愛車のRX-7のメンテナンスをするため、行きつけの整備工場へ持って行った。

そこには、僕の協力者がいる。
ダブルミーニングの意味で・だが。

「名無しさん、いますか？」

工場の中をひょこりと覗くと、オイルまみれになってエンジンを弄っている彼女がいた。
オーバーホールでもするのだろうか、丁寧に分解されたパーツはクロスの上に理路整然と並べられている。

「こんにちは、安室さん。今日はどちらの方で？」
「コイツのメンテナンスの方かな」

白いRX-7をぽんとひと撫ですると、彼女は嬉しそうに目元をとろりと蕩かせた。



彼女と機械



「安室さん、無茶な乗り方しましたね？」

にこり、と。圧がなければそれはとても綺麗な笑顔で彼女は言った。

工場の中にある安っぽいプラスチックのベンチに座って、僕は缶コーヒーを飲んでいた。
やはりバレたか・と内心呟き、曖昧な返事を返す。

「まぁ、少し」
「ブレーキパッドだけ見ても摩耗が凄いですよ。また無茶なカーチェイスでもしたんでしょう」
「はは…」

流石、よく見ている。
まぁポアロの仕事は休みだ。
メンテナンスしている間は、唯一僕が気を抜くことが出来る、ささやかな時間だった。
風見からの連絡も今のところ大人しい。公安としての動きも今は形を潜めている。

組織が壊滅した今も、毛利探偵事務所に向けられるかもしれない組織の残党を警戒して、まだ僕はポアロに務めていた。
それも以前よりはシフトが減ってはいるのだけど。
おかげでほんの少しだけ肩の荷が降りた…気がする。
トリプルフェイスがダブルフェイスになっただけだが、やはり一番気が重かった潜入捜査が一段落ついたのは喜ばしいことだった。

公安での仕事は相変わらずだが、少なくとも安室透としての僕は私立探偵であり、一般人に程近く溶け込める。
仕事なのは分かっているが、それでもほんの少しだけ息抜きになっているのは事実だった。

まぁ、目の前の彼女はその三つの顔を全て知っているのだが。


「あ。」


プラスチックベンチの上に放り投げられていた名無しのスマホがコール音を奏でる。
恐らく、電話だろう。

つけていた作業用の手袋を取り外し、彼女が画面を覗き見ると少しだけ困ったように眉を寄せた。

「どうかしたのか？」
「…や。いえ、ちょっと失礼します。」

スマホを取り、耳に押し当てると……この僅かに漏れる音は…国際電話？


「もしもし。……えぇっと、後でかけ直しても大丈夫ですか？」

一瞬だけチラリと僕の顔を見る彼女。
…嫌な予感がする。


『降谷くんかい？』
「赤井か。」


彼女の電話の向こうの声と僕の声は、ほぼ同時だっただろう。
少しだけ耳を離して名無しはスマホと僕を見比べて小さく苦笑いをこぼした。

「えーっと、えーっと…後でかけ直します！」

プツリと電話を切ってスマホを作業着のポケットにしまい込む。
やっぱり赤井か。

「まだFBIなんかと仕事してるのかい？」
「そうおっしゃらずに。公安と同じくらいの大口顧客ですよ？」

蟠りは多少はなくなったとはいえ、やっぱり赤井は苦手だった。
僕の凪いだ心に波を立てられる人物は、今は約二人。
かつての宿敵だった赤井と、目の前の彼女だ。
赤井に対しては相変わらずどうしても苛々が先行してしまうが、名無しは別物だ。
凪いだ海を僅かに揺らすような、穏やかな漣。
揺りかごのように柔らかく、あたたかな。

「今夜は徹夜かなぁ…」

ぽそりと呟く彼女。

そうこう会話している間にも僕の愛車は着々とメンテナンスを終えていく。
古いエンジンオイルは新しく入れ替わり、冷却系統も丁寧に点検される。

あぁ。メンテナンスが終わってしまう。

「夕飯でも作りに行こうか。」
「作ってくれるんですか！？」

ぱあっと表情が明るくなった彼女を見て僕は思わず苦笑した。
色気より食い気。食い気より機械が好き。それが苗字名無しという女の子だ。

「何が食べたい？」
「お魚がいいです、お魚！」

きゃっきゃとはしゃぐ名無しを見て、こういうところは歳相応なんだよなぁ、とぼんやり思った。

そんな僕と彼女の、日常の一幕。