Howard Link Report
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ウラジオストックに到着し、休息を入れることなく彼女は『修復』の任務についた。
イノセンスの修復の折に『視る』らしい、適合者の強烈な記憶や感情。
他人の過去や慟哭のような情動を体感するのは、決して気分のいいものではない。
それが死に際の記録や痛みなら、尚更。
──破壊されたイノセンスの持ち主は、ノアの一族に殺されたという凄惨な末路を辿っているのだから。
ウラジオストックにて半ば奇怪と化していたイノセンスは、無事修復された。
霧散し、土地の怪奇現象となっていた神の結晶は、収束し、カランと音を立てて地面に落ちる。
それと同時に、強烈な記憶に揺さぶられ、彼女の身体がふらりと傾く。
足元は一面白い雪で覆われているとはいえ、転べば痛い。
完全に倒れ込む前に身体を支えれば、その細さと軽さに目眩がした。
……その細さが、軽さが、彼女は本来なら『なんの変哲もない少女だったのだ』と物語っているようで。
「……すみません。もう、自分で立てますので、手を離してください」
そう語る彼女の顔色は、ガス灯の街明かりに照らされているとは思えない程に真っ青で、頬は死人のように生白かった。
Howard Link Report#06
次の日。
朝食を運んできた宿屋の女将曰く、「お隣の方、まだ寝ていらっしゃるみたいなので」と私の部屋へ彼女の分の朝食も運ばれてきた。
今までなら修復任務の次の日も、彼女は定刻通り起き、酷く眠そうな顔で「おはようございます」と形だけの挨拶をしてきていたはずなのに。
昨晩の青白い顔を思い出す。
苦悶に歪んだ表情と、驚く程に軽い身体。
脳裏に【死】という一文字が過ぎり、私の背筋が氷柱のように冷えて固まった。
「おはようございます、朝ですよ。いつまで寝ているんですか」
大きめのノックをしても返事がない。
ドアノブを捻っても、当然だが鍵が閉まっており、耳障りな金属音だけが固く響く。
叱るような言葉とは裏腹に、焦燥が何度も強く心臓を叩いた。
ドアノブを壊して部屋へ入るか。
そうドアの前で迷っていたら、不意に解かれた施錠の音。
油の足りない蝶番の音がギィ、と鳴ると同時に、昨日よりも更に顔色を悪くさせたナナシ名無しが、団服を肩に羽織ったまま顔を覗かせた。
「……すみません、今、支度しますので」
血の気がない。
いつも以上に覇気のない声。
無意識なのか腹部を抑えた手のひらがシャツを握り、生白い額に汗が滲んでいた。
「……貴女、風邪を引いているのでは?」
「いえ、大丈夫です。病気では、ないので」
「酷い顔色で言われても説得力は皆無です。熱は?」
前髪を指でそっと払い額に触れれば、ひやりとした体温が指先に当たる。
発熱のような熱さはないが、それでも冷汗は滲むばかり。
据わり気味の目元は酷く眠そうで、痛みにこらえるように寄せられた眉間は、只事ではないことを物語っており──
「本当に、病気じゃないんです。大丈夫ですから、」
病気ではない。
貧血と思わしき顔色。
腹部に添えられた手と、クロスワードのように組み合わせた手掛かりをパズルのように組み合わせれば、答えは自ずと限られる。
「……病気ではないとはいえ、体調が悪いならもう一日滞在しましょう。幸い、次の任務地で奇怪は起きていないようですし。」
「この程度、移動中に少し休めば」
「『この程度』ではないでしょう。顔色も悪い。足元も覚束無い。更に言えば外は極寒です。体調不良で死なれては、それこそ私が長官から何を言われることか。」
妙なところで頑固かつ生真面目なのは、師匠似なのか。
任務に対して妥協しないあたり、エクソシストとしては優秀だが監査官としては溜息をつきたくもなる。
それに、彼女が彼女自身を嫌悪する程嫌っているとはいえ、体調の優れない彼女を私が酷使していい理由にはならないのだ。
「病気ではないのなら、尚更。薬も、医者も治すことが出来ないのなら、休養こそ最大の治療です。」
男だから当然とはいえ、私は女性の痛みが分からない。
しかしそれは毎月訪れる体調不良なのだと認識している程度で──
(……毎月?)
彼女と任務につき、彼此三ヶ月は経っている。
その間に体調不良になったことは?
腹部の痛みを訴えたことは?
修復の際、嘔吐や目眩に見舞われていたものの、貧血らしき症状に見舞われたことは──
「……どうか、されましたか?」
相変わらず死人のような顔色で、こちらを見上げてくる彼女。
『体調の変化』が不規則であれば不規則である程、身体への負担が大きいと聞いたことがある。
仮に《それ》が数ヶ月ぶりだとすれば、体調不良は当然のことだった。
「──いえ。長官には上手く説明しておきます。少しだけ、スケジュールに猶予が出来ても問題ないでしょう。貴女はとにかく身体を冷やさず、横になっていなさい。いいですね?」
有無を言わさぬ声で懇々と伝えれば、困惑しつつ小さく首を縦に振る彼女。
羽織っていた団服を取り上げ、柔らかい布団の中へ押し込めば、顔色も相まって病人の姿そのままであった。
何か身体を温めるものを準備しなければ。
女将が用意してくれた朝食のカーシャと、温かいミルクでも用意すればいいだろうか。
いや。スープの方が食べやすく、身体も温まるかもしれない。
(……彼女は、甘い物は好きだろうか。)
体調不良の根本的な原因がストレスだとすれば、甘い物を食べれば少しは気晴らしになる…と思いたい。少なくとも自分はそうだ。
──この時ほど彼女のことを、『ナナシ名無しのことが知りたい』と願った瞬間はなかった。
イノセンスの修復の折に『視る』らしい、適合者の強烈な記憶や感情。
他人の過去や慟哭のような情動を体感するのは、決して気分のいいものではない。
それが死に際の記録や痛みなら、尚更。
──破壊されたイノセンスの持ち主は、ノアの一族に殺されたという凄惨な末路を辿っているのだから。
ウラジオストックにて半ば奇怪と化していたイノセンスは、無事修復された。
霧散し、土地の怪奇現象となっていた神の結晶は、収束し、カランと音を立てて地面に落ちる。
それと同時に、強烈な記憶に揺さぶられ、彼女の身体がふらりと傾く。
足元は一面白い雪で覆われているとはいえ、転べば痛い。
完全に倒れ込む前に身体を支えれば、その細さと軽さに目眩がした。
……その細さが、軽さが、彼女は本来なら『なんの変哲もない少女だったのだ』と物語っているようで。
「……すみません。もう、自分で立てますので、手を離してください」
そう語る彼女の顔色は、ガス灯の街明かりに照らされているとは思えない程に真っ青で、頬は死人のように生白かった。
Howard Link Report#06
次の日。
朝食を運んできた宿屋の女将曰く、「お隣の方、まだ寝ていらっしゃるみたいなので」と私の部屋へ彼女の分の朝食も運ばれてきた。
今までなら修復任務の次の日も、彼女は定刻通り起き、酷く眠そうな顔で「おはようございます」と形だけの挨拶をしてきていたはずなのに。
昨晩の青白い顔を思い出す。
苦悶に歪んだ表情と、驚く程に軽い身体。
脳裏に【死】という一文字が過ぎり、私の背筋が氷柱のように冷えて固まった。
「おはようございます、朝ですよ。いつまで寝ているんですか」
大きめのノックをしても返事がない。
ドアノブを捻っても、当然だが鍵が閉まっており、耳障りな金属音だけが固く響く。
叱るような言葉とは裏腹に、焦燥が何度も強く心臓を叩いた。
ドアノブを壊して部屋へ入るか。
そうドアの前で迷っていたら、不意に解かれた施錠の音。
油の足りない蝶番の音がギィ、と鳴ると同時に、昨日よりも更に顔色を悪くさせたナナシ名無しが、団服を肩に羽織ったまま顔を覗かせた。
「……すみません、今、支度しますので」
血の気がない。
いつも以上に覇気のない声。
無意識なのか腹部を抑えた手のひらがシャツを握り、生白い額に汗が滲んでいた。
「……貴女、風邪を引いているのでは?」
「いえ、大丈夫です。病気では、ないので」
「酷い顔色で言われても説得力は皆無です。熱は?」
前髪を指でそっと払い額に触れれば、ひやりとした体温が指先に当たる。
発熱のような熱さはないが、それでも冷汗は滲むばかり。
据わり気味の目元は酷く眠そうで、痛みにこらえるように寄せられた眉間は、只事ではないことを物語っており──
「本当に、病気じゃないんです。大丈夫ですから、」
病気ではない。
貧血と思わしき顔色。
腹部に添えられた手と、クロスワードのように組み合わせた手掛かりをパズルのように組み合わせれば、答えは自ずと限られる。
「……病気ではないとはいえ、体調が悪いならもう一日滞在しましょう。幸い、次の任務地で奇怪は起きていないようですし。」
「この程度、移動中に少し休めば」
「『この程度』ではないでしょう。顔色も悪い。足元も覚束無い。更に言えば外は極寒です。体調不良で死なれては、それこそ私が長官から何を言われることか。」
妙なところで頑固かつ生真面目なのは、師匠似なのか。
任務に対して妥協しないあたり、エクソシストとしては優秀だが監査官としては溜息をつきたくもなる。
それに、彼女が彼女自身を嫌悪する程嫌っているとはいえ、体調の優れない彼女を私が酷使していい理由にはならないのだ。
「病気ではないのなら、尚更。薬も、医者も治すことが出来ないのなら、休養こそ最大の治療です。」
男だから当然とはいえ、私は女性の痛みが分からない。
しかしそれは毎月訪れる体調不良なのだと認識している程度で──
(……毎月?)
彼女と任務につき、彼此三ヶ月は経っている。
その間に体調不良になったことは?
腹部の痛みを訴えたことは?
修復の際、嘔吐や目眩に見舞われていたものの、貧血らしき症状に見舞われたことは──
「……どうか、されましたか?」
相変わらず死人のような顔色で、こちらを見上げてくる彼女。
『体調の変化』が不規則であれば不規則である程、身体への負担が大きいと聞いたことがある。
仮に《それ》が数ヶ月ぶりだとすれば、体調不良は当然のことだった。
「──いえ。長官には上手く説明しておきます。少しだけ、スケジュールに猶予が出来ても問題ないでしょう。貴女はとにかく身体を冷やさず、横になっていなさい。いいですね?」
有無を言わさぬ声で懇々と伝えれば、困惑しつつ小さく首を縦に振る彼女。
羽織っていた団服を取り上げ、柔らかい布団の中へ押し込めば、顔色も相まって病人の姿そのままであった。
何か身体を温めるものを準備しなければ。
女将が用意してくれた朝食のカーシャと、温かいミルクでも用意すればいいだろうか。
いや。スープの方が食べやすく、身体も温まるかもしれない。
(……彼女は、甘い物は好きだろうか。)
体調不良の根本的な原因がストレスだとすれば、甘い物を食べれば少しは気晴らしになる…と思いたい。少なくとも自分はそうだ。
──この時ほど彼女のことを、『ナナシ名無しのことが知りたい』と願った瞬間はなかった。