Re:set
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住宅街から抜ければ、賑わう大通りに出る。
行き交う人。
目まぐるしい雑踏。
イノセンスもない。
団服もない。
ここにいるのは『神田ユウ』だけだ。
こうしてみれば普通の人間らしく見えるのだろう。
名無しと、同じような。
(普通、か)
彼女をその一言で片付けるには少し歪な気がした。
違和感と言えばいいのだろうか。
目が離せないと言えばいいのだろうか。
ひとつだけ言えるのは、彼女は悪意もなく敵意もなく、根からの『お人好し』だということ。
――そういう意味では変わった女だな。
ゆるゆるとした彼女の笑顔を思い浮かべ、俺はそっと口元を緩ませた。
Re:set#08
名無しに教えて貰った彼女の仕事先。
夜、辺りを調査してわかったこと。
住宅街は意外と薄暗く、アクマがいなくとも危険は多い。
それは繁華街であればある程、日中・夜間であるにも関わらず、だ。
『いやいや、その…アクマ?を探すのが大変なのにお迎えなんて、』
『ついでだ。気にするな』
それは昨晩行われたやり取りの一部。
言葉には出さなかったが、恐らく狙いはイノセンスだ。
つまり、
(保持しているだろう、アイツが狙われる可能性が、一番高い。)
適合者の自覚がない一般人を囮にするなんて、モヤシやリナリーがいたらさぞかし非難轟々だっただろう。
しかし皮肉なことにアクマを屠る術は今の俺にはない。
あるとすれば――
木造の建物に、生成り色の暖簾。
ガラスの向こう側はスーツや作業着を着た大人がひしめいていた。
その賑やかしい光景は教団の食堂を彷彿させる。
あまりあの空間を居心地がいいと思っていなかったが、離れてみると少し懐かしく思える。
そう感じ取れるようになったのは、数年前に色々と心の整理がついたおかげだろうか。
昔に比べたら随分丸くなったもんだ。数年前の自分が今の俺を見たら…なんて言うだろうな。
暖簾をくぐり、安っぽい引戸の入口を開ければ出汁のいい香りがふわりと鼻を擽る。
「いらっしゃいませ!」
はつらつとした、聞き覚えのある声が耳に届く。
ビールジョッキを器用に6つ持った名無しと視線が絡めば、ゆるりと彼女の表情が嬉しそうに緩んだ。
(仕事中だろ。変な顔になってるぞ)
頬をとんとんと指させば、顔が緩んでいることに気がついたのか。
きゅっと柔らかそうな頬が引き締まるのを見て、俺は思わず笑いそうになった。
「カウンターへどうぞ!」
厨房に面した長テーブルの一番端へ案内され、水を持ってきた名無しがにこにこと上機嫌でやってくる。
…そう。迎えの条件に『じゃあ晩ごはん、うちの食堂で召し上がってください!』と言われたからだ。
夕飯を用意する手間が省ける、と家主に言われれば交換条件を呑むしかなかった。
料理のひとつやふたつ覚えておくべきだったな。
「メニューをどうぞ!」
そんなに俺が客として来たことが楽しいのか、いつもより上機嫌っぷりが一割増の様子。
…まぁクソウサギのように無闇矢鱈に絡んでくる訳でもなく、リナリーのように小言を言われることもない。もちろん、モヤシのように根本的にウマが合わないわけでもない。
適度な距離感、といえばいいのか。
居心地は、正直悪くない。
「天ぷら定食。」
「はい!」
伝票にスラスラとメニューを書いて厨房に持っていく。
そこには恰幅のいい初老の女と、寡黙な職人気質らしい男店主が切り盛りしていた。
「オーイ、追加注文いいかぁ?」
「はい!ただいま!」
伝票を置いて、ぱたぱたと軽い足取りで別のテーブルへ注文を受けに行く名無し。
働き者の看板娘とは、まさにこういうことを言うのだろう。
「ほら、兄ちゃん。サービスだよ。」
カウンター越しに置かれたのは里芋と鶏肉の煮物。
先程厨房で見かけたふくよかな女が、にんまり笑って差し出してきた。
「名無しちゃんの遠い親戚だって?」
「……あぁ。」
なるほど、そういう風に説明しているのか。
確かに『見知らぬ世界から来た、見知らぬ男を拾った』とは言えないだろう。賢明な判断だ。
「そうかいそうかい。あの子にも…まともな親戚がいたなんてね」
さらりと零れた言葉に感じた、ほんの違和感。
けれどそれは名無しの声で元気よく遮られる。
「女将さーん!刺身盛り合わせ二人前追加です!」
「はいはい。ま、あの子の仕事が終わるまでまだ時間があるからね。ゆっくりしていきな」
肉付きのいい手を軽く挙げ、厨房に戻っていく女将と呼ばれた女。
名無しはといえば、厨房に戻っては料理を運び、呼び止められては注文を受ける。
それは目も回るような忙しさのはずなのに、
(…楽しそうに仕事しているなら、何よりだ。)
ガラスコップの中の氷が、からんと涼しげにひと鳴きした。
***
「女将さんに『片付けの手伝いしてくれて助かったよ。神田さんに改めてお礼いっといておくれ』って言われちゃいました」
「そうか。」
結局閉店まで客足は途絶えず、片付けをきちんとこなした名無しはようやく帰路につく。
今日の賄いは煮込みハンバーグだと、今にも鼻歌を歌い始めそうなくらい上機嫌だ。
どうやら洋食は男主人の方で、和食は女将が作るらしい。
「女将さんも店長も『閉店作業、手伝ってくれるなら毎日食べに来い』って言ってましたねー」
「まさか正面切って『顔はいいけど接客苦手そうだ』なんて言われるとは思わなかったがな」
まぁ実際その通りなのだが。
女将がそう言って、後ろの方で店長が小さく頷いていたのを見逃しはしなかった。
片付けが早く終われば、名無しは早く家路につける。
暇を持て余していた上、食事まで馳走になれば手伝わない理由は特になかった。ただそれだけだ。
「やってみれば楽しいですよ?接客。」
「お前の顔を見ればわかる。」
緩みすぎだと指摘をすれば、少し恥ずかしそうに頬を押さえる名無し。
手袋をしていない白い手は、悴んでいるのか指先がほんのり赤く染まっていた。
「…そんなに変な顔、してました?」
「かなりな。」
多少の誇張表現で返してやれば「うわぁ…それは恥ずかしいですね」と柔らかそうな頬をやわやわと揉みしだく。
…なんというか。からかい甲斐がある。
「いやぁ、だってほら。同級生が来そうな店じゃないし。家族や知り合いがバイト先に来る…なんて憧れるじゃないですか、普通っぽくて」
慌てて捲し立てるように言い訳をする彼女の言葉に感じる、僅かな違和感と小さな疑問。
「…お前、」
「なんですか?」
けれどそれを言葉にするには、俺は無関係な人間で、名無しとそれ程親しくもない。
訊ねる権利も、義務も、俺にはない。
「……いや。何でもねぇ」
少しの沈黙の後、言葉を濁せば「そうですか」と名無しは笑う。
追及もしない。深追いもしない。
一定の距離はずっと縮まらない。
これは心地いいような、少しだけもどかしいような。…ほんの、少しだけ。
「あ。神田さん、雪ですよ!今日、寒かったですもんねぇ」
ふわふわとひと欠片、ふた欠片と舞い落ちるのは白い粉雪。
子供みたいにはしゃぐ名無しが、黒曜石のような瞳を細めて無邪気に笑う。
「積もりますかねぇ」
「珍しいもんでもないだろ。雪なんて。」
「そんなことないですよ!積もったら大騒ぎ、学校も休校。交通情報は麻痺、バイト先も臨時休業ですもん!」
積もったら景色、綺麗なんだろうなぁ。
そんな呑気なことを言いながら、雪解けで濡れていく地面の上を軽い足取りで名無しは歩く。
「俺の住んでいた場所は、積雪なんて冬の間はしょっちゅうだったぞ」
最初のホームも、移転した後の教団も。
高々と聳え立つ建物に雪化粧を施した姿は、見る人間が見れば『美しい』と形容したかもしれない。
こんな雪ではしゃぐ名無しもあの積雪量を見れば呆れるだろうか。それとも子犬のようにはじゃぐのだろうか。
(見せたら、どんな反応をするんだろうな)
それは彼女を『こちらの世界』に引き込むことと同義だ。
イノセンスの回収はエクソシストの義務であり任務でもある。
いつもなら問答無用で任務遂行を優先するというのに、どうしてだろう。
――なぜか、あまり気乗りしなかった。
「…いいなぁ、見てみたいなぁ。」
どこか他人事のように、諦めているかのように。
少し寂しそうに雪を見上げる名無しの横顔から、俺はそっと視線を逸らした。
行き交う人。
目まぐるしい雑踏。
イノセンスもない。
団服もない。
ここにいるのは『神田ユウ』だけだ。
こうしてみれば普通の人間らしく見えるのだろう。
名無しと、同じような。
(普通、か)
彼女をその一言で片付けるには少し歪な気がした。
違和感と言えばいいのだろうか。
目が離せないと言えばいいのだろうか。
ひとつだけ言えるのは、彼女は悪意もなく敵意もなく、根からの『お人好し』だということ。
――そういう意味では変わった女だな。
ゆるゆるとした彼女の笑顔を思い浮かべ、俺はそっと口元を緩ませた。
Re:set#08
名無しに教えて貰った彼女の仕事先。
夜、辺りを調査してわかったこと。
住宅街は意外と薄暗く、アクマがいなくとも危険は多い。
それは繁華街であればある程、日中・夜間であるにも関わらず、だ。
『いやいや、その…アクマ?を探すのが大変なのにお迎えなんて、』
『ついでだ。気にするな』
それは昨晩行われたやり取りの一部。
言葉には出さなかったが、恐らく狙いはイノセンスだ。
つまり、
(保持しているだろう、アイツが狙われる可能性が、一番高い。)
適合者の自覚がない一般人を囮にするなんて、モヤシやリナリーがいたらさぞかし非難轟々だっただろう。
しかし皮肉なことにアクマを屠る術は今の俺にはない。
あるとすれば――
木造の建物に、生成り色の暖簾。
ガラスの向こう側はスーツや作業着を着た大人がひしめいていた。
その賑やかしい光景は教団の食堂を彷彿させる。
あまりあの空間を居心地がいいと思っていなかったが、離れてみると少し懐かしく思える。
そう感じ取れるようになったのは、数年前に色々と心の整理がついたおかげだろうか。
昔に比べたら随分丸くなったもんだ。数年前の自分が今の俺を見たら…なんて言うだろうな。
暖簾をくぐり、安っぽい引戸の入口を開ければ出汁のいい香りがふわりと鼻を擽る。
「いらっしゃいませ!」
はつらつとした、聞き覚えのある声が耳に届く。
ビールジョッキを器用に6つ持った名無しと視線が絡めば、ゆるりと彼女の表情が嬉しそうに緩んだ。
(仕事中だろ。変な顔になってるぞ)
頬をとんとんと指させば、顔が緩んでいることに気がついたのか。
きゅっと柔らかそうな頬が引き締まるのを見て、俺は思わず笑いそうになった。
「カウンターへどうぞ!」
厨房に面した長テーブルの一番端へ案内され、水を持ってきた名無しがにこにこと上機嫌でやってくる。
…そう。迎えの条件に『じゃあ晩ごはん、うちの食堂で召し上がってください!』と言われたからだ。
夕飯を用意する手間が省ける、と家主に言われれば交換条件を呑むしかなかった。
料理のひとつやふたつ覚えておくべきだったな。
「メニューをどうぞ!」
そんなに俺が客として来たことが楽しいのか、いつもより上機嫌っぷりが一割増の様子。
…まぁクソウサギのように無闇矢鱈に絡んでくる訳でもなく、リナリーのように小言を言われることもない。もちろん、モヤシのように根本的にウマが合わないわけでもない。
適度な距離感、といえばいいのか。
居心地は、正直悪くない。
「天ぷら定食。」
「はい!」
伝票にスラスラとメニューを書いて厨房に持っていく。
そこには恰幅のいい初老の女と、寡黙な職人気質らしい男店主が切り盛りしていた。
「オーイ、追加注文いいかぁ?」
「はい!ただいま!」
伝票を置いて、ぱたぱたと軽い足取りで別のテーブルへ注文を受けに行く名無し。
働き者の看板娘とは、まさにこういうことを言うのだろう。
「ほら、兄ちゃん。サービスだよ。」
カウンター越しに置かれたのは里芋と鶏肉の煮物。
先程厨房で見かけたふくよかな女が、にんまり笑って差し出してきた。
「名無しちゃんの遠い親戚だって?」
「……あぁ。」
なるほど、そういう風に説明しているのか。
確かに『見知らぬ世界から来た、見知らぬ男を拾った』とは言えないだろう。賢明な判断だ。
「そうかいそうかい。あの子にも…まともな親戚がいたなんてね」
さらりと零れた言葉に感じた、ほんの違和感。
けれどそれは名無しの声で元気よく遮られる。
「女将さーん!刺身盛り合わせ二人前追加です!」
「はいはい。ま、あの子の仕事が終わるまでまだ時間があるからね。ゆっくりしていきな」
肉付きのいい手を軽く挙げ、厨房に戻っていく女将と呼ばれた女。
名無しはといえば、厨房に戻っては料理を運び、呼び止められては注文を受ける。
それは目も回るような忙しさのはずなのに、
(…楽しそうに仕事しているなら、何よりだ。)
ガラスコップの中の氷が、からんと涼しげにひと鳴きした。
***
「女将さんに『片付けの手伝いしてくれて助かったよ。神田さんに改めてお礼いっといておくれ』って言われちゃいました」
「そうか。」
結局閉店まで客足は途絶えず、片付けをきちんとこなした名無しはようやく帰路につく。
今日の賄いは煮込みハンバーグだと、今にも鼻歌を歌い始めそうなくらい上機嫌だ。
どうやら洋食は男主人の方で、和食は女将が作るらしい。
「女将さんも店長も『閉店作業、手伝ってくれるなら毎日食べに来い』って言ってましたねー」
「まさか正面切って『顔はいいけど接客苦手そうだ』なんて言われるとは思わなかったがな」
まぁ実際その通りなのだが。
女将がそう言って、後ろの方で店長が小さく頷いていたのを見逃しはしなかった。
片付けが早く終われば、名無しは早く家路につける。
暇を持て余していた上、食事まで馳走になれば手伝わない理由は特になかった。ただそれだけだ。
「やってみれば楽しいですよ?接客。」
「お前の顔を見ればわかる。」
緩みすぎだと指摘をすれば、少し恥ずかしそうに頬を押さえる名無し。
手袋をしていない白い手は、悴んでいるのか指先がほんのり赤く染まっていた。
「…そんなに変な顔、してました?」
「かなりな。」
多少の誇張表現で返してやれば「うわぁ…それは恥ずかしいですね」と柔らかそうな頬をやわやわと揉みしだく。
…なんというか。からかい甲斐がある。
「いやぁ、だってほら。同級生が来そうな店じゃないし。家族や知り合いがバイト先に来る…なんて憧れるじゃないですか、普通っぽくて」
慌てて捲し立てるように言い訳をする彼女の言葉に感じる、僅かな違和感と小さな疑問。
「…お前、」
「なんですか?」
けれどそれを言葉にするには、俺は無関係な人間で、名無しとそれ程親しくもない。
訊ねる権利も、義務も、俺にはない。
「……いや。何でもねぇ」
少しの沈黙の後、言葉を濁せば「そうですか」と名無しは笑う。
追及もしない。深追いもしない。
一定の距離はずっと縮まらない。
これは心地いいような、少しだけもどかしいような。…ほんの、少しだけ。
「あ。神田さん、雪ですよ!今日、寒かったですもんねぇ」
ふわふわとひと欠片、ふた欠片と舞い落ちるのは白い粉雪。
子供みたいにはしゃぐ名無しが、黒曜石のような瞳を細めて無邪気に笑う。
「積もりますかねぇ」
「珍しいもんでもないだろ。雪なんて。」
「そんなことないですよ!積もったら大騒ぎ、学校も休校。交通情報は麻痺、バイト先も臨時休業ですもん!」
積もったら景色、綺麗なんだろうなぁ。
そんな呑気なことを言いながら、雪解けで濡れていく地面の上を軽い足取りで名無しは歩く。
「俺の住んでいた場所は、積雪なんて冬の間はしょっちゅうだったぞ」
最初のホームも、移転した後の教団も。
高々と聳え立つ建物に雪化粧を施した姿は、見る人間が見れば『美しい』と形容したかもしれない。
こんな雪ではしゃぐ名無しもあの積雪量を見れば呆れるだろうか。それとも子犬のようにはじゃぐのだろうか。
(見せたら、どんな反応をするんだろうな)
それは彼女を『こちらの世界』に引き込むことと同義だ。
イノセンスの回収はエクソシストの義務であり任務でもある。
いつもなら問答無用で任務遂行を優先するというのに、どうしてだろう。
――なぜか、あまり気乗りしなかった。
「…いいなぁ、見てみたいなぁ。」
どこか他人事のように、諦めているかのように。
少し寂しそうに雪を見上げる名無しの横顔から、俺はそっと視線を逸らした。