追憶の星
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ずっとずっと、怖かった。
追憶の星#18
「ちょっと。ちょっと待ってください!」
浦原の無罪放免を見届けた名無しは、もう用はないと言わんばかりに地下牢から出ていった。
それを慌てて追いかけるのは、少しくたびれた様子の浦原。
「何ですか。」
普段よりも塩気が三割増の名無しが、ふてぶてしく振り返る。
まるで感情を押し殺したような声に、思わずゴクリと生唾を飲み込んでしまうが――それでも、聞かずにはいられなかった。
「これから、どうするつもりなんっスか?」
――残酷な、質問だろう。
それでも聞かない訳にはいかなかった。
『ひっそりと姿をくらましますから』
あれはどういう意味なのか、聞かなきゃいけない。
「帰る方法を探すんですよ。決まってるじゃないですか。私はこの時代にとってただの異物ですよ?」
止めていた歩みを再び早める。
音が、重い。
彼女の石畳を踏む音がやけに大きく聞こえてしまう。
「どこに行くつもりなんっスか。」
「どこでもいいでしょう。」
「何をするつもりなんっスか。」
「それを今から考えるんです。」
答えない。
答えるつもりもないのだろう。
コンパスが自分より短いはずの歩みとは思えないほどに、その歩調は異常に早かった。
だから、逃がす訳にはいかない。
――これがきっと、ラストチャンスなんだ。
「『姿をくらます』って、どうするつもりなんっスか。」
華奢な手首を掴めば、漸く止まる脚。
今度はこちらを振り返りもしない。
沈黙は――つまり、そういうことだ。
「自分の命を軽々しく勘定から外すタイプでしょ、貴女」
「……そんなことを言われる筋合い、あなたにはないでしょう?」
ゆるゆると向けられた視線は、まるで獣のように鋭かった。
黒い、鏡のような双眸。
そこにはなんとも情けない顔をした、ボクが揺れながら映っていた。
「浦原さんの、命の危険は去りました。私がここに来たのはあなたを未来からの刺客から守ること。
――それが達成されたんです。私とあなたは、それでもういいじゃないですか」
これにて、終幕。
そう言わんばかりに嗤うから、ボクは言葉が出てこなかった。
いつも口八丁で回る口も、今はすっかり役立たずだ。
それでも、
――それでも、納得出来ていないボクは、尚更腕を離すわけにはいかなかった。
「痛いですよ。」
「痛くて結構。逃がす訳にはいかないんっス。なんで諦めてるんっスか。貴女、そういうキャラじゃないっスよね?絶対帰ってやるって言ったじゃないっスか。」
その言葉に嘘はなかったはずだ。
自分で、自分を嘘つきにしてはいけない。
……少なくとも君は。
ボクはもう真っ当な人間にはなれないのだろうけど、キラキラしてて、真っ直ぐで、背筋をしゃんと伸ばした――君だけは。
お互いの呼吸音だけが、やけに大きく聞こえる。
かすかに届く遠くの喧騒が、まるで別世界から聞こえきているようだ。
いつもは微睡むように暖かいはずの手は、まるで死体のように冷たかった。
「………………だって、どうしたらいいか、分からないんですもん。」
長い沈黙の末、絞り出すように、ぽつりと零した言葉。
「仕方ないじゃないですか。ここにいたら私は刻志玄隆と『同じ』になってしまう。それだったら消えてしまった方が何倍もいい。
――他に方法があるんだったら教えてください。私は浦原さんみたいに賢くないし、マユリさんのように何か作ることに秀でているわけでもない。京楽さんみたいに機転がきくわけでも、平子さんのように手際がいいわけでもないんです。」
堰を切ったように溢れる言の葉。
長い睫毛に縁取られた目元が、朧気に揺れる。
「あぁ。私はきっとここで終点なんだ。そう思った方が、ずっと楽なんです。
これからずっと会えないかもしれないなんて、息ができない以上に苦しくて、しんどくて、叫びたくなる程に嫌なんです。」
ずっとずっと、苦しかった。
吐露する弱音は、言いたくても誰にも言えなかった言葉。
上手く形にできない漠然とした不安は、口に出せば現実になってしまいそうで怖かった。
上手く、隠せていただろうか?
誰にも気づかれはしなかっただろうか?
帰れられる補償はどこにもなくて、時々不意に震えていた手。
心の中でずっと言い聞かせていた、根拠のない『大丈夫』『絶対帰る』という科白。
涙声の声は、やがて大粒の雫になって、白くて柔らかそうな頬を雨のように濡らしていった。
「だって、もうずっと、大好きな人に、名前も呼んでもらえないなんて、」
ボロボロと溢れる涙は、以前流した悔し涙とはまるで別物だった。
かなしい色を滲ませたそれは、他の誰でもない。彼女自身と、未来のボクのために流した涙だ。
なみだがでそうになるほど、こんなにも綺麗なものを、ボクは知らない。
……知らなかった。
跡が残ってしまうほどに握っていた手首を離し、小刻みに震えていた彼女の手を取る。
それは手首なんかよりもずっとずっと冷たくて、隊長二人の前で気丈に振舞っていたことが垣間見れて、
なんだが、ボクも泣きたくなってしまった。
「――ボクを、使ってください。存分に使えばいいじゃないっスか。貴女に拾ってもらった命なら、ボクは君のものだ。
今こうして息をして、君の手を取って、瞬きしているのも、全部全部、貴女が此処に来てくれたからなんっスよ。」
指を絡めれば、柔らかい手のひらに似つかわしくない、すっかり固くなった手豆に触れた。
「歴史が変わったら大変?そんなこと今のボクにとって些細なことなんっスよ。正直実感もなければ、不確定な未来なんて絵空事なんっスから。
――そんなことより、目の前で大事な女の子が泣いてることの方が一大事っス。
記憶が残って困るなら、強い記憶置換装置でもつくりましょう。作ってしまって、残って困るものがあるなら全部壊してしまいましょう。
卑怯な手でもなんでも使って、欲しいものを掴んじゃえばいいじゃないっスか。君が泣くくらいなら、ボクは喜んで背中を押しますから。」
ボクにとってまだ見た事のない未来なんて、机上の空論と同じものだ。
――それでも、君がそれ程までに『それ』が大事だと言うのなら。
「う――うぁぁぁ……」
声を上げて、泣きじゃくる。
まるで迷子になった子供のように、脇目もはばからず嗚咽を漏らした。
空いてる片手で必死に涙を拭うが、そんなもので止めることが出来ないくらい、後から後から雫が溢れてくる。
「……大丈夫っスよ。よく、頑張りましたね」
小さく震える背中を抱きすくめるようにそっと撫でれば、細く白い指がまるで縋るように、ボクの死覇装を掴んだのだった。
追憶の星#18
「ちょっと。ちょっと待ってください!」
浦原の無罪放免を見届けた名無しは、もう用はないと言わんばかりに地下牢から出ていった。
それを慌てて追いかけるのは、少しくたびれた様子の浦原。
「何ですか。」
普段よりも塩気が三割増の名無しが、ふてぶてしく振り返る。
まるで感情を押し殺したような声に、思わずゴクリと生唾を飲み込んでしまうが――それでも、聞かずにはいられなかった。
「これから、どうするつもりなんっスか?」
――残酷な、質問だろう。
それでも聞かない訳にはいかなかった。
『ひっそりと姿をくらましますから』
あれはどういう意味なのか、聞かなきゃいけない。
「帰る方法を探すんですよ。決まってるじゃないですか。私はこの時代にとってただの異物ですよ?」
止めていた歩みを再び早める。
音が、重い。
彼女の石畳を踏む音がやけに大きく聞こえてしまう。
「どこに行くつもりなんっスか。」
「どこでもいいでしょう。」
「何をするつもりなんっスか。」
「それを今から考えるんです。」
答えない。
答えるつもりもないのだろう。
コンパスが自分より短いはずの歩みとは思えないほどに、その歩調は異常に早かった。
だから、逃がす訳にはいかない。
――これがきっと、ラストチャンスなんだ。
「『姿をくらます』って、どうするつもりなんっスか。」
華奢な手首を掴めば、漸く止まる脚。
今度はこちらを振り返りもしない。
沈黙は――つまり、そういうことだ。
「自分の命を軽々しく勘定から外すタイプでしょ、貴女」
「……そんなことを言われる筋合い、あなたにはないでしょう?」
ゆるゆると向けられた視線は、まるで獣のように鋭かった。
黒い、鏡のような双眸。
そこにはなんとも情けない顔をした、ボクが揺れながら映っていた。
「浦原さんの、命の危険は去りました。私がここに来たのはあなたを未来からの刺客から守ること。
――それが達成されたんです。私とあなたは、それでもういいじゃないですか」
これにて、終幕。
そう言わんばかりに嗤うから、ボクは言葉が出てこなかった。
いつも口八丁で回る口も、今はすっかり役立たずだ。
それでも、
――それでも、納得出来ていないボクは、尚更腕を離すわけにはいかなかった。
「痛いですよ。」
「痛くて結構。逃がす訳にはいかないんっス。なんで諦めてるんっスか。貴女、そういうキャラじゃないっスよね?絶対帰ってやるって言ったじゃないっスか。」
その言葉に嘘はなかったはずだ。
自分で、自分を嘘つきにしてはいけない。
……少なくとも君は。
ボクはもう真っ当な人間にはなれないのだろうけど、キラキラしてて、真っ直ぐで、背筋をしゃんと伸ばした――君だけは。
お互いの呼吸音だけが、やけに大きく聞こえる。
かすかに届く遠くの喧騒が、まるで別世界から聞こえきているようだ。
いつもは微睡むように暖かいはずの手は、まるで死体のように冷たかった。
「………………だって、どうしたらいいか、分からないんですもん。」
長い沈黙の末、絞り出すように、ぽつりと零した言葉。
「仕方ないじゃないですか。ここにいたら私は刻志玄隆と『同じ』になってしまう。それだったら消えてしまった方が何倍もいい。
――他に方法があるんだったら教えてください。私は浦原さんみたいに賢くないし、マユリさんのように何か作ることに秀でているわけでもない。京楽さんみたいに機転がきくわけでも、平子さんのように手際がいいわけでもないんです。」
堰を切ったように溢れる言の葉。
長い睫毛に縁取られた目元が、朧気に揺れる。
「あぁ。私はきっとここで終点なんだ。そう思った方が、ずっと楽なんです。
これからずっと会えないかもしれないなんて、息ができない以上に苦しくて、しんどくて、叫びたくなる程に嫌なんです。」
ずっとずっと、苦しかった。
吐露する弱音は、言いたくても誰にも言えなかった言葉。
上手く形にできない漠然とした不安は、口に出せば現実になってしまいそうで怖かった。
上手く、隠せていただろうか?
誰にも気づかれはしなかっただろうか?
帰れられる補償はどこにもなくて、時々不意に震えていた手。
心の中でずっと言い聞かせていた、根拠のない『大丈夫』『絶対帰る』という科白。
涙声の声は、やがて大粒の雫になって、白くて柔らかそうな頬を雨のように濡らしていった。
「だって、もうずっと、大好きな人に、名前も呼んでもらえないなんて、」
ボロボロと溢れる涙は、以前流した悔し涙とはまるで別物だった。
かなしい色を滲ませたそれは、他の誰でもない。彼女自身と、未来のボクのために流した涙だ。
なみだがでそうになるほど、こんなにも綺麗なものを、ボクは知らない。
……知らなかった。
跡が残ってしまうほどに握っていた手首を離し、小刻みに震えていた彼女の手を取る。
それは手首なんかよりもずっとずっと冷たくて、隊長二人の前で気丈に振舞っていたことが垣間見れて、
なんだが、ボクも泣きたくなってしまった。
「――ボクを、使ってください。存分に使えばいいじゃないっスか。貴女に拾ってもらった命なら、ボクは君のものだ。
今こうして息をして、君の手を取って、瞬きしているのも、全部全部、貴女が此処に来てくれたからなんっスよ。」
指を絡めれば、柔らかい手のひらに似つかわしくない、すっかり固くなった手豆に触れた。
「歴史が変わったら大変?そんなこと今のボクにとって些細なことなんっスよ。正直実感もなければ、不確定な未来なんて絵空事なんっスから。
――そんなことより、目の前で大事な女の子が泣いてることの方が一大事っス。
記憶が残って困るなら、強い記憶置換装置でもつくりましょう。作ってしまって、残って困るものがあるなら全部壊してしまいましょう。
卑怯な手でもなんでも使って、欲しいものを掴んじゃえばいいじゃないっスか。君が泣くくらいなら、ボクは喜んで背中を押しますから。」
ボクにとってまだ見た事のない未来なんて、机上の空論と同じものだ。
――それでも、君がそれ程までに『それ』が大事だと言うのなら。
「う――うぁぁぁ……」
声を上げて、泣きじゃくる。
まるで迷子になった子供のように、脇目もはばからず嗚咽を漏らした。
空いてる片手で必死に涙を拭うが、そんなもので止めることが出来ないくらい、後から後から雫が溢れてくる。
「……大丈夫っスよ。よく、頑張りましたね」
小さく震える背中を抱きすくめるようにそっと撫でれば、細く白い指がまるで縋るように、ボクの死覇装を掴んだのだった。