Re:set//short story
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神田ユウ、人生初の――
「風邪ですね。」
「ケホッ…」
am09:30
「環境の変化が原因ですかね…。あぁ、でも最近お外にも出られてましたもんね。手洗いうがいはしてましたか?」
「……………してねぇ。」
「それは駄目ですね。」
苦笑いしながら目の前の少女は肩を竦める。
喉が痛いし、頭がクラクラする。
ジョニーと酒を飲んで、人生初の二日酔いになった時よりも酷い頭痛だった。
(それだけ身体にガタがきてんのか)
呪符の効果が薄れてきても、元々器としての身体は丈夫に作られている…と聞いている。
まぁ、壊れかけだから仕方ないと言えば仕方ないのだろうが。
「うーん…市販薬…くらいしかないですね…」
戸棚から小さな小瓶を取り出し、眉を寄せながらラベルを眺めている。
「あ、朝ご飯は食べられそうですか?食べるのもしんどいならお粥作りますけど…」
「…どうだろうな。風邪なんか、初めてだからな」
気管から迫り上がる咳と痛み。
魚が跳ねるように横隔膜が肺を突き上げる。
何もかもが初めての『病気』。
正直、右も左も分からない状態だった。
「…………初めてって、本当に?」
「ケホッ…記憶してる内はな。」
嘘ではない。
僅かに思い出せる断片的な過去もひっくるめて、確かに風邪を引いた記憶もなければ経験もなかった。
幸いなことに目の前の少女は「じゃあ昔から健康優良児だったんですね、感心です」と納得しているようなので、そっと胸を撫で下ろした。
「さて、お粥作っておきますね。食べられそうだったら食べてください。」
「あぁ…」
小鍋を出して昨晩炊いていた米と、冷蔵庫から玉子を割入れる。
弱火で煮込んでいる間、名無しは家計の財布と睨めっこした。
「お粥食べたらしんどいでしょうけど病院に行きましょうね、神田さん」
「……いや、病院はいい」
「え。…あ、もしかして十割負担気にしてますか?大丈夫ですよ、保険証がなくても支払えるくらいの手持ちはありますから。」
「そうじゃねぇ。お前、学校はどうするつもりだ。」
「え、休みますよ」
「ただの風邪だ。学生なら…ケホッ、ちゃんと出ておけ。」
咳を交えながら抗議すれば、心配そうに眉を寄せる名無し。
病院に行ったら戸籍云々ではなく、この身体を見られるということだ。
こんな平和ボケした世界では妙な勘繰りをされること間違いない上、必ず彼女に迷惑が掛かる。
「でも、」
「寝ときゃ、治る。」
声を絞り、言葉をひり出す。
熱でぼんやりする視線で訴えれば、名無しは「うーん」と唸りながら腕を組んだ。
「…わかりました。学校に行ってきます。」
「あぁ」
たかが風邪で彼女の生活をこれ以上振り回す訳にはいかない。
……とりあえず、粥を食べて適当な薬を飲めばすぐ治るだろう。
その時の俺は、高を括っていたのだ。
***
名無しが家を出てから、二時間後。
(さっきより熱ィ)
薬を飲んだというのに全然下がらない。
念の為小瓶のラベルを確認するが、ちゃんと『熱・喉の痛みに』と丁寧に書かれていた。
少なくとも科学班が作った怪しい薬よりは信頼が置けそうなものだが――。
倒れ込むように布団に寝そべれば、関節の節々が悲鳴を上げた。
普段は気になりもしない、床からの底冷えですら寒気がする。
季節が冬だからというのも相まって、寒気はますます酷くなるばかりだった。
(……風邪か。これは確かに、キツいな)
身体が思うように動かないのは中々辛い。
外傷的な痛みならいくらでも我慢できるが、内臓から燻るようなこの熱と、脳を掻き回されているような痛みは耐え難いものがあった。
そっと目を閉じ、呼吸を整える。
瞼も熱をもっているためか、気怠い眠気がじわじわ這い寄る。
遠ざかっていく外の音。
僅かに聞こえる車のエンジン音や、外界の生活音が少しずつ薄れていく。
――ガチャッ。パ、タン。
……比較的近くから、音が聞こえる。
薄目を開けて時計を見上げればまだ時刻は9時を指していた。
しかし先程聞こえてきたのは、鍵を開ける音と、控えめに閉めるドアの音だ。
こんな時間に帰ってくるわけがない。
とすれば、消去法で考えるなら強盗だが――
そろりと開かれる扉。
遠慮がちにひょこりと顔を出したのは、見間違えるはずもない。名無し本人だった。
「…………あれ?もしかして起こしちゃいました?」
「いや、眠れねぇだけだ。……って、そうじゃねぇ…学校はどうした…?」
「行ってきましたよ。行って、早退してきました。」
自慢げに両手を腰に当てるが、全く褒められたものではないだろうに。
そんなの屁理屈だ。ズルいに決まっている。
「クレームは受け付けませんからね。私が気になるので帰ってきただけですから。」
ピシッと手を目の前に捧げられ、完全に先手を打たれてしまった。
喋るのすら億劫になってきて、俺は口元を真一文字に結んだ。
「お薬とお粥は……食べてますね、よかった。ポカリと…のど飴と…みかんゼリーとか買ってきたので、よかったら召し上がってくださいね」
ビニール袋を覗き、ひとつひとつ確認しながら名無しが言う。
「体調はどうですか?熱はまだ下がってないでしょうけど…」
「……………寒ィ。」
ポツリと一言要望を漏らせば、意外だったらしく名無しは少しばかり面食らっているようだった。
それでもすぐにニコリと笑い、「着替え、取ってきますね」と立ち上がった。
神田の使っている部屋に戻ってきた際には、彼女が使っている掛け布団と、毛布と、もう一往復して着替えと温めた蒸しタオルを持って来る。
「暑くなったら枚数減らしましょうね。とりあえず汗拭いちゃうので…上、脱いじゃいましょうか。よかったら背中拭きますけど、恥ずかしかったら自分でされますか?」
「…頼む」
「はい。」
頼られているのが嬉しいのか。
嫌な顔一つせず、名無しは剥き身になった俺の背中をホットタオルで丁寧に拭く。
「気持ち悪いところとかありませんか?」
「ケホッ…げほっ、…大丈夫だ。」
嘔吐くような咳をすれば、小さな手が背中を擦る。
――昔、マリが風邪をこじらせた時に師匠が背中を擦ってやっていたのを思い出す。
当時は『とんだ気休めだ』と遠巻きに見ながら内心無下にしたものだが、なるほど。
不思議と、ほんの少しだけ楽になった……気がした。
「はい。じゃあ新しい服に着替えましょうか。洗濯機に持って行ってくるので、ちょっと失礼しますね」
名無しがもう一度立ち上がり、俺が着ていたシャツを持っていく。
その間に気怠い体を動かし、新しいシャツに袖を通せば清潔な匂いが鼻腔をくすぐった。
脱衣所から戻り、もう一度俺の布団の横に座る名無し。
「名無し…」
「なんですか?」
「寒ィのに、熱ィ。」
「風邪ですからね。」
困ったように笑いながら肩を竦める。
「横になりましょうね」と言われ大人しく布団に潜れば、ほんの少しだけ身体が楽になった。
熱を測るため額に生白い手が触れる。
冬だからだろうか、血色のいい指先は見た目に反して冷ややかだった。
ひやりと冷たい、柔らかい手のひらが酷く心地いい。
それは思わずとろりと目元を細めてしまう程に。
「……手、気持ちが…いいな…」
「結構熱ありますもんね。濡れタオル、作ってきましょうか?」
「いや…これがいい」
柔らかい。でも、少しだけ乾燥気味。
僅かに香るのは石鹸の匂いと、昨日作った、味噌汁に入れた玉ねぎの匂い。
火照った頬に押し当てれば、微睡むような眠りへトクトクと沈んでいく。
「おやすみなさい、神田さん。」
「風邪ですね。」
「ケホッ…」
am09:30
「環境の変化が原因ですかね…。あぁ、でも最近お外にも出られてましたもんね。手洗いうがいはしてましたか?」
「……………してねぇ。」
「それは駄目ですね。」
苦笑いしながら目の前の少女は肩を竦める。
喉が痛いし、頭がクラクラする。
ジョニーと酒を飲んで、人生初の二日酔いになった時よりも酷い頭痛だった。
(それだけ身体にガタがきてんのか)
呪符の効果が薄れてきても、元々器としての身体は丈夫に作られている…と聞いている。
まぁ、壊れかけだから仕方ないと言えば仕方ないのだろうが。
「うーん…市販薬…くらいしかないですね…」
戸棚から小さな小瓶を取り出し、眉を寄せながらラベルを眺めている。
「あ、朝ご飯は食べられそうですか?食べるのもしんどいならお粥作りますけど…」
「…どうだろうな。風邪なんか、初めてだからな」
気管から迫り上がる咳と痛み。
魚が跳ねるように横隔膜が肺を突き上げる。
何もかもが初めての『病気』。
正直、右も左も分からない状態だった。
「…………初めてって、本当に?」
「ケホッ…記憶してる内はな。」
嘘ではない。
僅かに思い出せる断片的な過去もひっくるめて、確かに風邪を引いた記憶もなければ経験もなかった。
幸いなことに目の前の少女は「じゃあ昔から健康優良児だったんですね、感心です」と納得しているようなので、そっと胸を撫で下ろした。
「さて、お粥作っておきますね。食べられそうだったら食べてください。」
「あぁ…」
小鍋を出して昨晩炊いていた米と、冷蔵庫から玉子を割入れる。
弱火で煮込んでいる間、名無しは家計の財布と睨めっこした。
「お粥食べたらしんどいでしょうけど病院に行きましょうね、神田さん」
「……いや、病院はいい」
「え。…あ、もしかして十割負担気にしてますか?大丈夫ですよ、保険証がなくても支払えるくらいの手持ちはありますから。」
「そうじゃねぇ。お前、学校はどうするつもりだ。」
「え、休みますよ」
「ただの風邪だ。学生なら…ケホッ、ちゃんと出ておけ。」
咳を交えながら抗議すれば、心配そうに眉を寄せる名無し。
病院に行ったら戸籍云々ではなく、この身体を見られるということだ。
こんな平和ボケした世界では妙な勘繰りをされること間違いない上、必ず彼女に迷惑が掛かる。
「でも、」
「寝ときゃ、治る。」
声を絞り、言葉をひり出す。
熱でぼんやりする視線で訴えれば、名無しは「うーん」と唸りながら腕を組んだ。
「…わかりました。学校に行ってきます。」
「あぁ」
たかが風邪で彼女の生活をこれ以上振り回す訳にはいかない。
……とりあえず、粥を食べて適当な薬を飲めばすぐ治るだろう。
その時の俺は、高を括っていたのだ。
***
名無しが家を出てから、二時間後。
(さっきより熱ィ)
薬を飲んだというのに全然下がらない。
念の為小瓶のラベルを確認するが、ちゃんと『熱・喉の痛みに』と丁寧に書かれていた。
少なくとも科学班が作った怪しい薬よりは信頼が置けそうなものだが――。
倒れ込むように布団に寝そべれば、関節の節々が悲鳴を上げた。
普段は気になりもしない、床からの底冷えですら寒気がする。
季節が冬だからというのも相まって、寒気はますます酷くなるばかりだった。
(……風邪か。これは確かに、キツいな)
身体が思うように動かないのは中々辛い。
外傷的な痛みならいくらでも我慢できるが、内臓から燻るようなこの熱と、脳を掻き回されているような痛みは耐え難いものがあった。
そっと目を閉じ、呼吸を整える。
瞼も熱をもっているためか、気怠い眠気がじわじわ這い寄る。
遠ざかっていく外の音。
僅かに聞こえる車のエンジン音や、外界の生活音が少しずつ薄れていく。
――ガチャッ。パ、タン。
……比較的近くから、音が聞こえる。
薄目を開けて時計を見上げればまだ時刻は9時を指していた。
しかし先程聞こえてきたのは、鍵を開ける音と、控えめに閉めるドアの音だ。
こんな時間に帰ってくるわけがない。
とすれば、消去法で考えるなら強盗だが――
そろりと開かれる扉。
遠慮がちにひょこりと顔を出したのは、見間違えるはずもない。名無し本人だった。
「…………あれ?もしかして起こしちゃいました?」
「いや、眠れねぇだけだ。……って、そうじゃねぇ…学校はどうした…?」
「行ってきましたよ。行って、早退してきました。」
自慢げに両手を腰に当てるが、全く褒められたものではないだろうに。
そんなの屁理屈だ。ズルいに決まっている。
「クレームは受け付けませんからね。私が気になるので帰ってきただけですから。」
ピシッと手を目の前に捧げられ、完全に先手を打たれてしまった。
喋るのすら億劫になってきて、俺は口元を真一文字に結んだ。
「お薬とお粥は……食べてますね、よかった。ポカリと…のど飴と…みかんゼリーとか買ってきたので、よかったら召し上がってくださいね」
ビニール袋を覗き、ひとつひとつ確認しながら名無しが言う。
「体調はどうですか?熱はまだ下がってないでしょうけど…」
「……………寒ィ。」
ポツリと一言要望を漏らせば、意外だったらしく名無しは少しばかり面食らっているようだった。
それでもすぐにニコリと笑い、「着替え、取ってきますね」と立ち上がった。
神田の使っている部屋に戻ってきた際には、彼女が使っている掛け布団と、毛布と、もう一往復して着替えと温めた蒸しタオルを持って来る。
「暑くなったら枚数減らしましょうね。とりあえず汗拭いちゃうので…上、脱いじゃいましょうか。よかったら背中拭きますけど、恥ずかしかったら自分でされますか?」
「…頼む」
「はい。」
頼られているのが嬉しいのか。
嫌な顔一つせず、名無しは剥き身になった俺の背中をホットタオルで丁寧に拭く。
「気持ち悪いところとかありませんか?」
「ケホッ…げほっ、…大丈夫だ。」
嘔吐くような咳をすれば、小さな手が背中を擦る。
――昔、マリが風邪をこじらせた時に師匠が背中を擦ってやっていたのを思い出す。
当時は『とんだ気休めだ』と遠巻きに見ながら内心無下にしたものだが、なるほど。
不思議と、ほんの少しだけ楽になった……気がした。
「はい。じゃあ新しい服に着替えましょうか。洗濯機に持って行ってくるので、ちょっと失礼しますね」
名無しがもう一度立ち上がり、俺が着ていたシャツを持っていく。
その間に気怠い体を動かし、新しいシャツに袖を通せば清潔な匂いが鼻腔をくすぐった。
脱衣所から戻り、もう一度俺の布団の横に座る名無し。
「名無し…」
「なんですか?」
「寒ィのに、熱ィ。」
「風邪ですからね。」
困ったように笑いながら肩を竦める。
「横になりましょうね」と言われ大人しく布団に潜れば、ほんの少しだけ身体が楽になった。
熱を測るため額に生白い手が触れる。
冬だからだろうか、血色のいい指先は見た目に反して冷ややかだった。
ひやりと冷たい、柔らかい手のひらが酷く心地いい。
それは思わずとろりと目元を細めてしまう程に。
「……手、気持ちが…いいな…」
「結構熱ありますもんね。濡れタオル、作ってきましょうか?」
「いや…これがいい」
柔らかい。でも、少しだけ乾燥気味。
僅かに香るのは石鹸の匂いと、昨日作った、味噌汁に入れた玉ねぎの匂い。
火照った頬に押し当てれば、微睡むような眠りへトクトクと沈んでいく。
「おやすみなさい、神田さん。」