short story
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「化粧?」
「はい。大人っぽく見える化粧を教えて欲しいんです」
医務室へやってきた彼女は、遠慮がちにそう答えた。
***
「で、なんで五条さんがいるんですか?」
「何言ってんの。ななし名無しいるところに五条悟あり、って古事記にも書かれてるんだよ?知らないの?」
「古事記読みましたけどそんなことは書かれていませんよ。暗誦しましょうか?」
医務室で五条が図々しくも居座り始めたので、嫌な予感はしていた。
名無しは珍しく不機嫌そうで、むっとした表情を隠すことなく顔に浮かべる。
が、五条は全く気にしていない様子だった。
……それもそうだ。そんなことを気にする繊細な性格であれば、彼と関わる人間達はこうも苦労していない。
「恥ずかしいので帰ってください。」
「なんで?名無しがもっと可愛くなるとこ見せてくれないの?っていうか僕が化粧してあげたい。」
「なんの羞恥プレイですか。嫌ですよ、絶対『おかめさん』メイクとかにするんでしょ?」
「僕の信頼度低すぎない?」
名無しに化粧を教える、なんて話を…………、……確かに昨日、五条へ零したかもしれない。
『失敗だったな』と心の中でそっと反省し、私は事務椅子から腰を上げた。
「ねー、硝子〜」「硝子さん!」
五条と名無しが私を呼ぶ。
一方は『僕がやってもいいでしょ』と。
一方は『この人を追い払ってください』と。
「……はぁ。」
名無しには悪いが経験上、この手合いの我儘はある程度好きにさせれば満足する。
「コーヒー買ってくるから、それまで好きにしな、五条。」
「オッケーオッケー。ついでに伊地知にコーヒー差し入れしてきてよ。後でお金払ってあげるからさ」
「ちょっ…硝子さん!」
遠回しに『暫く帰ってこなくていい』と言ってくる五条に気づかれない程の小さな溜息を吐き出して、私は自分の職場である医務室を後にした。
***
「なんで僕に内緒なのかなー?」
「ち、逐一五条さんに報告する必要は、ないじゃないですか。」
「ふーん。」
ヘアクリップを付けながら名無しは相変わらず拗ねたように口答えする。
それに対して特に怒る様子もなく、五条は下地のクリームを手の甲にのせ、指先ですいっと必要分を掬った。
「ってかファンデいらなくない?タマゴ肌じゃん。」
「いりますよ…。塗ってなかったら他の化粧が浮くじゃないですか…」
実年齢は二十歳をとっくにすぎているが、良くも悪くも外見は十五、六歳から全く変わっていない。
肌質はつるりと若々しく、両手で挟めば求肥のようにやわらかい。
それを羨む人は一定数いるだろうが、名無し自身にとってはデメリット以外の何物でもない。
──何せ実年齢と見た目が年々チグハグになっていくのだ。今はまだ『この程度』で済んでいるが、これが数十年先の話となるとゾッとしてしまう。
むすっと眉を寄せ、医務室の丸椅子に座る名無しを、物珍しそうに観察する五条。
彼女の肌に触れることは最早日常茶飯事となったが、こうして化粧を施すのは初めてだった。
下地を塗る指先で触れる、額、頬、鼻先、顎。
さらりとした触り心地は気持ちがよく、ベッドの中で触れる時のような、しっとりと吸い付くものとは別物のようで。
どちらが好きかと言われれば、甲乙付け難い…というのが五条の本音である。どちらも好きだ。
(キスする前の顔みたい。)
不満げではあるものの大人しく目を瞑り、されるがまま鎮座している名無しを見て、五条は悪戯を思いついた子供のように笑う。
ヘアクリップで露になっている額へリップ音付きでキスを落とせば──
──ガタッ、ガタタッ!
丸椅子に座っていた名無しが驚きのあまり椅子から落ちそうになった。
真っ赤な顔で目を丸くする名無しと、大笑いしないように声を押し殺して肩を震わせる五条。
何が額に触れたのか理解したらしく、名無しは頬を染めたまま不満そうに口先を尖らせた。
そんな顔も可愛いと思ってしまうあたり、五条も中々末期かもしれない。
「くくっ…はいはい、動かないでね。」
「〜〜ッそうおっしゃるなら、ちゃんと真面目にしてください…」
「してるじゃん。ほら、じっとしなよ」
椅子に座り直し、再び目を瞑る名無し。
五条は再び化粧下地を丁寧に塗りはじめる。
それはそう、とても丁寧に。
頬から顎のフェイスラインを指先でツッ……となぞれば、擽ったいのか「んっ…」と小さな声が喉の奥から零れた。
彼女の弱い首筋付近に触れれば、愛撫している時と同じように両肩が小さく揺れ、それを見た五条の頬はついだらしなく緩んだ。
チリッと小さく点った情欲を吹き消すように、そっと一呼吸吐き出し、五条はパウダーファンデーションを取り出した。
「……で、なんでまた大人らしい化粧?」
「い、いいじゃないですか。私だってもう二十歳過ぎてるんですし」
化粧下地を薄く撫でるように、柔らかく毛羽立ったパフスポンジをムラなくポンポン塗っていく。
……二十歳なんてとっくのまに過ぎていたはず。
何を今更気にしているのかと思い返せば──ひとつだけ、心当たりが。
「もしかしてこの間デートの時、子供っぽく見られたのが嫌だった?」
「…………。」
確か『顔がいいのにロリコンか』なんて雑音が聞こえた気がする。
全く意に介することのなかった出来事だったから、今まですっかり忘れてしまっていた。
「……ク、ククッ…」
「どうせ童顔のまま生きていくんですよ…ほっといてください…」
笑いを堪える五条を、苦虫を噛み潰したような顔で見遣る名無し。
きっと彼女は勘違いしている。「んー、そうじゃなくて。」と前置きをして、五条は満足そうに笑いながら名無しの顔を覗き込んだ。
「昔は『恋人』に見られるのが恥ずかしくて恥ずかしくて堪らなかったのに、って思い出して。今は逆なんだ?」
年相応になりたいという欲求は、至極真っ当で当たり前だろう。特に、彼女ならば。
愉しそうな五条とは真逆に、うんともすんとも返事を返さず、膨れ面で完全に拗ねてしまった名無し。
自己評価が低く、何もかもを諦めて、一歩踏み込んだ感情を露わにして来なかった彼女を見てきた五条としては、機嫌の悪い猫のような反応すら愛おしく思えてしまう。
それが全て『五条悟』という一個人に絡んだ喜怒哀楽なら、尚更。
「ごめんごめん、怒らないでよ。」
軽薄な謝罪の言葉を口にしながら、五条はサングラスを取り払い、名無しの鼻先に口付けを落とす。
勿論、こうなった名無しはキスひとつで機嫌を直したりしない。
『そんな簡単に絆されたりしないぞ』という、強い意志が漆黒の双眸に灯っていた。
「人が恥ずかしがって気にしてることをズケズケ指摘するの、よくないと思います。」
「えー、だって可愛いじゃん。名無しが一生懸命頑張ってるトコ見るの、僕だ〜いすき♡」
「悪趣味ですよ。」
「そう?僕はいい趣味だと思うけど。」
デリカシーがないと指摘しても、五条が堪えるはずもなく。
名無しは諦めたように溜息を吐き出し、観念したようにボソリと呟いた。
「……それに、」
「それに?」
「女の人の化粧詳しいのも、なんかモヤモヤします」
視線を逸らしながら紡がれた言葉。
五条の予想だにしていなかったクレームに、流石の『現代最強』も面食らってしまう。
「……嫉妬?」
「……嫉妬です。」
「……ふふっ」
「何笑ってるんですか。」
「んーん、今日は名無し、僕に対してプリプリ怒ってばっかで可愛いな、と思って。」
『怒ってばかりで可愛い』なんて耳を疑う台詞だが、五条にとってそれは紛れもない事実。
つまるところ、五条に化粧を施されるのはダブルミーニングで嫌だったらしい。それなら機嫌も直るはずもない。
「今日の五条さん、意地が悪いですよ。」
「だって普段怒ったり嫉妬したりしないじゃない、名無し。」
日常の端々に彼女からの愛情を感じるが、それでも露骨な愛情表現は五条の独壇場と言っても過言ではない。
それがどうだ。
『吊り合わない』と揶揄されたことを気にしたり、昔の女の影に嫉妬したり。
これを愛くるしいと言わずしてなんと言うのか。
化粧の途中にも関わらず、五条は息が詰まるような感情のまま細い身体を抱き締めた。
「昔の時間はあげられないけど僕のこれからを全部あげるから、名無しの笑ってる顔も、泣いてる顔も、怒ったり拗ねたりするのも、全部全部僕に頂戴。」
最大級の殺し文句。
歳をとることも死ぬことも出来ない彼女を、救えるなら救ってあげたいけど──きっと彼女は自分の力で『 自分自身の問題 』を何としてでも解決してしまうのだろう。
きっと五条が出来るのは、そのほんの少しの手助けと、限りない愛をもって抱きしめることだけ。
それが彼女の教師であった/恋人である五条にしか出来ないこと。
ぱちくりと目を丸くし、名無しはというと困ったように苦笑いを浮かべる。
「元から差し上げてるつもりでしたけど…」
殺し文句には殺し文句で。
格闘ゲームで言うならガード不能の必殺技を、チートなカウンターで返されK.O.負けしたような気分。
五条は照れ隠しにサングラスをかけ直し、可愛い元・教え子、現・恋人である名無しの頭をくしゃりと撫でた。
「名無しさぁ、ホントそういうとこ。」
今度は五条が苦笑いする番だ。
そうだった。
五条は、彼女の形のない献身が堪らなく愛おしいのだった。
「GTGに任せなさい。うんと、もっと可愛くしてあげる。」
***
伊地知のとこで休憩入れて戻ってくれば、いつもよりも繊細な化粧を施された名無しが困ったような顔で座っていた。
一方、五条はというと満足そうに、仕上がった化粧の写真をひたすらに撮っている。
「あの、五条さん。」
「なーに?」
「申し上げにくいんですけど、いつもとあまり変わらないような…」
そう。いつもの名無しの化粧よりは多少大人びているものの、それは無理に『大人っぽく見せる』ものではなくて。
女子高生か──精々大学デビューしたばかりの女子大生がしそうな、清潔感のある化粧の仕上がりだった。
「だっていつもの名無しが一番可愛いからね。」
「しょーこもそう思うでしょ」と上機嫌で話を振ってくる五条。
そりゃ名無しは可愛い。見た目云々ではなく、内面的な物も含め。
『五条には勿体ないくらいだ』という嫌味は、今の甘ったるい雰囲気には……まぁ、野暮だろう。
「それじゃあ、ちゃんとした…こ、恋人、っぽく見えないじゃないですか…」
「あるでしょ、色々。腕組んだり、往来でチューしたり。」
「ちゅーは結構です…」
五条は知らないらしい。
『大人っぽく見られたい』という願望の、根本的な理由を。
見た目だけでも釣り合うように、という理由は……当たらずとも遠からず、といったところ。
──ま、それこそ私がわざわざ教えるまでもないだろう。それこそ野暮を通り越して、無粋というものだ。
「それに、これ以上変な虫が寄っても良くないしね。」
ボソッと呟かれた言葉は、名無しには聞こえなかったらしい。
「え、なんですか?聞こえませんでした。」
「ん〜?ナーイショ。」
薄づきのリキッドルージュをほどこした唇に落とされるリップ音。
顔を赤らめる名無し。満足そうな五条。
「ほら、もっと可愛くなった。」
私に見られているのが気になるのか、「ここでは、やめてください。医務室ですよ」と名無しは小さく抗議するのであった。
家入硝子の内緒話
『なんかあった?』
珍しく無理矢理背伸びをするような名無しの発言に違和感を覚えた。
単刀直入に理由を問えば、同性故のアドバンテージか、口篭りながら訳を話してくれた。
『……五条さんと歩いてて…、その、すれ違った女性に、顔がいいのにロリコンだとか陰口言われて、ちょっと…いやかなり腹が立ってしまいまして。』
つまり、
『五条がロリコン野郎だと思われたのが嫌だったの?』
『……まぁ、そこら辺の線引きはちゃんと守ってくれてましたし、』
『私の見た目がそもそも発端で、悪いんですけど』と項垂れながら溜息を吐き出す名無し。
生徒時代に既に付き合っているのだから倫理的にはアウトだろ、なんてことを言うのは野暮だろう。
五条曰く『いや挿れたのは卒業してからだよ』と言い訳は貰っているが。全く、何の報告だ。
『五条の名誉のためってのが気に食わないけど、ま。いっか。明後日なら時間あるからいつでもおいで』
『ありがとうございます、硝子さん』
──なんて、やり取りがあったのは、五条に教えてやんない。
(だってアイツ、調子に乗りそうだし)
「はい。大人っぽく見える化粧を教えて欲しいんです」
医務室へやってきた彼女は、遠慮がちにそう答えた。
***
「で、なんで五条さんがいるんですか?」
「何言ってんの。ななし名無しいるところに五条悟あり、って古事記にも書かれてるんだよ?知らないの?」
「古事記読みましたけどそんなことは書かれていませんよ。暗誦しましょうか?」
医務室で五条が図々しくも居座り始めたので、嫌な予感はしていた。
名無しは珍しく不機嫌そうで、むっとした表情を隠すことなく顔に浮かべる。
が、五条は全く気にしていない様子だった。
……それもそうだ。そんなことを気にする繊細な性格であれば、彼と関わる人間達はこうも苦労していない。
「恥ずかしいので帰ってください。」
「なんで?名無しがもっと可愛くなるとこ見せてくれないの?っていうか僕が化粧してあげたい。」
「なんの羞恥プレイですか。嫌ですよ、絶対『おかめさん』メイクとかにするんでしょ?」
「僕の信頼度低すぎない?」
名無しに化粧を教える、なんて話を…………、……確かに昨日、五条へ零したかもしれない。
『失敗だったな』と心の中でそっと反省し、私は事務椅子から腰を上げた。
「ねー、硝子〜」「硝子さん!」
五条と名無しが私を呼ぶ。
一方は『僕がやってもいいでしょ』と。
一方は『この人を追い払ってください』と。
「……はぁ。」
名無しには悪いが経験上、この手合いの我儘はある程度好きにさせれば満足する。
「コーヒー買ってくるから、それまで好きにしな、五条。」
「オッケーオッケー。ついでに伊地知にコーヒー差し入れしてきてよ。後でお金払ってあげるからさ」
「ちょっ…硝子さん!」
遠回しに『暫く帰ってこなくていい』と言ってくる五条に気づかれない程の小さな溜息を吐き出して、私は自分の職場である医務室を後にした。
***
「なんで僕に内緒なのかなー?」
「ち、逐一五条さんに報告する必要は、ないじゃないですか。」
「ふーん。」
ヘアクリップを付けながら名無しは相変わらず拗ねたように口答えする。
それに対して特に怒る様子もなく、五条は下地のクリームを手の甲にのせ、指先ですいっと必要分を掬った。
「ってかファンデいらなくない?タマゴ肌じゃん。」
「いりますよ…。塗ってなかったら他の化粧が浮くじゃないですか…」
実年齢は二十歳をとっくにすぎているが、良くも悪くも外見は十五、六歳から全く変わっていない。
肌質はつるりと若々しく、両手で挟めば求肥のようにやわらかい。
それを羨む人は一定数いるだろうが、名無し自身にとってはデメリット以外の何物でもない。
──何せ実年齢と見た目が年々チグハグになっていくのだ。今はまだ『この程度』で済んでいるが、これが数十年先の話となるとゾッとしてしまう。
むすっと眉を寄せ、医務室の丸椅子に座る名無しを、物珍しそうに観察する五条。
彼女の肌に触れることは最早日常茶飯事となったが、こうして化粧を施すのは初めてだった。
下地を塗る指先で触れる、額、頬、鼻先、顎。
さらりとした触り心地は気持ちがよく、ベッドの中で触れる時のような、しっとりと吸い付くものとは別物のようで。
どちらが好きかと言われれば、甲乙付け難い…というのが五条の本音である。どちらも好きだ。
(キスする前の顔みたい。)
不満げではあるものの大人しく目を瞑り、されるがまま鎮座している名無しを見て、五条は悪戯を思いついた子供のように笑う。
ヘアクリップで露になっている額へリップ音付きでキスを落とせば──
──ガタッ、ガタタッ!
丸椅子に座っていた名無しが驚きのあまり椅子から落ちそうになった。
真っ赤な顔で目を丸くする名無しと、大笑いしないように声を押し殺して肩を震わせる五条。
何が額に触れたのか理解したらしく、名無しは頬を染めたまま不満そうに口先を尖らせた。
そんな顔も可愛いと思ってしまうあたり、五条も中々末期かもしれない。
「くくっ…はいはい、動かないでね。」
「〜〜ッそうおっしゃるなら、ちゃんと真面目にしてください…」
「してるじゃん。ほら、じっとしなよ」
椅子に座り直し、再び目を瞑る名無し。
五条は再び化粧下地を丁寧に塗りはじめる。
それはそう、とても丁寧に。
頬から顎のフェイスラインを指先でツッ……となぞれば、擽ったいのか「んっ…」と小さな声が喉の奥から零れた。
彼女の弱い首筋付近に触れれば、愛撫している時と同じように両肩が小さく揺れ、それを見た五条の頬はついだらしなく緩んだ。
チリッと小さく点った情欲を吹き消すように、そっと一呼吸吐き出し、五条はパウダーファンデーションを取り出した。
「……で、なんでまた大人らしい化粧?」
「い、いいじゃないですか。私だってもう二十歳過ぎてるんですし」
化粧下地を薄く撫でるように、柔らかく毛羽立ったパフスポンジをムラなくポンポン塗っていく。
……二十歳なんてとっくのまに過ぎていたはず。
何を今更気にしているのかと思い返せば──ひとつだけ、心当たりが。
「もしかしてこの間デートの時、子供っぽく見られたのが嫌だった?」
「…………。」
確か『顔がいいのにロリコンか』なんて雑音が聞こえた気がする。
全く意に介することのなかった出来事だったから、今まですっかり忘れてしまっていた。
「……ク、ククッ…」
「どうせ童顔のまま生きていくんですよ…ほっといてください…」
笑いを堪える五条を、苦虫を噛み潰したような顔で見遣る名無し。
きっと彼女は勘違いしている。「んー、そうじゃなくて。」と前置きをして、五条は満足そうに笑いながら名無しの顔を覗き込んだ。
「昔は『恋人』に見られるのが恥ずかしくて恥ずかしくて堪らなかったのに、って思い出して。今は逆なんだ?」
年相応になりたいという欲求は、至極真っ当で当たり前だろう。特に、彼女ならば。
愉しそうな五条とは真逆に、うんともすんとも返事を返さず、膨れ面で完全に拗ねてしまった名無し。
自己評価が低く、何もかもを諦めて、一歩踏み込んだ感情を露わにして来なかった彼女を見てきた五条としては、機嫌の悪い猫のような反応すら愛おしく思えてしまう。
それが全て『五条悟』という一個人に絡んだ喜怒哀楽なら、尚更。
「ごめんごめん、怒らないでよ。」
軽薄な謝罪の言葉を口にしながら、五条はサングラスを取り払い、名無しの鼻先に口付けを落とす。
勿論、こうなった名無しはキスひとつで機嫌を直したりしない。
『そんな簡単に絆されたりしないぞ』という、強い意志が漆黒の双眸に灯っていた。
「人が恥ずかしがって気にしてることをズケズケ指摘するの、よくないと思います。」
「えー、だって可愛いじゃん。名無しが一生懸命頑張ってるトコ見るの、僕だ〜いすき♡」
「悪趣味ですよ。」
「そう?僕はいい趣味だと思うけど。」
デリカシーがないと指摘しても、五条が堪えるはずもなく。
名無しは諦めたように溜息を吐き出し、観念したようにボソリと呟いた。
「……それに、」
「それに?」
「女の人の化粧詳しいのも、なんかモヤモヤします」
視線を逸らしながら紡がれた言葉。
五条の予想だにしていなかったクレームに、流石の『現代最強』も面食らってしまう。
「……嫉妬?」
「……嫉妬です。」
「……ふふっ」
「何笑ってるんですか。」
「んーん、今日は名無し、僕に対してプリプリ怒ってばっかで可愛いな、と思って。」
『怒ってばかりで可愛い』なんて耳を疑う台詞だが、五条にとってそれは紛れもない事実。
つまるところ、五条に化粧を施されるのはダブルミーニングで嫌だったらしい。それなら機嫌も直るはずもない。
「今日の五条さん、意地が悪いですよ。」
「だって普段怒ったり嫉妬したりしないじゃない、名無し。」
日常の端々に彼女からの愛情を感じるが、それでも露骨な愛情表現は五条の独壇場と言っても過言ではない。
それがどうだ。
『吊り合わない』と揶揄されたことを気にしたり、昔の女の影に嫉妬したり。
これを愛くるしいと言わずしてなんと言うのか。
化粧の途中にも関わらず、五条は息が詰まるような感情のまま細い身体を抱き締めた。
「昔の時間はあげられないけど僕のこれからを全部あげるから、名無しの笑ってる顔も、泣いてる顔も、怒ったり拗ねたりするのも、全部全部僕に頂戴。」
最大級の殺し文句。
歳をとることも死ぬことも出来ない彼女を、救えるなら救ってあげたいけど──きっと彼女は自分の力で『
きっと五条が出来るのは、そのほんの少しの手助けと、限りない愛をもって抱きしめることだけ。
それが彼女の教師であった/恋人である五条にしか出来ないこと。
ぱちくりと目を丸くし、名無しはというと困ったように苦笑いを浮かべる。
「元から差し上げてるつもりでしたけど…」
殺し文句には殺し文句で。
格闘ゲームで言うならガード不能の必殺技を、チートなカウンターで返されK.O.負けしたような気分。
五条は照れ隠しにサングラスをかけ直し、可愛い元・教え子、現・恋人である名無しの頭をくしゃりと撫でた。
「名無しさぁ、ホントそういうとこ。」
今度は五条が苦笑いする番だ。
そうだった。
五条は、彼女の形のない献身が堪らなく愛おしいのだった。
「GTGに任せなさい。うんと、もっと可愛くしてあげる。」
***
伊地知のとこで休憩入れて戻ってくれば、いつもよりも繊細な化粧を施された名無しが困ったような顔で座っていた。
一方、五条はというと満足そうに、仕上がった化粧の写真をひたすらに撮っている。
「あの、五条さん。」
「なーに?」
「申し上げにくいんですけど、いつもとあまり変わらないような…」
そう。いつもの名無しの化粧よりは多少大人びているものの、それは無理に『大人っぽく見せる』ものではなくて。
女子高生か──精々大学デビューしたばかりの女子大生がしそうな、清潔感のある化粧の仕上がりだった。
「だっていつもの名無しが一番可愛いからね。」
「しょーこもそう思うでしょ」と上機嫌で話を振ってくる五条。
そりゃ名無しは可愛い。見た目云々ではなく、内面的な物も含め。
『五条には勿体ないくらいだ』という嫌味は、今の甘ったるい雰囲気には……まぁ、野暮だろう。
「それじゃあ、ちゃんとした…こ、恋人、っぽく見えないじゃないですか…」
「あるでしょ、色々。腕組んだり、往来でチューしたり。」
「ちゅーは結構です…」
五条は知らないらしい。
『大人っぽく見られたい』という願望の、根本的な理由を。
見た目だけでも釣り合うように、という理由は……当たらずとも遠からず、といったところ。
──ま、それこそ私がわざわざ教えるまでもないだろう。それこそ野暮を通り越して、無粋というものだ。
「それに、これ以上変な虫が寄っても良くないしね。」
ボソッと呟かれた言葉は、名無しには聞こえなかったらしい。
「え、なんですか?聞こえませんでした。」
「ん〜?ナーイショ。」
薄づきのリキッドルージュをほどこした唇に落とされるリップ音。
顔を赤らめる名無し。満足そうな五条。
「ほら、もっと可愛くなった。」
私に見られているのが気になるのか、「ここでは、やめてください。医務室ですよ」と名無しは小さく抗議するのであった。
家入硝子の内緒話
『なんかあった?』
珍しく無理矢理背伸びをするような名無しの発言に違和感を覚えた。
単刀直入に理由を問えば、同性故のアドバンテージか、口篭りながら訳を話してくれた。
『……五条さんと歩いてて…、その、すれ違った女性に、顔がいいのにロリコンだとか陰口言われて、ちょっと…いやかなり腹が立ってしまいまして。』
つまり、
『五条がロリコン野郎だと思われたのが嫌だったの?』
『……まぁ、そこら辺の線引きはちゃんと守ってくれてましたし、』
『私の見た目がそもそも発端で、悪いんですけど』と項垂れながら溜息を吐き出す名無し。
生徒時代に既に付き合っているのだから倫理的にはアウトだろ、なんてことを言うのは野暮だろう。
五条曰く『いや挿れたのは卒業してからだよ』と言い訳は貰っているが。全く、何の報告だ。
『五条の名誉のためってのが気に食わないけど、ま。いっか。明後日なら時間あるからいつでもおいで』
『ありがとうございます、硝子さん』
──なんて、やり取りがあったのは、五条に教えてやんない。
(だってアイツ、調子に乗りそうだし)