泡沫に溺れる
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(遅い。)
同行していた探索者が戻って来ているのは知っている。
なのに肝心の名無しが一向に顔を見せに来やしない。
別に帰ってきたら師匠へ顔を見せなければいけないなんて義務やルールは教団にない。
これは、ただ単に『俺が会いたい』という我儘なのは百も承知だ。
晴れて恋仲になったのだから、むしろそのくらいは当然の感情だと思っている。
……思っている、のだが。
「か、神田、さん」
我慢出来ず部屋へ行けば、帰って来ていた部屋の主が顔を出す。
ドアをノックして開け放てば、足元が覚束無い名無しの姿。
団服を脱いで、ジャケットの下に着ているシャツとショートパンツの格好になっているところから察するに、帰ってきてからそう時間が経っていないようだった。
怪我ひとつない様子から、ほっと安堵の息をついた瞬間だった。
「か……帰ってください…」
消え入りそうな声で、懇願するような声で。
申し訳なさそうに項垂れながら名無しが発した言葉は、耳を疑うようなものだった。
「……どうした。何かあったのか?」
「ち、ちが……そうじゃ、なくてですね、」
コイツのことだ。怪我をしたならもっと上手く誤魔化すはず。
覚束無い足取りに、明瞭に回っていない思考。
風邪かと思い額に手を触れた。
そう。本当に触れただけなのだ。
「ッ、ふっ…」
びくりと揺れる細い肩。
怯えているわけでは――なさそうだ。
何故なら不意に零れた声に名無し自身も驚いたのか、顔を真っ赤にして口元を慌てて抑えている。
……まさか。
勘づいた俺と視線が絡むが、一瞬にして逸らされた。
「だ、大丈夫ですから、ほんとうに、ちょっと今さわられたら、だめなんです」
「ほー…」
へろへろに茹だった名無しを抱えるのは造作もないことだ。
横抱きにしてしまえば火照った肌がじっとり汗ばんでいて、上気した頬の朱が一層濃くなったように見えた。
「やだ、はなしてくださいっ」と腕の中でじたじた抵抗しているが、文字通り『無駄な抵抗』である。
ベッドへ降ろせば慌てて枕元へ無様に後退する名無し。
といっても数十センチ離れただけだ。ささやかな抵抗だと、本人も分かっているのだろうが。
「何があったか言え。」
「……もくひけんは」
「ダンマリ決め込んだら身体に聞くからな。」
半分脅し、半分本気で。
いつもより声のトーンを落として宣告すれば、観念したように名無しは小さく俯いた。
泡沫に溺れる#03
「つまり催淫作用もあった、と。」
「……はい。」
「だから触られたくない、と。」
「……そうです。」
ぽつりぽつりと、朦朧としながらも端的に説明する名無し。
半端に与えられ続けている熱に浮かされているのか、呂律が少し怪しくなってきているのが気になった。
が、医療班に連れて行こうものなら全力で拒否するだろう。俺だったら嫌だ。
さて、どうしたものか。
油断していた探索者にも呆れるが、反射的に身を呈して庇うのもどうなのか。
もしこれが大怪我だった場合、教団の面々だけでなく中央庁――少なくともルベリエの眉間に皺が更に刻まれていたことだろう。
大した事ないと言えば大した事ないのだが、名無しにとってはある意味大怪我よりも最悪の事態である。
俺にとっては――さて、本当にどうしたものか。
「そんなに…大きなためいき、つかなくていいじゃないですか…」
「つくだろ、普通。」
名無しの話を聞く限りでは、教団に戻るまではなんて事はなかったらしい。
薬や毒は、大抵遅効性のものであればある程タチが悪いと相場は決まっている。
それは名無し自身もよく理解しているのか、浅い呼吸を繰り返しながら遠慮がちに俺に問うてきた。
「あの、神田さん、」
「何だよ。」
「…………はやく、部屋をでてくださると、うれしいな…って」
言いにくそうに、バツが悪そうに。
決して俺に非があるわけではない。だからこそ後ろめたいのだろう。
「ナニするつもりだよ。」
茶化し半分、興味半分。
身体の『あぁいう熱』を発散させるには、手段は大抵決まっている。
時間経過で熱が去るのを我慢することも出来るが、生憎いつまで続くのか予想もつかない。
俺の質問の意味が理解出来たのか、瞬間湯沸かし器のように名無しの顔へ熱が集まったように見えた。
「ちがっ、こういう時は、筋トレして煩悩を滅殺するんですよ!」
「脳筋か。」
「神田さんにだけは言われたくなかった…」
珍しく声を荒らげて抗議するものの、身体が重だるいのか肩を揺らして呼吸を繰り返す。
この状態で筋トレも出来るはずもないが、かといって熱を逃がす方法に精通しているとは思えない。
というより、師である前に恋人という地位を獲得した俺に、どうしてこうも頼らないのか。
本日何度目かの溜息を長く長く吐き出し、俺は短く、ハッキリと、聞き間違えることが絶対ないように、頑なにその手段を選ばない頑固な名無しへ言葉を投げた。
「脱げ。」
「へ」
「要は発散させりゃあいいんだろ。」
手段は心得ている。
ただの師弟のままだったなら、生死が賭かった場面でないと選ばないような手段だが、今は違う。
合法的にも『そういう行為』は何ら不自然じゃない。
むしろ付き合い始めた頃からそういうのは俺自身望んでいたし、今だってすぐにでも泣かして掻き抱いてしまいたいくらいだった。
「や、やだ!」
押し付けられた枕。
やわらかい素材とはいえ、勢いよく顔面に叩きつけられたら痛いものは痛い。
名無しなりの必死の抵抗なのだろうけれど、ここまで全力で拒否しなくてもいいのではないか。
「……ぜ、絶対に、いやです。こんな情けない、なしくずしは、ぜったいにいやです」
今にも泣きそうな、ぐしゃぐしゃになった表情。
恥ずかしさと、燻る熱と、後がない状況のせいか。
きっとコイツのことだ。
『迷惑を掛けて申し訳ない』だとか、そんな下らない事も念頭にあるのだろう。
確かに初めてが『アクマの催淫作用で身体を重ねた』なんてなれば、後々遺恨が残っても仕方ない。
割り切った関係ならそれでもいいかもしれないが、少なくとも俺は目の前でべそをかく女に惨めな思いをさせたい訳ではなかった。
はぁ、と小さく息を吐き、念の為確認する。
「なし崩しじゃなかったらよかったのか?」
「……それ、いまききます…?」
「ただの確認だ。」
小さく頷く名無しを見て、どうしてこうも間が悪いのかと恨んでしまう。
勿論その恨み節は名無しにではなく、この状況を作り出したアクマに対して――引いてはその製作者である伯爵に対してだ。あぁ腹立つ。
強引に身体を重ねてしまえば、熱を冷ますことなんてあっという間だろう。
だが、それは『正しくない』と分かっている。
男は皆、飢えた獣かもしれないが、ケダモノの一線は超えるつもりはない。
「そこまで俺は人でなしじゃねぇよ。手荒くしねぇし、痛いようにはしない」
鋼の理性とは言い難いが、少なくとも今回限りは我慢出来る。
名無しの希望通り『放っておく』という選択肢もなくはないのだが、俺自身がそれは『却下だ』と即決した。
「信用しろ。――それとも、俺はお前の信用にも値しない男か?」
我ながらズルい問いかけだとせせら笑ってしまう。
そう問えば名無しから『No』としか返事が出来ないことを分かっているからだ。
悪い大人?そこは駆け引きと言え。
同行していた探索者が戻って来ているのは知っている。
なのに肝心の名無しが一向に顔を見せに来やしない。
別に帰ってきたら師匠へ顔を見せなければいけないなんて義務やルールは教団にない。
これは、ただ単に『俺が会いたい』という我儘なのは百も承知だ。
晴れて恋仲になったのだから、むしろそのくらいは当然の感情だと思っている。
……思っている、のだが。
「か、神田、さん」
我慢出来ず部屋へ行けば、帰って来ていた部屋の主が顔を出す。
ドアをノックして開け放てば、足元が覚束無い名無しの姿。
団服を脱いで、ジャケットの下に着ているシャツとショートパンツの格好になっているところから察するに、帰ってきてからそう時間が経っていないようだった。
怪我ひとつない様子から、ほっと安堵の息をついた瞬間だった。
「か……帰ってください…」
消え入りそうな声で、懇願するような声で。
申し訳なさそうに項垂れながら名無しが発した言葉は、耳を疑うようなものだった。
「……どうした。何かあったのか?」
「ち、ちが……そうじゃ、なくてですね、」
コイツのことだ。怪我をしたならもっと上手く誤魔化すはず。
覚束無い足取りに、明瞭に回っていない思考。
風邪かと思い額に手を触れた。
そう。本当に触れただけなのだ。
「ッ、ふっ…」
びくりと揺れる細い肩。
怯えているわけでは――なさそうだ。
何故なら不意に零れた声に名無し自身も驚いたのか、顔を真っ赤にして口元を慌てて抑えている。
……まさか。
勘づいた俺と視線が絡むが、一瞬にして逸らされた。
「だ、大丈夫ですから、ほんとうに、ちょっと今さわられたら、だめなんです」
「ほー…」
へろへろに茹だった名無しを抱えるのは造作もないことだ。
横抱きにしてしまえば火照った肌がじっとり汗ばんでいて、上気した頬の朱が一層濃くなったように見えた。
「やだ、はなしてくださいっ」と腕の中でじたじた抵抗しているが、文字通り『無駄な抵抗』である。
ベッドへ降ろせば慌てて枕元へ無様に後退する名無し。
といっても数十センチ離れただけだ。ささやかな抵抗だと、本人も分かっているのだろうが。
「何があったか言え。」
「……もくひけんは」
「ダンマリ決め込んだら身体に聞くからな。」
半分脅し、半分本気で。
いつもより声のトーンを落として宣告すれば、観念したように名無しは小さく俯いた。
泡沫に溺れる#03
「つまり催淫作用もあった、と。」
「……はい。」
「だから触られたくない、と。」
「……そうです。」
ぽつりぽつりと、朦朧としながらも端的に説明する名無し。
半端に与えられ続けている熱に浮かされているのか、呂律が少し怪しくなってきているのが気になった。
が、医療班に連れて行こうものなら全力で拒否するだろう。俺だったら嫌だ。
さて、どうしたものか。
油断していた探索者にも呆れるが、反射的に身を呈して庇うのもどうなのか。
もしこれが大怪我だった場合、教団の面々だけでなく中央庁――少なくともルベリエの眉間に皺が更に刻まれていたことだろう。
大した事ないと言えば大した事ないのだが、名無しにとってはある意味大怪我よりも最悪の事態である。
俺にとっては――さて、本当にどうしたものか。
「そんなに…大きなためいき、つかなくていいじゃないですか…」
「つくだろ、普通。」
名無しの話を聞く限りでは、教団に戻るまではなんて事はなかったらしい。
薬や毒は、大抵遅効性のものであればある程タチが悪いと相場は決まっている。
それは名無し自身もよく理解しているのか、浅い呼吸を繰り返しながら遠慮がちに俺に問うてきた。
「あの、神田さん、」
「何だよ。」
「…………はやく、部屋をでてくださると、うれしいな…って」
言いにくそうに、バツが悪そうに。
決して俺に非があるわけではない。だからこそ後ろめたいのだろう。
「ナニするつもりだよ。」
茶化し半分、興味半分。
身体の『あぁいう熱』を発散させるには、手段は大抵決まっている。
時間経過で熱が去るのを我慢することも出来るが、生憎いつまで続くのか予想もつかない。
俺の質問の意味が理解出来たのか、瞬間湯沸かし器のように名無しの顔へ熱が集まったように見えた。
「ちがっ、こういう時は、筋トレして煩悩を滅殺するんですよ!」
「脳筋か。」
「神田さんにだけは言われたくなかった…」
珍しく声を荒らげて抗議するものの、身体が重だるいのか肩を揺らして呼吸を繰り返す。
この状態で筋トレも出来るはずもないが、かといって熱を逃がす方法に精通しているとは思えない。
というより、師である前に恋人という地位を獲得した俺に、どうしてこうも頼らないのか。
本日何度目かの溜息を長く長く吐き出し、俺は短く、ハッキリと、聞き間違えることが絶対ないように、頑なにその手段を選ばない頑固な名無しへ言葉を投げた。
「脱げ。」
「へ」
「要は発散させりゃあいいんだろ。」
手段は心得ている。
ただの師弟のままだったなら、生死が賭かった場面でないと選ばないような手段だが、今は違う。
合法的にも『そういう行為』は何ら不自然じゃない。
むしろ付き合い始めた頃からそういうのは俺自身望んでいたし、今だってすぐにでも泣かして掻き抱いてしまいたいくらいだった。
「や、やだ!」
押し付けられた枕。
やわらかい素材とはいえ、勢いよく顔面に叩きつけられたら痛いものは痛い。
名無しなりの必死の抵抗なのだろうけれど、ここまで全力で拒否しなくてもいいのではないか。
「……ぜ、絶対に、いやです。こんな情けない、なしくずしは、ぜったいにいやです」
今にも泣きそうな、ぐしゃぐしゃになった表情。
恥ずかしさと、燻る熱と、後がない状況のせいか。
きっとコイツのことだ。
『迷惑を掛けて申し訳ない』だとか、そんな下らない事も念頭にあるのだろう。
確かに初めてが『アクマの催淫作用で身体を重ねた』なんてなれば、後々遺恨が残っても仕方ない。
割り切った関係ならそれでもいいかもしれないが、少なくとも俺は目の前でべそをかく女に惨めな思いをさせたい訳ではなかった。
はぁ、と小さく息を吐き、念の為確認する。
「なし崩しじゃなかったらよかったのか?」
「……それ、いまききます…?」
「ただの確認だ。」
小さく頷く名無しを見て、どうしてこうも間が悪いのかと恨んでしまう。
勿論その恨み節は名無しにではなく、この状況を作り出したアクマに対して――引いてはその製作者である伯爵に対してだ。あぁ腹立つ。
強引に身体を重ねてしまえば、熱を冷ますことなんてあっという間だろう。
だが、それは『正しくない』と分かっている。
男は皆、飢えた獣かもしれないが、ケダモノの一線は超えるつもりはない。
「そこまで俺は人でなしじゃねぇよ。手荒くしねぇし、痛いようにはしない」
鋼の理性とは言い難いが、少なくとも今回限りは我慢出来る。
名無しの希望通り『放っておく』という選択肢もなくはないのだが、俺自身がそれは『却下だ』と即決した。
「信用しろ。――それとも、俺はお前の信用にも値しない男か?」
我ながらズルい問いかけだとせせら笑ってしまう。
そう問えば名無しから『No』としか返事が出来ないことを分かっているからだ。
悪い大人?そこは駆け引きと言え。