NOAH's Tea party
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『ねぇ、教団に面白い子入ったんでしょ?』
新しい方舟で墓守の役割を全うしている《彼女》曰く。
悪意や殺意があるなら話は別だが、どうやら気になる理由は純粋な『興味』らしい。
『ボク、会ってみたいな。』
世界から隔絶された方舟の中、夢を見る永遠の少女は寂しそうに笑った。
NOAH's Tea party#01
イタリアの、とある街角。
日雇いの仕事が終わり、習慣となりつつある『定時連絡』をする為、俺は目的地へダラダラ向かっていた時のこと。
「待っ、こら!返してください!」
若い女の……いや、少女といってもいいかもしれない、あどけなさが僅かに残る鈴のような声。
振り返ればハンチング帽を目深に被った薄汚れた男が、その手に不釣り合いな紺色の財布を掴んで走っていた。
一目でわかった。スリだ。
「よっ、と。」
いつかの幼い自分がソレに手を染めていたことが過去とはいえ、今となってはそう易々と見逃すことは出来ない。
己が、盗みよりももっと罪深い、多くの人間を殺した罪人に堕ちてしまっていても。
──なぁんて。殊勝なことはこれっぽっちもない。
見逃して小汚い男に飯を食わすよりも、女の子にお礼を言われたかっただけだ。
黒いローブを羽織ったアジア系の少女が必死の形相で走ってくるものだから、ついつい自慢の長い足をスリの前に伸ばしてしまった。
引っ掛かる。転がる。盗まれていた財布が宙を舞う。
流れるような一連の動作に、我ながら拍手喝采だ。身体はまだ鈍っちゃいないらしい。
「いけねぇな、オッサン。ちゃんと金は汗水垂らして働かねぇと。俺みたいにさ」
派手に転んだ男の手から財布を取り上げれば、数十秒遅れて少女が息を切らして駆け寄ってきた。
「はぁ、はっ、すいません、ありがとうございます…!」
「どういたしまして。」
必死に走ってきたのだろう。白い頬はやわらかく紅潮し、汗で前髪が張り付いている。
困ったように細められた黒い瞳は吸い込まれそうで、丹念に磨かれた宝石のようだった。
「私、足が、遅くて……本当に助かりました…」
「いいってことよ。……あーでも?」
腹の虫が、鳴る。
以前のように池の鯉を勝手に食べたり、椅子に座っていれば食事が出てくるような生活ではないのだ。当然、生きていれば腹は減る。
……といっても、結局元通りになっただけ。
肩身が多少狭くなって魔術による監視下の中、生活を送る結果になったが、それでも生きているだけマシと思えるのは幸福な事だった。
あれだけ散々、彼らの命を奪ったというのに。
瓶底メガネの奥で、俺は燻った鷲色の瞳を自重気味にそっと細めた。
「ほら。こんな見てくれ通り?金に困ってんだよなぁ俺。昼飯、奢ってくれるとスゲー嬉しいんだけど」
オーダーメイドの燕尾服もない。
白を基調とした『一族』の服もない。
裾が解れ、何日か前に洗濯した服に袖を通し、顔を隠すための伊達眼鏡で街を彷徨く姿は浮浪者そのものだろう。
きっと汚いものを見るような目を向けて、逃げていくに違いない。人間なんて、所詮そんなものだ。
……今の俺は同じただの人間だというのに、そんな自暴自棄に近い毒を吐きたくなる。
そんな俺の心境を知ってか知らずか、目の前の少女は当然のように笑って、嫌な顔ひとつせずはにかんだ。
「お礼が、お昼ご飯でよければ喜んで。」
それは遠い日に見た、陽だまりのような笑顔で。
***
年季の入った時計屋の隣にある、サンドイッチの屋台。
トマトやピクルス、厚切りのベーコンとチーズが贅沢に挟まれた軽食は、見た目も匂いも食欲をそそるに十分だった。
「ところで……イースト三番通りって、どちらになるのでしょうか?」
具沢山のサンドイッチを頬張っていると、隣でカフェオレを飲んでいた彼女が困ったように問うてきた。
「なんだ、お嬢さん。迷子?」
「……有り体に言えば、そうですね。……はい、お恥ずかしい限りです…」
童顔であることを差し引けば、もう少しで成年か、はたまた国によっては酒が飲める年齢であろう少女。
自分でも『いい年なのに迷子』という事実が恥ずかしいのか、形のいい眉をキュッと寄せていた。まるで子犬だ。
「仕方ねぇな。徳を積むってヤツ?道案内くらいはタダでしてやるよ。」
「ありがとうございます。12時集合だったので、間に合いそうでよかった…」
ショーウィンドウの時計をちらりと見れば、彼女の集合時間まであと30分はある。
濁りを知らなさそうな少女は、話をしていて心地がいい。
悪意も蔑みも妬みもない、なんてことない他愛ない会話がこれ程までに貴重だと、数年前の俺は予想してなかっただろう。
「そいや名前聞いてなかったな。俺はティキ。しがない日雇いで何とか生きてるオニーサン。名前をお伺いしても?マドモアゼル。」
「えっと、名無しです。改めまして…ティキさん。お財布、取り返してくださってありがとうございます。」
綻ぶような笑顔が、あまりにも眩しい。
『あぁ、あの時スリから取り返して本当に良かった』と、心の底からそう思った。
ただの人間になったから?
教団から魔術的な監視を受けているから?
少しでも罪滅ぼしをするため?
──どれも違う。
これは『ティキ・ミック』という人間としての真っ当な感情だ。
「よせよ、昼飯でチャラだろ?」
ありがとうなんて言葉、いつぶりに聞いただろうか。
新しい方舟で墓守の役割を全うしている《彼女》曰く。
悪意や殺意があるなら話は別だが、どうやら気になる理由は純粋な『興味』らしい。
『ボク、会ってみたいな。』
世界から隔絶された方舟の中、夢を見る永遠の少女は寂しそうに笑った。
NOAH's Tea party#01
イタリアの、とある街角。
日雇いの仕事が終わり、習慣となりつつある『定時連絡』をする為、俺は目的地へダラダラ向かっていた時のこと。
「待っ、こら!返してください!」
若い女の……いや、少女といってもいいかもしれない、あどけなさが僅かに残る鈴のような声。
振り返ればハンチング帽を目深に被った薄汚れた男が、その手に不釣り合いな紺色の財布を掴んで走っていた。
一目でわかった。スリだ。
「よっ、と。」
いつかの幼い自分がソレに手を染めていたことが過去とはいえ、今となってはそう易々と見逃すことは出来ない。
己が、盗みよりももっと罪深い、多くの人間を殺した罪人に堕ちてしまっていても。
──なぁんて。殊勝なことはこれっぽっちもない。
見逃して小汚い男に飯を食わすよりも、女の子にお礼を言われたかっただけだ。
黒いローブを羽織ったアジア系の少女が必死の形相で走ってくるものだから、ついつい自慢の長い足をスリの前に伸ばしてしまった。
引っ掛かる。転がる。盗まれていた財布が宙を舞う。
流れるような一連の動作に、我ながら拍手喝采だ。身体はまだ鈍っちゃいないらしい。
「いけねぇな、オッサン。ちゃんと金は汗水垂らして働かねぇと。俺みたいにさ」
派手に転んだ男の手から財布を取り上げれば、数十秒遅れて少女が息を切らして駆け寄ってきた。
「はぁ、はっ、すいません、ありがとうございます…!」
「どういたしまして。」
必死に走ってきたのだろう。白い頬はやわらかく紅潮し、汗で前髪が張り付いている。
困ったように細められた黒い瞳は吸い込まれそうで、丹念に磨かれた宝石のようだった。
「私、足が、遅くて……本当に助かりました…」
「いいってことよ。……あーでも?」
腹の虫が、鳴る。
以前のように池の鯉を勝手に食べたり、椅子に座っていれば食事が出てくるような生活ではないのだ。当然、生きていれば腹は減る。
……といっても、結局元通りになっただけ。
肩身が多少狭くなって魔術による監視下の中、生活を送る結果になったが、それでも生きているだけマシと思えるのは幸福な事だった。
あれだけ散々、彼らの命を奪ったというのに。
瓶底メガネの奥で、俺は燻った鷲色の瞳を自重気味にそっと細めた。
「ほら。こんな見てくれ通り?金に困ってんだよなぁ俺。昼飯、奢ってくれるとスゲー嬉しいんだけど」
オーダーメイドの燕尾服もない。
白を基調とした『一族』の服もない。
裾が解れ、何日か前に洗濯した服に袖を通し、顔を隠すための伊達眼鏡で街を彷徨く姿は浮浪者そのものだろう。
きっと汚いものを見るような目を向けて、逃げていくに違いない。人間なんて、所詮そんなものだ。
……今の俺は同じただの人間だというのに、そんな自暴自棄に近い毒を吐きたくなる。
そんな俺の心境を知ってか知らずか、目の前の少女は当然のように笑って、嫌な顔ひとつせずはにかんだ。
「お礼が、お昼ご飯でよければ喜んで。」
それは遠い日に見た、陽だまりのような笑顔で。
***
年季の入った時計屋の隣にある、サンドイッチの屋台。
トマトやピクルス、厚切りのベーコンとチーズが贅沢に挟まれた軽食は、見た目も匂いも食欲をそそるに十分だった。
「ところで……イースト三番通りって、どちらになるのでしょうか?」
具沢山のサンドイッチを頬張っていると、隣でカフェオレを飲んでいた彼女が困ったように問うてきた。
「なんだ、お嬢さん。迷子?」
「……有り体に言えば、そうですね。……はい、お恥ずかしい限りです…」
童顔であることを差し引けば、もう少しで成年か、はたまた国によっては酒が飲める年齢であろう少女。
自分でも『いい年なのに迷子』という事実が恥ずかしいのか、形のいい眉をキュッと寄せていた。まるで子犬だ。
「仕方ねぇな。徳を積むってヤツ?道案内くらいはタダでしてやるよ。」
「ありがとうございます。12時集合だったので、間に合いそうでよかった…」
ショーウィンドウの時計をちらりと見れば、彼女の集合時間まであと30分はある。
濁りを知らなさそうな少女は、話をしていて心地がいい。
悪意も蔑みも妬みもない、なんてことない他愛ない会話がこれ程までに貴重だと、数年前の俺は予想してなかっただろう。
「そいや名前聞いてなかったな。俺はティキ。しがない日雇いで何とか生きてるオニーサン。名前をお伺いしても?マドモアゼル。」
「えっと、名無しです。改めまして…ティキさん。お財布、取り返してくださってありがとうございます。」
綻ぶような笑顔が、あまりにも眩しい。
『あぁ、あの時スリから取り返して本当に良かった』と、心の底からそう思った。
ただの人間になったから?
教団から魔術的な監視を受けているから?
少しでも罪滅ぼしをするため?
──どれも違う。
これは『ティキ・ミック』という人間としての真っ当な感情だ。
「よせよ、昼飯でチャラだろ?」
ありがとうなんて言葉、いつぶりに聞いただろうか。