茜色ノ子鬼
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人の往来で酔ってしまいそうだった。
茜色ノ小鬼#10
流石に華やかな街なだけある。
何店舗か薬屋を巡ってみたが、中々の品揃えだった。きっと医者も腕揃いなのだろう。
客引きの男に「おう、兄ちゃん!寄ってかないかい?」と声を掛けられるが、苦笑いを浮かべてスっと頭を下げた。
どうやらこの格好だと少年か青年に見えるらしい。
まぁ周りの女の子は華やかな着物を着ているのだから無理もないか。
最後の薬屋に足を踏み入れれば、恰幅のいい店主が「いらっしゃい」と声を上げた。
値段と内容を物色しながらじっくり眺める。
(こりゃぼったくりだねぇ)
一店舗前に立ち寄った老夫婦が営んでいる薬屋の方が質も値段も良心的だった。
ここはないな、と思い、踵を返そうとした時だった。
「頼む、薬を買わせてくれ!」
見窄らしい格好の少年が金子を握って店に駆け込んで来た。
どうやら店主とは知り合いらしく、少年がズカズカと店の中に入っていく。
彼が突き出した金をチラリと一瞥した後、店主はせせら笑い、小馬鹿にするように肩を竦めた。
「これっぽっちの金じゃあ無理だな」
「嘘つけ!この間はこれで買わせてくれるって言ったじゃねぇか!」
番頭越しに噛み付くように叫ぶ少年。
まぁ言った言わないの話なら紙面に残すべきだったね、と名無しは内心溜息をついた。
さて、どうしたものか。
「オイ、つまみ出せ」
店主が番頭に言いつけると、店の奥から屈強な男の足が見えた。
一人二人ではない。恐らく、もっと。
「煩ェぞ、ガキ。おちおちゆっくり品も選べねぇじゃねぇか」
ひとつ咳払いして、高杉の口調を思い出しながら名無しが口を開いた。
少年の細い肩を掴めば、驚いたようにこちらを見上げてくる視線が突き刺さる。
「ちょっとツラ貸せ」
「う、わ!何するんだ!」
首根っこを掴んで引きずれば、逆に少年のボロボロの着物が千切れてしまいそうだった。
店主が中腰になって立ち上がり「ちょ、ちょっと、お兄さん。お客様と言えども、勝手は困ります」と声をかけられた。
…大丈夫だ、高杉を思い出せ。
「こんなガキでも臓器を天人に売れば、金になるだろ」
目を細めて睨みつければ、たじろぐ店主。
怯えきって抵抗しなくなった少年を引き連れ、名無しは店を出ていった。
***
「…はーーーー、緊張した」
町外れ。
追っ手が来ていないことを確認してから名無しは緊張の糸を切った。
我ながら中々の名演技だ。悪役として高杉をイメージしてしまったのは、少し彼に悪いことをした…かもしれない。
「…は?」
真っ青の顔の少年が、それはそれは酷く間抜けな顔で見上げてくる。
本当にとって食われると思ったのなら、私の演技力がよかっという証拠だろう。
「馬鹿ね。あそこにいた人達、やばい人ばっかだったじゃない。」
喧嘩売るならちゃんと相手見なさいよ。
声音がコロリと変わったのを聞き「…姉ちゃんだったのか…」と少年はぽそりと呟いた。
「で、患者は?」
「…は、」
「いるんでしょ。早く家に案内して。」
背負っていた小引出しを背負い直し、名無しは慌てて案内する少年の後ろを着いて行った。
***
「よくまぁこれで生き延びたわね」
お世辞にも衛生的とは言えない包帯で巻かれた傷口が滲んでいる。
少年の、兄らしい。
攘夷戦争に参加した後、天人に返り討ちになって戻って来たという。
「痛み止めの薬じゃどうにもならないよ。薬より医者を呼ぶべきだったね」
傷が化膿している。下手したら腐っている部分もあるかもしれない。
息も絶え絶えに黙って聞いている男の傷を見ながら、名無しは思わず顔を顰めた。
「まずは膿を出さないとね。それと井戸水で湯を沸かして。縫合…は、道具ないから仕方ないか。」
タスキで作務衣の袖をたくし上げる。
今回は仕方ない。この兄も正直、このままだと長くない。
後ろで呆然と立つ少年へ振り返り、名無しはジトリと目を細めた。
「何ボケっとしてるの。あなたの家で、あなたのお兄ちゃんなんだから早くして。」
「あ、あぁ、ごめん。すぐに準備する!」
湯を沸かすための水を取りに、井戸へ走っていった少年を見送り、名無しは化膿止めの薬を取り出した。
***
耳を塞ぎたくなるような兄の呻き声。
膿を抜いていたら「…傷が壊死して腐ってるね。削ぎ落とそうか」と彼女が言い出し、短刀を取り出した。
手術にしては随分ワイルドなやり方に、俺は思わず目眩がした。
兄のこんな夥しい血を見る弟なんて、そういるもんじゃないだろう。
「よく我慢しましたね。今から目の前で起きることは、口外してはダメですよ」
彼女はそう言って、布を噛ませている兄に向かってそう言った。
熱湯で短刀を、今日何度目かの消毒をして彼女は逆手に刀を握る。
すると、どうしたことか。
露わになった自分の左手首に押し当てるように、刃が生白い腕に食い込んだ。
切れ味のいいそれは呆気なく彼女の肉をぷつりと切る。
「な、何やってんだよ、姉ちゃ…っ」
ボタボタと滴る血を見て、俺は血の気が引いた。
何せその血を兄の傷口に注いでいるからだ。
邪魔にならまいと少し後ろで見ていた俺は、思わず兄の元へ駆け寄った。
顔面蒼白の兄の傷に、なんてことを。
そう思っていたのに。
「傷が、」
歪な跡は残っているが、血の跡だけを残して兄の袈裟斬りにされた傷は癒えていた。
縫合したわけでもない。文字通り、塞がっていた。
「不審に思われるでしょうから、包帯はしばらく巻いててください」
舌を噛まないように咥えさせていた布を丁寧に取り、彼女は柔らかく微笑む。
やはり少し苦しかったのかひとつ咳をして、兄は肩から腹へ斬られていた傷跡を確かめるように恐る恐る触れた。
本当に治っている。
彼女は妖か狐の類いなのか。
「礼をさせて欲しい」
そういう兄の言葉に、彼女は暫く考える。
金も食料も、うちにはあまりない。
何を言われるのかと俺は何故か緊張してしまった。
「…情報をください」
ポツリと彼女は呟くように言った。
その言葉に「分かった」と兄は頷き、思い出すように口をゆっくり開いた。
「ひと月程前に灰色の髪をした男が、罪人を江戸まで護送していた。袈裟を着た…坊主のような連中だった。
だから、幕吏の連中がまたこの街の近くを通った時に戦を仕掛けて……俺はこのザマだよ」
珍しい柘榴のような目を丸く見開く彼女。
血で濡れた手を、すっかり温くなってしまった湯で洗い流しながら暫く黙り込む。
何か、気になることがあるのだろうか。
「罪人の名前はご存知ですか?」
「あぁ。罪人の名前は、吉田松陽。…危険な思想家だと、政府関係者は言っていた」
***
「姉ちゃん!待ってくれ!」
兄との話が終わった途端、道具を手早く片付けて「じゃあ、お大事に。弟さんと仲良くしてあげて下さいね」と彼女が笑い、家を出ていった。
慌てて追いかけた俺は、もつれそうになる足を叱咤しながら彼女を追いかけた。
「医者になりたいんだ、あんたみたいな、立派な医者に!」
弟子にして欲しい。
そう続けられるはずだった言葉は、紙の束によって遮られる。
「これをあげよう。今持っているのはこれしかないのよ。…言っておくけど、連れては行かないわよ」
「どうして、」
「あなたにお兄ちゃんがいるからよ。」
大事にしてあげてね。
そう言って微笑む彼女はどうしてだろう、酷く寂しそうに笑っていた。
それは本なのか、兄のことなのか。
読み潰された本を俺は両手で抱え、ひとつ大きく頷いた。
「…姉ちゃんも、兄ちゃんいるのか?」
「いたわ。…随分昔に、死んでしまったけど」
困ったように笑う彼女は背中を向けて歩き出す。
刃を押し当てたはずの彼女の左手首の傷は、もうすっかり治っていた。
茜色ノ小鬼#10
流石に華やかな街なだけある。
何店舗か薬屋を巡ってみたが、中々の品揃えだった。きっと医者も腕揃いなのだろう。
客引きの男に「おう、兄ちゃん!寄ってかないかい?」と声を掛けられるが、苦笑いを浮かべてスっと頭を下げた。
どうやらこの格好だと少年か青年に見えるらしい。
まぁ周りの女の子は華やかな着物を着ているのだから無理もないか。
最後の薬屋に足を踏み入れれば、恰幅のいい店主が「いらっしゃい」と声を上げた。
値段と内容を物色しながらじっくり眺める。
(こりゃぼったくりだねぇ)
一店舗前に立ち寄った老夫婦が営んでいる薬屋の方が質も値段も良心的だった。
ここはないな、と思い、踵を返そうとした時だった。
「頼む、薬を買わせてくれ!」
見窄らしい格好の少年が金子を握って店に駆け込んで来た。
どうやら店主とは知り合いらしく、少年がズカズカと店の中に入っていく。
彼が突き出した金をチラリと一瞥した後、店主はせせら笑い、小馬鹿にするように肩を竦めた。
「これっぽっちの金じゃあ無理だな」
「嘘つけ!この間はこれで買わせてくれるって言ったじゃねぇか!」
番頭越しに噛み付くように叫ぶ少年。
まぁ言った言わないの話なら紙面に残すべきだったね、と名無しは内心溜息をついた。
さて、どうしたものか。
「オイ、つまみ出せ」
店主が番頭に言いつけると、店の奥から屈強な男の足が見えた。
一人二人ではない。恐らく、もっと。
「煩ェぞ、ガキ。おちおちゆっくり品も選べねぇじゃねぇか」
ひとつ咳払いして、高杉の口調を思い出しながら名無しが口を開いた。
少年の細い肩を掴めば、驚いたようにこちらを見上げてくる視線が突き刺さる。
「ちょっとツラ貸せ」
「う、わ!何するんだ!」
首根っこを掴んで引きずれば、逆に少年のボロボロの着物が千切れてしまいそうだった。
店主が中腰になって立ち上がり「ちょ、ちょっと、お兄さん。お客様と言えども、勝手は困ります」と声をかけられた。
…大丈夫だ、高杉を思い出せ。
「こんなガキでも臓器を天人に売れば、金になるだろ」
目を細めて睨みつければ、たじろぐ店主。
怯えきって抵抗しなくなった少年を引き連れ、名無しは店を出ていった。
***
「…はーーーー、緊張した」
町外れ。
追っ手が来ていないことを確認してから名無しは緊張の糸を切った。
我ながら中々の名演技だ。悪役として高杉をイメージしてしまったのは、少し彼に悪いことをした…かもしれない。
「…は?」
真っ青の顔の少年が、それはそれは酷く間抜けな顔で見上げてくる。
本当にとって食われると思ったのなら、私の演技力がよかっという証拠だろう。
「馬鹿ね。あそこにいた人達、やばい人ばっかだったじゃない。」
喧嘩売るならちゃんと相手見なさいよ。
声音がコロリと変わったのを聞き「…姉ちゃんだったのか…」と少年はぽそりと呟いた。
「で、患者は?」
「…は、」
「いるんでしょ。早く家に案内して。」
背負っていた小引出しを背負い直し、名無しは慌てて案内する少年の後ろを着いて行った。
***
「よくまぁこれで生き延びたわね」
お世辞にも衛生的とは言えない包帯で巻かれた傷口が滲んでいる。
少年の、兄らしい。
攘夷戦争に参加した後、天人に返り討ちになって戻って来たという。
「痛み止めの薬じゃどうにもならないよ。薬より医者を呼ぶべきだったね」
傷が化膿している。下手したら腐っている部分もあるかもしれない。
息も絶え絶えに黙って聞いている男の傷を見ながら、名無しは思わず顔を顰めた。
「まずは膿を出さないとね。それと井戸水で湯を沸かして。縫合…は、道具ないから仕方ないか。」
タスキで作務衣の袖をたくし上げる。
今回は仕方ない。この兄も正直、このままだと長くない。
後ろで呆然と立つ少年へ振り返り、名無しはジトリと目を細めた。
「何ボケっとしてるの。あなたの家で、あなたのお兄ちゃんなんだから早くして。」
「あ、あぁ、ごめん。すぐに準備する!」
湯を沸かすための水を取りに、井戸へ走っていった少年を見送り、名無しは化膿止めの薬を取り出した。
***
耳を塞ぎたくなるような兄の呻き声。
膿を抜いていたら「…傷が壊死して腐ってるね。削ぎ落とそうか」と彼女が言い出し、短刀を取り出した。
手術にしては随分ワイルドなやり方に、俺は思わず目眩がした。
兄のこんな夥しい血を見る弟なんて、そういるもんじゃないだろう。
「よく我慢しましたね。今から目の前で起きることは、口外してはダメですよ」
彼女はそう言って、布を噛ませている兄に向かってそう言った。
熱湯で短刀を、今日何度目かの消毒をして彼女は逆手に刀を握る。
すると、どうしたことか。
露わになった自分の左手首に押し当てるように、刃が生白い腕に食い込んだ。
切れ味のいいそれは呆気なく彼女の肉をぷつりと切る。
「な、何やってんだよ、姉ちゃ…っ」
ボタボタと滴る血を見て、俺は血の気が引いた。
何せその血を兄の傷口に注いでいるからだ。
邪魔にならまいと少し後ろで見ていた俺は、思わず兄の元へ駆け寄った。
顔面蒼白の兄の傷に、なんてことを。
そう思っていたのに。
「傷が、」
歪な跡は残っているが、血の跡だけを残して兄の袈裟斬りにされた傷は癒えていた。
縫合したわけでもない。文字通り、塞がっていた。
「不審に思われるでしょうから、包帯はしばらく巻いててください」
舌を噛まないように咥えさせていた布を丁寧に取り、彼女は柔らかく微笑む。
やはり少し苦しかったのかひとつ咳をして、兄は肩から腹へ斬られていた傷跡を確かめるように恐る恐る触れた。
本当に治っている。
彼女は妖か狐の類いなのか。
「礼をさせて欲しい」
そういう兄の言葉に、彼女は暫く考える。
金も食料も、うちにはあまりない。
何を言われるのかと俺は何故か緊張してしまった。
「…情報をください」
ポツリと彼女は呟くように言った。
その言葉に「分かった」と兄は頷き、思い出すように口をゆっくり開いた。
「ひと月程前に灰色の髪をした男が、罪人を江戸まで護送していた。袈裟を着た…坊主のような連中だった。
だから、幕吏の連中がまたこの街の近くを通った時に戦を仕掛けて……俺はこのザマだよ」
珍しい柘榴のような目を丸く見開く彼女。
血で濡れた手を、すっかり温くなってしまった湯で洗い流しながら暫く黙り込む。
何か、気になることがあるのだろうか。
「罪人の名前はご存知ですか?」
「あぁ。罪人の名前は、吉田松陽。…危険な思想家だと、政府関係者は言っていた」
***
「姉ちゃん!待ってくれ!」
兄との話が終わった途端、道具を手早く片付けて「じゃあ、お大事に。弟さんと仲良くしてあげて下さいね」と彼女が笑い、家を出ていった。
慌てて追いかけた俺は、もつれそうになる足を叱咤しながら彼女を追いかけた。
「医者になりたいんだ、あんたみたいな、立派な医者に!」
弟子にして欲しい。
そう続けられるはずだった言葉は、紙の束によって遮られる。
「これをあげよう。今持っているのはこれしかないのよ。…言っておくけど、連れては行かないわよ」
「どうして、」
「あなたにお兄ちゃんがいるからよ。」
大事にしてあげてね。
そう言って微笑む彼女はどうしてだろう、酷く寂しそうに笑っていた。
それは本なのか、兄のことなのか。
読み潰された本を俺は両手で抱え、ひとつ大きく頷いた。
「…姉ちゃんも、兄ちゃんいるのか?」
「いたわ。…随分昔に、死んでしまったけど」
困ったように笑う彼女は背中を向けて歩き出す。
刃を押し当てたはずの彼女の左手首の傷は、もうすっかり治っていた。