのものになっている、と言った方が正しいのかな?」
近づいてくる足音。
反射的に下がろうにも手首を縛られて身動きが上手く取れない。
焦りに身を任せたまま後ろへ下がれば、今にも崩れそうな壁が背中に当たった。
床には砕けたガラス片。
これで縄を切れるかもしれない。
そっと固唾を飲み込み、私はガラスをそっと握り締めた。
「キミは元々呪術師だったのかい?」
「……見えては、いました。」
「そうか……可哀想に。」
「…可哀想?」
何を言い出すのか。
呪霊に容赦なく手足をもがせた男の発言とは思えない。
訝しげな表情がつい出てしまったからか、夏油傑と名乗った男は「すまないね、素直について来てもらえなさそうだったから。」と悪びれなく答えた。
「私は、呪術師がマイノリティーであることが許せなくてね。」
床にへたり込んだ私の前に、夏油は視線を合わせるように座り込む。
彼の黒い瞳に映るのは――
絶望、諦観、底なしの嫌悪。
柔和な表情とは裏腹な色に、背筋がゾッと震えた。
「キミは、呪霊がどのようにして発生するか知っているかい?」
「……人が、無意識のうちに漏出させた、呪力が積み重なって出来たもの。」
「その通り。流石、悟が拾ってきたものだけある。」
悟。――五条さんだ。
ただの知り合いなのか。いや、それにしては親しさを含んだ呼び方だった。
「なら、どうすれば呪霊は発生しなくなると思う?」
「祓えば、消えるんじゃないですか」
「それは対症療法さ。私は、根本的な解決をしたいんだよ。」
夏油は人差し指でピッと自らの首を斬る仕草をする。
あっけらかんと笑うその表情は、悪意など微塵も感じさせなかった。
だからこそ、彼の発した言葉は『異常』と思える不気味さを孕んでいた。
「簡単なことさ。非呪術師を、『猿共』を皆殺しにすればいい。呪術師だけの世界を作るんだ。」
将来の夢を語る子供のような無邪気さで。
理想論を語る独裁者のように。
目の前の袈裟を纏った男は満面の笑みでそう答えた。
「何、言って」
「キミは、喰わされたんだろう?特級呪物を。」
身動きが出来ない私の耳元で、慈愛に満ちた声音でひっそり囁く。
「どんな味がした?『人魚の肉』は美味かったかい?」
問われれば、脳裏に過ぎる数年前の記憶。
顎をこじ開けられ、ぶつ切りにされた生臭い何かを口の中に押し込まれた。
飲み込むには大きく、咀嚼することも出来ず。
吐き戻すことはとてもじゃないが許されなかった。
苦しい。不味い。私の中で何かが作り替えられていく感覚がする。
それは言葉に出来ない程の地獄だった。
ひゅっ、と息が喉を切る。
気を抜けば震えてしまいそうな黒い記憶と怒りをぐっと呑み込み、私は静かな声で答えた。
「…………汚物と、下水を混ぜたような、味でした」
「あぁ、うん。――キミなら、分かってくれそうだ。」
絞り出した声で答えれば、夏油は満足そうにひとつ頷く。
「私もね、呪霊を取り込む時、思うんだ。『あぁ、不味い。吐瀉物を処理した雑巾のような味だ』と。
それを他人の為に――しかも力もない、醜い非呪術師を守る為に取り込まなければならないなんて、とんだお笑い草だ」
すくりと立ち上がり、床板が軋む室内をコツリコツリとゆっくり歩く。
「キミが取り込まされた呪物だって、元々は非呪術師の呪いが原因で出来たものだ。
そう。非呪術師さえいなければ、私達はこんな惨い目に遭わなくて済んだんじゃないのか?」
……そうかもしれない。
彼の言っていることは呪術師側からしたら正論かもしれない。
けれどそれは極論でもあり、暴論でもある。
誰が判断しても《必ず正しい》なんてことは有り得ない。
絶対的な正義なんて、この世にはないのだから。
「――呪術師だって、人間以下の外道はいますよ。」
「知っているさ。しかし、それはいずれ淘汰していくさ。
……いいかい?非呪術師と私達呪術師は、生き物の『格』が違うんだよ。」
コツリ。
部屋の中をゆっくり巡っていた足取りは、私の目の前で止まる。
顎を掴まれ、顔を彼の方に向けさせられる。
黒い瞳は闇より深く、沼より濃く。
沢山の死を、見届けた目をしていた。
「私はキミが欲しい。反転術式を持っていない身としてはキミは最高の『治療方法』だ。
更に呪霊に対しての撒き餌、そして――」
彼の背後から這い出でる、呪霊。
百足と芋虫を足したような外観は、グロテスクの一言に尽きた。
「――ッ…ぅ、あ……っ!」
「呪霊の級数が上がる程の、最高の贄になる。」
私の肩に、食らいつく異形。
血肉を啜った瞬間ボコリ、ボコリと形状を変え、中型犬程の大きさだった呪霊は更に大きな肉体に変貌した。
痛みでくらくらする。
視界だって火花が爆ぜたようにチカチカする。
この状況が非常に『まずい』ことは、子供でも分かるだろう。
「心臓と脳さえ残しておけばいいのかな?何にせよ、無限に湧く呪霊の餌だ。強い呪霊を集めるよりも、手持ちの呪霊の呪力を底上げさせた方が何倍も効率がいいからね。」
にこにこと人の良さそうな笑みを浮かべる夏油。
痛みに耐えるよう奥歯を噛み締めれば、歯軋りの嫌な音が脳髄に響いた。
――ブツリ。
漸く切れた縄。
纏わりつく呪霊を振りほどき、吹き晒していたバルコニーへ走り出す。
眼下に広がるのは鬱蒼とした森。
周りに住宅街は見当たらない。山奥の、破棄された邸宅だろうか。
大きく息を吸って、私はバルコニーの縁に足を掛けた。