青藍の冬至
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『適合できた』
『1200年ぶりの《八百比丘尼》だ』
大人達は、踊り狂うように歓喜する。
耳障りな喧騒が、響めきが、近くのはずなのにどこか遠くで聞こえるような錯覚に陥る。
――私は、手のひらに突き立てられた鉄の杭を、ただただ歯を食いしばって眺めるしかなかった。
***
「特級呪具、登録の立ち会い?なんで僕なんです」
「伊地知の護衛だ。どんなヤバい代物か分からないからな」
そう言われても。
休日を満喫したのはいつだったか。
いつもの《出張》よりはいくらか楽だろうが…。
「これが終わったらオフ頂きますからね」
「善処しよう。」
かつての担当教師へため息混じりで了承し、僕は学長室を足早に出るのであった。
***
クリーニング仕立てのスーツに、相変わらずきっちりと整えられた髪。
彼の真面目な性分を表したかのような出で立ちだ。
高専で二年後輩の伊地知潔高の少し後ろを歩きながら、立ち込める『呪い』の気配に僕は眉を小さく顰めた。
混ざり物。
《呪具》とは形容し難い、そう。
――これは、どちらかというと『混ざり者』だ。
場数を踏んでいる僕ですら吐き気がする光景。
子供の術士を危険な現場に送ることに胃を痛める程の、根っからの善人である伊地知は…それはもう酷い顔をしていた。
粗末が過ぎる簡易ベッドの上に横たわる枝のような身体。
辛うじて『それ』が少女なのだと理解した途端、形容し難い嫌悪感が腹の底から湧いて出た。
血液を採取するためだろうか。
ミイラのような手のひらには術式を付与された鉄の杭。
血で赤黒く染まり、『治そう』としている傷口へ完全に癒着している。
何より、逃げぬようにパイプベッドのフレームに掛けられた足枷と、舌を噛まぬよう巻かれた薄汚れた猿轡が、少女の待遇を物語っていた。
――まさかとは思うが。
「こちらが呪具『八百比丘尼』の再現でございます」
上機嫌でにこにこと笑う男達の笑みが歪んで見えるのは錯覚だろうか。
超えてはいけない『人』としての矜恃を容易く乗り越えた、まさに狂人と言っていいだろう。
「如何でしょうか?」
「……如何でしょう、と言われても」
凄惨な光景に言葉を失くした伊地知が、小さく呟く。
これを『特級呪具』として認める訳もいかないが、それを拒否する権限も彼は持ち合わせていない。
――学長め。
僕が我儘を通した時には渋い顔をするくせに、こういう時だけ権力を使わせるのだから、本当にタチが悪い。
いや、僕の使い方をよく熟知していると褒めてあげればいいのだろうか。
「いやぁアウトでしょう。人間を『呪具』として認定する訳にはいきませんからねぇ」
なるべく飄々と。
嫌悪を声音に出さず、僕は努めて声を上げた。
「なぜです?あぁ耐久性がご心配ですか?四肢を全て切り落としても1分以内に再生を――」
「本気で言ってるの?」
周りによく『ロクデナシ』だとか『ひとでなし』と言われる僕だが、残念ながら彼ら程ではない。
外道の所業と言っても過言ではない。
「それに再現とは申しますけどぉ……
――お前ら、『喰わせた』な?」
つい出てしまった、地を這うような声。
これには『五条悟』に慣れている伊地知も身を固くした。無理もない。
八百比丘尼の遺骸ならまだマシだっただろう。
この男達は――この呪術師の一族は、よりにもよって特級呪物である『人魚の肉』を喰わせたのだ。
しかも本人達は悪気も、後ろめたさすら微塵も抱いていないのだから救いようがない。
「この『被呪者』は高専が預かり受けます。」
僕がそう言い渡せば、顔を真っ赤にして一人の男が憤慨する。
「巫山戯るな!それは、ようやく完成した《八百比丘尼》だぞ!高専でそれを独占するつもりか!?」
《完成》
《独占》
嗚呼、あぁ。くだらない。
本当に彼らは道具としか見ていないらしい。
「――それ以上口を開くなら、呪詛師として処理してもいいんだぞ。」
僅かな殺意を込めて、目隠しの下から男へ視線を向けた。
蛇に睨まれたカエル。
小汚い脂汗を滲ませながら、男は下唇をぐっと噛み締めた。
「――まぁ、こうは言ったものの選ぶのは君だ。」
なるべく声を和らげて。
ざっくばらんに切られた髪の下で、死んだような目をした少女に言葉を向けた。
固く縛られた猿轡を解けば、痩けた頬に痛々しいまでの赤い跡が、蝋燭の明かりの下でぼんやり浮かんだ。
「痛いだろうけどごめんね」と一言断り、右手に突き刺さった鉄杭を抜けば、細い喉からくぐもった声が零れる。
生々しい肉と骨。
穿たれ、砕かれた薄い掌は、ゴポリと音を立てて再生していく。まるで逆再生の映像を見ているようだ。
男が言っていたことは眉唾ではないらしい。
――高度な反転術式。
恐らく内臓を引きずり出したとしても瞬きをするように治ってしまうのだろう。
きっと、本人の意志など関係なしに。
最後に、彼女を縛っていた足枷を呪力で砕いてしまう。
少女はただ呆然と枝のように細い足首を見下ろし、指先でそろりと自由になった足を撫でた。
「僕が責任取るからさ、僕のとこにおいでよ。」
そしたら君は晴れて自由の身だ。
トントン拍子に進む話に思考が追いついていないのか、困惑した表情で少女が僕を見上げた。
黒い、鏡のような瞳と視線が絡む。
気がつけば、手を伸ばしていた。
「どこにだって行けるさ。だって君は人魚じゃなくて、立派な足がある人間なんだから。」
恐る恐る重ねられた、痛々しい傷跡が残ってしまった細い手。
僅かに震えるその手を、離さないように、壊れないように、僕はそっと強く握り返した。
青藍の冬至#01
(私に手を差し伸べてくれた人は、満月のように眩い人だと思った。)
『1200年ぶりの《八百比丘尼》だ』
大人達は、踊り狂うように歓喜する。
耳障りな喧騒が、響めきが、近くのはずなのにどこか遠くで聞こえるような錯覚に陥る。
――私は、手のひらに突き立てられた鉄の杭を、ただただ歯を食いしばって眺めるしかなかった。
***
「特級呪具、登録の立ち会い?なんで僕なんです」
「伊地知の護衛だ。どんなヤバい代物か分からないからな」
そう言われても。
休日を満喫したのはいつだったか。
いつもの《出張》よりはいくらか楽だろうが…。
「これが終わったらオフ頂きますからね」
「善処しよう。」
かつての担当教師へため息混じりで了承し、僕は学長室を足早に出るのであった。
***
クリーニング仕立てのスーツに、相変わらずきっちりと整えられた髪。
彼の真面目な性分を表したかのような出で立ちだ。
高専で二年後輩の伊地知潔高の少し後ろを歩きながら、立ち込める『呪い』の気配に僕は眉を小さく顰めた。
混ざり物。
《呪具》とは形容し難い、そう。
――これは、どちらかというと『混ざり者』だ。
場数を踏んでいる僕ですら吐き気がする光景。
子供の術士を危険な現場に送ることに胃を痛める程の、根っからの善人である伊地知は…それはもう酷い顔をしていた。
粗末が過ぎる簡易ベッドの上に横たわる枝のような身体。
辛うじて『それ』が少女なのだと理解した途端、形容し難い嫌悪感が腹の底から湧いて出た。
血液を採取するためだろうか。
ミイラのような手のひらには術式を付与された鉄の杭。
血で赤黒く染まり、『治そう』としている傷口へ完全に癒着している。
何より、逃げぬようにパイプベッドのフレームに掛けられた足枷と、舌を噛まぬよう巻かれた薄汚れた猿轡が、少女の待遇を物語っていた。
――まさかとは思うが。
「こちらが呪具『八百比丘尼』の再現でございます」
上機嫌でにこにこと笑う男達の笑みが歪んで見えるのは錯覚だろうか。
超えてはいけない『人』としての矜恃を容易く乗り越えた、まさに狂人と言っていいだろう。
「如何でしょうか?」
「……如何でしょう、と言われても」
凄惨な光景に言葉を失くした伊地知が、小さく呟く。
これを『特級呪具』として認める訳もいかないが、それを拒否する権限も彼は持ち合わせていない。
――学長め。
僕が我儘を通した時には渋い顔をするくせに、こういう時だけ権力を使わせるのだから、本当にタチが悪い。
いや、僕の使い方をよく熟知していると褒めてあげればいいのだろうか。
「いやぁアウトでしょう。人間を『呪具』として認定する訳にはいきませんからねぇ」
なるべく飄々と。
嫌悪を声音に出さず、僕は努めて声を上げた。
「なぜです?あぁ耐久性がご心配ですか?四肢を全て切り落としても1分以内に再生を――」
「本気で言ってるの?」
周りによく『ロクデナシ』だとか『ひとでなし』と言われる僕だが、残念ながら彼ら程ではない。
外道の所業と言っても過言ではない。
「それに再現とは申しますけどぉ……
――お前ら、『喰わせた』な?」
つい出てしまった、地を這うような声。
これには『五条悟』に慣れている伊地知も身を固くした。無理もない。
八百比丘尼の遺骸ならまだマシだっただろう。
この男達は――この呪術師の一族は、よりにもよって特級呪物である『人魚の肉』を喰わせたのだ。
しかも本人達は悪気も、後ろめたさすら微塵も抱いていないのだから救いようがない。
「この『被呪者』は高専が預かり受けます。」
僕がそう言い渡せば、顔を真っ赤にして一人の男が憤慨する。
「巫山戯るな!それは、ようやく完成した《八百比丘尼》だぞ!高専でそれを独占するつもりか!?」
《完成》
《独占》
嗚呼、あぁ。くだらない。
本当に彼らは道具としか見ていないらしい。
「――それ以上口を開くなら、呪詛師として処理してもいいんだぞ。」
僅かな殺意を込めて、目隠しの下から男へ視線を向けた。
蛇に睨まれたカエル。
小汚い脂汗を滲ませながら、男は下唇をぐっと噛み締めた。
「――まぁ、こうは言ったものの選ぶのは君だ。」
なるべく声を和らげて。
ざっくばらんに切られた髪の下で、死んだような目をした少女に言葉を向けた。
固く縛られた猿轡を解けば、痩けた頬に痛々しいまでの赤い跡が、蝋燭の明かりの下でぼんやり浮かんだ。
「痛いだろうけどごめんね」と一言断り、右手に突き刺さった鉄杭を抜けば、細い喉からくぐもった声が零れる。
生々しい肉と骨。
穿たれ、砕かれた薄い掌は、ゴポリと音を立てて再生していく。まるで逆再生の映像を見ているようだ。
男が言っていたことは眉唾ではないらしい。
――高度な反転術式。
恐らく内臓を引きずり出したとしても瞬きをするように治ってしまうのだろう。
きっと、本人の意志など関係なしに。
最後に、彼女を縛っていた足枷を呪力で砕いてしまう。
少女はただ呆然と枝のように細い足首を見下ろし、指先でそろりと自由になった足を撫でた。
「僕が責任取るからさ、僕のとこにおいでよ。」
そしたら君は晴れて自由の身だ。
トントン拍子に進む話に思考が追いついていないのか、困惑した表情で少女が僕を見上げた。
黒い、鏡のような瞳と視線が絡む。
気がつけば、手を伸ばしていた。
「どこにだって行けるさ。だって君は人魚じゃなくて、立派な足がある人間なんだから。」
恐る恐る重ねられた、痛々しい傷跡が残ってしまった細い手。
僅かに震えるその手を、離さないように、壊れないように、僕はそっと強く握り返した。
青藍の冬至#01
(私に手を差し伸べてくれた人は、満月のように眩い人だと思った。)
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