キミを結わう
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6月5日。
面倒な中央庁からの呼び出しが終わり、予定よりも早く本部へ戻ってきた神田は食堂の壁掛け時計へ視線を向けた。
時刻は22時を過ぎたところだ。夕飯を取るには遅い時間だが、中央庁で食事をとる気にはなれず、こうして腹を鳴らしながら戻ってきたわけだが──。
「あら、神田。今日は遅いのね。任務だったの?」
「いや、中央からの呼び出しだ。ざる蕎麦一つ。」
「はいはーい。ってことは名無しちゃんは一緒じゃなかったの?」
ジェリーの一言に違和感を覚えた神田は不機嫌そうな目元を更に細め、訝しむように問い返した。
「夕飯の時に見てるだろ」
「今日は見てないわよ?てっきり任務かと思ってたもの」
***
見慣れたドアの前で神田は仁王立ちしていた。
部屋の中から僅かに聞こえる、木片が転がるような音。息遣い。
食事も取らずに何をしているのやら。
呆れた表情を隠すつもりがないのか、口元をへの字に曲げた彼は扉を二回、軽く叩いた。
「はーい……取り込み中でーす……」
中から聞こえるのは完全な生返事。
部屋の住人がいることを確認し、遠慮なくドアを開ける。
そこにはこちらへ一切視線を向けず、真剣な顔で糸を手繰らせる名無しの姿があった。
深緋の絹糸を数本ずつ、円形の木枠をなぞるように左から右へ、右から左へ。奥から手前へ、手前から奥へと編み進めている。
規則正しい糸繰りは見ていて気持ちのいいものだが、神田はこれを見に来たわけではない。
「何やってんだ。」
「ッう、わ、っわーーー!?か、神田さん!?」
不意に声をかければ、心底驚いたのだろう。
色気の欠片もない、ひっくり返りそうな驚声が部屋に響いた。
それと同時に抱え込んでいた円柱の木枠がゴトン、ゴロゴロと床を転がる。
木枠を滑っていた緋色の糸達は好き勝手に広がり、まるで脱走した生き物のようだ。
名無しは名無しで「あっ、あー!待って、転がっていかないで…!」と慌てて掻き集めているのだから、あながち間違いではないのかもしれない。
大事に抱え直した木枠と、少しよれてしまった深紅の糸達。
編みかけだったものの生存確認が終え、安堵の息を漏らした名無しが神田をじとりと見上げた。
「お戻り、明日の予定でしたよね…?」
「向こうにわざわざ泊まる必要なんかねぇだろ」
「それは、まぁ、いつもの枕の方がよく眠れるかもしれませんが……」
困ったように眉を寄せる原因は、ひとつだけ。
彼女が大事そうに抱えている《それ》。
「で、何やってんだ。」
初めて見る形状のものだ。
丸い円柱型の木枠。その四方には糸巻きから伸びた絹糸が垂れ下がり、円形の中央には重石をぶら下げた紐が編まれている最中である。
その紐は普段見慣れているものに酷く酷似していた。
深緋色のそれは様々な赤が混ざり、団服の色によく似合う組紐に仕上がっている。
──正確にはまだ未完成ではあるが。
「……………………髪紐を、編んでました…」
消え入りそうな声で、木枠を抱き締めるように隠す名無し。
正直、隠す必要がないのだが。揃った編み目の髪紐は既製品と見紛う程の出来栄えなのだから。
「作れるもんなのか?」
「作れるものというか…頑張って作っている最中と申しますか……」
神田は知っている。
いつも快活な彼女だが、後ろめたいことがあったり自信がない時は、普段はひた隠しにしているネガティブな一面が顔を出すのだ。
例えば、今のように。
「……手作り…言わないつもりだったのに…」と苦虫を噛み潰したような顔で呟いた名無し。
その理由が全く検討つかず、神田は腕を組みながら壁へ凭れた。
「何でだよ。」
「いや…だって、誕生日に手作りのプレゼントって。子供っぽいというか、その、重いでしょう?」
名無しが元々生きていた時代では、人によっては敬遠されることが少なくない。
幼少期ならともかく、成人手前だというのに手作りというのはいかなものか。
ティエドールに勧められ、ジョニーに教えを乞い、納得出来るものがすぐに出来るものだと思っていたが──これがまた難しい。
最初はポジティブな気持ちで作っていたプレゼントも、練習を重ね、失敗を重ね、納得出来る出来栄えに近づけば近づく程、自信がなくなってきたのだ。
元来、彼女自身に自信が無いことも相まり『そもそも手作りは正解なのか』という、根本的な疑問にぶつかってしまった──というわけだ。
「別に。団服だって職人が手ずから縫ってんだ。店で買ったものだって、突き詰めてしまえば基本手作りだろうが」
「それはそうなんですけど、」
神田の言う事はごもっともだ。
まだこの時代は服や家具を大量生産をするにしても、名無しの時代に比べてしまえばまだまだアナログな作り方をしている。
工場らしい工場はまだ未発展であり、どちらかというと工房と称した方がしっくりくる。
でもでもだってと口篭る名無しの手元を覗き込むように神田が近づけば、より深く抱き込むように名無しは編みかけの組紐を木枠ごと隠してしまった。
「完成品じゃないので見ないでください。」
「これは?」
「それは失敗…じゃなくて、練習!そう、予行練習の結果です!」
机の上に取っ散らかっていた組紐の試作品達。
深い瑠璃色、上品な菫色。今編んでいる組紐に似た茜色のものまで、色とりどりの《予行練習の結果》が山積みになっていた。
上に重ねられた組紐の編み目は実に整っているが、下に埋もれたものは──まぁコメントするのはよそう。
上達の歴史を紐解かれているのが余っ程恥ずかしいのか、茹で上がりそうな色を浮かべた名無しが「見ないでください」と小さく抗議した。
さて。何をこそこそしていたのかは、結局神田が暴いてしまったわけなのだが、残念ながらこの男。はいそうですか、と素直に部屋を出ていく性格ではなかった。
シングルベッドの縁に腰をかけ、寛ぎ始めるではないか。
「あの、神田さん?」
「出来るまで待っとく。」
「えー!?」
「早く。続き。」
名無しの抗議を遮るように、神田が指さした先は編みかけの組紐。
彼を追い出すのが早いか、日付が変わってしまう前に編むのが早いか。
名無しは諦めたように溜息を漏らし、再び髪紐を編む作業に戻るのであった。
***
神田の突然の来訪から、一時間半が経過した頃。
木枠から外し、端を結び、糸切り鋏がパチンと音を立てる。
ハプニングを経て出来上がった深い緋色の組紐は、太さも均一で、編み目もきちんと揃った仕上がりになっていた。
「……………ふぅ、出来ました。…多分。」
「ん。」
短く返事をした神田は、元々結っていた髪紐をするりと解く。
団服の背中を流れる長髪は上質なビロードのように揺れ、絹糸のような黒髪を雑把に整えた。
「あの、神田さん?」
「結ってくれ。」
「ええ…私、下手ですよ?」
「別にいい。」
とは言うものの、流石に髪紐一本でポニーテールは難しい。
慣れれば神田のように髪紐一本でも手早く結べるのかもしれないが、少なくともここ数年はショートヘアで過ごした名無しには到底不可能な芸当だった。
簡単な一つ括り。ポニーテール以外で、唯一見たことのある神田のヘアスタイル。
非常に無難な髪型であるものの、元の顔の造形が異常にいいせいか、それだけで十分様になっているのだから本当に役得である。
「よし、出来ました」
「ん。」
蝶々結びで仕上げて、名無しは小さく頷く。
肝心の髪紐も結んでいる最中にちぎれることもなく、まるで最初からそこにあったかのように問題なく髪をきちんと結えた。
それと同時に『ちゅ』と小さなリップ音が部屋へ鳴る。
ほっと安堵の息をつく名無しへ振り返り、神田が掠めるように唇を奪ったのだ。
待たされた時間を埋めるように、一度、二度、三度と唇を離しては深く重ねる。
「ん、」とくぐもった甘い声が名無しから漏れるが、その小さな喘声すら呑み込んでしまうように貪った。
流れるようにベッドへ押し倒され、名無しの細い両手首は神田の片手によってシーツへ縫いつけられる。
抵抗する術を奪われた上で、可愛らしい触れるだけのキスから腰が揺れてしまうような深い口付けを、散々浴びせられ続けた。
それもそう。名無しがプレゼント作成に着手してから、実に三週間。
夜は完全におあずけにされ、恋人らしいスキンシップは自然と減り、つまるところ神田は欲求不満だったのだから。
『唇が取れてしまうのでは』と錯覚する程に味わわれ、ようやく解放された時には名無しの腰は完全に抜けていた。
満足そう──でもないが、『とりあえずこれくらいにしておくか』と小腹を満たした神田は、名無しに覆いかぶさったまま目元を細める。
「……で?プレゼントがどうのと、つまらねぇことで散々悩んだって?」
「〜〜〜っなん、で、知っ…!」
口が軽い誰かから情報漏洩でもしたのだろうか。
名無しの予想はラビあたりなのだが、残念ながら情報源はまさかのマリである。
「……し、仕方ないじゃないですか、悩んで当然…というか誰に聞いて……いやそうじゃなくて、」
動揺で目を白黒させる名無し。
息を大きく吸い、支離滅裂になりそうな言葉を無理矢理呑み込む。
落ち着きを取り戻すために深呼吸を繰り返し、今できる精一杯、努めて冷静に今回の反省を述べ始めた。
「………………散々悩んだんですけど、その、プレゼント。普通になっちゃったので、次こそは一年かけて壮大な計画を練ることにします……」
目標を大きく、そして高く持つことは決して悪いことではないのだが、果たして『壮大な計画とは何なんだ』と聞いてみてもいいものなのか。
神田はべそべそと懺悔する名無しの頭を軽く小突いた後、結ばれた髪紐の端をくるりと指先でなぞった。
絹糸の組紐は指通りが滑らかで、彼女の反省が必要な程ではないというのに。
「来年もこれがいい。」
名無しが手ずから編んだ、髪紐。
世界中のどこを探してもここにしかない、唯一の組紐。
それだけで価値は十分だと言うのに、自覚がないのは本人ばかりだ。
「え、えぇ……いいんですか?素人の手作りですよ?」
「これがいいって言ってんだろ。」
「何度も言わせるな」と毒づけば、反省頻りだった名無しの表情は苦笑い混じりに薄れ、代わりに照れくさそうな色を口元に浮かべた。
「……分かりました。来年はもっと練習しておきますね」
キミを結わう#後編
「大事にする。」
親しい間柄でないと分からないような、僅かな変化。
目元をやわらかく細め、口元がふっと緩んだささやかな微笑み。
名無しにとって、その笑顔はたまらなく喜ばしく、何よりもの報酬である。
「神田さん、お誕生日おめでとうございます。」
「あぁ。」
「──祝われるのも、悪くねぇな」
面倒な中央庁からの呼び出しが終わり、予定よりも早く本部へ戻ってきた神田は食堂の壁掛け時計へ視線を向けた。
時刻は22時を過ぎたところだ。夕飯を取るには遅い時間だが、中央庁で食事をとる気にはなれず、こうして腹を鳴らしながら戻ってきたわけだが──。
「あら、神田。今日は遅いのね。任務だったの?」
「いや、中央からの呼び出しだ。ざる蕎麦一つ。」
「はいはーい。ってことは名無しちゃんは一緒じゃなかったの?」
ジェリーの一言に違和感を覚えた神田は不機嫌そうな目元を更に細め、訝しむように問い返した。
「夕飯の時に見てるだろ」
「今日は見てないわよ?てっきり任務かと思ってたもの」
***
見慣れたドアの前で神田は仁王立ちしていた。
部屋の中から僅かに聞こえる、木片が転がるような音。息遣い。
食事も取らずに何をしているのやら。
呆れた表情を隠すつもりがないのか、口元をへの字に曲げた彼は扉を二回、軽く叩いた。
「はーい……取り込み中でーす……」
中から聞こえるのは完全な生返事。
部屋の住人がいることを確認し、遠慮なくドアを開ける。
そこにはこちらへ一切視線を向けず、真剣な顔で糸を手繰らせる名無しの姿があった。
深緋の絹糸を数本ずつ、円形の木枠をなぞるように左から右へ、右から左へ。奥から手前へ、手前から奥へと編み進めている。
規則正しい糸繰りは見ていて気持ちのいいものだが、神田はこれを見に来たわけではない。
「何やってんだ。」
「ッう、わ、っわーーー!?か、神田さん!?」
不意に声をかければ、心底驚いたのだろう。
色気の欠片もない、ひっくり返りそうな驚声が部屋に響いた。
それと同時に抱え込んでいた円柱の木枠がゴトン、ゴロゴロと床を転がる。
木枠を滑っていた緋色の糸達は好き勝手に広がり、まるで脱走した生き物のようだ。
名無しは名無しで「あっ、あー!待って、転がっていかないで…!」と慌てて掻き集めているのだから、あながち間違いではないのかもしれない。
大事に抱え直した木枠と、少しよれてしまった深紅の糸達。
編みかけだったものの生存確認が終え、安堵の息を漏らした名無しが神田をじとりと見上げた。
「お戻り、明日の予定でしたよね…?」
「向こうにわざわざ泊まる必要なんかねぇだろ」
「それは、まぁ、いつもの枕の方がよく眠れるかもしれませんが……」
困ったように眉を寄せる原因は、ひとつだけ。
彼女が大事そうに抱えている《それ》。
「で、何やってんだ。」
初めて見る形状のものだ。
丸い円柱型の木枠。その四方には糸巻きから伸びた絹糸が垂れ下がり、円形の中央には重石をぶら下げた紐が編まれている最中である。
その紐は普段見慣れているものに酷く酷似していた。
深緋色のそれは様々な赤が混ざり、団服の色によく似合う組紐に仕上がっている。
──正確にはまだ未完成ではあるが。
「……………………髪紐を、編んでました…」
消え入りそうな声で、木枠を抱き締めるように隠す名無し。
正直、隠す必要がないのだが。揃った編み目の髪紐は既製品と見紛う程の出来栄えなのだから。
「作れるもんなのか?」
「作れるものというか…頑張って作っている最中と申しますか……」
神田は知っている。
いつも快活な彼女だが、後ろめたいことがあったり自信がない時は、普段はひた隠しにしているネガティブな一面が顔を出すのだ。
例えば、今のように。
「……手作り…言わないつもりだったのに…」と苦虫を噛み潰したような顔で呟いた名無し。
その理由が全く検討つかず、神田は腕を組みながら壁へ凭れた。
「何でだよ。」
「いや…だって、誕生日に手作りのプレゼントって。子供っぽいというか、その、重いでしょう?」
名無しが元々生きていた時代では、人によっては敬遠されることが少なくない。
幼少期ならともかく、成人手前だというのに手作りというのはいかなものか。
ティエドールに勧められ、ジョニーに教えを乞い、納得出来るものがすぐに出来るものだと思っていたが──これがまた難しい。
最初はポジティブな気持ちで作っていたプレゼントも、練習を重ね、失敗を重ね、納得出来る出来栄えに近づけば近づく程、自信がなくなってきたのだ。
元来、彼女自身に自信が無いことも相まり『そもそも手作りは正解なのか』という、根本的な疑問にぶつかってしまった──というわけだ。
「別に。団服だって職人が手ずから縫ってんだ。店で買ったものだって、突き詰めてしまえば基本手作りだろうが」
「それはそうなんですけど、」
神田の言う事はごもっともだ。
まだこの時代は服や家具を大量生産をするにしても、名無しの時代に比べてしまえばまだまだアナログな作り方をしている。
工場らしい工場はまだ未発展であり、どちらかというと工房と称した方がしっくりくる。
でもでもだってと口篭る名無しの手元を覗き込むように神田が近づけば、より深く抱き込むように名無しは編みかけの組紐を木枠ごと隠してしまった。
「完成品じゃないので見ないでください。」
「これは?」
「それは失敗…じゃなくて、練習!そう、予行練習の結果です!」
机の上に取っ散らかっていた組紐の試作品達。
深い瑠璃色、上品な菫色。今編んでいる組紐に似た茜色のものまで、色とりどりの《予行練習の結果》が山積みになっていた。
上に重ねられた組紐の編み目は実に整っているが、下に埋もれたものは──まぁコメントするのはよそう。
上達の歴史を紐解かれているのが余っ程恥ずかしいのか、茹で上がりそうな色を浮かべた名無しが「見ないでください」と小さく抗議した。
さて。何をこそこそしていたのかは、結局神田が暴いてしまったわけなのだが、残念ながらこの男。はいそうですか、と素直に部屋を出ていく性格ではなかった。
シングルベッドの縁に腰をかけ、寛ぎ始めるではないか。
「あの、神田さん?」
「出来るまで待っとく。」
「えー!?」
「早く。続き。」
名無しの抗議を遮るように、神田が指さした先は編みかけの組紐。
彼を追い出すのが早いか、日付が変わってしまう前に編むのが早いか。
名無しは諦めたように溜息を漏らし、再び髪紐を編む作業に戻るのであった。
***
神田の突然の来訪から、一時間半が経過した頃。
木枠から外し、端を結び、糸切り鋏がパチンと音を立てる。
ハプニングを経て出来上がった深い緋色の組紐は、太さも均一で、編み目もきちんと揃った仕上がりになっていた。
「……………ふぅ、出来ました。…多分。」
「ん。」
短く返事をした神田は、元々結っていた髪紐をするりと解く。
団服の背中を流れる長髪は上質なビロードのように揺れ、絹糸のような黒髪を雑把に整えた。
「あの、神田さん?」
「結ってくれ。」
「ええ…私、下手ですよ?」
「別にいい。」
とは言うものの、流石に髪紐一本でポニーテールは難しい。
慣れれば神田のように髪紐一本でも手早く結べるのかもしれないが、少なくともここ数年はショートヘアで過ごした名無しには到底不可能な芸当だった。
簡単な一つ括り。ポニーテール以外で、唯一見たことのある神田のヘアスタイル。
非常に無難な髪型であるものの、元の顔の造形が異常にいいせいか、それだけで十分様になっているのだから本当に役得である。
「よし、出来ました」
「ん。」
蝶々結びで仕上げて、名無しは小さく頷く。
肝心の髪紐も結んでいる最中にちぎれることもなく、まるで最初からそこにあったかのように問題なく髪をきちんと結えた。
それと同時に『ちゅ』と小さなリップ音が部屋へ鳴る。
ほっと安堵の息をつく名無しへ振り返り、神田が掠めるように唇を奪ったのだ。
待たされた時間を埋めるように、一度、二度、三度と唇を離しては深く重ねる。
「ん、」とくぐもった甘い声が名無しから漏れるが、その小さな喘声すら呑み込んでしまうように貪った。
流れるようにベッドへ押し倒され、名無しの細い両手首は神田の片手によってシーツへ縫いつけられる。
抵抗する術を奪われた上で、可愛らしい触れるだけのキスから腰が揺れてしまうような深い口付けを、散々浴びせられ続けた。
それもそう。名無しがプレゼント作成に着手してから、実に三週間。
夜は完全におあずけにされ、恋人らしいスキンシップは自然と減り、つまるところ神田は欲求不満だったのだから。
『唇が取れてしまうのでは』と錯覚する程に味わわれ、ようやく解放された時には名無しの腰は完全に抜けていた。
満足そう──でもないが、『とりあえずこれくらいにしておくか』と小腹を満たした神田は、名無しに覆いかぶさったまま目元を細める。
「……で?プレゼントがどうのと、つまらねぇことで散々悩んだって?」
「〜〜〜っなん、で、知っ…!」
口が軽い誰かから情報漏洩でもしたのだろうか。
名無しの予想はラビあたりなのだが、残念ながら情報源はまさかのマリである。
「……し、仕方ないじゃないですか、悩んで当然…というか誰に聞いて……いやそうじゃなくて、」
動揺で目を白黒させる名無し。
息を大きく吸い、支離滅裂になりそうな言葉を無理矢理呑み込む。
落ち着きを取り戻すために深呼吸を繰り返し、今できる精一杯、努めて冷静に今回の反省を述べ始めた。
「………………散々悩んだんですけど、その、プレゼント。普通になっちゃったので、次こそは一年かけて壮大な計画を練ることにします……」
目標を大きく、そして高く持つことは決して悪いことではないのだが、果たして『壮大な計画とは何なんだ』と聞いてみてもいいものなのか。
神田はべそべそと懺悔する名無しの頭を軽く小突いた後、結ばれた髪紐の端をくるりと指先でなぞった。
絹糸の組紐は指通りが滑らかで、彼女の反省が必要な程ではないというのに。
「来年もこれがいい。」
名無しが手ずから編んだ、髪紐。
世界中のどこを探してもここにしかない、唯一の組紐。
それだけで価値は十分だと言うのに、自覚がないのは本人ばかりだ。
「え、えぇ……いいんですか?素人の手作りですよ?」
「これがいいって言ってんだろ。」
「何度も言わせるな」と毒づけば、反省頻りだった名無しの表情は苦笑い混じりに薄れ、代わりに照れくさそうな色を口元に浮かべた。
「……分かりました。来年はもっと練習しておきますね」
キミを結わう#後編
「大事にする。」
親しい間柄でないと分からないような、僅かな変化。
目元をやわらかく細め、口元がふっと緩んだささやかな微笑み。
名無しにとって、その笑顔はたまらなく喜ばしく、何よりもの報酬である。
「神田さん、お誕生日おめでとうございます。」
「あぁ。」
「──祝われるのも、悪くねぇな」
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