Howard Link Report
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パチパチと火花が暖炉の中で踊る音が聞こえる。
ノックの後に部屋へ入れば、こんもりと膨らんだ毛布の塊が視界に入った。
「寝ていなかったんですか。」
閉じられていただけの瞳がゆるりと開き、眠そうに目元を擦る彼女。
不眠の理由は分かっている。眠りにつけばその眼で『視た』記憶が悪夢として追いかけてくるのだろう。
夢か現か判別がつかなくなり、発狂する。
適合者の記憶や感情に呑まれ廃人になる。
他人の記憶を視る度に精神は摩耗し、擦り切れ、『福音の瞳』のイノセンスの適合者は皆凄惨な末路を辿っている。
そのストレスは想像にかたくない。
だからこそ、彼女が仮に死んだ後『イノセンスを回収するための護衛』という立場だとしても、彼女を労るのは当然のことだと。
例え、他者との関わりを最低限にし、ひとり惨めに死にたいと彼女が願っていても、だ。
「……意外とお節介なんですね」
「性分です。女性を労るのは紳士として当然ですから」
少なくとも、『紳士はこうあるべき』と長官にそう教わった。
ドイツの孤児院出身の私が英国紳士の真似事をするのは、些か滑稽な話であるが。
「ハーブティーなどあればよかったのですが、あまり流通していないようで。ジャムやレモン、角砂糖を頂いたのでお好みでどうぞ」
宿屋の女将からは『サモワールを出しましょうか』と打診されたが、流石に仰々しいので丁寧に辞退した。
その代わり渡されたのは二段重ねのティーポット。サモワールの代用品として、客用に宿屋の主人が仕入れた物なのだとか。
濃く抽出した紅茶の入った小さめのティーポットと、茶を薄めるための湯が入った大きめのティーポット。
いくつかのジャムや蜂蜜も添えられたのは、実にロシアらしい。
「冷めない内にどうぞ。昼食には温かいボルシチを出してもらえるそうなので、それまでゆっくりしてください」
程よい濃さに薄めた紅茶を出せば、日本語であろう言葉で《いただきます》と小さな声が聞こえてきた。
砂糖も何も入れずちびちびと飲む姿は、美味しそうに飲んでいるとは言い難い光景だった。
「紅茶は苦手ですか」
そう問えばくるりと大きな瞳を丸くし、顔を上げる。
一度首を横に振り、言い淀むように彼女は呟いた。
「……熱い飲み物だと、舌がヒリヒリして」
つまるところ猫舌らしい。
教団本部ならミルクもあっただろうが、冬が長いロシアではミルクは放牧期間である夏の間だけとれる貴重な生鮮品だ。
「無理にすぐ飲まなくていいです。慌てて飲むものでもありませんし。もしくはジャムをお茶請けにしながら飲むのもいいでしょう」
「……紅茶にいれるのではなくて?」
「ロシアンティーはそうですね。ジャムを直接的舐めながら飲むのが一般的だそうです。ポーランドではジャムを紅茶に入れる飲み方がポピュラーなので、お好きな飲み方でいいと思います」
そう伝えれば少し考えた後、マーマレードジャムを少量紅茶に溶かす彼女。ジャムを舐める行為は文化圏の違いからか躊躇ってしまうのだろう。
イチゴジャムよりも柑橘類の方が好きなのか、マーマレードジャムを溶かした紅茶を一口含み、ほっと一息ついた様子だった。
「……ありがとうございます。美味しいです」
寝不足であろう目元が僅かに緩み、宝石のように磨かれた黒曜石の瞳が珍しくやわらかく細められる。
彼女と初めて会ったのはモン・サン・ミッシェルだった。
その後、用事がある度に訪れた教団で、時折見掛けた彼女はよく笑っていた。
話しかける用事すらなかった私は、ただ長官から『彼女が次の適合者だ』という事実のみ聞かされており、彼女の人格や好物、どういった人間性なのかなど、当時は殆ど興味すら持たなかった。
ただ一見すれば……花のようによく笑う、普通の少女に見えたのだ。
それがどうだ。
陽だまりのような笑顔を自ら剥ぎ取り、鉄のように冷ややかな精神で己を律し、命を削るようにただひたすらに歩き続ける。
それがまるで自らに課した『罰』だと言い聞かせるように。
……どちらが本当の『ナナシ名無し』という少女の本質なのか。
修復任務に同行するようになった当初は、内心酷く困惑したものだ。
ここ数ヶ月行動を共にしてわかったことがひとつ。
きっと、どちらも本物だ。
底なしの自己嫌悪故に己を厳しく律することがやたらと上手いだけの、ただの少女なのだ。
私はすぅと息を吸い、話の流れとしては至って自然だが、私達の間で一度も交わされなかった『質問』を、意を決して口にした。
「……好きな飲み物や食べ物はありますか?」
「なんですか、藪から棒ですね…」
「いくら任務とはいえ、息抜きは必要ですから。出来る限り用意しておこうと思いまして」
「…イノセンス回収係で同行をお願いしているだけですから、そう気を遣わなくて結構ですよ」
彼女の死んだ後の、後処理係。
いくら『鴉』という肩書きがあるとはいえ、鳥葬でもあるまいし。
「私はフランス紅茶よりイギリス紅茶の方が好きです。」
「?、は、はい。」
「甘い物も好きです。三食ケーキでも構いません。」
「……それは糖尿病になるのでやめた方がいいと思います」
呆れたような声で彼女は諌める。
自分の体調や最期には無頓着なくせに、こんな小言は一丁前に言うらしい。上等です。
「私は答えました。次は貴女が質問に答える番ですよ、ナナシ名無し。」
私は眉一つ動かさず、飲みかけの紅茶を啜った。
「……それは勝手に暴露した、と言うのでは?」
彼女の抗議も沈黙を貫く。
多分、きっと、礼節には礼儀を。行動には応報を。必ず彼女は返してくる。
何だかんだで根がお人好しであろう彼女は、諦めたように小さく溜息を吐き出した。
「…………紅茶もコーヒーも好きです。ココアや、蜂蜜を混ぜたホットミルクも。
食事に好き嫌いはありません。でも甘い物はタルトやチョコレート、あとクッキーとか…食べやすいものがいいですね」
律儀な性格だ。日本人の民族性だろうか。
やはり私の質問を無下に出来なかったのだろう。
私はジャケットの内ポケットに入れていた手帳を取り出し、忘れないよう万年筆で走り書きをした。
Howard Link Report#07
「……これでいいですか?」
「えぇ。任務に必要な経費は多めに預かっていますから、見掛けたらぜひ購入しましょう。」
パタンと手帳を閉じ、私は小さく頷く。
私が監視していた頃のアレン・ウォーカー程図太くなれとは言わないが、いっそ彼女は我儘になればいいのに。
彼女は冷めてしまったティーカップの紅茶を飲み、「それは、楽しみですね」と困ったように小さく笑った。
ノックの後に部屋へ入れば、こんもりと膨らんだ毛布の塊が視界に入った。
「寝ていなかったんですか。」
閉じられていただけの瞳がゆるりと開き、眠そうに目元を擦る彼女。
不眠の理由は分かっている。眠りにつけばその眼で『視た』記憶が悪夢として追いかけてくるのだろう。
夢か現か判別がつかなくなり、発狂する。
適合者の記憶や感情に呑まれ廃人になる。
他人の記憶を視る度に精神は摩耗し、擦り切れ、『福音の瞳』のイノセンスの適合者は皆凄惨な末路を辿っている。
そのストレスは想像にかたくない。
だからこそ、彼女が仮に死んだ後『イノセンスを回収するための護衛』という立場だとしても、彼女を労るのは当然のことだと。
例え、他者との関わりを最低限にし、ひとり惨めに死にたいと彼女が願っていても、だ。
「……意外とお節介なんですね」
「性分です。女性を労るのは紳士として当然ですから」
少なくとも、『紳士はこうあるべき』と長官にそう教わった。
ドイツの孤児院出身の私が英国紳士の真似事をするのは、些か滑稽な話であるが。
「ハーブティーなどあればよかったのですが、あまり流通していないようで。ジャムやレモン、角砂糖を頂いたのでお好みでどうぞ」
宿屋の女将からは『サモワールを出しましょうか』と打診されたが、流石に仰々しいので丁寧に辞退した。
その代わり渡されたのは二段重ねのティーポット。サモワールの代用品として、客用に宿屋の主人が仕入れた物なのだとか。
濃く抽出した紅茶の入った小さめのティーポットと、茶を薄めるための湯が入った大きめのティーポット。
いくつかのジャムや蜂蜜も添えられたのは、実にロシアらしい。
「冷めない内にどうぞ。昼食には温かいボルシチを出してもらえるそうなので、それまでゆっくりしてください」
程よい濃さに薄めた紅茶を出せば、日本語であろう言葉で《いただきます》と小さな声が聞こえてきた。
砂糖も何も入れずちびちびと飲む姿は、美味しそうに飲んでいるとは言い難い光景だった。
「紅茶は苦手ですか」
そう問えばくるりと大きな瞳を丸くし、顔を上げる。
一度首を横に振り、言い淀むように彼女は呟いた。
「……熱い飲み物だと、舌がヒリヒリして」
つまるところ猫舌らしい。
教団本部ならミルクもあっただろうが、冬が長いロシアではミルクは放牧期間である夏の間だけとれる貴重な生鮮品だ。
「無理にすぐ飲まなくていいです。慌てて飲むものでもありませんし。もしくはジャムをお茶請けにしながら飲むのもいいでしょう」
「……紅茶にいれるのではなくて?」
「ロシアンティーはそうですね。ジャムを直接的舐めながら飲むのが一般的だそうです。ポーランドではジャムを紅茶に入れる飲み方がポピュラーなので、お好きな飲み方でいいと思います」
そう伝えれば少し考えた後、マーマレードジャムを少量紅茶に溶かす彼女。ジャムを舐める行為は文化圏の違いからか躊躇ってしまうのだろう。
イチゴジャムよりも柑橘類の方が好きなのか、マーマレードジャムを溶かした紅茶を一口含み、ほっと一息ついた様子だった。
「……ありがとうございます。美味しいです」
寝不足であろう目元が僅かに緩み、宝石のように磨かれた黒曜石の瞳が珍しくやわらかく細められる。
彼女と初めて会ったのはモン・サン・ミッシェルだった。
その後、用事がある度に訪れた教団で、時折見掛けた彼女はよく笑っていた。
話しかける用事すらなかった私は、ただ長官から『彼女が次の適合者だ』という事実のみ聞かされており、彼女の人格や好物、どういった人間性なのかなど、当時は殆ど興味すら持たなかった。
ただ一見すれば……花のようによく笑う、普通の少女に見えたのだ。
それがどうだ。
陽だまりのような笑顔を自ら剥ぎ取り、鉄のように冷ややかな精神で己を律し、命を削るようにただひたすらに歩き続ける。
それがまるで自らに課した『罰』だと言い聞かせるように。
……どちらが本当の『ナナシ名無し』という少女の本質なのか。
修復任務に同行するようになった当初は、内心酷く困惑したものだ。
ここ数ヶ月行動を共にしてわかったことがひとつ。
きっと、どちらも本物だ。
底なしの自己嫌悪故に己を厳しく律することがやたらと上手いだけの、ただの少女なのだ。
私はすぅと息を吸い、話の流れとしては至って自然だが、私達の間で一度も交わされなかった『質問』を、意を決して口にした。
「……好きな飲み物や食べ物はありますか?」
「なんですか、藪から棒ですね…」
「いくら任務とはいえ、息抜きは必要ですから。出来る限り用意しておこうと思いまして」
「…イノセンス回収係で同行をお願いしているだけですから、そう気を遣わなくて結構ですよ」
彼女の死んだ後の、後処理係。
いくら『鴉』という肩書きがあるとはいえ、鳥葬でもあるまいし。
「私はフランス紅茶よりイギリス紅茶の方が好きです。」
「?、は、はい。」
「甘い物も好きです。三食ケーキでも構いません。」
「……それは糖尿病になるのでやめた方がいいと思います」
呆れたような声で彼女は諌める。
自分の体調や最期には無頓着なくせに、こんな小言は一丁前に言うらしい。上等です。
「私は答えました。次は貴女が質問に答える番ですよ、ナナシ名無し。」
私は眉一つ動かさず、飲みかけの紅茶を啜った。
「……それは勝手に暴露した、と言うのでは?」
彼女の抗議も沈黙を貫く。
多分、きっと、礼節には礼儀を。行動には応報を。必ず彼女は返してくる。
何だかんだで根がお人好しであろう彼女は、諦めたように小さく溜息を吐き出した。
「…………紅茶もコーヒーも好きです。ココアや、蜂蜜を混ぜたホットミルクも。
食事に好き嫌いはありません。でも甘い物はタルトやチョコレート、あとクッキーとか…食べやすいものがいいですね」
律儀な性格だ。日本人の民族性だろうか。
やはり私の質問を無下に出来なかったのだろう。
私はジャケットの内ポケットに入れていた手帳を取り出し、忘れないよう万年筆で走り書きをした。
Howard Link Report#07
「……これでいいですか?」
「えぇ。任務に必要な経費は多めに預かっていますから、見掛けたらぜひ購入しましょう。」
パタンと手帳を閉じ、私は小さく頷く。
私が監視していた頃のアレン・ウォーカー程図太くなれとは言わないが、いっそ彼女は我儘になればいいのに。
彼女は冷めてしまったティーカップの紅茶を飲み、「それは、楽しみですね」と困ったように小さく笑った。
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