short story
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無性にイライラしていた。
つい棘のある言い方をしてしまった。
しかしそれは目の前にいた名無しが原因ではなく、日中に顔を合わせた上層部の耄碌ジジイ共に腹を立てていて。
つまり、八つ当たりを、してしまった。
夕食の時間もとうに過ぎ、苛立ちを隠すことなく自室で書類仕事をしていた。
元帥になれば任務の報告書以外にこういったデスクワークが増えることは承知の上だ。承知の上だった。
それでも『好きか嫌いか』と問われれば、間髪入れず即答で『大嫌いに決まってんだろ』と答えるくらい、書類仕事は嫌いなのだ。
『夕食、食べられないんですか?一旦休憩しましょうよ、神田さん。』
見兼ねた名無しがわざわざ声を掛けに部屋へ来たのだ。
テーブルの上のランプだけが灯った薄暗い部屋へ廊下の光が差し込んでやたらと眩しかった。
『部屋、明るくしないと目が悪くなりますよ』とか『この部屋、寒くないですか?暖炉つけましょうか?』など、甲斐甲斐しく声をかけてくるものだから──
『うるせぇ。俺に構ってる暇があったら、鍛錬でもしてろ』
──などと口走ってしまったのだ。
三十分前に戻れるなら容赦なく自分自身を殴りつけていただろう。
「はぁ……」
溜息を吐けば、部屋の中だというのに白い息が湯気のように浮かび上がる。
寒い場所は、好きじゃない。
身体の芯から凍えるような寒さは、あの箱庭のような研究所を思い出してしまう。
ただ一人の親友と過ごした、目覚めぬ仲間をひたすらに待つ、あの薄暗い地下を。
かけがえのない時間だったとはいえ思い出という名の記憶には、痛みと寒さが伴ってしまう。
それらを簡単に美化できるほど、どうやら刻み込まれた記憶というものはご都合主義ではないらしい。
傷つけてしまった。
廊下からの逆光で彼女の表情は見えなかったが、僅かに息を呑む音が聞こえたから。
謝りに行きたいのに、足取りが重い。
初めてぶつけてしまった理不尽な物言いに、自分自身も動揺を隠しきれない。
一体どんな顔で会えというのか。
(気をつけていたつもりだった)
昔のように、周りを理不尽に突き放すような言葉を、名無しに対して言わないよう。
(今でもアイツは十分にやってるだろ)
鍛錬でもしていろ、だなんて。一度たりとも自主的にサボったことなどない彼女に向けて言い放ってしまった。
己が持ちうる全てで、一番大事な恋人に。
────コンコン。
過去一の自己嫌悪に苛まれていると、部屋に響いたノック音。
そろりと顔を覗かせたのは、会いたくて──しかし会うには心底気まずかった名無しの姿があった。
「神田さん、とりあえず温かいものでも食べませんか?」
トレイの上には湯気がたっている蕎麦と、揚げたての天ぷら。急須と、湯のみが二つ。
いつもと変わらない笑顔を浮かべ、彼女ははにかむように笑った。
***
「さっきは悪かった。」
トレイを置き、部屋の明かりをつけ、湯呑みに茶を注がれる。
部屋の明かりをつければ棺桶のように仄暗い部屋へ生気が戻ったような……気がした。
トレイと一緒に持ってきていた手提げに入れていたのだろう、やわらかい膝掛けと湯たんぽを押し付けられる始末だ。
部屋へ備え付けられている小さな暖炉に火と薪をくべ終わった名無しへ、言うタイミングを失っていた謝罪の言葉を述べた。
肝心の名無しはというと呆れる訳でもなく、怒ることもなく、ゆるゆると笑っている。
「経験上ですけど、寒かったら身体がサバイバルモードになっちゃいますから。お腹も減って、ストレスが溜まっていたら、ついついイライラするのは当然ですよ」
「気にしていませんよ」と締めくくり、名無しは椅子に座り呑気に茶を啜る。
彼女の言葉通り、気にしている──訳ではなさそうだ。
だからといって自分をそう簡単に赦せる程、自分に対して甘くない。
「けど、お前に八つ当たりしていい理由にはならねぇだろ。」
「八つ当たりだったんですか?」
どうやら『鍛錬でもしてろ』という突っぱねた言葉は額面通りに受け取られてしまったらしい。
神田からの言葉を全て『悪意がない』と思い込んでいる信頼を、素直に喜べばいいのか。
それとも普段から彼が他者に向ける辛辣な言葉尻を聞き慣れてしまったが故に、棘のある言葉に対して抵抗がなくなってしまったのか。
言葉では言い表せない複雑な心境に、神田はなんとも言えぬ様子で顔を歪めた。
──そんな彼を見て、面白そうにクスクスと笑うのは存外図太い彼の恋人である。
「何笑ってんだよ。」
「いえ、お疲れだったんだな、と思って。」
普段から『手を抜く』ということをしない神田だからこそ、疲労は人一倍溜まる。
それをここ数年──特に元帥になってからというものの、疲れを表立って顔へ出すことは滅多にないが、どうしても苛立ちは募ってしまう。
そんな時は身体を動かしたり、仮眠を取ったり、好きなものを食べたり、愛おしくて仕方がない恋人を身動きひとつ出来ない程に抱きしめたりなど、彼なりにストレス発散はしていたのだが……
今回は、全て足りなかった。
有り体に言えば、虫の居所が最高に悪かったのだ。
「ご飯食べたら、お風呂に入りましょう。で、お仕事がひと段落したら、温かいココアでも飲んで、ふかふかのお布団であたたかくして寝ましょう。」
不機嫌な師匠に臆することなく、気遣ってくれる彼女の存在はまさに特効薬だ。
喉を詰まらせるような息苦しさも、歯噛みしたくなるような苛立ちも、一瞬で水へ溶ける綿飴のようになくなってしまうのだから。
我ながら『単純だ』と笑ってしまう。
それでも不愉快でないのは、相手が名無しだからだろう。
「……母親か?」
「こんな大きくて反抗期の息子、産んだ覚えありませ〜ん。」
甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる彼女の優しさが擽ったくて冗談を口にすれば、呆れることなくころころと名無しは笑う。
「そりゃそうか。」と呟き、神田はそっとほくそ笑む。
どうしようもなくぶっきらぼうな自分に、勿体ない程の恋人だ、と。
寒がりさんの特効薬
「名無しも、ここで寝るんだろ。」
そう問えば悪戯っぽく彼女は笑う。
「必要ですか?人間湯たんぽ。」
「毎日欲しいくらいだ。」
いっそここに部屋を移してしまえばいいのに。
「寒ィのは、嫌いなんだよ。」
つい棘のある言い方をしてしまった。
しかしそれは目の前にいた名無しが原因ではなく、日中に顔を合わせた上層部の耄碌ジジイ共に腹を立てていて。
つまり、八つ当たりを、してしまった。
夕食の時間もとうに過ぎ、苛立ちを隠すことなく自室で書類仕事をしていた。
元帥になれば任務の報告書以外にこういったデスクワークが増えることは承知の上だ。承知の上だった。
それでも『好きか嫌いか』と問われれば、間髪入れず即答で『大嫌いに決まってんだろ』と答えるくらい、書類仕事は嫌いなのだ。
『夕食、食べられないんですか?一旦休憩しましょうよ、神田さん。』
見兼ねた名無しがわざわざ声を掛けに部屋へ来たのだ。
テーブルの上のランプだけが灯った薄暗い部屋へ廊下の光が差し込んでやたらと眩しかった。
『部屋、明るくしないと目が悪くなりますよ』とか『この部屋、寒くないですか?暖炉つけましょうか?』など、甲斐甲斐しく声をかけてくるものだから──
『うるせぇ。俺に構ってる暇があったら、鍛錬でもしてろ』
──などと口走ってしまったのだ。
三十分前に戻れるなら容赦なく自分自身を殴りつけていただろう。
「はぁ……」
溜息を吐けば、部屋の中だというのに白い息が湯気のように浮かび上がる。
寒い場所は、好きじゃない。
身体の芯から凍えるような寒さは、あの箱庭のような研究所を思い出してしまう。
ただ一人の親友と過ごした、目覚めぬ仲間をひたすらに待つ、あの薄暗い地下を。
かけがえのない時間だったとはいえ思い出という名の記憶には、痛みと寒さが伴ってしまう。
それらを簡単に美化できるほど、どうやら刻み込まれた記憶というものはご都合主義ではないらしい。
傷つけてしまった。
廊下からの逆光で彼女の表情は見えなかったが、僅かに息を呑む音が聞こえたから。
謝りに行きたいのに、足取りが重い。
初めてぶつけてしまった理不尽な物言いに、自分自身も動揺を隠しきれない。
一体どんな顔で会えというのか。
(気をつけていたつもりだった)
昔のように、周りを理不尽に突き放すような言葉を、名無しに対して言わないよう。
(今でもアイツは十分にやってるだろ)
鍛錬でもしていろ、だなんて。一度たりとも自主的にサボったことなどない彼女に向けて言い放ってしまった。
己が持ちうる全てで、一番大事な恋人に。
────コンコン。
過去一の自己嫌悪に苛まれていると、部屋に響いたノック音。
そろりと顔を覗かせたのは、会いたくて──しかし会うには心底気まずかった名無しの姿があった。
「神田さん、とりあえず温かいものでも食べませんか?」
トレイの上には湯気がたっている蕎麦と、揚げたての天ぷら。急須と、湯のみが二つ。
いつもと変わらない笑顔を浮かべ、彼女ははにかむように笑った。
***
「さっきは悪かった。」
トレイを置き、部屋の明かりをつけ、湯呑みに茶を注がれる。
部屋の明かりをつければ棺桶のように仄暗い部屋へ生気が戻ったような……気がした。
トレイと一緒に持ってきていた手提げに入れていたのだろう、やわらかい膝掛けと湯たんぽを押し付けられる始末だ。
部屋へ備え付けられている小さな暖炉に火と薪をくべ終わった名無しへ、言うタイミングを失っていた謝罪の言葉を述べた。
肝心の名無しはというと呆れる訳でもなく、怒ることもなく、ゆるゆると笑っている。
「経験上ですけど、寒かったら身体がサバイバルモードになっちゃいますから。お腹も減って、ストレスが溜まっていたら、ついついイライラするのは当然ですよ」
「気にしていませんよ」と締めくくり、名無しは椅子に座り呑気に茶を啜る。
彼女の言葉通り、気にしている──訳ではなさそうだ。
だからといって自分をそう簡単に赦せる程、自分に対して甘くない。
「けど、お前に八つ当たりしていい理由にはならねぇだろ。」
「八つ当たりだったんですか?」
どうやら『鍛錬でもしてろ』という突っぱねた言葉は額面通りに受け取られてしまったらしい。
神田からの言葉を全て『悪意がない』と思い込んでいる信頼を、素直に喜べばいいのか。
それとも普段から彼が他者に向ける辛辣な言葉尻を聞き慣れてしまったが故に、棘のある言葉に対して抵抗がなくなってしまったのか。
言葉では言い表せない複雑な心境に、神田はなんとも言えぬ様子で顔を歪めた。
──そんな彼を見て、面白そうにクスクスと笑うのは存外図太い彼の恋人である。
「何笑ってんだよ。」
「いえ、お疲れだったんだな、と思って。」
普段から『手を抜く』ということをしない神田だからこそ、疲労は人一倍溜まる。
それをここ数年──特に元帥になってからというものの、疲れを表立って顔へ出すことは滅多にないが、どうしても苛立ちは募ってしまう。
そんな時は身体を動かしたり、仮眠を取ったり、好きなものを食べたり、愛おしくて仕方がない恋人を身動きひとつ出来ない程に抱きしめたりなど、彼なりにストレス発散はしていたのだが……
今回は、全て足りなかった。
有り体に言えば、虫の居所が最高に悪かったのだ。
「ご飯食べたら、お風呂に入りましょう。で、お仕事がひと段落したら、温かいココアでも飲んで、ふかふかのお布団であたたかくして寝ましょう。」
不機嫌な師匠に臆することなく、気遣ってくれる彼女の存在はまさに特効薬だ。
喉を詰まらせるような息苦しさも、歯噛みしたくなるような苛立ちも、一瞬で水へ溶ける綿飴のようになくなってしまうのだから。
我ながら『単純だ』と笑ってしまう。
それでも不愉快でないのは、相手が名無しだからだろう。
「……母親か?」
「こんな大きくて反抗期の息子、産んだ覚えありませ〜ん。」
甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる彼女の優しさが擽ったくて冗談を口にすれば、呆れることなくころころと名無しは笑う。
「そりゃそうか。」と呟き、神田はそっとほくそ笑む。
どうしようもなくぶっきらぼうな自分に、勿体ない程の恋人だ、と。
寒がりさんの特効薬
「名無しも、ここで寝るんだろ。」
そう問えば悪戯っぽく彼女は笑う。
「必要ですか?人間湯たんぽ。」
「毎日欲しいくらいだ。」
いっそここに部屋を移してしまえばいいのに。
「寒ィのは、嫌いなんだよ。」