恋愛ビギナー
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今日ほどアクマに殺意を覚えた事はない。
『すげぇ量の本だな。ジョニー』
『か、神田!いいところに…。図書室の閉架にこれを返すの、手伝ってくれないかな…?』
くしゃくしゃになった天然パーマを揺らし、瓶底メガネの向こうでジョニーが困ったように眉を寄せる。
聞けば、緊急の召集が科学班宛にあったとか。
『急ぎだろ。行ってこい、返してきてやる。』
『わー!恩に着るよ!』
本当にありがとうな!と言いながら、気のいい彼は猛ダッシュで科学班へ向かっていった。
それが約20分程前。
渡された本の束を一冊一冊丁寧に本棚へしまっていると――
閉架に響く、アラート音。
防犯装置でも作動したのか、窓という窓はシャッターが閉まり、唯一の入口も分厚い鉄の扉で閉まってしまった。
隔壁に遮られたこの場所から脱出するには、イノセンスがあれば容易かったのだが……残念ながら手ぶらだ。
『『本部各員に伝達!コムリンα、β、γが科学班から脱走した!見つけ次第捕獲してくれ!それまで隔壁は閉鎖する!本当にすまない!俺が室長ぶん殴っておくから!』』
ゴーレムを通じてリーバーの怒り心頭といった声が、二方向から聞こえる。
……………ん?二方向?
「あれ?誰かいるんです、か………」
事務的な本棚からひょこりと顔を出したのは――
あぁ。神ってヤツが本当にいるなら、なんて悪戯好きなんだろうな。
名無しがあんぐりとした表情で、こちらを無遠慮に見上げていた。
恋愛ビギナー#03
「なるほど、ジョニーさん……尻拭いに駆り出されたんでしょうね…可哀想に…」
「全くだ。」
名無しはお目当ての本を抱え、俺はジョニーに渡された本を全てしまい、やることがなくなってしまった。
俺は別に気まずくもなんともないのだが、名無しは少し居心地悪そうにしていた。
理由は簡単。俺だ。
「名無し。」
「は、はい!」
名前を呼んだだけで背筋が真っ直ぐに伸び、表情が強ばる。
……例えるなら、人に手懐ける前の野生動物のようだ。
「……いつまで緊張してんだ。」
「むしろ神田さんの順応性が高すぎてビックリです…」
感覚的には師と弟子だった頃よりも距離がある。
物理的な距離もそうだが、もっとこう、精神的な。
「逃げられねぇしいい機会だ。一つずつ聞いておくか。」
「……神田さんっていい性格してますよね。」
「褒め言葉として受け取っておいてやる。…なんで甘えるのが嫌なんだよ。」
「え、だって…今だって十分甘えてるじゃないですか…」
「…………あれでか?」
むしろ弟子という立場にしては、あまりにもこちらは迷惑をかけられていない。
自分がティエドールの世話になっている時は、もっと手を焼かせたものだが……。
「……怒らないです?」
「返答による。」
「えぇぇぇ……」
「いいから言え。」
有無を言わさぬ神田の声に、観念したように名無しが小さく呟く。
「……甘えたら、嫌われるんじゃないかと思って。」
基本的に前向きな性格の彼女が、こうも後ろ向きなことを言うなんて。
意外だと驚くと同時に、それを思い込ませるだけの原因がある。
自然と神田の顔は険しくなった。
「誰が言った。」
「へ。」
「誰が言った?そんなこと。」
ワントーン低くなった声に、名無しが困ったように眉を寄せる。
「えぇっと、昔、親戚の方に…ちょっと…」
――両親が死んで、密林の中を彷徨って。
墜落事故現場を捜索しに来た救急隊員に辛うじて救われたものの、名無しは『ひとりぼっち』になっていた。
日本に帰れば親戚はいた。
しかし彼女の面倒を見るわけでもなく、『遺産の金があるならなんとかなる』と一点張りで放ったらかされてしまった。
『甘えるんじゃないよ』
その一言を突きつけられて。
すっかり数年前の出来事になってしまったが、神田は彼女のアルバイト先の女将が言っていた一言を鮮やかに思い出した。
『あの子にも……まともな親戚がいたなんてね』
当時は意味がよく分かっていなかった。
その時は神田が遠い親戚だと嘯いた結果の言葉だったが、改めて考えてみると『まともじゃない親戚ならいる』ということだろう。
しかし改めて考えてみると、年端もいかぬ少女が一人暮らししているなんて異質だ。
あまり詳しく話したがらないので訊ねはしないが、きっとこれよりも鋭い、刃のような言葉を投げつけられたのだろう。
大切にしてくれる人に無闇に甘えてはいけない。嫌われてしまうから。
特別な、大事な人を作ってはいけない。亡くしてしまったら気が狂ってしまう程に痛いから。
彼女の人生観があの一件で狂わされたとすれば、あのレベル3のアクマはとんでもない罪を犯してくれたものだ。
「それに、ほら。甘えたら頼っちゃうじゃないですか。私は早く自立したいです。
……神田さんや、皆さんに頼ってもらいたい。必要とされたい。でなきゃ私がここにいる意味なんてないじゃないですか。」
強迫観念に似たサバイバーズギルト。
それは予想以上に根深く、内罰的だった。
それは神田の奥底にもずっとあった『思い込み』。
彼と彼女は、似ていないようで、似ていたのだ。
生き残るために親友を壊した。
己が原因なのにただ一人生き残ってしまった。
明るく振る舞う彼女の上面に騙されそうになるが、結局のところ本質はそっくりだ。
神田自身は過去、紆余曲折あって『神田ユウ』として生きると決めた。
その日から呪いのような脅迫概念は消えていったのだが――。
「ずっとそんな風に思っていたのか。」
神田の静かな声が、閉架に響く。
怒っているわけでも悲しんでいるわけでもない。
ただ淡々とした声が響き、融けるように消えていく。
名無しは、神田の顔が見れなかった。
声だけでは、彼がどんな風に思っているのか分からない。
けれど表情を見る勇気はどこにもなくて。
抱えた膝の、古傷が増えてしまった自分の膝小僧をじっと見つめるしかなかった。
残されたこの命に価値があると証明しなければ――何のために生きているのか。
暫くの沈黙の後、神田の重々しい溜息が長く、長く、吐き出される。
「…………膝。」
「へ?」
「膝を貸せ。」
そう言われ大人しく正座をすれば、冷たい床にも関わらず神田がゴロリと横になった。
流れる髪が擽ったい。
太腿に直に感じる体温に、名無しは思わず声が上擦った。
「かっ、かかか、神田、さん?」
名前を呼んでみても退ける気配はないようだ。
……まさか隔壁が開放されるまでこのままなのだろうか?
フルマラソンした後のような心臓の鼓動。
気取られないように深呼吸を繰り返せば、やっと普段の二倍速に戻った……気がした。
「……お前は、よくやってる。」
神田がポツリと呟いた言葉。
世辞を言わない。
下手な同情もしない。
彼のぶっきらぼうな優しさが何だか嬉しくて、名無しは困ったように小さく笑った。
『すげぇ量の本だな。ジョニー』
『か、神田!いいところに…。図書室の閉架にこれを返すの、手伝ってくれないかな…?』
くしゃくしゃになった天然パーマを揺らし、瓶底メガネの向こうでジョニーが困ったように眉を寄せる。
聞けば、緊急の召集が科学班宛にあったとか。
『急ぎだろ。行ってこい、返してきてやる。』
『わー!恩に着るよ!』
本当にありがとうな!と言いながら、気のいい彼は猛ダッシュで科学班へ向かっていった。
それが約20分程前。
渡された本の束を一冊一冊丁寧に本棚へしまっていると――
閉架に響く、アラート音。
防犯装置でも作動したのか、窓という窓はシャッターが閉まり、唯一の入口も分厚い鉄の扉で閉まってしまった。
隔壁に遮られたこの場所から脱出するには、イノセンスがあれば容易かったのだが……残念ながら手ぶらだ。
『『本部各員に伝達!コムリンα、β、γが科学班から脱走した!見つけ次第捕獲してくれ!それまで隔壁は閉鎖する!本当にすまない!俺が室長ぶん殴っておくから!』』
ゴーレムを通じてリーバーの怒り心頭といった声が、二方向から聞こえる。
……………ん?二方向?
「あれ?誰かいるんです、か………」
事務的な本棚からひょこりと顔を出したのは――
あぁ。神ってヤツが本当にいるなら、なんて悪戯好きなんだろうな。
名無しがあんぐりとした表情で、こちらを無遠慮に見上げていた。
恋愛ビギナー#03
「なるほど、ジョニーさん……尻拭いに駆り出されたんでしょうね…可哀想に…」
「全くだ。」
名無しはお目当ての本を抱え、俺はジョニーに渡された本を全てしまい、やることがなくなってしまった。
俺は別に気まずくもなんともないのだが、名無しは少し居心地悪そうにしていた。
理由は簡単。俺だ。
「名無し。」
「は、はい!」
名前を呼んだだけで背筋が真っ直ぐに伸び、表情が強ばる。
……例えるなら、人に手懐ける前の野生動物のようだ。
「……いつまで緊張してんだ。」
「むしろ神田さんの順応性が高すぎてビックリです…」
感覚的には師と弟子だった頃よりも距離がある。
物理的な距離もそうだが、もっとこう、精神的な。
「逃げられねぇしいい機会だ。一つずつ聞いておくか。」
「……神田さんっていい性格してますよね。」
「褒め言葉として受け取っておいてやる。…なんで甘えるのが嫌なんだよ。」
「え、だって…今だって十分甘えてるじゃないですか…」
「…………あれでか?」
むしろ弟子という立場にしては、あまりにもこちらは迷惑をかけられていない。
自分がティエドールの世話になっている時は、もっと手を焼かせたものだが……。
「……怒らないです?」
「返答による。」
「えぇぇぇ……」
「いいから言え。」
有無を言わさぬ神田の声に、観念したように名無しが小さく呟く。
「……甘えたら、嫌われるんじゃないかと思って。」
基本的に前向きな性格の彼女が、こうも後ろ向きなことを言うなんて。
意外だと驚くと同時に、それを思い込ませるだけの原因がある。
自然と神田の顔は険しくなった。
「誰が言った。」
「へ。」
「誰が言った?そんなこと。」
ワントーン低くなった声に、名無しが困ったように眉を寄せる。
「えぇっと、昔、親戚の方に…ちょっと…」
――両親が死んで、密林の中を彷徨って。
墜落事故現場を捜索しに来た救急隊員に辛うじて救われたものの、名無しは『ひとりぼっち』になっていた。
日本に帰れば親戚はいた。
しかし彼女の面倒を見るわけでもなく、『遺産の金があるならなんとかなる』と一点張りで放ったらかされてしまった。
『甘えるんじゃないよ』
その一言を突きつけられて。
すっかり数年前の出来事になってしまったが、神田は彼女のアルバイト先の女将が言っていた一言を鮮やかに思い出した。
『あの子にも……まともな親戚がいたなんてね』
当時は意味がよく分かっていなかった。
その時は神田が遠い親戚だと嘯いた結果の言葉だったが、改めて考えてみると『まともじゃない親戚ならいる』ということだろう。
しかし改めて考えてみると、年端もいかぬ少女が一人暮らししているなんて異質だ。
あまり詳しく話したがらないので訊ねはしないが、きっとこれよりも鋭い、刃のような言葉を投げつけられたのだろう。
大切にしてくれる人に無闇に甘えてはいけない。嫌われてしまうから。
特別な、大事な人を作ってはいけない。亡くしてしまったら気が狂ってしまう程に痛いから。
彼女の人生観があの一件で狂わされたとすれば、あのレベル3のアクマはとんでもない罪を犯してくれたものだ。
「それに、ほら。甘えたら頼っちゃうじゃないですか。私は早く自立したいです。
……神田さんや、皆さんに頼ってもらいたい。必要とされたい。でなきゃ私がここにいる意味なんてないじゃないですか。」
強迫観念に似たサバイバーズギルト。
それは予想以上に根深く、内罰的だった。
それは神田の奥底にもずっとあった『思い込み』。
彼と彼女は、似ていないようで、似ていたのだ。
生き残るために親友を壊した。
己が原因なのにただ一人生き残ってしまった。
明るく振る舞う彼女の上面に騙されそうになるが、結局のところ本質はそっくりだ。
神田自身は過去、紆余曲折あって『神田ユウ』として生きると決めた。
その日から呪いのような脅迫概念は消えていったのだが――。
「ずっとそんな風に思っていたのか。」
神田の静かな声が、閉架に響く。
怒っているわけでも悲しんでいるわけでもない。
ただ淡々とした声が響き、融けるように消えていく。
名無しは、神田の顔が見れなかった。
声だけでは、彼がどんな風に思っているのか分からない。
けれど表情を見る勇気はどこにもなくて。
抱えた膝の、古傷が増えてしまった自分の膝小僧をじっと見つめるしかなかった。
残されたこの命に価値があると証明しなければ――何のために生きているのか。
暫くの沈黙の後、神田の重々しい溜息が長く、長く、吐き出される。
「…………膝。」
「へ?」
「膝を貸せ。」
そう言われ大人しく正座をすれば、冷たい床にも関わらず神田がゴロリと横になった。
流れる髪が擽ったい。
太腿に直に感じる体温に、名無しは思わず声が上擦った。
「かっ、かかか、神田、さん?」
名前を呼んでみても退ける気配はないようだ。
……まさか隔壁が開放されるまでこのままなのだろうか?
フルマラソンした後のような心臓の鼓動。
気取られないように深呼吸を繰り返せば、やっと普段の二倍速に戻った……気がした。
「……お前は、よくやってる。」
神田がポツリと呟いた言葉。
世辞を言わない。
下手な同情もしない。
彼のぶっきらぼうな優しさが何だか嬉しくて、名無しは困ったように小さく笑った。