Howard Link Report
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深夜のシベリア鉄道は、恐ろしいくらいに静まり返っていた。
一組二組は飲んで騒いでいる個室があってもおかしくないのだが、その日は水を打ったような静寂に包まれていた。
車輪が線路を踏む音だけが、静かに個室に響く。
澱みなく進む汽車。
朝にはまた次の駅に着いている。
──そのはずだった。
空気が喉を切り裂く音。
ひゅーひゅーと呼吸がか細く繰り返され、呻くような声も時折聞こえた。
勿論、個室の外からではない。
一等コンパートメントの座席の壁に用意された、備え付けベッドからだった。
身体を起こして、反対側のベッドを見遣る。
壁側を向いた背中は小さく丸められ毛布にくるまった身体は小刻みに震えていた。
「……どうしました?」
声を掛けても、返事はない。
ベッドから降りて反対側のベッドへ近づけば、眠ったまま魘されていた。
雪景色の中を走っているからか、汽車の中は極寒とは言わないがそれなりに冷えている。
にも関わらず白い額には汗が滲み、眉は苦悶の表情で歪んでいた。
「……名無し。起きなさい、名無し。」
夜中であるのを考慮し、声量を抑えて毛布越しに揺さぶる。
何度か大きく揺さぶれば、弾かれたように突然彼女は起き上がった。
ベッドが背もたれの上に設置されているせいで、ベッドの天井はかなり低い。
勢いよく頭をぶつけ、鈍器で殴ったような鈍い音が個室に響き渡った。
「〜〜〜ッッッい……………」
「だ…大丈夫ですか?」
頭を抑えて悶絶する彼女に声を掛ける。
現か夢かまだ判別がついていないのか、目を白黒させ、ゆっくりと瞬きを何度か繰り返していた。
「…………いっっ……たぁ……」
「魘されていたようなので、起こしましたが…大丈夫ですか?」
消灯された部屋の中。
窓の外の雪原が淡い月光を反射しているだけで、光源という光源はない。
それでも彼女の顔色は驚く程に悪く、頬を伝う汗が夜目でも分かった。
「……あ…ごめんなさい、煩かったですね…。汽車の揺れが心地よくて、つい。
……大丈夫です。目が覚めたので、もう静かにしてますから…」
夢見が悪かった事など一切触れず、彼女ははぐらかすように答える。
「……………まさかと思いますが、昨晩は寝てないんじゃないでしょうね?」
直感だった。
単刀直入に問えば、嘘を取り繕う余裕がないせいか露骨に視線を逸らされる。
「…………………同室で夜中に煩かったらご迷惑でしょう。」
ボソリと言い訳をする彼女に、ほとほと呆れた。
普段あれだけ自分の身を省みていないというのに、他人に向ける気遣いだけは人一倍あるのだから。
知れば知るほどウォーカーに似ていて、なんだか頭が痛くなってきた。
「気にしなくていいですから徹夜はやめなさい。まだ成長期でしょう」
「もう殆ど終わりましたよ。」
子供じみた言い訳に思わず溜息が零れる。
私の露骨な溜息に、今度は彼女が肩を落とした。
「……そんな風に心配されるのが嫌だから、教団から離れて任務をしているんです。なんで分かってくれないんですか?」
俯き、諦めたような声でそっと訴える。
──本部の意向とは、まるで正反対の言葉。
「心配したり、優しくしないでください。」
まるで自分にはそんな資格はないと言わんばかりだ。
声音からは全く感情が読み取れなくて、私は思わず問うてしまった。
「自分が嫌いなんですか?」
「大嫌いです。早く誰かのために役に立って、死ねばいいのにって思ってますよ。」
即答。
憎悪にも近い、嫌悪の感情。
『命の価値を証明したい』と言った、彼女の言葉。
『死ねばいいのに』と言った、彼女の言葉。
それはきっと両方とも本心なのだろう。
つまり《価値があったと証明して、死んでしまえばいい》と。
……ただの自殺願望であればどれだけ可愛らしかっただろう。
生き地獄のような任務に、わざわざ身を置いている理由が何となく理解出来た。
──根本的な理由と所以は、聞く勇気がなかったが。
本日二度目の溜息を、重々しく吐き捨てる。
「……心配するのは当たり前です。その目がなければ、修復任務は全う出来ませんから。」
『エクソシストを戦争の道具として扱うな』
以前、本部の誰かに言われた言葉だ。
……しかし、エクソシストの生命線である《イノセンスの修復士》である彼女は『道具のように使って殺してくれ』と言っている。
全く、こんな皮肉は笑うに笑えない。
「確かに、私は貴女が死亡した際、イノセンスを責任もって回収します。
──しかし私はルベリエ長官に『ナナシ名無しのことを頼みましたよ』と命じられているのです。貴女にそう簡単に死なれては困るんですよ。」
これは、事実だ。
言葉の冷徹な上澄みだけを選び取り、彼女の重荷にならないよう丁寧に諭す。
「…………任務だから、心配している、と?」
「──そうです。貴女の心配ではなく、イノセンスの適合者だから心配しているのです。」
半分、嘘だ。
私はこの『ナナシ名無し』という少女を、心配している。
けれどそんな言葉を口にしてみろ。
きっと彼女は嫌悪の表情を浮かべ、固く口を噤むのだろう。
…もしかすると、ルベリエ長官に訴えて人員の変更を要求してくる可能性だってある。
そんな、気がした。
「……これで、満足ですか。」
「…そうですね。安心しました。」
自己嫌悪もここまでくれば、最早呪いだ。
──きっと、私にこの呪いは解けない。
確信に近い予感が去来し、なんだか胸の奥が締め付けられるような気分になった。
義務的な言葉に表面上は胸を撫で下ろす彼女。
こんなもので安心されるなんて、正直複雑だった。
Howard Link Report#05
「では……眠くなったら寝るようにしますので、どうぞ構わず寝てください。」
「私も目が冴えたので。……温かい紅茶でも入れましょうか」
「茶菓子はありますか?」
「クッキーなら。」
もどかしい気持ちをぐっと呑み込み、私は荷物から茶筒を取り出した。
茶菓子があると聞いてほんの少しだけ嬉しそうに笑った彼女を目にし、
──心の底から安堵する自分がいた。
一組二組は飲んで騒いでいる個室があってもおかしくないのだが、その日は水を打ったような静寂に包まれていた。
車輪が線路を踏む音だけが、静かに個室に響く。
澱みなく進む汽車。
朝にはまた次の駅に着いている。
──そのはずだった。
空気が喉を切り裂く音。
ひゅーひゅーと呼吸がか細く繰り返され、呻くような声も時折聞こえた。
勿論、個室の外からではない。
一等コンパートメントの座席の壁に用意された、備え付けベッドからだった。
身体を起こして、反対側のベッドを見遣る。
壁側を向いた背中は小さく丸められ毛布にくるまった身体は小刻みに震えていた。
「……どうしました?」
声を掛けても、返事はない。
ベッドから降りて反対側のベッドへ近づけば、眠ったまま魘されていた。
雪景色の中を走っているからか、汽車の中は極寒とは言わないがそれなりに冷えている。
にも関わらず白い額には汗が滲み、眉は苦悶の表情で歪んでいた。
「……名無し。起きなさい、名無し。」
夜中であるのを考慮し、声量を抑えて毛布越しに揺さぶる。
何度か大きく揺さぶれば、弾かれたように突然彼女は起き上がった。
ベッドが背もたれの上に設置されているせいで、ベッドの天井はかなり低い。
勢いよく頭をぶつけ、鈍器で殴ったような鈍い音が個室に響き渡った。
「〜〜〜ッッッい……………」
「だ…大丈夫ですか?」
頭を抑えて悶絶する彼女に声を掛ける。
現か夢かまだ判別がついていないのか、目を白黒させ、ゆっくりと瞬きを何度か繰り返していた。
「…………いっっ……たぁ……」
「魘されていたようなので、起こしましたが…大丈夫ですか?」
消灯された部屋の中。
窓の外の雪原が淡い月光を反射しているだけで、光源という光源はない。
それでも彼女の顔色は驚く程に悪く、頬を伝う汗が夜目でも分かった。
「……あ…ごめんなさい、煩かったですね…。汽車の揺れが心地よくて、つい。
……大丈夫です。目が覚めたので、もう静かにしてますから…」
夢見が悪かった事など一切触れず、彼女ははぐらかすように答える。
「……………まさかと思いますが、昨晩は寝てないんじゃないでしょうね?」
直感だった。
単刀直入に問えば、嘘を取り繕う余裕がないせいか露骨に視線を逸らされる。
「…………………同室で夜中に煩かったらご迷惑でしょう。」
ボソリと言い訳をする彼女に、ほとほと呆れた。
普段あれだけ自分の身を省みていないというのに、他人に向ける気遣いだけは人一倍あるのだから。
知れば知るほどウォーカーに似ていて、なんだか頭が痛くなってきた。
「気にしなくていいですから徹夜はやめなさい。まだ成長期でしょう」
「もう殆ど終わりましたよ。」
子供じみた言い訳に思わず溜息が零れる。
私の露骨な溜息に、今度は彼女が肩を落とした。
「……そんな風に心配されるのが嫌だから、教団から離れて任務をしているんです。なんで分かってくれないんですか?」
俯き、諦めたような声でそっと訴える。
──本部の意向とは、まるで正反対の言葉。
「心配したり、優しくしないでください。」
まるで自分にはそんな資格はないと言わんばかりだ。
声音からは全く感情が読み取れなくて、私は思わず問うてしまった。
「自分が嫌いなんですか?」
「大嫌いです。早く誰かのために役に立って、死ねばいいのにって思ってますよ。」
即答。
憎悪にも近い、嫌悪の感情。
『命の価値を証明したい』と言った、彼女の言葉。
『死ねばいいのに』と言った、彼女の言葉。
それはきっと両方とも本心なのだろう。
つまり《価値があったと証明して、死んでしまえばいい》と。
……ただの自殺願望であればどれだけ可愛らしかっただろう。
生き地獄のような任務に、わざわざ身を置いている理由が何となく理解出来た。
──根本的な理由と所以は、聞く勇気がなかったが。
本日二度目の溜息を、重々しく吐き捨てる。
「……心配するのは当たり前です。その目がなければ、修復任務は全う出来ませんから。」
『エクソシストを戦争の道具として扱うな』
以前、本部の誰かに言われた言葉だ。
……しかし、エクソシストの生命線である《イノセンスの修復士》である彼女は『道具のように使って殺してくれ』と言っている。
全く、こんな皮肉は笑うに笑えない。
「確かに、私は貴女が死亡した際、イノセンスを責任もって回収します。
──しかし私はルベリエ長官に『ナナシ名無しのことを頼みましたよ』と命じられているのです。貴女にそう簡単に死なれては困るんですよ。」
これは、事実だ。
言葉の冷徹な上澄みだけを選び取り、彼女の重荷にならないよう丁寧に諭す。
「…………任務だから、心配している、と?」
「──そうです。貴女の心配ではなく、イノセンスの適合者だから心配しているのです。」
半分、嘘だ。
私はこの『ナナシ名無し』という少女を、心配している。
けれどそんな言葉を口にしてみろ。
きっと彼女は嫌悪の表情を浮かべ、固く口を噤むのだろう。
…もしかすると、ルベリエ長官に訴えて人員の変更を要求してくる可能性だってある。
そんな、気がした。
「……これで、満足ですか。」
「…そうですね。安心しました。」
自己嫌悪もここまでくれば、最早呪いだ。
──きっと、私にこの呪いは解けない。
確信に近い予感が去来し、なんだか胸の奥が締め付けられるような気分になった。
義務的な言葉に表面上は胸を撫で下ろす彼女。
こんなもので安心されるなんて、正直複雑だった。
Howard Link Report#05
「では……眠くなったら寝るようにしますので、どうぞ構わず寝てください。」
「私も目が冴えたので。……温かい紅茶でも入れましょうか」
「茶菓子はありますか?」
「クッキーなら。」
もどかしい気持ちをぐっと呑み込み、私は荷物から茶筒を取り出した。
茶菓子があると聞いてほんの少しだけ嬉しそうに笑った彼女を目にし、
──心の底から安堵する自分がいた。