Re:set//short story
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『こっちの世界』に来てから分かったことは幾つかある。
ビルはでかい。信号は青になったら渡れ。車はクソ速い。
雪が積もるのは稀。アイツと暮らす生活は存外悪くないこと。
あとは──
『い〜しや〜きいも〜』
締め切ったアパートでも聞こえてくる、拡声器越しの呑気な声。
昼下がりの日曜日、机に向かって黙々と課題をこなしていた名無しは弾かれるように顔を上げ、椅子にかけていたコートを手に取った。
「どうした。」
「焼き芋!焼き芋屋さんが近くにいます!」
バタバタと慌ただしく財布を掴み、転げそうになりながら玄関へ走る。
一見、切羽詰まった状況に見えるが、名無しの表情は好物を見つけた子犬のように眩いくらい輝いていた。
アパートの外へ飛び出すようにドアを開ければ、建物の前をスーッと通り過ぎていく一台の車。
白い軽トラックに『やきいも』と書かれた幕をぶら下げた、パッと見チープに見えるその車を見て名無しは「ま、まって、待ってくださーい!」と声を上げながら慌てて階段を駆け下りていった。
勿論、彼女のちっぽけな姿は車から見えるはずもなく、無情にも遅いとも速いともいえぬ速度で『焼き芋屋』は遠ざかっていく。
「う、うそ、行っちゃった……」
階段の下で項垂れる名無し。
……あの車に用があったのか。
俺はスニーカーを履き、階段を降り、眉を八の字に曲げた名無しから財布を取り上げた。
「あの車を停めればいいのか?」
「え、は、はい。でも、行っちゃいましたし…」
名無しの言葉を遮るように、俺は駆けた。
久しぶりの全力疾走。相手に不足はない。
秒で数メートル離れてた名無しの方から「はっや」と驚いた声が聞こえてきたような気がしたが、風を切る音で呆気なく掻き消えた。
***
「ほらよ。」
息を切らす事無く、復路を悠々と歩いていた神田さんは戦利品であるビニール袋を渡してくれる。
私といえば慌てて神田さんと焼き芋屋を追いかけたせいで、息も絶え絶え、冷たい空気を吸いすぎた肺が痛いくらいだった。
「あ、あり、ありがとう、ございます。」
ぜぇぜぇと呼吸を整えながらお礼を言えば、少しだけ呆れた顔で背中をぎこちなく摩ってくれる。
『わざわざ追いかけなくてもいいのに』とか『体力ないな』とか思われてるのかもしれない。
前者の気遣いはありがたいが、後者は弁解させて欲しい。体力はこれでも一般人の平均なのだと。
「神田さん、走るのすっごく速いですね。ビックリしました。」
「仕事柄な。」
遺跡物を調べる仕事なのに、走るのが速いってどういうことだろう。
聞いてみれば答えてくれるかもしれないが、困らせてしまうかもしれない。
私は不意に浮かび上がった疑問をかき消し、渡されたビニール袋の中身を確認した。
「……あれ?神田さんの分は買わなかったんですか?」
「?、お前が食いたかったんだろ。」
「まぁ、そうなんですけど」
一緒に食べた方が美味しいに決まっている。
それに、イギリスで生活していたなら『焼き芋』とはきっと縁遠いはず。
スィートポテトも悪くないが、あの焼き芋独特の素朴な味を知らないのは人生損している気がして、私は『ぜひ神田さんと一緒に食べたい』と思って慌てて財布を掴んだというのに。
これでは本末転倒だ。
ビニール袋から焼き芋の紙袋を取り出し、ほかほかと湯気を立てる赤紫色の芋へ僅かに爪を立てる。
ほっくりした断面と、やわらかそうな黄金色。
決して綺麗とは言い難い割り方だが、焼き芋は温かいうちに食べるに限る。アパートへ帰るまで放っておいたらぬるくなってしまうに違いない。
「はい、どうぞ。」
少し大きめに割れた方を神田さんへ差し出す。
彼は意外そうに切れ長の目を僅かに見開き、半分に割った焼き芋と私の顔を見比べた。
「半分こしましょう。美味しいですよ、焼き芋。」
元々神田さんに食べてもらいたいが故に追いかけた焼き芋屋だ。彼が食べるのは私の中で決定事項だった。
──ならひとつ丸々あげればいいじゃないか、って?
…………それはそうだが、私だって焼き芋は食べたい。
焦げた皮をぺりぺり剥いて、ほくほくのお芋にかぶりつく。
砂糖とは違う炭水化物らしいまろやかな甘さと、蜜がたっぷり入った味わいは、甘党じゃない人でも舌鼓を打つ美味しさだろう。
焼き芋を初めて食べるであろう神田さんも、見よう見まねで皮を剥き、黄金色の安納芋を口に含む。
甘いものはあまり好きじゃないと言っていたが……さて、お味の方はどうだろう。
「うめぇ。」
「そうでしょう、そうでしょう。」
忖度なく、お気に召したらしい。
一口、二口と丁寧に焼き芋を食べる彼を見上げ、私は内心『可愛いな』なんて思ってしまった。
アパートへの帰路。行儀が悪いが、二人で食べ歩きをする焼き芋の味は、今までで一番美味しかった。
キミと半分こ
『こっちの世界』に来てから分かったことは幾つかある。
ビルはでかい。信号は青になったら渡れ。車はクソ速い。
雪が積もるのは稀。アイツと暮らす生活は存外悪くないこと。
あとは──
二人で食べる焼き芋は、格別に美味い。
ビルはでかい。信号は青になったら渡れ。車はクソ速い。
雪が積もるのは稀。アイツと暮らす生活は存外悪くないこと。
あとは──
『い〜しや〜きいも〜』
締め切ったアパートでも聞こえてくる、拡声器越しの呑気な声。
昼下がりの日曜日、机に向かって黙々と課題をこなしていた名無しは弾かれるように顔を上げ、椅子にかけていたコートを手に取った。
「どうした。」
「焼き芋!焼き芋屋さんが近くにいます!」
バタバタと慌ただしく財布を掴み、転げそうになりながら玄関へ走る。
一見、切羽詰まった状況に見えるが、名無しの表情は好物を見つけた子犬のように眩いくらい輝いていた。
アパートの外へ飛び出すようにドアを開ければ、建物の前をスーッと通り過ぎていく一台の車。
白い軽トラックに『やきいも』と書かれた幕をぶら下げた、パッと見チープに見えるその車を見て名無しは「ま、まって、待ってくださーい!」と声を上げながら慌てて階段を駆け下りていった。
勿論、彼女のちっぽけな姿は車から見えるはずもなく、無情にも遅いとも速いともいえぬ速度で『焼き芋屋』は遠ざかっていく。
「う、うそ、行っちゃった……」
階段の下で項垂れる名無し。
……あの車に用があったのか。
俺はスニーカーを履き、階段を降り、眉を八の字に曲げた名無しから財布を取り上げた。
「あの車を停めればいいのか?」
「え、は、はい。でも、行っちゃいましたし…」
名無しの言葉を遮るように、俺は駆けた。
久しぶりの全力疾走。相手に不足はない。
秒で数メートル離れてた名無しの方から「はっや」と驚いた声が聞こえてきたような気がしたが、風を切る音で呆気なく掻き消えた。
***
「ほらよ。」
息を切らす事無く、復路を悠々と歩いていた神田さんは戦利品であるビニール袋を渡してくれる。
私といえば慌てて神田さんと焼き芋屋を追いかけたせいで、息も絶え絶え、冷たい空気を吸いすぎた肺が痛いくらいだった。
「あ、あり、ありがとう、ございます。」
ぜぇぜぇと呼吸を整えながらお礼を言えば、少しだけ呆れた顔で背中をぎこちなく摩ってくれる。
『わざわざ追いかけなくてもいいのに』とか『体力ないな』とか思われてるのかもしれない。
前者の気遣いはありがたいが、後者は弁解させて欲しい。体力はこれでも一般人の平均なのだと。
「神田さん、走るのすっごく速いですね。ビックリしました。」
「仕事柄な。」
遺跡物を調べる仕事なのに、走るのが速いってどういうことだろう。
聞いてみれば答えてくれるかもしれないが、困らせてしまうかもしれない。
私は不意に浮かび上がった疑問をかき消し、渡されたビニール袋の中身を確認した。
「……あれ?神田さんの分は買わなかったんですか?」
「?、お前が食いたかったんだろ。」
「まぁ、そうなんですけど」
一緒に食べた方が美味しいに決まっている。
それに、イギリスで生活していたなら『焼き芋』とはきっと縁遠いはず。
スィートポテトも悪くないが、あの焼き芋独特の素朴な味を知らないのは人生損している気がして、私は『ぜひ神田さんと一緒に食べたい』と思って慌てて財布を掴んだというのに。
これでは本末転倒だ。
ビニール袋から焼き芋の紙袋を取り出し、ほかほかと湯気を立てる赤紫色の芋へ僅かに爪を立てる。
ほっくりした断面と、やわらかそうな黄金色。
決して綺麗とは言い難い割り方だが、焼き芋は温かいうちに食べるに限る。アパートへ帰るまで放っておいたらぬるくなってしまうに違いない。
「はい、どうぞ。」
少し大きめに割れた方を神田さんへ差し出す。
彼は意外そうに切れ長の目を僅かに見開き、半分に割った焼き芋と私の顔を見比べた。
「半分こしましょう。美味しいですよ、焼き芋。」
元々神田さんに食べてもらいたいが故に追いかけた焼き芋屋だ。彼が食べるのは私の中で決定事項だった。
──ならひとつ丸々あげればいいじゃないか、って?
…………それはそうだが、私だって焼き芋は食べたい。
焦げた皮をぺりぺり剥いて、ほくほくのお芋にかぶりつく。
砂糖とは違う炭水化物らしいまろやかな甘さと、蜜がたっぷり入った味わいは、甘党じゃない人でも舌鼓を打つ美味しさだろう。
焼き芋を初めて食べるであろう神田さんも、見よう見まねで皮を剥き、黄金色の安納芋を口に含む。
甘いものはあまり好きじゃないと言っていたが……さて、お味の方はどうだろう。
「うめぇ。」
「そうでしょう、そうでしょう。」
忖度なく、お気に召したらしい。
一口、二口と丁寧に焼き芋を食べる彼を見上げ、私は内心『可愛いな』なんて思ってしまった。
アパートへの帰路。行儀が悪いが、二人で食べ歩きをする焼き芋の味は、今までで一番美味しかった。
キミと半分こ
『こっちの世界』に来てから分かったことは幾つかある。
ビルはでかい。信号は青になったら渡れ。車はクソ速い。
雪が積もるのは稀。アイツと暮らす生活は存外悪くないこと。
あとは──
二人で食べる焼き芋は、格別に美味い。