日常篇//壱
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「こんにちは、道信さん」
「これはこれは名無しさん。すみません、御足労頂いて」
「いえいえ、これも仕事の内ですから」
髪を刈り上げた和尚・道信が深々と頭を下げる。
その向かいに立っている女――薬箱を背負った名無しは、ニコリと笑って小さく肩を竦めた。
茜色ドロップ#月下の赤鬼(前篇)
「うん、熱もすっかり下がってますね。
お薬、よく頑張って飲んで偉いね」
おかっぱ頭の女の子の髪を撫でながら彼女は満面の笑顔で頷いた。
まだ二十歳を過ぎたばかりの若い町医者で、回診を主に行っているらしい。
噂では真選組に出入りしているらしいが、背に腹は代えられなかった。
名無しと知り合ったのは少し前のことだ。
子供達が近くの駄菓子屋に出かけている時、娘の一人が高熱で倒れてしまった。
そこにたまたま居合わせたのが、彼女だった。
『家は近くですか?案内してください。すぐに処置しますから』
それから的確な診察と看病で、大人でも中々出さないような高熱はすんなりと引いた。
夜通しの看病が終わり、治療費を渡そうとしたら彼女はなんて言ったと思う?
『いえ、先生から受け取るわけにはいきませんから』
『しかし薬代も安くないでしょう』
『いいんですよ。受け取らないのは私のエゴみたいなものですし。
その代わり、きちんと治るまで診させて下さい』
ね。
そう言って彼女は首を小さく傾けて笑った。
人格者、とは彼女のようなことを言うのだろうか。
…私とは、大違いだ。
「道信さん、お客様みたいですよ」
彼女がそう言い、襖の隙間からそっと外を見遣る。
ここに客なんか来ないはずなのに。
一人用の籠から男が一人、それと少年と少女が一人ずつ。
「少し見てきます」
「はい。いってらっしゃい」
そう言いながら彼女は診察道具を丁寧に仕舞った。
***
「何やってるの、銀時」
「名無し、お前こそ…ちょ、ええぇ…」
「あなた方…名無しさんとお知り合いで?」
印象的な赤い眼を丸くさせている名無しと、目の前の銀髪の男はどうやら知り合いのようだった。
いや、ただの知り合いにしては仲が良さそうな雰囲気だ。
「そうそう。オレの嫁さ、ムグッ!」
「ただの同居人で、幼馴染ですよ」
そう言って男の口元を押さえつけて名無しは笑った。一方、鼻元まで塞がれた男性は息苦しそうにもがいている。
「名無しさん、この人、」
「何の依頼か知らないけど、うちのお客様に何の用?」
眼鏡の少年が恐る恐る声を掛けるが、名無しはピシャリと言葉を遮った。
少年の視線の先には、私が先程取り出した鬼の面。
それに気がついた彼女はさして驚く素振りもなく「ふぅん」と鼻で返事をした後に、銀髪の男の口元を解放した。
「えっ…き、聞かないんですか?」
「何となく察しはついてたからね」
名無しの言葉に今度は私が目を見開く番だった。
いつ、どうして。
「張り詰めた雰囲気と、所持金の割には人目のつかない廃寺に住んでるし、何より手のひらがね、」
名無しが彼女自身の手のひらを指して小さく笑う。
私自身の手を見れば、重量のある金棒を握ったために出来た豆があった。
明らかに武器を握らなければ出来ない、潰れた血豆。
「…よく見ていらっしゃる。それを知っても何故子供達を診てくださったのですか」
「子供には罪はないですから。それに私の知ってる人に貴方はよく似てますし、何だか放っておけなくて」
そう言って笑った名無しの笑顔は、どこか寂しげな色を浮かべていた。
***
「で、何やってんの」
「げ。名無しさん…」
「銀ちゃんの代わりに見張りアル」
アンパンを頬張りながら神楽が答える。
今宵は満月。
煌々と夜を照らす月夜は、監視するにはもってこいだろうが。
「全く…子供がこんな時間帯にフラフラしたら危ないよ」
「でも、仕事ですから」
「そうアル。銀ちゃんはあのムサイ連中に取り調べ受けてるアルから、私達がするしかないアルヨ」
そう言えば今回は沖田個人の依頼だと言っていた気がする。大方、土方か近藤に沖田共々叱られているのだろう。
賭試合が黙認されているということは、恐らく幕府も一枚噛んでいるはず。
真選組としてはあまり深入りしたら逆にお取り潰しになる可能性も出てくる。
「なら尚更ね。こんな夜に出回っていると鬼が出るよ」
「そう、こんな風にね」
突然後ろの茂みから出てきたのは道信だ。
それに驚いた神楽は、食べかけていたアンパンを喉に詰まらせた。
「!…道信さん、アンタ…」
「このまま江戸を出るつもりです。君達がとういうつもりで私を見張っていたのかは知りませんが、見逃してほしい」
茂みの奥には馬車が繋がれていた。
木製の荷台には子供達が所狭しと乗っている。
「勝手なのは分かっています。今まで散々人を殺めてきた私が…でも、これ以上殺したくはない。
何年かかるか分からない。でも、あの子達に胸を張って…父親だと言える男になりたい」
俯いて顔を強ばらせる道信。
彼の肩にそっと手を置いて耳元で囁く。
「…江戸を出るまでついて行きます。貴方の願い、私が守ります」
名無しが顔を覗き込んでそっと笑う。
「名無しさん、煉獄関の連中が…!」
「早く行くヨロシ。名無し、オッサンは頼んだアルよ」
「…仕方ないなぁ。夜更かしは程々にね」
行きますよ。
道信の手を引いて名無しは走る。
小さく呟いた「すまない」という感謝の言葉は、きっと二人にも届いただろう。
***
不安定に揺れる馬車。
全速力で走る馬に引かれており、悪路を走っているのだから仕方がない。
「わわ!先生、何をそんなに急いでいるの?」
「先生ってば!あれ?」
急ぐ理由も知らない子供達は不規則に揺れる馬車の中で無邪気にはしゃぐ。
纏められた荷物と同時に浮く身体。気分はアトラクション感覚なのだろう。
「先生、なんで泣いてるの?」
嗚咽を漏らさずに静かに泣きながら手綱を持つ道信。
そんな彼の胸を一突きする切先。
「甘いわ。ワシらから逃げられるとでも思うたか」
低い、声。
馬車の屋根の上から降ってくる殺気は、道信の胸を貫いた槍を引き抜き森の中に消えていった。
止まらない馬車。
両側の茂みから煉獄関の刺客が湧いてくる。ざっと数は二十。
恐らく、子供達も一人残らず仕留めるつもりだろう。
「ここまで予想通りだと、なんだか嫌になるなぁ」
荷物の中にあった大きな毛布を広げ、名無しが子供達を覆い隠すように被せる。
「わ、姉ちゃん、何?先生は!?」
「大丈夫。暫くそこから出ちゃ駄目だよ。いいね」
そう言いながら名無しは懐に仕舞っていた短刀を取り出す。
手首辺りの柔らかい肉を自ら抉り、道信の心臓の近くを貫いた場所へ血を注ぐ。
「名無し、さん」
「貴方は、ここで死んじゃいけない。…目を瞑って、死んだフリをしてて下さい。」
内臓まで行き届く血の量を流せば、道信の着物が赤く染まる。
まるでそれは彼の胸から溢れる血のように見えるが、実際は名無しの鮮血だ。
みるみると傷が塞がる感覚に道信は動揺を隠せなかった。
「名無しさん、貴方は一体、」
「ほら。きちんと言うことを聞かないと、」
短刀にべったりついた血を作務衣で拭い、切先を馬車を襲おうとしている天人の群れへと向ける。
満月の光に照らされて、ギラりと刀身が鈍く光った。
「鬼が出ますよ」
そっと振り返った彼女の微笑みは、道信が今まで見た表情の中で最も美しく、最も冷酷なものだった。
***
そう。その動きはまさに鬼神。
最初は短刀一本で刀を持っていた天人を一撃で仕留める。
彼らが持っていた太刀を奪った後は、月光の下で躍るように刀が振るわれた。それは一種の舞のようでもあり、殺人鬼の儀式のようでもあった。
辺りに木霊する煉獄関からの刺客の断末魔。
静寂が支配する森の中、引き裂くような醜い声音は谺響した。
真っ赤な血の花が月に照らされて宙を彩る。
血飛沫が辺り一帯に広がる様はまさに地獄絵図だ。
恐らく子供達に毛布をかけたのは返り血を浴びさせないためと、この絵図を見せないためだろう。
最後の一人を仕留めた彼女の姿は、頭の先から足元まで、全身返り血で真っ赤に染まっていた。
その中でも一際輝く赤は、彼女の双眸だ。
冷徹に死体を見下ろす視線は、まさに鬼そのもの。
まるで、人ではないような、
「姉ちゃん…?静かになったけど…」
そろりと天蓋を外すように毛布から顔を出してくる少年。
それは幼い彼らにとって残酷な絵図だった。
馬車の騎手席で血を流しながら倒れている自分達の父親。
小刀を握りしめて死屍累々の中で立ち尽くす真っ赤に染まった女。
新月だったらまだ鮮明に見えなかったかもしれないが、生憎今日は見事な満月だ。
金色の光に照らされ、闇夜に浮かぶ血のような双眸は、まさに絵に書いたような『鬼』の姿だった。
ひたり、ひたり。
名無しが血の池を歩けば水溜りをはねるような水音が響く。
怪談なんて作り話だと思えてしまうくらい、現実離れした悍ましい光景に子供達は思わず引きつった声を上げる。
「う・あ…」
ガタガタと震えながら小さく呟く少年。
無理もない。先生と仰いだ男の死体はピクリとも動かないのに、先程まで馬車へ同乗していた女は血濡れになってこちらへヒタヒタと歩を進めている。
馬車の馬を一頭外し、その背中に道信の身体を乗せる。
そっと振り返ると怯えた子供達の視線が絡んだ。
「せ、先生を、どこに連れていくんだ!」
震えた声。
幼い声にいつかの無力な自分達を重ねて、名無しは小さく笑った。
「死体くらいはね。こっちで片付けるよ」
そっと道信の傷口を見れば、綺麗に塞がっている。ちゃんと死体のふりをしてくれているようだ。
そう、彼は一度死ななければいけない。
敵の目を欺くためには。
「よく、頑張ったね」
振り返り、そっと微笑む。
月光の下で馬を走らせれば、子供の悲痛な声が辺りに響き渡った。
「これはこれは名無しさん。すみません、御足労頂いて」
「いえいえ、これも仕事の内ですから」
髪を刈り上げた和尚・道信が深々と頭を下げる。
その向かいに立っている女――薬箱を背負った名無しは、ニコリと笑って小さく肩を竦めた。
茜色ドロップ#月下の赤鬼(前篇)
「うん、熱もすっかり下がってますね。
お薬、よく頑張って飲んで偉いね」
おかっぱ頭の女の子の髪を撫でながら彼女は満面の笑顔で頷いた。
まだ二十歳を過ぎたばかりの若い町医者で、回診を主に行っているらしい。
噂では真選組に出入りしているらしいが、背に腹は代えられなかった。
名無しと知り合ったのは少し前のことだ。
子供達が近くの駄菓子屋に出かけている時、娘の一人が高熱で倒れてしまった。
そこにたまたま居合わせたのが、彼女だった。
『家は近くですか?案内してください。すぐに処置しますから』
それから的確な診察と看病で、大人でも中々出さないような高熱はすんなりと引いた。
夜通しの看病が終わり、治療費を渡そうとしたら彼女はなんて言ったと思う?
『いえ、先生から受け取るわけにはいきませんから』
『しかし薬代も安くないでしょう』
『いいんですよ。受け取らないのは私のエゴみたいなものですし。
その代わり、きちんと治るまで診させて下さい』
ね。
そう言って彼女は首を小さく傾けて笑った。
人格者、とは彼女のようなことを言うのだろうか。
…私とは、大違いだ。
「道信さん、お客様みたいですよ」
彼女がそう言い、襖の隙間からそっと外を見遣る。
ここに客なんか来ないはずなのに。
一人用の籠から男が一人、それと少年と少女が一人ずつ。
「少し見てきます」
「はい。いってらっしゃい」
そう言いながら彼女は診察道具を丁寧に仕舞った。
***
「何やってるの、銀時」
「名無し、お前こそ…ちょ、ええぇ…」
「あなた方…名無しさんとお知り合いで?」
印象的な赤い眼を丸くさせている名無しと、目の前の銀髪の男はどうやら知り合いのようだった。
いや、ただの知り合いにしては仲が良さそうな雰囲気だ。
「そうそう。オレの嫁さ、ムグッ!」
「ただの同居人で、幼馴染ですよ」
そう言って男の口元を押さえつけて名無しは笑った。一方、鼻元まで塞がれた男性は息苦しそうにもがいている。
「名無しさん、この人、」
「何の依頼か知らないけど、うちのお客様に何の用?」
眼鏡の少年が恐る恐る声を掛けるが、名無しはピシャリと言葉を遮った。
少年の視線の先には、私が先程取り出した鬼の面。
それに気がついた彼女はさして驚く素振りもなく「ふぅん」と鼻で返事をした後に、銀髪の男の口元を解放した。
「えっ…き、聞かないんですか?」
「何となく察しはついてたからね」
名無しの言葉に今度は私が目を見開く番だった。
いつ、どうして。
「張り詰めた雰囲気と、所持金の割には人目のつかない廃寺に住んでるし、何より手のひらがね、」
名無しが彼女自身の手のひらを指して小さく笑う。
私自身の手を見れば、重量のある金棒を握ったために出来た豆があった。
明らかに武器を握らなければ出来ない、潰れた血豆。
「…よく見ていらっしゃる。それを知っても何故子供達を診てくださったのですか」
「子供には罪はないですから。それに私の知ってる人に貴方はよく似てますし、何だか放っておけなくて」
そう言って笑った名無しの笑顔は、どこか寂しげな色を浮かべていた。
***
「で、何やってんの」
「げ。名無しさん…」
「銀ちゃんの代わりに見張りアル」
アンパンを頬張りながら神楽が答える。
今宵は満月。
煌々と夜を照らす月夜は、監視するにはもってこいだろうが。
「全く…子供がこんな時間帯にフラフラしたら危ないよ」
「でも、仕事ですから」
「そうアル。銀ちゃんはあのムサイ連中に取り調べ受けてるアルから、私達がするしかないアルヨ」
そう言えば今回は沖田個人の依頼だと言っていた気がする。大方、土方か近藤に沖田共々叱られているのだろう。
賭試合が黙認されているということは、恐らく幕府も一枚噛んでいるはず。
真選組としてはあまり深入りしたら逆にお取り潰しになる可能性も出てくる。
「なら尚更ね。こんな夜に出回っていると鬼が出るよ」
「そう、こんな風にね」
突然後ろの茂みから出てきたのは道信だ。
それに驚いた神楽は、食べかけていたアンパンを喉に詰まらせた。
「!…道信さん、アンタ…」
「このまま江戸を出るつもりです。君達がとういうつもりで私を見張っていたのかは知りませんが、見逃してほしい」
茂みの奥には馬車が繋がれていた。
木製の荷台には子供達が所狭しと乗っている。
「勝手なのは分かっています。今まで散々人を殺めてきた私が…でも、これ以上殺したくはない。
何年かかるか分からない。でも、あの子達に胸を張って…父親だと言える男になりたい」
俯いて顔を強ばらせる道信。
彼の肩にそっと手を置いて耳元で囁く。
「…江戸を出るまでついて行きます。貴方の願い、私が守ります」
名無しが顔を覗き込んでそっと笑う。
「名無しさん、煉獄関の連中が…!」
「早く行くヨロシ。名無し、オッサンは頼んだアルよ」
「…仕方ないなぁ。夜更かしは程々にね」
行きますよ。
道信の手を引いて名無しは走る。
小さく呟いた「すまない」という感謝の言葉は、きっと二人にも届いただろう。
***
不安定に揺れる馬車。
全速力で走る馬に引かれており、悪路を走っているのだから仕方がない。
「わわ!先生、何をそんなに急いでいるの?」
「先生ってば!あれ?」
急ぐ理由も知らない子供達は不規則に揺れる馬車の中で無邪気にはしゃぐ。
纏められた荷物と同時に浮く身体。気分はアトラクション感覚なのだろう。
「先生、なんで泣いてるの?」
嗚咽を漏らさずに静かに泣きながら手綱を持つ道信。
そんな彼の胸を一突きする切先。
「甘いわ。ワシらから逃げられるとでも思うたか」
低い、声。
馬車の屋根の上から降ってくる殺気は、道信の胸を貫いた槍を引き抜き森の中に消えていった。
止まらない馬車。
両側の茂みから煉獄関の刺客が湧いてくる。ざっと数は二十。
恐らく、子供達も一人残らず仕留めるつもりだろう。
「ここまで予想通りだと、なんだか嫌になるなぁ」
荷物の中にあった大きな毛布を広げ、名無しが子供達を覆い隠すように被せる。
「わ、姉ちゃん、何?先生は!?」
「大丈夫。暫くそこから出ちゃ駄目だよ。いいね」
そう言いながら名無しは懐に仕舞っていた短刀を取り出す。
手首辺りの柔らかい肉を自ら抉り、道信の心臓の近くを貫いた場所へ血を注ぐ。
「名無し、さん」
「貴方は、ここで死んじゃいけない。…目を瞑って、死んだフリをしてて下さい。」
内臓まで行き届く血の量を流せば、道信の着物が赤く染まる。
まるでそれは彼の胸から溢れる血のように見えるが、実際は名無しの鮮血だ。
みるみると傷が塞がる感覚に道信は動揺を隠せなかった。
「名無しさん、貴方は一体、」
「ほら。きちんと言うことを聞かないと、」
短刀にべったりついた血を作務衣で拭い、切先を馬車を襲おうとしている天人の群れへと向ける。
満月の光に照らされて、ギラりと刀身が鈍く光った。
「鬼が出ますよ」
そっと振り返った彼女の微笑みは、道信が今まで見た表情の中で最も美しく、最も冷酷なものだった。
***
そう。その動きはまさに鬼神。
最初は短刀一本で刀を持っていた天人を一撃で仕留める。
彼らが持っていた太刀を奪った後は、月光の下で躍るように刀が振るわれた。それは一種の舞のようでもあり、殺人鬼の儀式のようでもあった。
辺りに木霊する煉獄関からの刺客の断末魔。
静寂が支配する森の中、引き裂くような醜い声音は谺響した。
真っ赤な血の花が月に照らされて宙を彩る。
血飛沫が辺り一帯に広がる様はまさに地獄絵図だ。
恐らく子供達に毛布をかけたのは返り血を浴びさせないためと、この絵図を見せないためだろう。
最後の一人を仕留めた彼女の姿は、頭の先から足元まで、全身返り血で真っ赤に染まっていた。
その中でも一際輝く赤は、彼女の双眸だ。
冷徹に死体を見下ろす視線は、まさに鬼そのもの。
まるで、人ではないような、
「姉ちゃん…?静かになったけど…」
そろりと天蓋を外すように毛布から顔を出してくる少年。
それは幼い彼らにとって残酷な絵図だった。
馬車の騎手席で血を流しながら倒れている自分達の父親。
小刀を握りしめて死屍累々の中で立ち尽くす真っ赤に染まった女。
新月だったらまだ鮮明に見えなかったかもしれないが、生憎今日は見事な満月だ。
金色の光に照らされ、闇夜に浮かぶ血のような双眸は、まさに絵に書いたような『鬼』の姿だった。
ひたり、ひたり。
名無しが血の池を歩けば水溜りをはねるような水音が響く。
怪談なんて作り話だと思えてしまうくらい、現実離れした悍ましい光景に子供達は思わず引きつった声を上げる。
「う・あ…」
ガタガタと震えながら小さく呟く少年。
無理もない。先生と仰いだ男の死体はピクリとも動かないのに、先程まで馬車へ同乗していた女は血濡れになってこちらへヒタヒタと歩を進めている。
馬車の馬を一頭外し、その背中に道信の身体を乗せる。
そっと振り返ると怯えた子供達の視線が絡んだ。
「せ、先生を、どこに連れていくんだ!」
震えた声。
幼い声にいつかの無力な自分達を重ねて、名無しは小さく笑った。
「死体くらいはね。こっちで片付けるよ」
そっと道信の傷口を見れば、綺麗に塞がっている。ちゃんと死体のふりをしてくれているようだ。
そう、彼は一度死ななければいけない。
敵の目を欺くためには。
「よく、頑張ったね」
振り返り、そっと微笑む。
月光の下で馬を走らせれば、子供の悲痛な声が辺りに響き渡った。