茜色ノ子鬼
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江戸。
すべての終の場所でもあり、全ての始まりの地。
桂と高杉が捕縛され、銀時がいなくなったのは五日目のことだった。
『お前はここに残っておけ』
走り書きで書いた、メモを残して。
茜色ノ小鬼#16
「…馬鹿。」
書き残されたメモを薬箱の空いている引き出しにしまい込む。
あれから二日。まだ銀時達は帰って来ていない。
「桂さん達、大丈夫でしょうか」
「大丈夫。…きっと帰ってきますよ」
言葉にしても漠然とした不安は拭えない。
こんな時、坂本がいてくれたら違ったのだろうか。
いや彼は剣はもう握れない。それに空へ夢見て宇宙へ旅立ったのだ、それを止める道理は誰にもなかった。
(他人に、縋るな。こんな時、私がしっかりしなくちゃ)
ゆっくり深呼吸を繰り返して板間から立ち上がる。拾った無名の刀と愛用の短刀を握りしめて。
「辺りを偵察してきます。ここはお願いしますね」
「はい」
草が方々に生え、人がいなくなった海沿いに聳え立つ武家屋敷。
拠点となっているその建物を出て少し離れたところで、名無しは海の見える崖でしゃがみ込んだ。
足元から瓦解していく気配が聞こえる。
ねぇ、どこにいるの。
お願いだから置いていかないで。
さっきから嫌な胸騒ぎがして落ち着かないんだ。
ひとりは、いやだ。
「名無し。」
名前を呼ばれ、ゆるゆると顔を上げれば一人の男の姿。
「…そんな気はしていたの。灰色の髪、袈裟を着た人なんて、私は一人しか知らない」
振り返って向き合えば、随分とお互いに変わってしまった姿。
穏やかに細められていた目元は、今や深淵を覗きこんだような黒々とした濁った瞳になっていた。
血色の悪い顔は相変わらずだが、それでも纏う雰囲気は昔とは別人のようだった。
「どうして先生を捕縛したの、兄さん。」
何年ぶりだろう、兄と呼ぶのは。
酷く久しぶりのはずなのに不思議としっくりきた。
「それに…どうしたの、その格好。
――まるで、昔の先生みたいじゃない」
その袈裟はよく知っている。
烏の面をつけた『あの人』が着ていたもの。
その錫杖は知っている。
烏の面をつけた『あの人』が振るっていたもの。
目の前の『兄』をあの場所から抜けさせるために、自由を求めた松陽。
それなのに、どうして。
「お前の兄は死んだ。今目の前にいるのは、」
冷徹な視線が突き刺さる。
錫杖の仕込み刀を抜き、鋒を向けた。
「天照院奈落の首領、朧だ」
名乗ると同時に響く剣戟。
咄嗟に抜いた短刀で受け止めたが、
(重い、)
鞘に納めたままの打刀で薙げば、それは朧に当たることはなく空を斬った。
「銀時達をどこにやったの!」
短刀を仕舞い抜き身の打刀を向ければ、曇天の雲が刀身に映り消炭色に鈍く光る。
切先が僅かに震えるのは怒り故か、慣れ親しんだはずの兄に刃を向ける恐怖なのかは、名無しにすら分からなかった。
「なんのことだ」
「桂や高杉が捕縛された時に居合わせた兵が貴方の姿を見たって言ってたのよ、答えて!」
珍しく荒らげた名無しの声が叫ぶ。
切り立った崖に打ち付ける荒波の残響が、虚しく響いた。
「仲間か、師の首か選ばせてやっただけだ」
波の音に掻き消されるかのような、静かな朧の声。
それでもしっかりと彼女の耳には届いた。
「吉田松陽を殺したのは白夜叉だ」
思わず、息を呑んだ。
大きく見開いた緋色の瞳は一瞬でそっと伏せられる。口元に、僅かな笑みを浮かべて。
「…そう。銀時らしい選択ね」
交わした約束は守る。彼は、絶対に。
だからこそ――
「もっと動揺すると思ったがな。薄情になったものだな」
嘲りを含んだ朧の声に、名無しは思わず鼻で笑った。
「だって、私にはこう聞こえたもの」
切先の震えが、止まった。
「銀時の心を殺したのは、お前達だ」
――だからこそ、それはどんな侮辱よりも許せなかった。
***
無謀。
…だと思っていた。
怒りのまま振り下ろされる刃は、耳障りな剣戟が鳴る度に鋭さが増していく。
記憶を辿るように、過去へ遡るように。
それは憧れに似た『あの人』の太刀筋を彷彿させた。
朧は小さく舌打ちし、経絡を潰す針を投擲した。
突然の飛び道具にすら寸で反応をする姿は、彼の知っている少女ではなかった。
いや。正しくは、彼が『知る前の彼女』に戻りつつあるのだろう。
幾つか突き刺さった毒入りの針を掴んで、容赦なく引き抜く様は、まさに鬼だった。
そう。
冷たい殺気を含んだその燃えるような双眸は、あの日殺されるはずだった日の『あの人』に似ていた。
隙を突いて、かつての最愛の妹へ刃を立てる。
――届いている。
その刃は肉を削ぎ、朱を散らしているはずなのに。
『君には私を殺すことは出来ない』
そう言って血を分け与えてくれた『あの人』の言葉が脳裏に過ぎった。
理由は明確だった。
柔肌を斬った傍から、みるみると傷がふさがっているではないか。
『あの人』に以前聞いた事がある。
血を与えたのは、自分が初めてなのか。と。
静かな声で『そうですよ』と答えた彼の言葉が事実ならば、恐らく――
『彼女は、私の唯一手に入れることが出来た、大切な『宝』です。
…私が留守の間、君に守ってほしいんです』
普段の仏頂面が僅かに緩んだ瞬間、昔の『あの人』はそう言った。
同じ茜色の瞳、酷似した太刀筋、不死を彷彿させる身体。
――なるほど、そういうことか。
「中々にしぶといな」
「生憎頑丈なのが取得なのよ。」
紺色の作務衣は赤黒く染まっている。
こちらの袈裟も血で酷く汚れていた。
かつて兄と慕われていた。かつて妹として慕っていた。
偶然にも同じ血が流れているというのに、今この瞬間殺し合っているのは皮肉を通り越して不毛のような気さえしてしまう。
「奇遇だな。――俺もだ」
隠し持っていた刀で一直線に薙げば、薄い腹から吹き出る赤。
血を流しすぎたのか、今まで蹌踉めくことがなかった足が僅かに縺れたのを見逃しはしなかった。
彼女の持っていた刀を叩き落とし、胸倉を掴んで天へ捧げるように高々と上げる。
烏の羽のように、軽い身体。
絶体絶命だというのに目の前の女はせせら笑うように口元を歪めた。
「勝負はついた。…なぜ、笑っていられる」
「あなたに殺されるのは、真っ平御免だからよ」
懐に仕舞っていた短刀を取り出し、俺の手首に向かって投擲された。
筋を貫通する乱刃の小刀。
思わず、掴んでいた胸倉を話してしまった。
「先生との約束を、これ以上違えるつもりはないよ。
――ねぇ、兄さん」
崖下に真っ逆さまに落ちていくかつての『妹』は、幼い頃に見せたような無邪気な笑顔で深い海へと消えた。
すべての終の場所でもあり、全ての始まりの地。
桂と高杉が捕縛され、銀時がいなくなったのは五日目のことだった。
『お前はここに残っておけ』
走り書きで書いた、メモを残して。
茜色ノ小鬼#16
「…馬鹿。」
書き残されたメモを薬箱の空いている引き出しにしまい込む。
あれから二日。まだ銀時達は帰って来ていない。
「桂さん達、大丈夫でしょうか」
「大丈夫。…きっと帰ってきますよ」
言葉にしても漠然とした不安は拭えない。
こんな時、坂本がいてくれたら違ったのだろうか。
いや彼は剣はもう握れない。それに空へ夢見て宇宙へ旅立ったのだ、それを止める道理は誰にもなかった。
(他人に、縋るな。こんな時、私がしっかりしなくちゃ)
ゆっくり深呼吸を繰り返して板間から立ち上がる。拾った無名の刀と愛用の短刀を握りしめて。
「辺りを偵察してきます。ここはお願いしますね」
「はい」
草が方々に生え、人がいなくなった海沿いに聳え立つ武家屋敷。
拠点となっているその建物を出て少し離れたところで、名無しは海の見える崖でしゃがみ込んだ。
足元から瓦解していく気配が聞こえる。
ねぇ、どこにいるの。
お願いだから置いていかないで。
さっきから嫌な胸騒ぎがして落ち着かないんだ。
ひとりは、いやだ。
「名無し。」
名前を呼ばれ、ゆるゆると顔を上げれば一人の男の姿。
「…そんな気はしていたの。灰色の髪、袈裟を着た人なんて、私は一人しか知らない」
振り返って向き合えば、随分とお互いに変わってしまった姿。
穏やかに細められていた目元は、今や深淵を覗きこんだような黒々とした濁った瞳になっていた。
血色の悪い顔は相変わらずだが、それでも纏う雰囲気は昔とは別人のようだった。
「どうして先生を捕縛したの、兄さん。」
何年ぶりだろう、兄と呼ぶのは。
酷く久しぶりのはずなのに不思議としっくりきた。
「それに…どうしたの、その格好。
――まるで、昔の先生みたいじゃない」
その袈裟はよく知っている。
烏の面をつけた『あの人』が着ていたもの。
その錫杖は知っている。
烏の面をつけた『あの人』が振るっていたもの。
目の前の『兄』をあの場所から抜けさせるために、自由を求めた松陽。
それなのに、どうして。
「お前の兄は死んだ。今目の前にいるのは、」
冷徹な視線が突き刺さる。
錫杖の仕込み刀を抜き、鋒を向けた。
「天照院奈落の首領、朧だ」
名乗ると同時に響く剣戟。
咄嗟に抜いた短刀で受け止めたが、
(重い、)
鞘に納めたままの打刀で薙げば、それは朧に当たることはなく空を斬った。
「銀時達をどこにやったの!」
短刀を仕舞い抜き身の打刀を向ければ、曇天の雲が刀身に映り消炭色に鈍く光る。
切先が僅かに震えるのは怒り故か、慣れ親しんだはずの兄に刃を向ける恐怖なのかは、名無しにすら分からなかった。
「なんのことだ」
「桂や高杉が捕縛された時に居合わせた兵が貴方の姿を見たって言ってたのよ、答えて!」
珍しく荒らげた名無しの声が叫ぶ。
切り立った崖に打ち付ける荒波の残響が、虚しく響いた。
「仲間か、師の首か選ばせてやっただけだ」
波の音に掻き消されるかのような、静かな朧の声。
それでもしっかりと彼女の耳には届いた。
「吉田松陽を殺したのは白夜叉だ」
思わず、息を呑んだ。
大きく見開いた緋色の瞳は一瞬でそっと伏せられる。口元に、僅かな笑みを浮かべて。
「…そう。銀時らしい選択ね」
交わした約束は守る。彼は、絶対に。
だからこそ――
「もっと動揺すると思ったがな。薄情になったものだな」
嘲りを含んだ朧の声に、名無しは思わず鼻で笑った。
「だって、私にはこう聞こえたもの」
切先の震えが、止まった。
「銀時の心を殺したのは、お前達だ」
――だからこそ、それはどんな侮辱よりも許せなかった。
***
無謀。
…だと思っていた。
怒りのまま振り下ろされる刃は、耳障りな剣戟が鳴る度に鋭さが増していく。
記憶を辿るように、過去へ遡るように。
それは憧れに似た『あの人』の太刀筋を彷彿させた。
朧は小さく舌打ちし、経絡を潰す針を投擲した。
突然の飛び道具にすら寸で反応をする姿は、彼の知っている少女ではなかった。
いや。正しくは、彼が『知る前の彼女』に戻りつつあるのだろう。
幾つか突き刺さった毒入りの針を掴んで、容赦なく引き抜く様は、まさに鬼だった。
そう。
冷たい殺気を含んだその燃えるような双眸は、あの日殺されるはずだった日の『あの人』に似ていた。
隙を突いて、かつての最愛の妹へ刃を立てる。
――届いている。
その刃は肉を削ぎ、朱を散らしているはずなのに。
『君には私を殺すことは出来ない』
そう言って血を分け与えてくれた『あの人』の言葉が脳裏に過ぎった。
理由は明確だった。
柔肌を斬った傍から、みるみると傷がふさがっているではないか。
『あの人』に以前聞いた事がある。
血を与えたのは、自分が初めてなのか。と。
静かな声で『そうですよ』と答えた彼の言葉が事実ならば、恐らく――
『彼女は、私の唯一手に入れることが出来た、大切な『宝』です。
…私が留守の間、君に守ってほしいんです』
普段の仏頂面が僅かに緩んだ瞬間、昔の『あの人』はそう言った。
同じ茜色の瞳、酷似した太刀筋、不死を彷彿させる身体。
――なるほど、そういうことか。
「中々にしぶといな」
「生憎頑丈なのが取得なのよ。」
紺色の作務衣は赤黒く染まっている。
こちらの袈裟も血で酷く汚れていた。
かつて兄と慕われていた。かつて妹として慕っていた。
偶然にも同じ血が流れているというのに、今この瞬間殺し合っているのは皮肉を通り越して不毛のような気さえしてしまう。
「奇遇だな。――俺もだ」
隠し持っていた刀で一直線に薙げば、薄い腹から吹き出る赤。
血を流しすぎたのか、今まで蹌踉めくことがなかった足が僅かに縺れたのを見逃しはしなかった。
彼女の持っていた刀を叩き落とし、胸倉を掴んで天へ捧げるように高々と上げる。
烏の羽のように、軽い身体。
絶体絶命だというのに目の前の女はせせら笑うように口元を歪めた。
「勝負はついた。…なぜ、笑っていられる」
「あなたに殺されるのは、真っ平御免だからよ」
懐に仕舞っていた短刀を取り出し、俺の手首に向かって投擲された。
筋を貫通する乱刃の小刀。
思わず、掴んでいた胸倉を話してしまった。
「先生との約束を、これ以上違えるつもりはないよ。
――ねぇ、兄さん」
崖下に真っ逆さまに落ちていくかつての『妹』は、幼い頃に見せたような無邪気な笑顔で深い海へと消えた。
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