茜色ドロップ//再会篇
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それはまだ、俺が万事屋を開いたばかりの時の話。
茜色ドロップ//再会篇#01
「何が労災がおりる、だ。先に金を渡してくれよな…」
ブツブツと文句を言いながらその男は病院へ向かっていた。
渡されたメモは『ここで受診してくれ』と書かれている。
一階の家主経由の依頼だったのだが、まさか身辺護衛の危ない仕事だとは思っていなかった。
護衛対象を庇ったが故に、恐らく腕にヒビが入った。
おかげで依頼料が珍しくたんまり入ったというのに、初日から病院通いだ。
「すんまっせーーん、ババアから言われて来た坂田ですけどォー」
客足が驚く程に全くない。
静まり返った薄暗い個人病院の中は、少し気味が悪かった。
外の立て札をよくよく見てみれば、診察時間外だ。午後からどうやら休みらしい。
出直すか、と踵を返した時だった。
「すみません、ちょっと待っててください!」
明るい声が奥から聞こえてきた。
女の、声だ。
お登勢からは『老いぼれジジイがやっている病院』だと聞いていたのに、ナースの予感に胸が踊った。
「お待たせしました!すみません、ドクターが今日老人会でいなくて…」
バタバタと慌ただしく出てきたのは、ナースではなかった。
紺色の作務衣の上からふわりと羽織った白衣。
適当に結い上げた黒髪。
何より目を引いたのは、茜色の鮮やかな瞳。
失意の果てに戻ったあの場所には、彼女が持っていた短刀と夥しい血痕だけが残っていた。
死んだと、思っていた。
見間違いじゃない、何度夢に出てきたことか。
「…名無し?」
「?、はい。えぇっと、坂田さん…でよろしかったでしょうか?」
まるで初対面かのように笑う彼女は、昔見た無邪気な笑顔のままだった。
***
「えぇっと、つまり記憶喪失?」
「みたいなんですよね。名前は辛うじて覚えていたんですけど、それより前の出来事がサッパリで」
適当に応急処置した添え木を外し、手際よくレントゲンを撮り処置をしていく名無し。
記憶がなくても身体が憶えているのだろうか。
使っている道具は昔と違えども手際の良さは相変わらずだった。
俺の治療のはずなのに、気がつけば彼女の事を訊いてしまっていた。
「気がついたら海沿いの村で助けて頂いてまして。色々あって、ドクターの所でお世話になっているんですよ」
「ふーん…」
にこにこと笑う名無し。
彼女のこんな笑顔は久しぶりに見たかもしれない。
「あの、坂田さんは私のお知り合い…なんですよね?知っていることがあったら教えて頂きたいんですけど…」
遠慮がちに訊いてくる彼女の言葉で、ドキリと胸が鳴った。
教えるべきなのか。
攘夷戦争のこと。血のこと。師のこと。
全て、すべて。
「悪ィな、何回か会っただけだからあまり知らねェんだ」
「そうだったんですか。じゃあ仕方ないですね」
教えられる程、度胸がなかった。
思い出さない方が幸せなことだってある。
特に両手じゃ数え切れないほどの仲間が事切れる瞬間を、何度も何度も繰り返し見てきた彼女は特に。
そして何より、師のことを言い出す勇気がなかった。
あれで良かった、仕方がなかった。
そう言い聞かせても、あの時の自分の慟哭が未だに止まない。
それはきっと、自分よりも付き合いが長かった名無しに打ち明けることが出来ていないから。
けれどそれを告げて自分の荷を下ろしたところで、次にこの辛さを背負うのは彼女だ。
何より、それを告げて、記憶が戻って、名無しになんて言われるのかが一番怖かった。
臆病なのだ、俺は。
「…はい、終わりましたよ。安静にしていれば一ヶ月くらいで治ると思いますので、また来週にいらして下さい」
お大事になさって下さい。
屈託ない笑顔が俺には眩しすぎて、目が眩みそうだった。
***
「オイ、ババア。あの病院ジジイじゃなかったじゃねーか」
スナックお登勢の暖簾を潜り、開口一番カウンターで仕込みをしている家主に文句を言った。
初老の女は眉を顰めてタバコに一本火をつける。
「なんだい、ババアでも出てきたのかい?」
「……若い、女。」
「よかったじゃないか。」
そう。よかった。
彼女が生きていると知ったのは、何物にも代えられない喜びだった。
それと同時に後悔と、ほんの少しの恐怖が生まれる。
彼女の記憶を取り戻す手伝いをしないということは、俺だけが彼女を知っているということ。
昔のように鈴の鳴るような声で名前を呼ばれることは、もう二度とないだろう。
生きていると知ってしまった。
死んでいると思っていたから諦めきれない気持ちを無理矢理押さえつけて、見て見ぬふりをしていた。
それがどうだ。
もう一度彼女に触れることが出来るチャンスを、みすみす手放したのだ。
「…別に。ただ、昔の知り合いだっただけだよ」
お登勢の言葉に耳を傾けることもなく、手入れの行き届いたカウンターに頬をつけた。
これでよかったんだ。
そう自分に言い聞かせて、銀時はそっと瞼を閉じた。
茜色ドロップ//再会篇#01
「何が労災がおりる、だ。先に金を渡してくれよな…」
ブツブツと文句を言いながらその男は病院へ向かっていた。
渡されたメモは『ここで受診してくれ』と書かれている。
一階の家主経由の依頼だったのだが、まさか身辺護衛の危ない仕事だとは思っていなかった。
護衛対象を庇ったが故に、恐らく腕にヒビが入った。
おかげで依頼料が珍しくたんまり入ったというのに、初日から病院通いだ。
「すんまっせーーん、ババアから言われて来た坂田ですけどォー」
客足が驚く程に全くない。
静まり返った薄暗い個人病院の中は、少し気味が悪かった。
外の立て札をよくよく見てみれば、診察時間外だ。午後からどうやら休みらしい。
出直すか、と踵を返した時だった。
「すみません、ちょっと待っててください!」
明るい声が奥から聞こえてきた。
女の、声だ。
お登勢からは『老いぼれジジイがやっている病院』だと聞いていたのに、ナースの予感に胸が踊った。
「お待たせしました!すみません、ドクターが今日老人会でいなくて…」
バタバタと慌ただしく出てきたのは、ナースではなかった。
紺色の作務衣の上からふわりと羽織った白衣。
適当に結い上げた黒髪。
何より目を引いたのは、茜色の鮮やかな瞳。
失意の果てに戻ったあの場所には、彼女が持っていた短刀と夥しい血痕だけが残っていた。
死んだと、思っていた。
見間違いじゃない、何度夢に出てきたことか。
「…名無し?」
「?、はい。えぇっと、坂田さん…でよろしかったでしょうか?」
まるで初対面かのように笑う彼女は、昔見た無邪気な笑顔のままだった。
***
「えぇっと、つまり記憶喪失?」
「みたいなんですよね。名前は辛うじて覚えていたんですけど、それより前の出来事がサッパリで」
適当に応急処置した添え木を外し、手際よくレントゲンを撮り処置をしていく名無し。
記憶がなくても身体が憶えているのだろうか。
使っている道具は昔と違えども手際の良さは相変わらずだった。
俺の治療のはずなのに、気がつけば彼女の事を訊いてしまっていた。
「気がついたら海沿いの村で助けて頂いてまして。色々あって、ドクターの所でお世話になっているんですよ」
「ふーん…」
にこにこと笑う名無し。
彼女のこんな笑顔は久しぶりに見たかもしれない。
「あの、坂田さんは私のお知り合い…なんですよね?知っていることがあったら教えて頂きたいんですけど…」
遠慮がちに訊いてくる彼女の言葉で、ドキリと胸が鳴った。
教えるべきなのか。
攘夷戦争のこと。血のこと。師のこと。
全て、すべて。
「悪ィな、何回か会っただけだからあまり知らねェんだ」
「そうだったんですか。じゃあ仕方ないですね」
教えられる程、度胸がなかった。
思い出さない方が幸せなことだってある。
特に両手じゃ数え切れないほどの仲間が事切れる瞬間を、何度も何度も繰り返し見てきた彼女は特に。
そして何より、師のことを言い出す勇気がなかった。
あれで良かった、仕方がなかった。
そう言い聞かせても、あの時の自分の慟哭が未だに止まない。
それはきっと、自分よりも付き合いが長かった名無しに打ち明けることが出来ていないから。
けれどそれを告げて自分の荷を下ろしたところで、次にこの辛さを背負うのは彼女だ。
何より、それを告げて、記憶が戻って、名無しになんて言われるのかが一番怖かった。
臆病なのだ、俺は。
「…はい、終わりましたよ。安静にしていれば一ヶ月くらいで治ると思いますので、また来週にいらして下さい」
お大事になさって下さい。
屈託ない笑顔が俺には眩しすぎて、目が眩みそうだった。
***
「オイ、ババア。あの病院ジジイじゃなかったじゃねーか」
スナックお登勢の暖簾を潜り、開口一番カウンターで仕込みをしている家主に文句を言った。
初老の女は眉を顰めてタバコに一本火をつける。
「なんだい、ババアでも出てきたのかい?」
「……若い、女。」
「よかったじゃないか。」
そう。よかった。
彼女が生きていると知ったのは、何物にも代えられない喜びだった。
それと同時に後悔と、ほんの少しの恐怖が生まれる。
彼女の記憶を取り戻す手伝いをしないということは、俺だけが彼女を知っているということ。
昔のように鈴の鳴るような声で名前を呼ばれることは、もう二度とないだろう。
生きていると知ってしまった。
死んでいると思っていたから諦めきれない気持ちを無理矢理押さえつけて、見て見ぬふりをしていた。
それがどうだ。
もう一度彼女に触れることが出来るチャンスを、みすみす手放したのだ。
「…別に。ただ、昔の知り合いだっただけだよ」
お登勢の言葉に耳を傾けることもなく、手入れの行き届いたカウンターに頬をつけた。
これでよかったんだ。
そう自分に言い聞かせて、銀時はそっと瞼を閉じた。
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