茜色ノ小鬼//人に焦がれた鬼
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
手を伸ばしても届かない。
どう足掻いても人にはなれない。
今日は、何人粛清したのだろう。
身体の傷は癒えても、流した血はすぐには戻らなかった。
ふらふらとした足取りで、あばら家の壁にもたれ掛かり、空を見上げた。
血のように、真っ赤に染まった空。
その中を悠々と翼を広げて巣へ帰る烏の影が目に染みた。
八咫烏は、無様にもここで羽を休めているというのに滑稽な話だ。
人に焦がれる私。
人になりたい、同じになりたい。
そう願っているのに無情にも握った刃は人を斬り捨てる。
彼らから流れる血は赤い。
私の体に流れる血も赤い。
同じ赤なのにどうしてこうも違うのか。
私の赤は酷く冷たく、どす黒く見えた。
さみしい。
数百年前に捨て去った感情が、じわりと胸の中を蝕む。
あぁ、誰にも理解されないのなら、いっそこの星の生き物を全て根絶やしに出来たらいいのに。
「大丈夫ですか?」
あばら家から顔を出したのは、ひとりの女。
艶やかな黒髪に、黒い瞳。
それは烏と同じ黒なのに、彼女の黒は酷く鮮やかな色に見えた。
茜色ノ小鬼//人に焦がれた鬼#壱
最初は、誰でも良かった。
「なんだ、お腹が空いていただけですか。お坊様も大変ですねぇ」
呑気に笑いながら彼女は囲炉裏で炊いたけんちん汁を器によそう。
あばら家の見た目に反して、中はそれなりに綺麗に整われていた。
天井から吊るされて干された薬草や、床に散乱した本。
薬を調合するための乳鉢と乳棒が転がっているのを見た限り、どうやら薬師のようだった。
豆腐や大根が入った汁は、口に含めば優しい味がした。
普段、義務的に流し込む食事とは驚く程に味が違う。同じ汁物とは思えなかった。
にこにこと笑顔を浮かべている女。
一目見て人畜無害な人間なのは分かった。殺気も悪意も感じられない。
「…こんな髪の長い坊主はいませんよ」
「あ。それもそうですね。じゃあ修験の方ですか?」
別に山篭りをしているわけでもない。
そう否定しようかと思ったが、暗殺稼業です、と説明するのも何だか億劫で適当に頷いた。
「お名前をおうかがいしてもよろしいですか?」
「私に、名前などありません。」
「そうなんですか」
さほど驚くわけでもなく、彼女は自分の分の器にけんちん汁を入れながら笑った。
「実は、私もなんです」
彼女が少し寂しそうに見えたのは、気のせいだろうか。
それが、私が初めて触れた『焦がれた人』そのものだった。
***
先生と呼ばれる彼女は、どうやら流れの医者だった。
殆ど金を取らずに行っている治療や薬は、農村ばかりのこんな山奥では大変重宝された。
金もあまりないようで、受け取る報酬はせいぜい農産物くらいなものだ。
「お金、ですか?いやぁ、食べる分の野菜とか頂いてますから特に困りませんね」
のほほんと呑気に笑いながら彼女はそう言った。
天導衆は、金と欲にまみれた人間ばかりだ。
私が仕事で葬ってきた人間達も、恐らく善良な者もいただろうが半分ほどは金と欲と女に溺れた人間ばかりだった。
私が永遠とも錯覚するような永い時の中で、初めて接したタイプの女だ。
正直、かなり戸惑った。
私の知っている人間像とは酷くかけ離れた存在だったからだ。
「あなたみたいな人間もいるんですね」
「ごまんといますよ。まぁ私はただの根無し草ですから、珍しいかもしれませんが」
ということは、暫くしたら彼女はここを去ってしまうのか。
そう思うと少しだけ、胸の奥がじくりと傷んだ。
「…暫くはここにいますから。そんな顔しないでください」
「別に、私は何も、」
「そうなんですか?なんだか、寂しそうな顔をされていたので」
勘違いだったらすみません。
そう言いながら困ったように笑う彼女。
読心術でも持っているのだろうか、彼女は。
初めて、胸の内を見られた。
「あぁ、でも手っ取り早くお金を作る方法ならありますよ。」
「…なんですか?」
「狩りですよ、狩り。村を荒らす猪や熊を、こう。」
キュッ、と。
「随分手荒な金の作り方ですね。まるで殺人鬼のようだ」
「違いますよぅ。そんな物騒なものと一緒にしないでください。
…ちゃんと毛皮も使いますし、鹿の角とかは薬にもなります。肉は村の人に分けて、骨や脂は生活に使う。
その気高き山神の魂は、きちんと供養するんです。
貴方の命は私の中で生き続けます。糧になってくれて、ありがとうございます、って。」
雷に、打たれたようだった。
無益な殺戮を長年繰り返してきた『私達』には思いつかなかった考えだ。
糧になるなど、考えたこともない。
他人の命も、自分の命も、ただの路傍の石を蹴り砕くような感覚だった。
重みも何も無い、言われたらただ殺すだけ。
怒りのままに、命令のままに。
「変な人ですね」
「いやぁ、よく言われます。祖父がね、マタギだったんです。仕留め方も捌き方も教えてもらいまして」
あっけらかんと笑う彼女に、そうじゃなくて、と否定するタイミングを見失ってしまった。
けれど不快感は不思議とない。
彼女が笑うだけで、心が満たされた。
それはきっと、初めて私に温かい手を差し伸べてくれたから。
たったそれだけなのに、黒く塗り潰された『私達』の心に、一筋の光が差し込んだような気がした。
どう足掻いても人にはなれない。
今日は、何人粛清したのだろう。
身体の傷は癒えても、流した血はすぐには戻らなかった。
ふらふらとした足取りで、あばら家の壁にもたれ掛かり、空を見上げた。
血のように、真っ赤に染まった空。
その中を悠々と翼を広げて巣へ帰る烏の影が目に染みた。
八咫烏は、無様にもここで羽を休めているというのに滑稽な話だ。
人に焦がれる私。
人になりたい、同じになりたい。
そう願っているのに無情にも握った刃は人を斬り捨てる。
彼らから流れる血は赤い。
私の体に流れる血も赤い。
同じ赤なのにどうしてこうも違うのか。
私の赤は酷く冷たく、どす黒く見えた。
さみしい。
数百年前に捨て去った感情が、じわりと胸の中を蝕む。
あぁ、誰にも理解されないのなら、いっそこの星の生き物を全て根絶やしに出来たらいいのに。
「大丈夫ですか?」
あばら家から顔を出したのは、ひとりの女。
艶やかな黒髪に、黒い瞳。
それは烏と同じ黒なのに、彼女の黒は酷く鮮やかな色に見えた。
茜色ノ小鬼//人に焦がれた鬼#壱
最初は、誰でも良かった。
「なんだ、お腹が空いていただけですか。お坊様も大変ですねぇ」
呑気に笑いながら彼女は囲炉裏で炊いたけんちん汁を器によそう。
あばら家の見た目に反して、中はそれなりに綺麗に整われていた。
天井から吊るされて干された薬草や、床に散乱した本。
薬を調合するための乳鉢と乳棒が転がっているのを見た限り、どうやら薬師のようだった。
豆腐や大根が入った汁は、口に含めば優しい味がした。
普段、義務的に流し込む食事とは驚く程に味が違う。同じ汁物とは思えなかった。
にこにこと笑顔を浮かべている女。
一目見て人畜無害な人間なのは分かった。殺気も悪意も感じられない。
「…こんな髪の長い坊主はいませんよ」
「あ。それもそうですね。じゃあ修験の方ですか?」
別に山篭りをしているわけでもない。
そう否定しようかと思ったが、暗殺稼業です、と説明するのも何だか億劫で適当に頷いた。
「お名前をおうかがいしてもよろしいですか?」
「私に、名前などありません。」
「そうなんですか」
さほど驚くわけでもなく、彼女は自分の分の器にけんちん汁を入れながら笑った。
「実は、私もなんです」
彼女が少し寂しそうに見えたのは、気のせいだろうか。
それが、私が初めて触れた『焦がれた人』そのものだった。
***
先生と呼ばれる彼女は、どうやら流れの医者だった。
殆ど金を取らずに行っている治療や薬は、農村ばかりのこんな山奥では大変重宝された。
金もあまりないようで、受け取る報酬はせいぜい農産物くらいなものだ。
「お金、ですか?いやぁ、食べる分の野菜とか頂いてますから特に困りませんね」
のほほんと呑気に笑いながら彼女はそう言った。
天導衆は、金と欲にまみれた人間ばかりだ。
私が仕事で葬ってきた人間達も、恐らく善良な者もいただろうが半分ほどは金と欲と女に溺れた人間ばかりだった。
私が永遠とも錯覚するような永い時の中で、初めて接したタイプの女だ。
正直、かなり戸惑った。
私の知っている人間像とは酷くかけ離れた存在だったからだ。
「あなたみたいな人間もいるんですね」
「ごまんといますよ。まぁ私はただの根無し草ですから、珍しいかもしれませんが」
ということは、暫くしたら彼女はここを去ってしまうのか。
そう思うと少しだけ、胸の奥がじくりと傷んだ。
「…暫くはここにいますから。そんな顔しないでください」
「別に、私は何も、」
「そうなんですか?なんだか、寂しそうな顔をされていたので」
勘違いだったらすみません。
そう言いながら困ったように笑う彼女。
読心術でも持っているのだろうか、彼女は。
初めて、胸の内を見られた。
「あぁ、でも手っ取り早くお金を作る方法ならありますよ。」
「…なんですか?」
「狩りですよ、狩り。村を荒らす猪や熊を、こう。」
キュッ、と。
「随分手荒な金の作り方ですね。まるで殺人鬼のようだ」
「違いますよぅ。そんな物騒なものと一緒にしないでください。
…ちゃんと毛皮も使いますし、鹿の角とかは薬にもなります。肉は村の人に分けて、骨や脂は生活に使う。
その気高き山神の魂は、きちんと供養するんです。
貴方の命は私の中で生き続けます。糧になってくれて、ありがとうございます、って。」
雷に、打たれたようだった。
無益な殺戮を長年繰り返してきた『私達』には思いつかなかった考えだ。
糧になるなど、考えたこともない。
他人の命も、自分の命も、ただの路傍の石を蹴り砕くような感覚だった。
重みも何も無い、言われたらただ殺すだけ。
怒りのままに、命令のままに。
「変な人ですね」
「いやぁ、よく言われます。祖父がね、マタギだったんです。仕留め方も捌き方も教えてもらいまして」
あっけらかんと笑う彼女に、そうじゃなくて、と否定するタイミングを見失ってしまった。
けれど不快感は不思議とない。
彼女が笑うだけで、心が満たされた。
それはきっと、初めて私に温かい手を差し伸べてくれたから。
たったそれだけなのに、黒く塗り潰された『私達』の心に、一筋の光が差し込んだような気がした。
1/4ページ