「あ。石田くん。こんにちは」

大学の講義が珍しく早めに終わったため、僕は用事の帰り道、最寄りのスーパーに寄っていた。
そこで声をかけてきたのは名無しさんだった。
棚の奥から顔を出してきたのは浦原さん。どうやら二人で買い物に来ていたのだろう。
…名無しさんはともかく、浦原さんがいつもの格好でスーパーにいるのは、些か不自然だったが。

「こんにちは、名無しさん。浦原さんもお久しぶりです」
「やぁやぁ石田サン。珍しいっスねぇ、こんなとこでお会いするなんて」
「ちょっと黒崎に用事があって」

今日、黒崎は大学を休んだ。
というのも、どうやら妹さんが風邪をひいたらしく、その看病のためだそうだ。

大学のレポートの件で用事があったのと、ついでに差し入れをドラッグストアで買って持って行った帰りだった。


『黒崎に用事』という一言で、目を丸くして顔を見合わせる二人の浦原。
浦原さんはニヤニヤと、名無しさんはふにゃふにゃと笑うものだから、なんだか居心地が悪かった。

「な、なんだい。」
「いやぁ、石田くん丸くなったなぁ、って思って。」

まるで自分の事かのように、嬉しそうな表情でにこにこと笑う名無しさん。
そういえば彼らは僕が黒崎に対して一方的に突っかかっていたことも知っている。
あれは僕のターニングポイントでもあるけれど、黒歴史でもある。忘れてほしい。

「そういえばお父様はお元気っスか？」
「いえ。最近、会っていないので」

そう。
父との間にあった蟠りは解けたとはいえ、何だか今更同じ屋根の下で暮らすのはむず痒かった。
それに、大学に通う時間が勿体ない。
どうせなら大学最寄りのアパートでも借りればいいか・と思い立って卒業と同時に引越ししたのだ。

高校生になって、親に対する反抗で一人暮らしをした時とは、不思議と心境が違った。
医者に対して認識を改めたこと。
自分の進むべき道が明るく照らされたからか、心は前向きで晴れやかだった。

「学費は…言葉に甘えて出してもらっているけれど、生活費くらいはね。
一人暮らしは勉強にもなるし、悪くないよ」

まぁ、時々黒崎が帰り道に寄ってくるのはどうかと思うが。僕の家はファーストフード店じゃないんだぞ。

…本当は、分かっている。
彼なりに僕の様子を心配してやってきているのは。

まぁそれでもレポートを僕の部屋で作るのはやめて欲しいところだ。
やはり喫茶店か何かと勘違いしているのかもしれない。失礼な話だ。


「へぇ、いいなぁ、一人暮らし。やったことないから憧れるなぁ」


いい事ばかりではないが、彼女の生活力なら恐らく苦にはならないだろう。
むしろ楽しんで生活してそうだ。

僕としては何事も経験だと思っているから、勧めてあげたいのは山々なのだが………


「え、同棲っスか？」
「いえ。一人暮らしですよ。」
「いやいやいや、駄目っスよ。何言ってるんっスか。」
「私も一応働いている身ですし。そういう経験も必要かと思いまして」
「嫌っス。ボクが寂しくて、あれっス。あれがこうなって、あぁなりますよ。」
「どんな脅し文句ですか。考えてないなら言わないでください。」
「いやいやいや、駄目っスからね。一人暮らしされるならボクも転がり込むっスから」
「それヒモじゃないですか。」


断固として拒否する浦原さんと、淡々と反論する名無しさん。
まるで夫婦漫才のようにも見える一連のやりとりは、中々こういう時にしかお目にかかれない。

黒崎をはじめとする僕らが知っている浦原さんの一面とは、全く違う顔をしていた。

まぁ、ボクはこっちの浦原さんの方が彼らしいと思うのだけれど。

「まぁ、あれだよ。僕は家族で仲良く暮らせるならそれが一番だと思うよ。」
「こんな感じでも？」
「……まぁ、そうだね。」

ヤダヤダと名無しさんの腕にしがみついて駄々をこねる浦原さんを見ながら、彼女は些か冷めた目で問うてくる。
それがなんだか笑えてしまって、直視出来ずに適当な返事をすれば「こっち見て言ってくれない！？石田くん！」と名無しさんに抗議された。

ごめんよ。僕はあまり嘘が得意じゃないんだ。



店主と少女の事情#石田雨竜の場合



後日、珍しく竜弦…いや、父から連絡があった。
『たまには実家で食事をしたらどうだ。顔をたまには出しなさい』と。


（絶対浦原さんからリークされてるな、これ）


家族で過ごすのが一番だと、確かに僕が言ったけれども。


何だか無性に気恥ずかしくなって、父から送られてきたメッセージを前に、僕はつい赤面してしまった。